ザ・コミュニスト

連載論文&時評ブログ 

近未来日本2050年(連載最終回)

2015-10-04 | 〆近未来日本2050年

 前回まで、「議会制ファシズム」に支配された近未来2050年における日本社会の諸相をあたかも政権マニフェストのような形で記述してきたが、最後に本編ではまとまった記述ができなかった外交関係について付言的に予測しておきたい。
 まず、2050年のファシスト政権は引き続き米国との同盟関係を外部的な基盤として成立するだろう。否、現行体制以上に米国の庇護を必要としているだろう。米国は表向き「反ファシズム」を旗印とするため、ファシスト政権を米国に認知させるには、現在以上に親米協調姿勢を強固に表明する必要があるからである。
 そのためにも、本編で言及したように、改憲によって再軍備が明確にされ、自衛隊は防衛軍に格上げされたうえ、集団的自衛権に関する法的制約は憲法上も完全に取り払われ、無制限の日米共同軍事行動が可能な状況になっているはずである。
 それとも関連して、沖縄政策はいっそう超然主義・強権主義に傾斜しているだろう。沖縄には、政府の代表部が置かれ、沖縄全権代表を通じて、中央政府が選挙や県政にも介入する間接支配体制となっている。反基地闘争は反軍活動とみなされ、本編でも言及した防衛軍情報保安隊による厳しい監視と弾圧を受け、萎縮している。
 こうした抑圧策に対しては、米軍統治時代に匹敵する「沖縄植民地化」という批判も向けられるが、官製報道により情報統制された本土メディアが沖縄の情勢を詳細に伝えることはない。
 またファシスト政権は歴史問題に関しても強硬な愛国主義の立場を明確にしているため、東アジア近隣諸国とは第二次大戦終結以降、最高度の緊張関係にあり、日米軍事同盟といっそう軍拡した中国が対峙する東アジア冷戦構造が定着している。特別永住者制度の廃止により、韓国との関係もいっそう冷却し、事実上の断交状態に置かれているだろう。

 以上のような諸相を示す議会制ファシズムの世界は、ジョージ・オーウェルの『1984年』に描かれた全体主義体制に比べると、未来性に欠ける印象を受けるだろうが、それだけに、すでに現存する諸制度を再編拡大するだけで十分にファシスト体制を構築することができる。書きながらこのことに気がつき、連載を終えた今、改めて愕然としている。
 ファシズムの基礎となる食材はすでに出揃っていると言って過言でない。あとは調理するだけ、調理者となる新政党が現われるか、既存政党が調理者となるかの問題だ。
 議会制ファシズムのような新型ファシズムは意外に地味である。目に見えないウィルス的な性質を持ち、知らないうちに侵されている。そこが恐ろしいところである。そのためにも、将来、ファシスト政権の樹立をもくろむ勢力に参照・利用される危険を冒して、あえて項目的なマニフェストのような形で新型ファシズムの実相を可視化してみたのであるが、筆者の希望は、もちろんこれとは正反対の方角にある。(了) 

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近未来日本2050年(連載第23回)

2015-10-03 | 〆近未来日本2050年

五 「緊縮と成長」政策(続き)

労働基本権の凍結等
 ファシスト政権の「緊縮と成長」政策の中を下支えしている―批判者によれば「暗黒」の―政策が、労働人口減による生産力の低下という「経済非常事態」を根拠に主要な労働法規を原則的に停止する労働関係非常措置法の導入である。
 具体的には、裁量労働制を全業種に拡大したほか、従業員数に限りある中小企業に対しては賃下げしないことを条件に労働時間規制そのものを撤廃した。こうした施策に対して予想される労働運動を抑制するため、労働組合を公益法人化し、行政による監督を強化、実質的な翼賛労組化を図っている。
 その結果、日本最大の労組センターだった「日本労働組合総連合会(連合)」も、「全日本労働組合協会(労協)」と改称し、ファシスト与党の傘下団体として選挙動員されている状態である。
 これは第二次大戦後では最大規模での労働法の全般的規制緩和であり、ファシスト政権の公約の柱として、経済界からは喝采されている。一方、国際労働機関(ILO)からは労働基本権の事実上の凍結策として非難されているが、政府はこれを内政干渉として一蹴している。
 さらに、政府は国内労働人口減を補うため、外国人単純労働者の雇用規制の撤廃にも踏み込んだ。ただし「純血主義」の人種主義的原理により、移民の定着は厳しく抑制されている。
 すなわち外国人労働者の滞在期間は原則5年に限定され(専門技術職等は更新可能)、家族同伴・呼び寄せも禁止される。またかれらが永住のため日本国民と婚姻しようとする場合には滞在資格の有無、出身国での犯歴等についての事前審査を義務づけ、要件を満たさない場合は婚姻届を不受理とする婚姻制限措置がある。
 急増した外国人の管理も強化され、労働ビザで入国した外国人は半年ごとに所轄警察署に出頭し、在留資格を確認する義務が課せられる。またファシスト政権の主要な公約だった特別永住者優遇制度の廃止も速やかに実現されている。 
 政権は「世界一厳しい出入国管理」をスローガンに、法務省入国管理局を警察を所管する国家公安省外局の入国管理庁として移管・独立させたうえ、出入国管理法の執行に当たる入国警備官に司法警察職員の権限を付与して、不法滞在者の摘発・強制退去措置を徹底している。こうした抑圧的な出入国管理政策は、治安政策ともリンクしている。

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近未来日本2050年(連載第22回)

2015-10-02 | 〆近未来日本2050年

五 「緊縮と成長」政策(続き)

市場拡大政策
 「緊縮と成長」の「成長」政策の中核を成すのは、市場拡大政策である。すなわち、かつては「新自由主義」「市場原理主義」などと呼ばれた政策の徹底化である。このように、競争による弱者淘汰を正当化する経済自由主義と強力に結びついていることは、新型ファシズムの大きな特質である。
 政権がオブラートに包んで「市場フロンティア政策」と呼ぶこの政策は、従来営利企業の直営が制限されてきた教育・医療・福祉や農林水産などの分野の規制緩和と資本化の推進を内容としている。結果、株式会社営の学校、病院や福祉施設が続々と生まれ、大資本の多くが傘下に大学を含む学校や病院を擁するようになった。
 より波紋を呼んだ施策が、農協組織の解体である。これにより、大手食品・小売資本系の農業会社が続々と台頭してきた。反面、旧農家は農地所有者としてこれら農業資本に土地を賃貸し、賃料収入に充てるパターンが急増している。これは、日本における借地農業資本の本格的な始まりとみなされている。政権はこの施策により、食糧自給率を25パーセント以上回復する目標を立てている。
 また資本の活動にとって桎梏となる環境規制の緩和にも着手されている。特に日本が地球温暖化防止条約から脱退し、米国と共同歩調を取ったことは、世界に衝撃をもたらした。ファシスト政権は温暖化懐疑論を公式見解に掲げ、未来世代への責任を強調する持続可能な開発論に対しては、「未来世代より現在世代の繁栄を」のキャッチコピーで反駁、米国と事実上の「反エコロジー同盟」を結成している。
 原発政策に関しても、2011年の福島原発事故以来の政策を大転換し、新規原発増設に転じた。そして原発の管理運営を中央主導で行なうため、原発を持たない沖縄電力を除く全電力会社及び国を株主とする原発独占企業体として、ジャパン・アトミック・エナジー社(JATOME)を設立した。JATOMEが電力各社に原発設備をリースして委託運営する仕組みである。政権は安全で責任ある原発運営の仕組みと宣伝するが、情報統制により批判は封じ込められている。
 JATOMEは海外へ原発設備を売り込み、運転や保守管理まで全工程を請け負う国際事業会社を傘下に擁し、世界30か国以上に現地法人を置く多国籍企業としても展開し、国際的に賛否両面で注目されている。

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近未来日本2050年(連載第21回)

2015-09-19 | 〆近未来日本2050年

五 「緊縮と成長」政策(続き)

減税政策
 ファシスト政権が選挙で圧勝し、かつその後も幅広い支持を維持している最大要因が、減税政策である。その内容は多岐にわたるが、大衆的に最も支持されたのは消費減税である。
 消費税はファシスト政権樹立前には15パーセントにまで引き上げられていたところ、ファシスト政権はこれを一気に7パーセントまで引き下げたのである。そのうえで、「欲しがります、勝つために」のキャッチフレーズで大衆の競争的労働意欲と消費欲を刺激する策に出て、消費の増大を実現させた。
 もう一つの奇策と言うべき大胆な策は、所得、相続、法人の三税で導入された逆累進課税である。逆累進課税とは高額所得者/有資産者や高収益企業ほど税率を軽減する制度であり、まさしく累進課税の逆を行くものである。これは露骨な富裕層・大企業優遇策にほかならないが、稼得や収益を増大させるために自助努力した者は課税上優遇するという競争主義的なコンセプトに基づく税制であり、先の脱社会保障とも通底する政策と位置づけられる。
 なお政府は相続税について、私有財産に対する行き過ぎた制約になっているとして、将来的な廃止または例外的な富裕税化を検討し、財政経済改革本部の諮問会議に諮って審議しているところである。
 さらに外資誘致やベンチャー企業育成のため、全国の経済的な拠点都市域に「法人免税特区」を設定し、特区に本社・本店機能を置く企業の法人税を免除する制度も創設した。この制度はいわゆる「タックスヘイブン」として国際的な批判を浴びているが、政府は内政干渉としてこれを一蹴している。
 こうした大胆な減税政策により、国の税収は半分近くまで落ち込む状態となったが、それを脱社会保障政策と医療・福祉の領域にまで資本化・民営化を全面拡大する新自由主義政策の徹底によって補填しようとしているのである。

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近未来日本2050年(連載第20回)

2015-09-18 | 〆近未来日本2050年

五 「緊縮と成長」政策

経済再生の成功
 2050年日本の議会制ファシズムはその独裁的、抑圧的体質にもかかわらず、国民的に幅広い支持を受けているが、その最大の秘訣は20世紀末以来の歴史的な課題であった経済再生に成功したことにあると言われる。実のところ、ナチス政権も含め、過去の成功したファシズム体制はすべて経済危機に対処する経済再生政権でもあった。この法則は、2050年における日本ファシズムでも明確に実証されたのである。
 実際、ファシスト政権成立前の日本経済は積年の財政赤字の累積に加え、深刻な労働人口減による生産力の低下が顕著となり、2040年代にはGDPでドイツにも抜かれ、世界第四位に後退していたのだった。そうした中、「緊縮と成長」をキャッチフレーズに登場したのがファシスト政権であった。「緊縮」と「成長」は相矛盾する面もあるが、それを同時に実行するのが「緊縮と成長」政策の妙味であり、これを可能にしたのがファシストの政治手法であった。
 政権は議会審議を形骸化させる強権的な手法をもって経済再生策を矢継ぎ早に打ち出し、およそ半世紀ぶりの財政黒字化に成功、さらには年率3パーセント台の経済成長も実現したのだ。このような「緊縮と成長」政策は、以下の四本の柱から成り立っている。
 第一の柱は脱社会保障、すなわち社会保障からの撤退(これについては、前章で詳述した)。第二は減税。第三に新自由主義の徹底(ただし、政権は「新自由主義」という標語を避け、「市場フロンティア政策」と自称している)。第四に外国人労働者の大量移入。
 これらの政策を機動的に実行するため、政権は旧来の財政経済諮問会議を内閣府所属行政機関としての財政経済改革本部に改組したうえ、本部長を首相が兼任し(本部長代理は内閣官房長官が兼任、副本部長は民間起用大臣)、官邸の指令で一元的に政策を断行できる仕組みを作り出しているところである。

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近未来日本2050年(連載第19回)

2015-09-04 | 〆近未来日本2050年

四 弱者淘汰政策(続き)

民活福祉政策
 前回紹介した脱社会保障政策を補充する政策が「民活福祉政策」である。すなわち、これは国が社会保障から撤退した空白を民間の福祉事業で埋めるという策であり、言い換えれば福祉の民営化である(政権は「民営化」という表現を好まない)。
 この点、ファシスト政権成立以前に民間福祉事業と言えば、ほぼ非営利の福祉事業を意味したが、ファシスト政権は医療を含めた広範囲な福祉事業への営利企業の参入を大々的に認める政策を導入した。その結果、株式会社立の福祉施設や病院が多数生まれている。
 特に、前回も紹介したように新設が禁止されている介護保険施設を補うものとしての営利的介護施設は民活福祉の象徴であり、他業種からの多くの参入があり、将来的には介護施設の主流となるとすら言われている。
 一方、長くタブーとされてきた株式会社病院も解禁されている。この点、国も「国立病院の収益化」を掲げ、国を51パーセントの過半数株主とする国立病院運営会社(持株会社)を設立したうえ、証券市場に上場するという大胆な策を打ち出したのである。
 その他、既設の私立病院や公立病院の株式会社化も解禁したため、多くの病院が株式会社に移行している。この施策は医療の露骨な営利化として医療関連団体からの批判も根強いが、株式会社化によって経営基盤が安定した成功例も多いと反論されている。
 もう一つの策は認可慈善団体の免税措置である。これは厚労大臣による審査と認可を受けた慈善団体については法人税を免除するという政策で、非営利系の福祉事業を税制面で優遇し、発展を促すものである。この制度は脱税の手段として悪用される危険を指摘されながらも、脱社会保障政策の代償として財務省も容認している。
 また、大幅に縮減された公的年金の補充としての個人年金保険も盛んになっており、統計によると約55パーセントの世帯が何らかの個人年金保険に加入しているという(平成24年(2012年)時点では約23パーセント)。
 同様に、健康保険の4割負担化を補うものとしての商業医療保険の活用も盛んになっており、年金保険と合わせ、金銭給付面での民活福祉も進んでいる。論者の中にはこれを弱者に過酷なアメリカ型福祉への大転換とみなす者もいる。

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近未来日本2050年(連載第18回)

2015-09-03 | 〆近未来日本2050年

四 弱者淘汰政策(続き)

脱社会保障政策
 2050年代ファシズムの「社会強靭化計画」と密接に関連するもう一つの政策は「脱社会保障政策」である。これは、その名のとおり、国が社会保障政策から撤退することを意味する。もっとも、社会保障の全否定ではないが、伝統的な社会保障制度の根幹部分は否定されている。
 その土台となるのが、改憲である。すなわち昭和憲法のように社会権条項の筆頭に生存権を置くのではなく、筆頭にまず勤労の義務が置かれる。これを前提として、国に生活の最低限度支援―「保障」ではない―を努力義務として課す―従って、これは権利ではない―という規定に変更される。ここから、いわゆる生存権も否定され、国民は原則として自らの稼得によって生計を立てるべきことが基本的な義務となり、社会保障という制度理念の根幹が否定されるのである。
 具体的には、まず公的年金制度が現役時代の所得水準に照応した完全な所得比例型年金に移行されている。無収入者も包摂する国民基礎年金も現行の半額の月額3万円程度に縮減されている。他方、年金受給開始年齢は一律70歳に繰り下げられるが、70歳を越えて勤労した人にはプレミアムの報償的な勤続年金が上乗せして支払われる新制度が設けられている。
 健康保険の分野では、「社会強靭化計画」に関連して先に触れたように、遺伝子検査と必要に応じた特定検診及び保健指導の義務付けにより医療費を削減する施策が導入されているほか、後期高齢者医療制度は廃され、一律に原則4割負担とされている。
 介護保険の分野では、いっそう進行した少子高齢化と介護費用削減名下に、介護保険施設の新設が禁止されている。その結果生じ得るいわゆる介護難民に対しては、株式会社形態も含む民間介護施設が受け皿となっている。こうした営利的介護施設には利益至上の劣悪施設も少なくないが、行政の監督は緩い。その点の説明として、ファシスト与党の厚労相が「それは老後の貯蓄と介護予防を怠った要介護者への天罰だ」と発言し、野党からは「暴言」との非難を受けたが、この発言にはまさに政府の本心が現われている。
 ちなみに、こうした脱社会保障政策の象徴として、社会政策を担当する部門は労働政策部門と合わせ、厚労省の外局として設置された労働福祉庁に移管されている。これは業務の専門性を高めるとの名目で、実際上は福祉行政を厚労本省からくくり出し、機能を縮小したものとの見方が強い。

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近未来日本2050年(連載第17回)

2015-08-21 | 〆近未来日本2050年

四 弱者淘汰政策(続き)

国民皆勤労政策
 努力主義と結びついた「社会強靭化計画」は労働政策の面にも及び、「国民皆勤労政策」と呼ばれる強制的色彩の強い労働政策を導いている。ここでは、そうした強制性をオブラートに包んだ「失業ゼロ社会」がキャッチフレーズである。
 この政策において第一の標的となるのは路上生活者である。この点、街頭デモの規制にも発動される公共秩序維持法に路上での寝泊りの禁止が盛り込まれ、この規定に基づき、路上生活者に対しては警察官が保護拘束という強制手段で排除することが認められている。こうしたやり方は導入当初、差別的な「ホームレス狩り」として支援団体などから強い批判を受けたが、当局はそうした支援団体も公共秩序法違反で摘発する強硬措置で臨み、批判を封じ込めている。
 保護拘束された路上生活者は、厚生労働省所管の就労訓練センターに強制登録される。このセンターは保護拘束された路上生活者のほか、生活保護申請を却下された貧困者も強制登録し、就労訓練生として求人企業に派遣し、労働させることを目的としている。
 ちなみに、生活保護は申請に当たって自治体嘱託医による就労困難証明書の提出が義務付けられるうえ、反社会的または反国家的活動に従事している者は受給欠格者とされるなど、「国民皆勤労政策」に沿って受給条件が格段に厳格化されている。
 就労訓練センターには寮が付属しており、訓練生は無料で利用することができるが、寮はセンターが借り上げ、民間委託されており、しばしば劣悪な環境にある。しかも、訓練生は無断外出を禁じられるなど、規律も厳格なうえ、刑務官や警察官経験者が指導員に採用されるケースが多いため、「貧困者刑務所」という悪名もささやかれる。
 その訓練も名ばかりで、訓練生を経て正式に就労できる者は一部にとどまると見られるが、政府はこの点の正確なデータを公表していない。また訓練労働に対しては法定最低賃金も社会保険も適用されないなど、労働法の規制が一切及ばない。そのため、「訓練」名下に一種の奴隷労働を強いる悪制との批判が野党や法曹界からは根強いが、人口減少の中、深刻な労働力不足に直面している経済界からは好評を得ている。

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近未来日本2050年(連載第16回)

2015-08-20 | 〆近未来日本2050年

四 弱者淘汰政策

社会強靭化計画
 ファシズムの社会政策面における特色として、優生学的な弱者淘汰政策が計画的に追求されることがある。それは単なる結果的な弱肉強食の競争原理の称揚にとどまらず、より意図的な国策としての差別政策である。
 2050年日本の議会制ファシズムにおいては、「社会強靭化計画」と名づけられた優生学的政策が展開されている。すなわち深刻な人口減少の中、勤勉な人間の遺伝子を継承して、少数精鋭の強靭な社会を構築するというのである。
 「頑張る人、応援します」が、そのキャッチコピーである。ここでは、純粋な優生学でなく、日本的な「努力主義」の倫理観と結びつけられていることが特色である。従って、ナチスの優生学のように障碍者を体系的に抹殺するというような形式的なものではなく、障碍者でも障碍を克服すべく「頑張る人」は応援するという趣旨が含まれている。
 この点で目玉政策となっているのが、事前審査制の精子バンクである。これは学歴や職歴、収入・資産から病歴、身体条件、思想信条に至るまでの厳正な事前審査に合格した男性の精子を保存する公的な精子バンクである。民間の精子バンクとは異なり、これを利用する女性の側にも共通内容の厳格な事前審査が課せられる。
 この制度は当然にも、優生学的な差別を助長するとの批判に導入時からさらされているが、強制断種のような排除型の優生政策ではなく、個人の努力も加味し、障碍者をも包摂する選別型の優生政策であり、人口減少の中で日本人の優等遺伝子を継承し、社会を維持する政策として正当化されている。
 もう一つは、遺伝子検査・特定健診を35歳以上の全国民に義務化する政策である。これは遺伝子検査の結果、病因遺伝子が発見された場合、特定健診及び保健指導を義務付け、従わない者には健康保険の被保険者資格停止の制裁が課せられるというものである。
 このように国民に一律的な健康状態を強制する政策は「健康ファシズム」とも批判されるが、これについても、国民の健康保持の努力を促進し、予防・早期治療による医療費削減に多大の寄与をしていると宣伝されている。

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近未来日本2050年(連載第15回)

2015-08-08 | 〆近未来日本2050年

三 思想/情報統制政策(続き)

情報管理
 議会制ファシズム体制は、憲法上形のうえでは表現の自由を保障しているため、「言論統制」という言い方を好まず、代わりに「情報管理」と呼ばれる一連の言論政策が展開されている。
 その第一の柱は、マス・メディア対策である。この点、言論統制の代名詞である検閲制度は存在しない。その必要がないのである。なぜなら、新聞・テレビの大手メディア幹部が参加する内閣官房長官の私的諮問会議として時事懇談会が常設機関化され、官製報道の中枢機関として機能しているからである。そのため、大手メディアでは政権批判的な報道は消失している。
 またNHKが総務大臣所管の独立行政法人に格上げされ、実質上国営放送としての性格が濃厚となり、NHKに政府広報専門チャンネルも増設されることで、国策報道が正面から展開されている。
 さらに国家情報調査庁が大手メディアで多数の記者を契約諜報員として囲い込み、政策的リークにより情報操作をしているとの噂があるが、当然にも実態は秘密のベールに包まれている。
 一方、インターネット上の情報管理に関しては、通信事業者に法令及び公序良俗違反言説の削除義務を罰則付きで課す規定が存在する。また有事や騒乱時にインターネット接続を法律上の権限に基づき政府機関が包括的に強制遮断する制度が存在するが、平時でも国家情報調査庁や防衛軍情報保安隊のサイバー監視部門が秘密裏に問題サイトへの接続を遮断する措置を取っているとも言われている。
 さらに旧来の特定秘密保護法がファシスト政権下ではより拡大されて、機密保護法に再編され、機密漏洩罪は最大で無期懲役刑を科せられる重罪とされている。しかし市民の知る権利を制約するこうした圧制を批判することは国家尊厳法違反に問われる恐れがあり、公然たる批判は見られない。
 これらの情報管理政策とは別に、より直接的な世論対策として、多数のコピーライターや心理学の専門スタッフを擁するファシスト与党の世論局が、政権の公式キャッチコピーやネットへの匿名書き込みなど、表裏様々なチャンネルを用いた心理的世論操作を担当しているとされる。
 「言論統制」ではないとの建前から、集会・デモの自由も形のうえでは保障されるが、公共秩序維持法によって原発なども含む重要公共施設周辺でのデモ・集会は禁止されているため、大衆行動は事実上封じられている。
 さらに反政権的な集会・デモにはファシスト与党の傘下にあると噂される国粋青年組織が突撃し、運営を妨害する行為が繰り返されるが、警察・検察はこうした不法な活動も愛国的動機に基づく酌量すべき行為とし、事実上免責している。

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近未来日本2050年(連載第14回)

2015-08-07 | 〆近未来日本2050年

三 思想/情報統制政策(続き)

思想教育
 2050年における議会制ファシズムと戦前の軍国体制とが最も近似性を示すのは、学校における思想教育である。議会制ファシズムにおける思想教育の軸は「愛国防衛教育」に置かれる。この点、ファシスト与党のある文科大臣は「公立校では愛国防衛教育以外は必要としない」と発言、与党内からも極論との苦言が出るも、この失言に議会制ファシズムの教育指針が象徴的に表れている。
 とりわけ2050年頃には体制エリートの有力な給源となっている公立系中高一貫進学校には義務的な防衛軍体験入隊があり、防衛教育が徹底されている。これは一部識者から「現代の軍事教練」と批判されるが、一般校での防衛教育は基本的に座学であり、体験入隊のような教練は含まれない。
 議会制ファシズムが教科的に特に力を入れるのは、社会科と道徳科である。特に社会科にあっては政府・与党の公式見解以外の見解は教科書から一掃され、それ以外の見解、特に公式見解に反する見解を教えた教員は処分対象となる。
 中でも歴史教育に関する締め付けは厳しく、戦前の帝国主義支配について否定的な授業を個人で続けていた公立高校教員が国家尊厳法違反で逮捕・起訴される事件すら起きている。これはファシスト政権が「20世紀における日本の軍事行動は自衛自存のための愛国的行動であった」との公式見解を提示しているためである。
 一方、道徳は議会制ファシズムが成立する以前の時代に独立教科化されていたところ、議会制ファシズム体制では社会科と並ぶ最重要科目と位置づけられ、愛国主義教育が徹底される。ここでの愛国主義はもはや精神論にとどまらず、「諸外国の反日宣伝に対し毅然として反駁することは日本国民の崇高な責務である」とする積極的な行動論とされる。
 こうした思想教育を円滑に実施するうえでも、旧来の教育委員会制度は廃止され、より統制的な教育庁・教育局/部制度に転換されている。また教育公務員の採用に当たっては国家情報調査庁と連携して厳格な身元・思想調査がなされ、野党支持者やその親族は排除されているとも言われるが、実態は不明である。
 他方、国公立大学には産官学連携運営が法律上義務化されているため、思弁的な学術の性格上連携が困難な文系学部は経済・経営学系、法・行政学系等の実学的部門を除き、消滅している。かつて憲法上の原則でもあった大学の自治は否定され、大学は国益及び公益を害しない範囲内での限定的な自主権を持つにすぎないとされるため、大学における思想の自由は事実上排除されている。

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近未来日本2050年(連載第13回)

2015-07-25 | 〆近未来日本2050年

三 思想/情報統制政策(続き)

新皇国思想
 戦前の軍国期には、明治憲法上神聖不可侵と規定されていた天皇がいっそう絶対化され、神権天皇制を「国体」として護持する思想統制が最大で死刑を科す治安維持法を通して厳格に行なわれたことから、「天皇制ファシズム」とも称される。しかし、本来ファシズムは世俗的政治思想であり、宗教性を帯びた天皇至上の「皇国思想」は言葉の真の意味でのファシズムとは言えない「擬似ファシズム」であった。
 それに対して、第一章でも想定したように、2050年時点の憲法上は天皇が明確に国家元首と位置づけられるが、天皇は明治憲法下のように神聖不可侵とはされず、世俗的な君主としての扱いにとどまり、天皇の政治的無権能と首相を行政長とする議院内閣制の仕組みも維持されるだろう。
 従って、軍国期のように天皇が大権をもって政治の前面に立つことはないが、国家元首として位置づけられることにより、単なる儀礼的な象徴天皇ではなくなり、名誉職大統領的な色彩が強まるとも想定した。その点では、議会制ファシズムにおける天皇の位置づけはいささか曖昧なものとなる。
 とはいえ、天皇制を公然否定することは国家尊厳法の反国家宣伝罪に該当する可能性があるため、事実上タブーとなる。また同法には天皇に対する名誉毀損を刑法上の名誉毀損罪より重く罰する特別規定が置かれる可能性もある。さらに教育現場では学校行事などの式典において、従来の国旗掲揚に加え、天皇の肖像写真(御真影)を掲示すべきことが通達されるようになるだろう。
 このように議会制ファシズム下における天皇は軍国期ほどに絶対的崇拝の対象として強制されないとしても、至上価値とされる国家の尊厳の中核を成す存在として敬重すべき対象とされているだろう。これを宗教色の強い軍国期の「皇国思想」と対比して、脱宗教化された「新皇国思想」と呼ぶ論者もいるが、世俗化されている分、本来のファシズムと重なるとも言われている。

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近未来日本2050年(連載第12回)

2015-07-24 | 〆近未来日本2050年

三 思想/情報統制政策

国家尊厳法
 ファシズムにおける思想面の特質として、国家を至上価値に置くことがあるが、この特質は議会制ファシズムにあっても発現する。2050年の日本では、昭和憲法が基本原理とした「個人の尊厳」は否定され、「国家の尊厳」に取って代わられているだろう。
 この憲法原理に基づき、国家尊厳法が制定されている。国家尊厳法は現行の国旗国歌法を拡大再編した思想統制法であり、名称のとおり、国家の尊厳を護持することを目的とする法律である。その柱は全国民の国家への忠誠義務であるが、訓示法の性格が強かった旧国旗国歌法とは異なり、国旗国歌を貶める行為を国旗国歌冒涜罪と規定し、最大5年の懲役刑が科せられるようになる。
 これにより、例えば国旗掲揚・国歌斉唱が義務付けられる学校行事で教職員が国旗敬礼や国歌斉唱を意識的に拒否することは犯罪行為となり、各地で反抗的な教職員の検挙が相次ぐ。また生徒が同様の行為をした場合も非行として法的に処理されるようになる。
 それだけにとどまらず、国家尊厳法には、「歴史認識」を含め、日本の国益を害するとみなされる表現活動全般を犯罪行為として最大で10年の懲役刑を科す反国家宣伝罪の罰則規定が設けられる。この規定は乱用防止を名目として、第三者の告発をもって訴追される親告罪とされる。
 しかし、それによってかえって市民間の相互監視的な雰囲気が強まる。「反日言論」の検索・告発を専門とする市民団体が各地で立ち上がり、告発を活発に行なうため、言論の萎縮が高度に進行する。特に告発されやすいテレビ番組では、国策批判的な内容の番組は民放を含め、ほぼ一掃される。
 こうした国家尊厳法の適正な執行を確保するためとして、検察庁に国事犯係検事が置かれるようになり、軍国期の「思想検事」の復刻との批判も一部に見られるが、そうした批判さえもまた「反日言論」とみなされかねない状況となり、口にする人は少ないだろう。

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近未来日本2050年(連載第11回)

2015-07-11 | 〆近未来日本2050年

二 国防治安国家体制Ⅲ

厳罰化政策
 ファシズムの司法政策面の特質として、治安秩序確保を目的とした厳罰化政策がある。厳罰化政策はすでに現時点で先行的に発現しているが、2050年にはいっそう明瞭に打ち出されているだろう。
 その象徴となるのが、死刑制度の強化である。刑法に「加重殺人罪」の規定が新設され、被害者が複数の場合や犯行態様が残酷な場合の法定刑は死刑又は無期懲役刑のみとされることから、殺人罪での死刑判決が急増するだろう。
 さらに死刑執行を確保するため、死刑執行促進法が制定され、かねてより刑事訴訟法に定められた判決確定から六か月以内の死刑執行義務が厳格化される。また被害者側に法務大臣に対する早期死刑執行の申し立ての権利が付与される。その結果、死刑執行がほぼ毎月行なわれるようになるだろう。
 2050年になると、死刑制度を存置する国はいっそう減少し、国際社会からの死刑廃止圧力も高まるが、日本はイスラーム圏や中国とともに、強硬な死刑存置同盟を形成している。
 他方、懲役刑でも重罪での無期懲役刑や最長50年まで延長された長期の有期懲役刑が増加し、刑務所人口の超過密化やそれに伴う処遇環境の悪化による獄死者の増加などの問題も生じているだろう。また殺人罪などの重罪では少年法の適用が全面的に排除され、少年受刑者も増加する。
 2009年から施行の裁判員制度は存続しているものの、裁判員公募・選抜制に転換され、死刑を含む厳罰主義に同意できる者限定で、現行の六人制から二人制に縮小される。こうした裁判員裁判を担当する裁判部署は「国民裁判部」と称されている。
 こうした厳罰化政策には知識層からの批判もあるが、ごく少数にとどまり、「国民感情に答える司法」というスローガンの下、一般社会ではむしろ好意的に受け止められているだろう。

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近未来日本2050年(連載第10回)

2015-07-11 | 〆近未来日本2050年

二 国防治安国家体制Ⅱ(続き)

警察支配社会
 ファシズムの特徴として、警察の支配力が強化されることがあるが、このことは議会制ファシズムにあっても変わらない。2050年の日本では「高度安全社会」をスローガンに、警察制度が拡大改組されているだろう。
 具体的には、戦後民主主義の象徴でもあった国家公安委員会・警察庁の二元的な警察行政は一元的な国家公安省へ改組され、国家公安大臣が警察権を掌握する。また都道府県警察は一都道州制移行に伴い廃止され、国家公安省が管轄する国家警察に一本化される。ただし、特例として東京都は独自警察(警視庁)を維持する。
 また現行の機動隊は全国規模の国家警備隊として統合独立し、国家公安省の下で一元的な集団警備力として運用されるようになる。国家警備隊は、有事には海上保安庁とともに防衛軍の指揮下に編入される。
 国家警察に一本化されるに伴い、地域警察と政治警察(公安警備警察)の役割分担も相対化し、地域警察でも犯罪防止活動に合わせて、政治的な監視が行なわれるようになるだろう。 
 そうした相対化の象徴として、不審者通報制度が徹底される。ここでは、不審者の定義が大幅に拡大され、挙動不審者のみならず、外見不審者から思想不審者まで含むとされるため、不審者通報が殺到するようになる。これに対して、警察では事件・事故通報の110番とは別に、不審者通報専用ホットラインを設置して対応している。
 また監視カメラの設置管理を警察が一元的に行なうようになり、国家公安省主導での「監視カメラ3000万台計画」―2050年時点での人口約9500万比でほぼ3人に1台―の下、24時間体制の監視カメラ運用センターが稼動している。
 さらに、警察官職務執行法が改正され、罰則付きの職務質問応諾義務が課せられる。職務質問を拒否した場合、一年以下の懲役刑が科せられる。これに合わせて、外出時における顔写真付きマイナンバーカードの常時携帯・呈示義務も課せられ、違反に対しては反則金が課せられるだろう。
 また学校の安全確保を名目とする学校警察制度が創設され、大学を除くすべての国公立学校に警察官が常駐するようになる。国公立大学にあっても、所轄警察署との連絡官を常置する義務を課せられる。
 こうした警察支配社会に対しては批判もなくはないが、それは一部知識人層に限られ、知識人にあっても、思想不審者通報を恐れ、発言を控える傾向が広く定着しているため、検証に付されることはほとんどないだろう。

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