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良心的裁判役拒否(連載第11回)

2011-11-26 | 〆良心的裁判役拒否

実践編:裁判役を拒否する方法を探る

第6章 拒否から廃止へ

(1)不正の制度
 本連載は裁判員制度に関する最高裁判所の初の憲法判断が出るまで休止しておりましたが、今月16日の大法廷判決で全員一致の合憲判断が出されたことを受けて、再開致します。今般の合憲判決によって、裁判員制度については一応司法府のお墨付きが出たことになるため、当面制度は存続していくことが確実となったからです。
 そこで、本章からは「実践編」として、いよいよ連載の主題である良心的拒否の問題に入っていきますが、その前に前章までに見てきた裁判員制度の問題点をここで改めて整理しておきたいと思います。なお、最高裁で合憲判断が出たということは、「裁判員制度は少なくとも憲法には反しない」という意味しか持たず、制度にいかなる問題点も存在しないというわけではありません。
 この制度を「拒否」するというからには、憲法問題に限らず、制度がどんな問題性を持つのかを明確にしておかなければ、早くも合憲判断が出されたこととあいまって、「日本型司法参加」云々のPRに動揺し、結局は拒否し切れなくなってしまう恐れがあるからです。
 その際、裁判員制度が抱える数々の問題点は単なる「不当」の域を超えて、「不正」の域にまで達しているということを明確に意識する必要があります。
 ここに「不当」とは、単に政策的な妥当性の欠如を意味していますが、「不正」とは法的・道義的な正当性の欠如を意味しています。「不当」にとどまらず、「不正」だからこそ、自己の良心に従い「不正」に手を貸すことを拒む「良心的拒否」の扉が開かれるわけです。
 では、裁判員制度の「不正」な問題点とは?(以下、主語抜きの箇条書きにしますが、各文の主語は言うまでもなく裁判員制度です)。

(a)憲法上の根拠なくして、裁判役という新たな「国民の義務」を賦課する。
(b)一般国民を罰則付きで、精神的・肉体的にも、場合により経済的にも負担の重い重罪事件の裁判に動員する。
(c)各人の良心に反して、他者の権利・自由を剥奪する処罰任務を強制する。
(d)特に、僅差で反対意見の裁判員にも死刑判決に関与させて、他者に死を命ずる任務を強制する。
(e)裁判員の権限及び身分保障の弱さから、裁判官主導の裁判が実行され、一般国民が冤罪や違法捜査を見逃した不正な判決に加担させられる恐れがある。
(f)裁判員選任手続の過程におけるプライバシー保護の配慮が欠如しており、各人の思想・信条に関わる情報の取得も可能で、その結果によっては思想・信条による差別も発生し得る。
(g)補充裁判員を含む裁判員経験者は、懲役刑の制裁で担保された広範な守秘義務を終生にわたって課せられ、国家への忠誠を強いられるとともに、その者と接触を図り共犯に問われる恐れのある表現者の言論出版の自由も侵害される。
(h)裁判員の負担軽減を口実に、対象事件の被告人の争う権利を厳しく制約し、なおかつ裁判員裁判を回避する権利を認めないなど、いわゆる適正手続保障(デュー・プロセス)を著しく軽視している。

 なお、以上に掲げた問題点のうち、青で示した(a)(b)(f)(g)は裁判役を課せられる者自身に降りかかってくる「不正」であるのに対し、赤で示した(c)(d)(e)(h)は裁判役が向けられる他者、すなわち被告人に及んでいく「不正」です。良心的拒否を根拠づけるうえで特に核心を成す「不正」はこの他者に及んでいくほうの「不正」であるということも、ここで頭に入れておいてください(これについては、改めて後述します)。

(2)運動論の再検討
 裁判員制度は(1)で整理したような不正の制度にほかならないのですから、公然廃止を求めていくことをためらう必要はありません。しかし、すでに成立し動き出してしまった制度をどのようにして止められるかという壁が立ちふさがります。
 実際のところ、こんな制度はそもそも法案段階で廃案とすべきであったのですが、理論編でも指摘したような法曹界での裏取引の結果ひねり出された特異な政治的制度ですから、その制度設計過程は不透明でした。そのうえ、国会はカヤの外ですから、ろくに審議もしないまま、2004年の4月から5月にかけてあっという間に衆参両院で可決・成立してしまったのでした。当時は小泉内閣の安定期で、「改革」と銘打たれたものは何でもトップダウン式手法で押し通せてしまえたことも、こうした拙速に影響したのでしょう。
 いずれにせよ、そもそも法案を廃案に追い込むという形の運動を展開するいとまがなく、出来てしまってから反対に動く受身の運動とならざるを得ない状況でした。
 もっとも、裁判員法は5年間の周知期間を置いていたため、実際の施行は2009年にずれ込んだのでしたが、周知期間とは試験期間ではなく、PR期間ですから、実際、政府は「タウンミーティング」と称する官製市民集会で、参加者にいわゆる「やらせ」の賛成意見を述べさせるなどの不正な手法を含め、なりふり構わぬ世論工作を展開したのです。
 支配層は既成事実を作られると大衆は弱いという性質をよく知っているのです。そして、「知識人」は既成事実に抵抗すると地位・名声に響くため大衆以上に既成事実に弱いということもよく知られていますから、支配層は裁判員制度について専門的に語ることのできる法学者・法律家を中心に、「知識人」の多くを制度肯定・賛美の列に加えることに成功しています。既成事実にお墨付きを与える最高裁判決も出たことは、こうした傾向をいっそう強めるでしょう。
 はて、こんな状況で私たちはどうやって裁判役という不正に立ち向かっていけるのでしょうか。その突破口となり得るのが、本連載の主題である「良心的拒否」です。制度廃止へ向けた運動も、憲法及び国際条約に根拠を持つこの「良心的拒否」という観点から、改めて検討し直す必要がありそうです。その意味で、「拒否から廃止へ」なのです。

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死刑廃止への招待・目次

2011-11-20 | 〆死刑廃止への招待

本連載は終了致しました。下記目次各「ページ」(リンク)より該当記事をご覧いただけます。

まえがき ページ1

第1話 身体性 ページ2

第2話 冤罪 ページ3

第3話 差別 ページ4

第4話 社会構造 ページ5

第5話 国際法 ページ6

第6話 日本国憲法 ページ7

第7話 応報 ページ8

第8話 被害者感情 ページ9

第9話 犯罪抑止力 ページ10

第10話 社会防衛 ページ11

第11話 法確証 ページ12

第12話 文化 ページ13

第13話 国民世論 ページ14

第14話 死刑廃止過程 ページ15

あとがき ページ16

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死刑廃止への招待(あとがき)

2011-11-19 | 〆死刑廃止への招待

 前回までで本論は完結していますが、まだ積み残されている大きな宿題として、国家主権という大問題があります。
 国際社会から死刑廃止の勧告を受けたとき、多くの死刑存置国が持ち出す抗弁は、「死刑は国家主権に属する」というものです。要するに、国際社会は国内問題に対して干渉するな、というわけです。
 日本政府のお得意は、第13話で見たように「国内世論」ですが、これも実質的には「死刑の存廃は国家が把握する国民世論の動向で決まる」という含みから、やはり死刑を国家主権の問題として主張しようとする議論の亜種なのです。

 死刑廃止論者が言うのも妙ですが、こうした死刑=主権説には一理あります。というのも、合法的に人を殺す権利は国家主権の名においてしか認められ得ない特権であり、伝統的にも合法的に人を殺す権利こそ、まさに主人の権利たる主‐権の最重要の内容であったからです。この理は、国家の主人が国王から国民に変更されても基本的に変わっていません。
 こうした国家主権の内容を成す合法的な殺人権の対内的な作用が死刑であるとすれば、それと対になる対外的な作用が戦争です。
 こういう視点で世界を見渡してみると、今日「死刑廃止の伝道師」といった観のある欧州(EU)は、死刑を放棄したけれども戦争は放棄していません。一方、米国のように死刑も戦争も共に放棄していない諸国も残されています。
 日本はと言えば、憲法上戦争は放棄していますが、死刑を放棄していないことは周知のとおりです。もし日本が死刑も放棄してしまったら、国家主権を丸ごと捨てるに等しいことではないか━。大衆レベルとは別に、日本が国家として死刑存置に執着する本当の理由は、そんなところにあるのかもしれません。
 もっとも、日本の場合、憲法上交戦権の放棄及び潜在的な戦力を含むあらゆる戦力の不保持という徹底した形で戦争放棄が宣言されていながら、実際上は自衛隊という形で事実上の戦力を保有していますし、将来の改憲によってはっきりと再軍備が認められる可能性もありますから、日本の「戦争放棄」とはあくまでもカッコ付きのものではありますが。
 実際のところ、戦争も死刑も放棄した国はまだ一部の小国にとどまっているのが実情です(北欧アイスランドや中米コスタリカなど)。

 死刑廃止を揺り戻しなく本源的に定着させるためには、国家主権という政治的‐法的観念にメスを入れる必要があるでしょう。逆に、国家主権をことさらに高調する思想にあっては、たいてい死刑制度も強く肯定される傾向が認められます。
 この議論は単なる死刑の存廃を超えて、国家の存廃という大問題に発展するので、ささやかな本連載ではもはや論じ切れません。この点、読者の皆様においてもお考えいただくことを願って、連載を終えます。(了)

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アンチ・ファ選挙

2011-11-13 | 時評

今日、大阪市長選が告示された。この選挙は一騎打ちとなるため、すでにネガティブ・キャンペーンにまみれた泥仕合の様相を呈しているが、本質を見失ってはならない。

すでに10日に告示された大阪府知事選と合わせた今回のW選挙の真の争点は、「大阪都」構想の是非ではなく、ファシズムの全国化を阻止するかどうか、だ。要するに、W選の仕掛け人である橋下徹前大阪府知事と彼の「大阪維新の会」のような政治潮流が近い将来全国化するかどうかを占うのが、今回の選挙である。

このように橋下&維新の会を「ファシズム」と規定してそれの阻止をはっきり掲げている政党は現在、(筆者の知る限り)日本共産党だけである。他政党は表向き「対決」姿勢を見せつつも、実際には将来の国政での連携可能性をさえ視野に融和的ないし静観的態度を取っている。

それにしても、「ファシズム」という規定は大袈裟すぎると思われるかもしれない。しかし、根拠はある。

ファシズムの徴候として、内容的な面では強固な国家主義と差別政策、労組抑圧、手法的な面ではカリスマ的指導者による執行権独裁を挙げることができる。

すでに過去4年近い橋下府政において実現され、また今後橋下&維新の会が実現させようとしている政策を見れば、上記判断基準におおむねあてはまることがわかる。

国家主義に関しては、国レベルの国旗・国歌法をも凌駕する国旗・国歌強制条例がすでに制定されているし、差別政策としては、さしあたりはエリート選別化と教職員管理の徹底を目指す教育基本条例(案)、また朝鮮学校排斥などが見られる。

*労組抑圧についても、橋下が市長に転じた大阪市で職員の選挙運動関与に絡めた「思想調査」の形で顕在化している(追記)。

ちなみに、府政とは直接関係しないが、橋下は弁護士でありながら強固な死刑存置論者であることも、国政指導者に転じた場合、差別政策の一環としての大量死刑政策への傾斜を予想させる。

また、手法的にも、橋下自身「独裁」を公然肯定するが、政策の上でも職員基本条例(案)で首長の意に沿わない職員を解雇できる仕組みが提案されている。また、政権与党に当たる維新の会の運営も橋下のカリスマ的独裁で成り立っている。

ただ、この「ファシズム」が古いファシズムと違うのは、表向きは選挙を重視し、既存の政治制度、とりわけ議会制の枠内で動く姿勢を示すことである。その意味では、これを古いファシズムと区別して、ネオ・ファシズム(以下、ネオファという)と呼ぶことができる。

*ただし、橋下は議会制に否定的な姿勢も示しており、統治機構自体の改変も狙っているかに見えるので、そうするとネオファでなく、実は古いファシズムの性格を持つことになる。彼の今後の言動を注視すべきであろう。

こうしたネオファは、欧州でも近時、既成政党への幻滅感を背景に躍進する傾向がある。ただ、欧州型ネオファ(「極右」とも呼ばれる)では、おおむねグローバル資本主義や新自由主義には否定的であるのに対し、日本型ネオファの特徴として、それらに肯定的で、むしろ新自由主義の亜種とも解釈できる点を指摘できる。

実際、国家主義と新自由主義の同居という現象は、2000年代初頭の日本を支配した自民党の小泉政権で示されていた。小泉政権自体は既成の自民党体制の枠内にあり、ネオファではなかったが、維新の会のようなネオファも、5年あまりに及んだ「小泉時代」の派生物と見てよいだろう。

現在、大阪府議会では維新の会が既成政党を抑えて過半数を制しているように、既成政党への幻滅感は、大衆をしてネオファへの期待感を誘発している。同じことが国政レベルで近い将来発生する可能性は十分にあるし、既成政党はそれを見越してすでに「準備」しているようだ。

しかし、かつてドイツでナチスが国政進出を果たしたのも、地方選挙を通じてであり、また共産党をさえ含む既成政党の融和的姿勢が指導者ヒトラーの早期政権掌握をアシストする結果ともなった。

この教訓は今でも欧州では有効であるため、欧州でネオファが国政を席捲する可能性は低い。しかし、日本ではナチスのような真性のファシズムは未経験であり―しばしば「天皇制ファシズム」と呼ばれる戦時中の体制の本質は、軍部主導の戦時動員体制にすぎなかった―、大衆にも既成政党にもファシズムの免疫ができていないため、ネオファの全国化は現実の可能性として否定できない。

今般の大阪W選に橋下&維新の会が勝利し、大阪をネオファが征服すれば、その可能性は早まるであろう。そうした意味で、今般のW選は一地方選にとどまらない重要性を持つ。

とはいえ、地方選であるからには、さしあたり参加できるのは大阪府民とそこに包含される大阪市民だけであるが、筆者としては、アンチな大阪人有権者の慧眼を信じたい。キーワードはアンチ・ファシズム、略してアンチ・ファ選挙である。

[後記]
大阪人のアンチ性への期待も虚しく、結果は維新の会のW勝利であった。これは大阪人のアンチ性が失われた結果というより、アンチ性が維新の会に大いに利用された結果であろう。大阪の多数派有権者の目には、橋下が既成政党や官僚制への「改革派」アンチ・ヒーローに見えてしまっているに違いない。このような擬似改革(革命)性もファシズム旋風に共通する特徴である。

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死刑廃止への招待(第14話)

2011-11-11 | 〆死刑廃止への招待

全面的死刑執行停止(モラトリアム)の後に、国連死刑廃止条約を批准したうえで、死刑廃止のための国内法改正を進めていくことができる。

 今回は、これまでのまとめの意味も込めて、死刑廃止へ向けた実際のプロセスをどう進めていくことができるかを詳論します。
 ただ単に死刑廃止!と叫んでも、明日突然死刑を廃止することなどできるものではありません。従って、政府の世論調査の中で、死刑廃止を支持する人に対して、「死刑をすぐに全面的に廃止する」ことの是非を追加質問しているのは無意味です。
 死刑廃止は、インスタント食品のように「すぐに」できるようなものではなく、死刑制度の全廃という最終的なゴールへ向けた一つの政治的プロセスですから、そのプロセスに数十年あるいはそれ以上かかる国もあれば、数年でやってのける国もあるというように、各国における現実の死刑廃止過程は実に様々です。

 こうした死刑廃止のプロセスとしては、初めから国内法の改正プロセスを開始するやり方と、死刑廃止を定める国際条約の批准を通じて国内法の改正プロセスへつなげるやり方とがあります。
 この点、日本のような国連加盟国に関する限り、現在では国連死刑廃止条約(以下、本稿では単に「条約」ということがある)がすでに批准待ちの状態にありますから、この条約の批准を通じて死刑廃止のプロセスを進めていけば、一つの国際法的な手続きに従って死刑廃止へたどりつくことができます。
 このように、条約の批准を通じた死刑廃止には、死刑廃止のプロセスを単純明快にすることができる―従って、廃止までの時間を短縮することもできる―という点でメリットがあります。
 同時に、条約の批准から入っていく方法には、死刑廃止を純粋の国内刑事政策の問題でなく、国際的な人権外交課題として処理できるというメリットもあります。
 純粋の国内刑事政策として死刑を廃止することが容易でない国では、死刑廃止を自国の信用がかかった国際的な人権協力に関わる外交課題と位置づけることによって、国内的にも合意形成を目指す道が開かれるのです。
 しかし、条約批准を通じた死刑廃止のメリットとしてより重要なのは、死刑廃止がひとまず実現した後の安易な死刑復活を阻止することができるということです。
 少なからぬ死刑廃止国で、重大凶悪事件の発生をきっかけとして死刑廃止反対派が死刑復活を企てる例が見られます。こうした死刑復活動議を阻止するための方法として、ドイツのように自国の憲法に死刑廃止の明文規定を置くことも考えられますが、日本のように憲法改正の要件が厳格な国ではこうした規定の新設も困難です。
 そこで、条約を批准しておけば、法体系上条約は国内法よりも優位するため、条約に違反する死刑復活動議自体が出しづらくなります。それでも死刑復活を強行するならば、前に指摘した憲法98条2項が定める批准済み条約の誠実遵守義務に違反することにもなりますから、安易な死刑復活を阻止しやすくなるわけです。
 以上のような次第で、日本の場合には条約の批准を通じた死刑廃止の方法が特に推奨されるのです。では、その場合、具体的にどのようなプロセスを踏んで死刑廃止を導くことができるのか、順を追って検討していきます(実際の手順は時々の政治情勢等により若干前後する可能性はあります)。

ステップ1:内閣による条約批准方針の決定
 憲法上、条約の締結は内閣の権限とされています(73条3号)。従って、条約の批准に関してはまず内閣が主導することが必要となります。とりわけ、内閣の首班である内閣総理大臣が自らの施政方針として条約批准を明確に打ち出すことです。
 ただ、日本の議院内閣制の下では総理大臣が単独で施政方針を決定することは事実上無理であり、政権与党(連立の場合は与党連合)で事前に条約批准を公約か公約に準じた重要政策として決定しておくことは必須の政治的手続きでしょう。
 その際に、一つ検討しておくべき点があります。それは、第5話でも触れた戦時の軍事的重大犯罪に対する例外的死刑存置を定める条約2条を留保すべきかどうかという問題です。
 この点、日本では戦争放棄をうたった憲法9条の存在から、そもそも「戦時」という状況は想定されておらず、実際にも今日の日本の法体系は「平時」と「戦時」を明確に分けていません。
 ただ、かねてより刑法上、日本国に対する武力行使を想定した外患誘致罪(82条)と外患援助罪(83条)という二つの死刑相当犯罪があり、この二罪は実質的に見て条約で留保される戦時の軍事的重大犯罪に該当するのではないかとの指摘もあります。
 そのうえに、2000年代に入っていわゆる有事法制が整備され、実質上「戦時」を意味する「有事」の概念が法体系上も認知されたことで、先の二つの刑法規定と合わせて、有事における例外的死刑存置を留保すべきであるという考え方もあり得るところです。
 しかし、第5話でも言及したように、戦時(有事)における死刑制度は平時以上に濫用の危険が高いこと、とりわけ緊急性に名を借りた司法上の適正手続保障の制限が正当化されやすく、不公正な裁判に基づく死刑判決が乱発されるおそれがあります。
 加えて、有事における例外的な死刑存置は元来憲法との矛盾性が厳しく指摘されてきた有事法制の強制的性格をいっそう強める結果となることも懸念されます。
 こうしたことから、日本の場合、条約上の留保はせずに、原則どおり全面的死刑廃止を選択して条約を批准すべきものと考えられます。

ステップ2:内閣による条約署名(または加入)
 条約の締結方法には、「署名‐批准」という正攻法のほかに、署名を省略していきなり「加入」してしまう方法もあります。
 前者は、まず第一段階として条約に署名した後、しばらく時間を置いて正式な批准の手続に進むものですが、死刑廃止条約に関してはこの正攻法を採ることがベターではあるでしょう。
 というのも、日本の裁判所は長きにわたって死刑判決を出し続けており、とりわけ2000年頃を境にして地裁レベルでの死刑判決が急増し始めたうえに訴訟促進策が推進された結果、上告審までの期間が短縮され、2004年頃からは最高裁レベルの確定死刑判決も急増したことから、2007年3月には死刑確定者数がついに100人の大台に乗り、以後も100人前後で推移し続けているのです。
 こういう状況では何よりもまず、次のステップ3に見るような全面的死刑執行停止措置から入っていかざるを得ず、一定の時間的なゆとりを作り出すためにも「署名‐批准」方式を選択したほうがよいわけです。
 もっとも、日本の内閣は一般に短命であることから、何代もの内閣をまたいで条約批准の方針を継承することには困難が伴うとすれば、いきなり加入するという電撃的方法も一考に値します。しかし、以下の議論では正攻法に従い「署名‐批准」の方法を採ることを前提にしていきます。

ステップ3:全面的死刑執行停止措置
 すでに言及してきたように、日本の法制度上死刑執行命令は内閣でなく、内閣の一員である法務大臣の権限です。従って、条約批准の方針を決めた内閣の法務大臣であれば、方針決定後、自らの政治判断で全面的に死刑執行を停止するはずです。こうした合理的理由のある死刑執行停止は法務大臣の死刑執行命令の権限中に含み込まれていると解し得ることを第11話で論じました。
 しかし、これはあくまでも大臣の政治判断に基づく暫定的な措置であって、内閣による条約署名後は内閣の責任において正式な全面的死刑執行停止措置(以下、単に「モラトリアム」という)を講じる必要があります。
 この正式なモラトリアムの方法としては法律を制定するのが最も明確ではありますが、法案提出・国会審議に手間取ることも十分に予想され、条約署名に伴う一種の応急措置としてはふさわしくありません。
 そこで、内閣の政令に基づいてモラトリアムを実施することが妥当と考えられます。これは要するに、過去の死刑確定者はもちろん、新規の死刑確定者についてもおよそ死刑執行を凍結するという内容の政令です。
 もっとも、条約が最終的に批准され、発効したときは、締約国は条約に基づいて直接にモラトリアムの義務を負うことになるため、結局、この政令は条約が発効するまでの間の時限的なものということになります。

ステップ4:国会による条約批准の事前承認
 憲法73条は、条約の締結に関しては、これを内閣の権限としながらも、但し書きで、「但し、事前に、時宜によっては事後に、国会の承認を経ることを必要とする。」と定め、原則として国会の事前承認を要求しています。
 この規定上、例外的に事後承認で足りる場合の「時宜」とは事前承認をとりつけるいとまもないほどに緊急的な事情のあることと解されていますが、死刑廃止条約に関してそうした事情は見出しにくいので、原則どおりに事前承認案件となるでしょう。
 この点に関連して、死刑廃止条約は生命倫理に関わる内容を含むことから、その事前承認決議に際して、各党は党所属議員に対していわゆる党議拘束を外すべきかどうかが問題とされる可能性があります。
 たしかに、死刑廃止条約は生命倫理に関わる内容を含んでいるとはいえ、例えば脳死臓器移植法のような純粋の生命倫理問題とは根本的に異なり、人権外交上の重要な懸案事項であるうえに、国内刑事政策の変更を要する効力を持つことからして、少なくとも政権与党(連立の場合は連立各党)は党議拘束を外すべきでないと考えられます。
 これに対して、野党の対応は野党の判断に委ねてよいと思われます。党として条約の批准に正面から反対するという対応で臨む場合は党議拘束をかけることになるでしょう。
 さて、仮に国会の事前承認が得られなかった場合は、署名だけで批准できない状態が続きますが、その場合、内閣は将来の承認に向けて鋭意努力を継続することになります。
 ただ、日本国憲法上、国会の事前承認が得られない典型的な場合は、参議院で与野党逆転のいわゆる「ねじれ」が生じているため、参議院が批准を承認しないケースですが、こうした場合、憲法は法律案とは異なり、両院協議会を開いても意見が一致しないときは、衆議院の議決を国会の議決とすると定めています(61条・60条2項)。
 このように、憲法上、条約の承認案件については、法律案よりも緩い要件の下に「衆議院の優越」が認められていることも、条約批准を通じた死刑廃止のプロセスを進める方法のメリットに付け加えることができるでしょう。

ステップ5:内閣による条約批准
 国会の事前承認が得られた場合、いよいよ内閣は条約批准の手続きに入ります。そして、然る後に、条約が日本国について発効すれば、条約締結の手続きは完了です。これによって、日本国も晴れて条約の締約国となります。
 締約国になると、条約に基づいてまずはモラトリアムの義務を負いますが、ここで署名の段階で導入されていたモラトリアム政令は廃止され、直接に条約に基づくモラトリアムに切り替わることになります。
 このモラトリアムを定めた条約1条1項は特別な国内法によらずして条約が即、国内法としての効力を有する自力執行条項とされているため、改めてモラトリアムを規定した法律を用意する必要はありません。

ステップ6:死刑廃止のための国内法令の改正
 条約締約国となると、モラトリアムとともに、死刑廃止のために必要なあらゆる措置(以下、これを「死刑廃止措置」という)をとる義務を負います。
 その最大のものは、言うまでもなく、死刑廃止のための国内法令の改正です。現行法上、死刑は刑法にはじまって刑事訴訟法その他多くの法令にそれを前提とする規定が置かれており、一個の死刑法体系を形作っていますから、刑法改正はもちろんのこと、他の関連法令全般の改正が必要となります。
 これはかなり大がかりな作業であり、内閣による種々の改正法案の作成・提出から、国会での審議・可決に至るまで、一定以上の時間がかかります。
 それと並んで、第11話で提唱したような仮釈放付き終身刑の新装を行う場合は、別途刑法をはじめ関連法令の改正が必要となります。ただ、この作業は条約上義務付けられた死刑廃止措置に含まれない任意の法改正ですから、あえて必要がないとの判断であれば何も手当てする必要はありません。

ステップ7:全死刑確定者に対する政令恩赦
 死刑廃止措置がすべて完了した後、死刑廃止過程の最後に位置するのが、この政令恩赦です。ここまで、モラトリアムによって全死刑確定者に対する死刑執行が凍結されていたとはいえ、かれらはまだ死刑確定者の地位を保っています。死刑が廃止されても、それだけでは廃止前に確定した死刑判決は効力を失わないため、政令による一斉恩赦が必要となるわけです。
 この恩赦は特定の者に対する個別恩赦とは異なり、恩赦に値する個別的な事情が認められるか否かを問わず、政策的に実施される一斉恩赦です。具体的には、仮釈放付き終身刑が新装された場合は全死刑確定者を当該刑に恩赦減刑することになりますが、そうでなければ、死刑に代わって最高刑に昇格する現行無期懲役刑に恩赦減刑します。
 ここで一つ波紋を呼ぶ問題が生じる可能性があります。それは、例のオウム真理教教団の教祖・松本智津夫以下、旧教団幹部の死刑確定者に対する死刑執行がなお未了であった場合、彼らまで含めた一斉恩赦は少なからぬ反発を呼ぶであろうということです。あるいは、彼らの死刑執行は完了していたとしても、オウム事件に匹敵するような大事件の死刑確定者が存在していれば同様の事態が生じ得ます。
 かといって、こうした超弩級重大事件の死刑確定者だけを条約批准前に“駆け込み執行”するというようなやり方はあまりにも政治的であり、不公正です。従って、社会の反発はあっても、オウム幹部らや彼らに匹敵するような他事件の死刑確定者も含めて恩赦対象とせざるを得ません。
 ここで、同様の事例として、アジアの西端に位置するトルコにおける死刑廃止過程が参考になります。トルコは、2004年に全面的な死刑廃止国となったのですが、それは政府発表で3万人という犠牲を出したテロ組織の指導者アブドラ・オジャランという超重大死刑囚を抱える中で実現されたのでした。
 一般世論においても、政界においても、オジャランへの死刑執行を求める声は根強かったのですが、欧州連合(EU)への加盟を宿願とするトルコは加盟条件である死刑廃止を満たす必要があったことから、結局、裁判所の判決でオジャランを改めて終身刑に減刑したうえで、欧州人権条約の批准を通じて死刑廃止へ踏み切ったのです。
 このような判決による減刑という方法は実質上恩赦に近い政治的な司法判断に基づくもので、日本の司法制度上は無理な対応ですが、こうしたトルコの経験から言えることは、死刑廃止を外交上の課題として受け止めることによって、オウム事件の比ではない犠牲を出したテロ事件の最高首謀者を実質恩赦して死刑廃止に至ることも決して不可能ではないということです。

 トルコはアジア西端にあってEU加盟を宿願とするという特殊事情も手伝ったとはいえ、日本とも歴史的な友好関係にあるこの国の死刑廃止過程は、アジアの東端に位置しつつ欧州評議会のオブザーバー国という名誉ある地位を与えられている日本にとっても大いに参照すべき先例と言えるのではないでしょうか。

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死刑廃止への招待(第13話)

2011-11-05 | 〆死刑廃止への招待

死刑廃止は死刑存置を望む国民世論に反し、ひいては民主主義を損なうものではないか?

 「国民世論」は、日本政府が国連をはじめとする国際社会からの死刑廃止勧告に対して、決まって持ち出す論拠として定着しています。ここで言う「国民世論」とは、政府が自ら定期的に実施してきた死刑存廃に関する世論調査結果のことを指しています。
 その直近のもの(本稿執筆現在)は、すでに一部ご紹介した2009年度実施の「基本的法制度に関する世論調査」に収められた調査で、そこでは死刑制度を支持する人が85.6パーセントと過去最高に上ったとされています。

 政府による同種の調査は、1956年以来2019年まで11回実施されていますが、その結果を順に示すと次のとおりです(数字はパーセンテージ。カッコ内は廃止を支持する回答の割合)。

56年 65.0(18.0)
67年 70.5(16.0)
75年 56.9(20.7)
80年 62.3(14.3)
89年 66.5(15.7)
94年 73.8(13.6)
99年 79.3(8.8)
04年 81.4(6.0)
09年 85.6(5.7)
14年 80.3(9・7)
19年 80.8(9.0)

 さて、こうして数値を並べてみて特徴的なのは、75年に死刑存置の回答が50パーセント台と過去最低を記録した後(逆に、廃止の回答は過去最高の20パーセント台)、おおむね80年を境に死刑存置の回答が回を追うごとにグングン上昇していって、2000年代に入り、ついに80パーセント超え(逆に、死刑廃止の回答は99年から一桁台に激減)を記録したことです。このまま“順調”に行けば、「死刑支持率」が90パーセントを超えるのも時間の問題かという観もあります。
 この間の世界の情勢をみると、ちょうど1980年の国連総会に、当時の旧西独などが中心となって死刑廃止条約案が初めて上程され、国連レベルでの死刑廃止論議が本格化しています。この動きが89年の国連死刑廃止条約に結実し、今日に至っているわけです。
 ところが、日本の世論調査では全く正反対に、1980年を境に、「死刑支持率」が急上昇し始め、「国民の圧倒的な大多数が死刑に賛成している以上は、死刑を廃止することはできない」ということが事実上の公理にまで至ってしまっているのです。

 しかし、ここで不可解なのは、なぜ国際社会で死刑廃止への流れができ始めた1980年以降になって、日本の世論はまるでそれに逆らうかのような反転現象を示してきたのだろうかということです。日本人は、生来的に「死刑愛好」のサディスティックな(?)民族なのでしょうか。
 決してそうではない証拠に、75年度世論調査では死刑存置の回答は6割を切っていたのでした。この70年代前半から中頃という時期には連合赤軍事件とか連続企業爆破事件など、後に主犯者の死刑が確定したテロ、リンチ事件も相次いで発生し、80年代以降よりもずっと殺伐としていました。
 実は、80年代以降の国際社会における死刑廃止の流れに最も頑強に抵抗してきたのは、一般国民ではなく、法確証イデオロギーで固まった法務省及び死刑を体制維持の道具として利用してきた政権与党であったのです。
 先の世論調査結果の数値はこうした国策とあまりにも見事に一致しているので、さほど疑い深くない人でも、世論調査ならぬ「世論操作」の疑いを抱いてしまうのではないでしょうか。
 この点、先の世論調査結果の推移をよく見ると、94年度調査が一つの転機となっていることがわかります。この調査は89年の国連死刑廃止条約採択後最初のもので、なおかつこの調査で死刑存置の回答がその時点での過去最高を記録しているのです。
 このような調査結果が出た一つの要因として、質問方法を変更したことが考えられます。それ以前の調査では、おおむね「どんな場合でも死刑を廃止しようという意見に賛成か反対か」という質問を立てていたのですが、94年度調査では新たに「どんな場合でも死刑は廃止すべきである」と「場合によっては死刑もやむを得ない」のいずれかを選択させる方法を採用しています。そして、先の73.8パーセントという数値は、このうち「場合によっては死刑もやむを得ない」を選択した人の割合であったのです。
 しかし、「場合によっては死刑もやむを得ない」というのは、ストレートに「死刑を支持する」ということとは明らかに違います。それはまず、「場合によっては」という形であいまいな限定句が付されています。ここで「場合」とは果たして有事とか治安が悪化した時といった状況的限定のことなのか、それとも殺人罪といった罪種的限定のことなのか全く不明ですから、厳密には回答不能な選択肢です。
 そのうえに、「やむを得ない」というのも、積極的に支持することとは異なり、「良くないけれどもやむを得ない」という含みのある消極的な容認の論理にすぎません。
 要するに、73.8パーセントという数値はあいまいな限定付きの死刑容認論の割合を示したものにすぎず、積極的な死刑存置論の割合を示したものではなかったのです。そして、94年以降の調査ではいずれも同様の質問形式が踏襲されており、2004年度調査で初めて80パーセントの大台に乗ったのも、このあいまいな「限定付き死刑容認論」の数値でした。
 ところが一方では、「場合によっては死刑もやむを得ない」と答えた人に「将来も死刑を廃止しない方がよいと思うか、それとも、状況が変われば、将来的には、死刑を廃止してもよいと思うか」という追加質問を向けてもいます。その結果、09年度調査では「将来も死刑を廃止しない」と答えた人の割合が60.8パーセント、「状況が変われば、将来的には、死刑を廃止してもよい」と答えた人の割合が34.2パーセントとされています。
 この「将来も死刑を廃止しない」という回答こそ、真の意味での死刑存置論なのですから、この数値をこそ前面に出すべきで、これと「将来的には、死刑を廃止してもよい」という「将来的死刑廃止論」の回答―ここでも、「状況が変われば」というあいまいな限定句が問題ですが―をひっくるめて、先のあいまいな「死刑容認論」の数値をはじくのはミス・リーディングです。こういう統計処理をすれば、当然大きな数値が表示されるわけです。
 日本政府はこうして自ら実施する世論調査の質問方法や統計処理を細工することによって、水増しされた数値をもって、死刑廃止を勧告する国際社会に対する反論材料としてきているのです。
 とはいえ、死刑廃止条約が採択された89年以降はきっちり5年ごとに実施しているこのような「世論調査戦略」とでも呼ぶべき日本政府の企ては国連に受け入れられておらず、かえって「人権の保障と人権の基準は、世論調査によって決定されるものではない」と一蹴されてしまっています。

 それでも、国内的には毎回の世論調査で水増しされた数値がメディアを通じて公表されるつど、数字は一人歩きし、死刑廃止は一部少数の私見にすぎないという空気が醸成されていきます。
 それによって、死刑制度に疑問を感じていた人も自信を失ってしまい、しだいに「やむを得ない」の方へ同調していくのです。死刑制度に関する政府世論調査とは、国内的にはそうした同調圧力の手段でもあり、回を追うごとに「やむを得ない」の割合が上昇していくのはその結果でもあると考えられます。
 この点、フランスの社会学者ピエール・ブルデューによれば「世論調査の根本的効果とは、全員一致の世論があるという理念を作り出し、その結果、ある政策を正当化し、基礎づけ、可能にする力の諸関係を強化すること」だといいます。
 日本における死刑存廃に関する政府世論調査はまさに、死刑存置に関して全員一致に近い世論があるという理念を作り出し、死刑存置政策を正当化し、基礎づけ、可能にする力の諸関係を強化することを目的とし、それ自体が死刑存置政策の一環に組み込まれた手段と言っても過言でないでしょう。
 もちろん、世論調査のすべてがこのような政策の手段なのではなく、特定の問題に関するその時々の一般社会における意見分布状況を見るうえで有益な資料となる場合もあります。 
 しかし、そのためには、政府から独立した専門の中立的な世論調査機関が正当な方法で公正に実施した調査であることが条件です。この点では、特定の問題について独自の社論を持つ新聞社、免許を通じて政府ともつながりのあるテレビ局の世論調査も中立性や独立性の点で、また専門性の点でも十分でありません。
 また、調査が公正であるためには、回答者が的確に回答するうえで必要な重要情報が予め与えられる必要があります。死刑問題では、とりわけ国連死刑廃止条約や世界における死刑廃止・執行停止の動向です。日頃、死刑廃止をめぐる国際報道自体がないに等しい中で、こうした情報はほとんど知られていませんが、死刑廃止が国際関心事となった今日、死刑の存廃を的確に判断するうえで、こうした前提情報は必須です。
 そこで、世論調査の質問の中でも、例えば、条約の存在と内容を簡単に説明したうえで、条約についての知/不知を問う前提質問を置くといった方法が採られるべきでしょう。

 さて、そのように適切な世論調査が改めてなされたとして、どういう結果が出るかといえば、やはり過半数は「死刑存置に賛成」ということになると予測できます。なぜなら従来、死刑廃止国のほとんどがそうであったのであり、この点で日本だけが例外であると予測できるいかなる理由もないからです。
 例えば、西欧では最も遅くまで死刑を存置していたフランスで1981年に死刑が廃止された際の民間世論調査では62パーセントが死刑存続に賛成と出ていましたし、これより先、1969年に通常犯罪につき原則的に死刑を廃止したイギリスでも当時の民間世論調査で実に85パーセントが死刑存続に賛成と出ていたのでした。
 こうした結果にもかかわらず、当時のイギリスやフランスの議会は死刑廃止法案を可決したのです。では、これらの諸国の国会議員たちは国民世論に反する暴挙を犯したのでしょうか。
 これは民主主義の理解のしかたに関わる問題ですが、議会を中心とする代議制民主主義にあっては、何よりも議会(国会)の決定こそが国民的最高意思決定とみなされることは言うまでもありません。
 そのときに、「議会の決定は国民世論と合致していなければならない」ということは一般論・原則論としてはそのとおりでしょうが、このことは、議会の決定ないしそれを導く個々の議員の表決がその時々の国民世論に拘束されるべきことを意味していません。
 この点、ドイツ憲法には「ドイツ連邦議会議員は、・・・・全国民の代表者であって、委託及び指令に拘束されることなく、その良心にのみ従う。」といういわゆる自由委任原則をうたった規定があります。日本国憲法にはこれほど明確な規定は見られないものの、「両議院は、全国民を代表する選挙された議員でこれを組織する。」(43条1項)という国会の組織構成を定めた規定が同時に自由委任をうたったものと理解されています。
 もちろん、この自由委任とは全くの白紙委任ではないのですが、国会議員は国民世論との合致をめざしながらも、その時々の世論に拘束されることなく、言わば将来の世論を見越して、または世論の変化を期待して行動することが許されているということが、この自由委任原則の最も正当な意味です。
 この点で、先のイギリスで国民の圧倒的多数が死刑存続に賛成というデータが公表される中で死刑の原則的廃止に踏み切った当時の所管大臣、ジェームズ・キャラハン内相(後に首相)が「議会は時に世論に先行して行動し、それを指導しなければならないことがある」という趣旨のコメントを残しているのは、まさに如上のような自由委任の理念を政治的に表現したものと言えます。
 この「将来の世論の先取り」ということこそが、当座の国民世論に反してでも議会が死刑廃止を決断する最大の正当化理由となります。
 そして、このことには現実的な根拠もあります。前述したように、1981年の死刑廃止当時の民間世論調査で62パーセントが死刑存続に賛成していたフランスで、死刑廃止からちょうど25周年の2006年に同じ調査機関が実施した世論調査によると、死刑復活に反対が52パーセント、賛成が42パーセントと逆転し、過半数の人が死刑廃止を支持するようになってきているのです。
 とはいえ、死刑廃止から四半世紀を経てもなお四割を超えるフランス人が死刑復活を求めていることも事実で、これは一般大衆の間ではいかに応報観念とか犯罪抑止力への信頼が根強く残されているかを示唆しています。

 しかし、フランスの経験から言えることは、死刑廃止に関する限り、「世論は後からついて来る」ということです。「世論が反対するから」ということを、少なくとも国民代表である国会議員は死刑廃止を先送りすることの言い訳にすることはできません。そういう言い訳は、何ら選挙を経ておらず、従って国民代表を名乗る資格のない政府官僚にこそふさわしいものなのです。

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死刑廃止への招待(第12話)

2011-11-03 | 〆死刑廃止への招待

死刑制度は日本も含むアジア地域の文化的な価値に根ざすもので、死刑廃止は専ら西欧的な価値観の押し付けではないか?

 第5話で、欧州評議会議議員会議が同評議会オブザーバー国の日本(及び米国)に対して、オブザーバー資格の見直しに絡めた死刑廃止の強い要請をしたことをご紹介しました。その過程で評議会代表団が来日して死刑問題に関する準公式の国際会議が開催され、その席上、当時の森山眞弓法務大臣が波紋を呼ぶ発言をしました。
 その要旨は、日本には「死んでお詫びする」という慣用句に表わされる罪悪に対する独特の感覚があるため、死刑制度は文化的にも根付いているというものでした。

 この発言の内容自体は文化というよりも第7話で論じた贖罪に関わるものですから、大臣の発言は論点の取り違えとも言えます。実際、死をもって償うという感覚が日本独特のものとは限らない証拠に、米国コネティカット州で4人の少女を殺害した罪で死刑を執行された米国人男性は「私が殺した娘たちの遺族の痛みを止めるには私が死ぬしかない」というコメントを残しています(『年報・死刑廃止2006』(インパクト出版会)p227)。ニュアンスに差はあれ、これも「死んでお詫びする」という趣旨と理解できます。
 むしろ、森山大臣の発言で注目したいのは、その内容より形式の点です。つまり、死刑廃止を求める西方からの政治的外圧―そう政府が認識したであろうもの―に対して、「日本独自の罪悪感」という文化相対主義の視点から死刑存置政策を正当化してみせようとしたことです。
 このような態度は、従来からアジア諸国ではよく見られるものです。中東のイスラーム諸国がイスラーム教の聖典コーランの掟を援用して死刑存置を正当化するのはその典型です。例えば、アラビア半島南端のイスラーム教国オマーンは、国連死刑廃止条約案の審議過程で「死刑はイスラーム法の不可分の一部である以上、いかなる犠牲を払おうとも維持されなければならない」とまで力説していたほどです。
 たしかに今日、死刑存置国の大半がアジアに集中し、毎年の死刑執行件数の大半を中国を筆頭とするアジア諸国でのそれが占めており、日本を含むアジア地域は地球上における「死刑ベルト地帯」を成しています。

 それでは、死刑制度とはアジア的な文化価値に根ざすアジア固有の法文化の表れなのでしょうか。
 歴史を振り返れば、全くそうではないことが直ちにわかります。今日、「死刑廃止の伝道師」といった観のある欧州諸国もすべて例外なくかつては死刑存置国であったという事実が、その何よりの証拠です。
 しかも、それは決して遠い昔のことではなく、西欧でも死刑廃止が進展し始めたのはせいぜい第二次世界大戦後のことです。中でも、人権思想の祖国であるはずのフランスでは1981年まで死刑が存置されていました。東欧地域での死刑廃止に至っては、ちょうど国連死刑廃止条約が採択された1989年の「ベルリンの壁崩壊」をきっかけに社会主義独裁政権が次々と倒れた1990年代以降のことにすぎません。
 ちなみに、世界で初めて死刑廃止を提起したのは、12世紀の南フランスに興ったキリスト教セクトのワルド派であると言われています。この派は「汝殺すなかれ」とか「敵を愛せ」といった寛容・慈愛を説く聖書の文言に依拠しつつ、死刑制度に異議を唱えたのですが、当時のキリスト教会主流はこうした考えに耳を貸そうとはしませんでした。それどころか、教会当局はワルド派のような異端派を弾圧するために残虐な死刑の適用もためらわなかったのでした。
 しばしば死刑廃止はキリスト教精神に由来するもので、非キリスト教圏には浸透しにくいとも指摘されますが、実は今日でもローマ・カトリック教会は明確に死刑廃止を打ち出してはいません。例えば、1995年に出された当時の法皇ヨハネ・パウロ2世の回勅「いのちの福音」でも、死刑廃止の望ましさをにじませつつ、死刑はそれが「絶対的に必要な場合、すなわち他の手段では社会を守ることができない場合を除いては適用すべきでない」とする死刑限定論の立場にとどまっているのです。*2013年に就任した法王フランシスコは、より踏み込んで死刑廃止の必要性を明言しており、その影響が注目されます。
 一方、死刑廃止は押し付けがましい西欧啓蒙思想の表れだとも言われます。たしかに、史上初めて世俗的な社会思想・刑法理論として死刑廃止を提唱したのはイタリアの啓蒙思想家・法学者のチェーザレ・ベッカリーアでした。
 彼は有名な主著『犯罪と刑罰』(1764年)の中で、死刑廃止論を展開したのですが、彼の理論上の先駆者である啓蒙思想の祖ルソーはベッカリーアの主著の二年前に公刊したより有名な主著『社会契約論』の中で、「社会の法を侵害する悪人は、公衆の敵として、死によって(社会から)切り離されなければならない」と高調した強固な死刑擁護論者でもありました。このように、社会契約論を共有し合う西欧啓蒙思想家の間でさえ、死刑存廃の見解は分かれてきます。
 さらに言えば、大量死刑政策を断行したナチス・ドイツは、同時代に同様の政策を採ったソ連のスターリン体制とともに、欧州の文化的土壌から立ち現れた凶悪な政治体制でもありました。

 こうしてみると、死刑制度は決してアジア地域の専売特許的な文化ではなく、それを文化と呼ぶならば、歴史上死刑制度を持ったことのない国家はおそらく存在しないという意味で、全地球的な文化と呼ぶことさえできます。
 全地球的な文化ということを言い換えれば、すなわち「文明」となるでしょう。死刑廃止へ招待しようという人間が死刑制度を「文明」と称賛するのかといぶかられるかもしれませんが、歴史的に見る限り、死刑制度は文明的進歩の証しでした。なぜなら、先史時代以来の血讐とかリンチ、あだ討ち等々の私的報復慣習に比べて、国家が司法制度を通じて犯罪事実を吟味したうえで、犯罪者を殺す死刑は格段に公正で、秩序立った方法であったからです。
 しかし、その後、文明の時計が一回転して、今度は死刑制度を廃止することが文明的進歩の証しとされるようになってきたようです。その原動力となったのは、広い意味における「人権」の思想であると言ってよいと思われます。

 ここで振り出しに戻って、結局、その「人権」とやらが西欧的な価値観念であって、アジア的価値観には適合しないという文化相対主義の反論に遭遇することになりそうです。
 こうした反論には、たしかに「アジア的」と呼び得る一つの文化的な背景が潜んでいるように見えます。といっても、それは森山大臣が述べたような意味での「文化」ではなくして、より政治的な風土に関わる文化(政治文化)です。
 日本を含むアジアに共通する政治文化があるとすれば、それは人権よりも国権を優先する権威主義的政治文化です。「欧化」著しいとされる日本でも、憲法上はなるほど明らかに西欧的な基本的人権の原理が打ち出されていながら、死刑制度を基本的人権の侵害とみなす意識は希薄で、ともすればかえって国家は死刑制度を通じて国民の安全を守ってくれているとして受容する傾向が強いのではないでしょうか。
 第6話でも見たように、憲法の番人たる最高裁判所からして、憲法の人権条項を逆さに読んで、「憲法は明らかに社会防衛の手段としての死刑制度を是認している」と断じてしまう始末でした。
 要するに、権威主義的政治文化とは、国民が国家に服従する代わりに、国家は国民を守ってやるという服従‐庇護の文化なのです。
 ちなみに、「イスラーム」とはアラビア語で「服従」を意味するといいます。この場合の「服従」とは神(アッラー)への服従を指しており、国家への服従とは位相が異なるのですが、政治的な面ではアッラーに導かれたイスラーム共同体への服従と引き換えに庇護が与えられるとされる点で、これも権威主義的政治文化の亜種と言えるでしょう。

 こうしたアジア型権威主義的政治文化は、素直に服従する者にとっては大変居心地良い褥を提供してくれる一方で、服従しようとしない者に対しては苛烈な抑圧の温床を作り出してきました。そのことは、程度の差はあれ、自由な言挙げの余地を狭め、市民の活発な言論と社会的行動を通じた内発的な民主主義の発展を自ら阻害する要因ともなっています。
 このように自らにとっても有害な政治文化から脱却することは、日本も含めたアジア地域にとって共通の内発的な政治課題と言うべきではないでしょうか。
 死刑廃止はそうした内発的な政治課題の中の代表的な個別課題と位置づけることが可能です。そう考えれば、西方からの死刑廃止の要請に対して「外圧」と消極的・被害的に反応するのではなく、内発的政治課題への一つの刺激と肯定的に受け止めたうえで、自ら率先して死刑廃止へのプロセスを進めていくべき時機が到来しつつあると認識してもよいと思われます。

 ちなみに、東アジアではまだ死刑廃止国は出ていませんが、中国、(北)朝鮮、台湾、そして日本が死刑執行を継続する中、モンゴルは2012年に国連死刑廃止条約を批准しました。*モンゴルは、2017年に死刑廃止を実現しましたが、同年に就任したバトトルガ大統領が残酷な殺人等での死刑の一部復活を提起し、動向が注目されます。 
 韓国では10年以上にわたり死刑執行が停止されており、モラトリアムに入っています。こうして、死刑に関してはアジア地域でも最も保守的な東アジアでも死刑廃止へ向けた胎動は確実に始まっているのです。

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「わからない」に耐える

2011-11-02 | 時評

原発事故以来、放射線への不安が広がっているが、不安の最大の核心は、特に低線量被爆の危険度がよくわからないことにある。

この「わからない」という宙吊り状態に耐えることが難しくなっているのは、現代は科学の時代であり、たいていのことは「わかる」はずだという意識が強いからであろう。

しかし、科学の時代にあっても実際にはわからないことだらけである。放射線障害に関しても、一度に大量に浴びた場合の急性症状はわかっているが、低線量となるともうわからない。

おそらく今回の事故のような先例がほとんどないため、低線量被爆の影響問題は解明されておらず、まさに今回の事故が重要な先例となり、これから「わかる」ことが多いのだろう。逆に言えば、まだわからないことが多いのだ。

ところが、専門家たちも「わからない」と正直に言うことを恥とするためか、わかったふりをすることが多い。あるいは自身の研究の結果、「わかった」と思っていてもそれは一つの学説にすぎず、なお学界では反対説もあり、固まっていないことも多い。

専門家たちもわからないことはわからないと言明する勇気を持ってほしい。「まだわかっていない」というのは、立派な科学的回答なのだから。わかっていないことをわかっているように言うのはかえって危険である。

その最たる例が日本で盛んな各種健診(検診)であろう。日本では半ば強制されることもある健診にはその延命効果が客観的なくじ引き試験で検証されていないものが少なくないのに、日本では効果が当然にあるかのような宣伝が「早期発見・早期治療」を合言葉に行政・学界・メディアを挙げて官民一体でなされている。

その結果として、健診メニューの定番となっているX線・CT検査による医療被曝量でも日本は世界に冠たる「大国」となっているのだ。とはいえ、その医療被曝の危険度となるとよくわからないことが多いようだ。それだけに健診の功罪の検証は厳密になされるべきだろう。

問題の原発事故も、地震や津波の最大可能規模についてわからないことをわからないと認めなかったことが、甘い災害想定と対策の欠陥をもたらし、大事故につながったことはほぼ明らかである。

ちなみに、地震に関しては「予知」が強調され、政府の助成も受けているが、予知できたためしがない。これは地震の発生が事前に「わかる」という前提になっているわけだが、強い疑念が当の地震学者からも出されている。「予知」は科学者より占い師の仕事ではないか。

一般大衆の側も「わからないことはわからない」という状態に耐える必要があろう。一般大衆が専門家に確実な「答え」を求めれば、かれらも威信保持の心情が働いて答えざるを得なくなってしまうからである。

一方で、専門家の側が自分たちの専門知としてすでに「わかっている」ことを補強するために、大衆を利用しようとすることもある。裁判員制度などはその例だ。

先般「現行絞首刑は憲法が禁じる「残虐な刑罰」に当たるかどうか」が争われた裁判員裁判で、本来裁判員の権限でない憲法解釈問題を裁判員に討議させたうえで、結局「合憲」とした地裁判決が大阪であった。

これなどはすでに判例として固まっている合憲説―ただし、一部専門家の間に批判はある―を改めて維持するために、職業裁判官があえて素人の裁判員の見解を聴くというアリバイ作りをしたのである。憲法判断は専門家の仕事である。それなのに、自分たちの保守的な仕事を批判されるのを警戒して「一般人の見解」で正当化を図ったのだ。

こういう場合、素人は素人の最大特権として、「わからない」という回答をしてほしかったと思う。いろいろな意味で、「わからない」に耐える必要があるのだ。

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