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近代科学の政治経済史(連載第24回)

2022-11-04 | 〆近代科学の政治経済史

五 電気工学の誕生と社会変革(続き)

独占電気資本の誕生
 19世紀後半期の電気工学の誕生と機を同じくして、電気関連の独占資本が誕生する。その代表的なものは当時新興の資本主義国として台頭していたアメリカに集中しており、20世紀以降のアメリカ資本主義の急成長の原動力ともなった。
 中でも代表的なものとして、発明王エジソンの起業に始まるゼネラル・エレクトリック社の設立がある。前回も見たとおり、これはエジソンが起業した電気照明会社をベースに、1889年にエジソン・ゼネラル・エレクトリック・カンパニーに拡大された後、1892年に別の発明家によって共同起業されたトムソン・ヒューストン・エレクトリックと合併する形で発足した。
 ゼネラル・エレクトリック株は、1896年に始まったダウ・ジョーンズ工業平均の最初の12の指標株の一つとなるほど、創立当初から当時アメリカ資本主義の主流だった鉄道資本と並ぶ大資本として注目される存在となった。
 ゼネラル・エレクトリックは独占企業体としての発展にも熱心で、1905年には持株会社エバスコ(EBASCO)を設立して、電力会社を系列化するとともに、電気工学的なコンサルティング業務など、電気関連の総合的な独占企業体となった。
 また海外発展にも熱心で、日本初の白熱電球製造会社として設立された東京電機の過半数株式を取得して大株主となったほか、後に東京電機と合併して東芝となる芝浦製作所の大株主にも納まるなど、アジアへの進出にも積極的で、世界に展開する多国籍資本としての本性を早くから発揮した。
 一方、エジソンのライバルの一人であった発明家ジョージ・ウェスティングハウスが1886年に設立したウェスティングハウス・エレクトリック社は、エジソンと争ったテスラから特許を取得しつつ、エジソンが敵視していた交流式送電システムで成功し、1891年には世界初の商用交流送電システムを開発した。
 このように送電システムで強みを発揮したウェスティングハウス・エレクトリックは1890年代から発電機の開発にも注力し、後には原子力発電炉の開発・製造で独占的な地位を築くなど、発電システム分野の独占企業体に成長していく。
 一方、ベルの電話会社を前身とするAT&Tはゼネラル・エレトリックより一足先の1885年に世界初の長距離電話会社として設立され、北米における電話関連の研究開発から関連機器製造、電話通信システムの管理運営まで一貫して同社が独占するシステム(ベルシステム)を構築した。
 ちなみにAT&Tの社業発展期の1901年から07年まで社長を務めたフレデリック・フィッシュはベルやエジソンも顧客とした特許専門弁護士の草分けで、彼が設立した法律事務所は知的財産権専門の多国籍法律事務所フィッシュ・アンド・リチャードソンとして現在も残る。

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