この一月半、本業のインテリアの製作で、私は光舜堂の方をお休みしていましたが、この19日から再開いたします。
留守の間にjimmyさんや、うっちーさんにご協力願い、無事に営業続ける事が出来ましたし、その間、YさんやAさんSUじいさんなど多くの方に御援助いただいたことを感謝いたします。
またその間、店主休業を知らずにご来店していただいた方に、ご迷惑をかけました事を、ここにお詫び申し上げます。
そもそも、本業無くしてやってはいけないほどのささやかな二胡屋ですが、私が居なくても、ご来店の方も有り、援助していただける、会員の方がたがいらっしゃる程には成長して来たのかもしれません。
ありがたいことです。
この狭い二胡の業界の中で、光舜堂もささやかながら、健全に二胡を鳴らすと言うことでは、少しは皆さんに、認めていただけるようになったのかもしれませんね。
そもそも、私の人生が全て、ささやかながら、地道に人に知られていくと言う形なのかもしれません。
今やっている本業のインテリアの家具の製作や、装飾品の製作などもそうだと思います。
二胡の業界もそうなりつつあるように、今の日本の生産と言うことでは、全てが大手に吸収されていく、その大手の傘下に入らなければやってはいけないシステムになりつつあります。
製産業の保守化、封建化、閨閥化、系列化と言う世界になりつつあると思います。
大きなところはより大きく、小さなところはその系列にと言うことでしょう。
その中で私のやり方は、独立、と言うより、系列化しにくい存在としてやってきています。
それには最高の技術と、人には真似できない素材の開発、又、感性というのが、ただ一つの武器でした。(リンクのMAIO108見て下さい)
人並みに営業センスも無く、自分の感性を曲げて、人に迎合する知恵も無く、ただただこれこそホントの物作りと信じた道でしかありませんでした。
元々は唯の家具屋が、たまたま、仕事を頂いていたデザイナーが、目の前で、店のオーナーと喧嘩し、たまたま西野君、間に合わないから、このお店のデザインやってみるかい?と言うところから始まり、
期間と金額に枠は有ったとは言え、好きにやってよいという一言に、夢中になって作り上げた、町田の「カフェドラルク」と言うお店が、たまたま賞を取ってしまい、後はその評判だけでの、営業でした。
ただただ良い物(私なりに)オーナーにも喜ばれ、来客にも感動を与えると言う事のみを考えながらのデザインです。(人々に感動を与えるものこそアートだと思うのですが、)
こんなものはデザインではないと言われながらも、3年、5年で償却される商業施設としては珍しく25年も使っていただいた、お茶の水のレモンや亡くなってから10年経っても、あの銀座の「ゼクゥ」良かったですねと言われるような物作りです。
本来、物作りとしては、せめて自分の生きているうちは残って欲しいという想いは有ります。
しかし私の物作りは、今の消耗品としてのデザインの業界では、採算と言う点でも、個性と言う点でも、大手の業界には受け入れがたいのかもしれません。
翻ってみて、二胡の世界でも今私は同じ道を歩んでいるのかもしれません。
確かに、良く鳴る楽器だけど、確かに弾きやすいけど、確かに音色も良いし気も良いけど、
こんなのは二胡ではないという先生がた、二胡愛好家もおられます。
しかし、二胡には雑音付き物と平気で言ってしまう楽器屋さん屋先生方、或いはその雑音こそ二胡の音と言う若手の演奏家など、中国製で無ければ、この形で無ければ二胡ではないと言われながらも、
健全に鳴る楽器作りを目指すのは、私の道だろうと今わ思い極めています。
勿論、私自身作ったものだけでなく、中国で作られた、どんな安いニ胡であろうと、健全に鳴らそうと言う道でもあります。
折角、あの揺れる音色に魅入られた日本の二胡愛好家の為にも、一度は健全に鳴る二胡と言う実感を持って欲しいし、御自分の二胡より良く鳴らして欲しいのです。
そんな思いで、長い間お休みいたしましたが、
19日より、光舜堂に復帰いたします。
光舜堂店主 西野和宏
留守の間にjimmyさんや、うっちーさんにご協力願い、無事に営業続ける事が出来ましたし、その間、YさんやAさんSUじいさんなど多くの方に御援助いただいたことを感謝いたします。
またその間、店主休業を知らずにご来店していただいた方に、ご迷惑をかけました事を、ここにお詫び申し上げます。
そもそも、本業無くしてやってはいけないほどのささやかな二胡屋ですが、私が居なくても、ご来店の方も有り、援助していただける、会員の方がたがいらっしゃる程には成長して来たのかもしれません。
ありがたいことです。
この狭い二胡の業界の中で、光舜堂もささやかながら、健全に二胡を鳴らすと言うことでは、少しは皆さんに、認めていただけるようになったのかもしれませんね。
そもそも、私の人生が全て、ささやかながら、地道に人に知られていくと言う形なのかもしれません。
今やっている本業のインテリアの家具の製作や、装飾品の製作などもそうだと思います。
二胡の業界もそうなりつつあるように、今の日本の生産と言うことでは、全てが大手に吸収されていく、その大手の傘下に入らなければやってはいけないシステムになりつつあります。
製産業の保守化、封建化、閨閥化、系列化と言う世界になりつつあると思います。
大きなところはより大きく、小さなところはその系列にと言うことでしょう。
その中で私のやり方は、独立、と言うより、系列化しにくい存在としてやってきています。
それには最高の技術と、人には真似できない素材の開発、又、感性というのが、ただ一つの武器でした。(リンクのMAIO108見て下さい)
人並みに営業センスも無く、自分の感性を曲げて、人に迎合する知恵も無く、ただただこれこそホントの物作りと信じた道でしかありませんでした。
元々は唯の家具屋が、たまたま、仕事を頂いていたデザイナーが、目の前で、店のオーナーと喧嘩し、たまたま西野君、間に合わないから、このお店のデザインやってみるかい?と言うところから始まり、
期間と金額に枠は有ったとは言え、好きにやってよいという一言に、夢中になって作り上げた、町田の「カフェドラルク」と言うお店が、たまたま賞を取ってしまい、後はその評判だけでの、営業でした。
ただただ良い物(私なりに)オーナーにも喜ばれ、来客にも感動を与えると言う事のみを考えながらのデザインです。(人々に感動を与えるものこそアートだと思うのですが、)
こんなものはデザインではないと言われながらも、3年、5年で償却される商業施設としては珍しく25年も使っていただいた、お茶の水のレモンや亡くなってから10年経っても、あの銀座の「ゼクゥ」良かったですねと言われるような物作りです。
本来、物作りとしては、せめて自分の生きているうちは残って欲しいという想いは有ります。
しかし私の物作りは、今の消耗品としてのデザインの業界では、採算と言う点でも、個性と言う点でも、大手の業界には受け入れがたいのかもしれません。
翻ってみて、二胡の世界でも今私は同じ道を歩んでいるのかもしれません。
確かに、良く鳴る楽器だけど、確かに弾きやすいけど、確かに音色も良いし気も良いけど、
こんなのは二胡ではないという先生がた、二胡愛好家もおられます。
しかし、二胡には雑音付き物と平気で言ってしまう楽器屋さん屋先生方、或いはその雑音こそ二胡の音と言う若手の演奏家など、中国製で無ければ、この形で無ければ二胡ではないと言われながらも、
健全に鳴る楽器作りを目指すのは、私の道だろうと今わ思い極めています。
勿論、私自身作ったものだけでなく、中国で作られた、どんな安いニ胡であろうと、健全に鳴らそうと言う道でもあります。
折角、あの揺れる音色に魅入られた日本の二胡愛好家の為にも、一度は健全に鳴る二胡と言う実感を持って欲しいし、御自分の二胡より良く鳴らして欲しいのです。
そんな思いで、長い間お休みいたしましたが、
19日より、光舜堂に復帰いたします。
光舜堂店主 西野和宏
わたしのドデカチンチャンも最近ではクラスの仲間から、「とても良い音だね!」とお褒めをいただくようになりました。弾きこみの成果がでてきたようです。が、まだまだ弾きこんで良い音が鳴るようにします。
来週は、久しぶりに光舜堂ですか?
わたしは...また中古二胡出品しに行きますのでよろしくお願いいたします。
あっ、新駒も持って行きますので...
このところさみしくなっておりますから。