ザ・コミュニスト

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戦後ファシズム史(連載補遺)

2015-10-31 | 〆戦後ファシズム史

第一部 戦前ファシズムの清算と延命

2ノ2:東欧/バルカン諸国の場合
 ギリシャを含む東欧/バルカン諸国は、第二次大戦中、ナチスドイツ(一部はファシストイタリア)の侵略を受け、併合されるか、もしくは傀儡政権を建てられるかしたため、完全に独立的なファシズム体制が出現した国は見られない。
 そうした中でも、1940年から44年までルーマニアに親ナチス独裁体制を築いたイオン・アントネスク総統体制、44年から45年にかけて短期間ながらハンガリーに親ナチス体制を築いたサーラシ・フェレンツ率いる矢十字党政権は、ナチスと呼応しつつ、短期間で多数のユダヤ人を虐殺し、「本家」に勝るとも劣らない反人道性を発揮した。
 一方、バルカン半島ではクロアチアに成立したアンテ・パヴェリッチ率いる民族主義政党ウスタシャの独裁政権がナチスドイツとファシストイタリア双方の支援を受けつつ、独自の民族ファシズム体制を築いた。この政権は「クロアチア独立国」を名乗り、独伊日三国同盟に参加し、日本を含む枢軸諸国からも国家承認を受けたため、完全な傀儡国家の性格を超え、ある程度「独立国」としての体裁を備えたバルカンにおける真正ファシズム体制とみなすことができる。
 クロアチア独立国でもナチスに倣った絶滅収容所でユダヤ人虐殺が実行されたが、それ以上に、この体制下では対立するセルビア人の大虐殺が組織的に実行された点で、バルカン半島特有の歴史的な民族問題を反映していた。
 一方、セルビア人側でも反枢軸抵抗勢力としてチェトニクが組織されていたが、この組織はそれ自身ウスタシャの相似形的なファッショ団体となり、クロアチア人やイスラーム系ボシュニャク人の虐殺に関与する一方で、枢軸国やクロアチア独立国とは妥協的協調関係に立つというねじれた立場を採った。
 これら東欧/バルカンのファシズム体制は第二次大戦での枢軸国敗北の結果、次々と崩壊していき、戦後におけるファシズム清算は、東欧/バルカン半島に続々とソ連の傀儡政権が樹立されていく中で、指導者が戦犯として処罰された。
 その後の親ソ社会主義体制下ではイデオロギー上「反ファシズム」が標榜される中で、ファシズムの復活可能性は政治的に抑圧されていたと言える。しかし、その処理は形式的であり、代替的にソ連型の社会主義一党独裁体制が構築されることで、かえって民主化は阻害された。言わば、ファシズムからスターリニズムへの代替が起きたにすぎなかったのである。
 これらの社会主義体制が80年代末移行、民衆革命により次々と崩壊していくと、多党制が復活する中で一部の国では再びファシズム系小政党が出現するようになり、あるいは民主化勢力の変節としてファッショ化要警戒現象が発現している国も存在する。
 その点、ソ連とは対立的な独自の社会主義体制に向かったユーゴスラビアはいささか事情を異にしたが、それとて建国者ヨシップ・チトーの権威主義により民族主義が抑圧される形で連邦の統合を保つという危うい構造であった。
 ユーゴにおける民族ファシズムは、1980年のチトーの没後、民族主義を強制的に封じ込めていたユーゴ連邦が解体に向かう凄惨な内戦の過程で、今度はセルビア人を主体として発現することになる。
 なお、ギリシャでは戦後、共産党と反共勢力間の内戦を経てさしあたり親西側の民主主義体制が成立したが、内戦後も尾を引いた左右両翼の対立から、60年代後半に擬似ファシズムの性質を帯びた軍事政権が成立した。
 その軍事政権もキプロス軍事介入の失敗から崩壊した後、再び民主化に向かうが、93年に結党され、ネオ・ナチズムの性格を帯びた「黄金の夜明け」を称する政党が深刻な財政破綻危機の中、2012年総選挙で初の議席を獲得するなど、伸張の動きを見せている。

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戦後ファシズム史(連載第3回)

2015-10-30 | 〆戦後ファシズム史

第一部 戦前ファシズムの清算と延命

2:イタリアの場合
 ファシズム本家のイタリアでは1943年、ムッソリーニを排除したファシスト政権がドイツより先に連合国側に降伏したことを受け、共産党を含む保革の反ファシスト政党が参加する挙国一致の臨時政府として国民解放委員会が設立された。
 しかし、ドイツ軍がムッソリーニを奪還し、イタリア北部にナチスの傀儡国家であるイタリア社会共和国を樹立したため、同共和国が45年4月に降伏するまでは、反ファシスト政権とファシスト政権が南北に対峙する状況であった。そのため、イタリアでは、終戦後の46年6月に実施された共和制移行の是非を問う国民投票が戦前/戦後の転機となる。
 イタリアのファシスト政権は、1861年のイタリア統一以来のサヴォイア王家による王制の枠内で成立・維持されていたため、王制もファシスト政権と同罪とみなされ、存続の是非が問われたのである。投票結果は、共和制移行支持が過半数となり、ここにイタリア王国は廃止、新生イタリア共和国が成立することとなった。
 しかし、旧ファシスト政権がナチスほどの組織的な反人道犯罪に手を染めていなかった新生イタリアでは、ファシズムの清算は徹底せず、旧ファシスト勢力は戦後直ちに「イタリア社会運動」(MSI)の名で再結集し、戦後初となる48年の総選挙では上下両院合わせて7議席を獲得するなど、早速小政党として議会参加している。
 MSIの初代指導者ジョルジョ・アルミランテはジャーナリストを経験した点ではムッソリーニと似た経歴の持ち主であったが、戦前の国家ファシスト党内では目立たない人物にすぎなかった。しかし、そのような地味な人物像は戦後再結成されたファシスト政党を率いるにはかえって好都合であった。
 しかし、MSIは間もなく、ムッソリーニ崇拝とファシスト政権の復活を掲げるアルミランテらの純化派と右派保守主義者への浸透も図る修正派の党内抗争に見舞われ、アルミランテ派は一時敗退する。しかし修正派が主導権を握った50年代から60年代にかけ、党勢は伸び悩み、69年にはアルミランテがトップに返り咲いた。
 第二次アルミランテ指導部は、従来の純化路線を軌道修正し、党の穏健化をアピールする姿勢を取った。このことが功を奏し、72年の総選挙では上下両院合わせて82議席という結党以来最大規模の躍進を見せたのである。
 だが、このような修正主義一般の帰結として、党の原点からは遠ざかることとなり、非ファッショ的な右派政党との区別はつかなくなる。72年を頂点として、70年代後半以降のMSIは長期低落傾向を見せていくのである。
 87年、高齢のアルミランテの後を継いだジャンフランコ・フィーニは、MSIの幕引き役となった。94年、戦後最大規模の疑獄事件を契機に大規模な政界再編が起きると、フィーニ指導部は当時保守系の新星として実業界から転進してきたシルヴィオ・ベルルスコーニの連立政権に参加した。
 その結果として、95年の党大会で公式にファシズムを放棄、「国民同盟」への党名変更を決定した。これにより、戦前のファシズム体制を継承する政党としてのMSIは終焉したことになる。MSIは最終的に、ベルルスコーニが創設した新保守系政党「頑張れイタリア」へ合流・吸収された。
 一方、これに反発する残党グループは、2012年に至って、新たに「イタリアの兄弟」を結党した。同党は旧MSI・国民同盟のイデオロギーを継承した後継政党の性格を持ち、13年の総選挙では下院で9議席を獲得した。
 同党はイタリア国粋主義と欧州連合懐疑論を掲げるとともに、経済面では伝統的なファシズムとは異なり新自由主義に傾斜し、ネオ・ファシズムの傾向も示している。現時点ではミニ政党にすぎないが、一般政党への幻滅感から支持を増やす可能性はあり、動向が注目される。

[追記]
2018年3月の総選挙で、「イタリアの兄弟」は下院議席を約三倍増し、上院にも議席を獲得した。同党は6月発足の反移民・反EU連立政権を承認・参加しなかったが、棄権であり、閣外協力の可能性は残る。

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戦後ファシズム史(連載第2回)

2015-10-29 | 〆戦後ファシズム史

第一部 戦前ファシズムの清算と延命

1:ドイツの場合
 戦後ファシズム史の出発点は、まず戦前ファシズム体制の清算に始まる。これは戦前ファシズム体制の二大巨頭であったドイツとイタリアが世界大戦に敗れたことを契機とする。清算が先行したのはドイツであった。
 ドイツにおける戦前ファシズム=ナチズムの清算は、連合国軍による占領統治という受動的な状況下で着手された。しかも、ドイツ占領はアメリカとソ連による分割占領という変則的なものであったので、ナチズムの清算の方法にも相違が生じるというちぐはぐさを伴った。
 このプロセスは「非ナチ化」と呼ばれ、特にアメリカ側占領地域ではナチ党員の公職追放が徹底された。このパージは1946年3月の「ナチズム及び軍国主義からの解放のための法律」をもって法的根拠を与えられ、占領下の各州ごとに非ナチ化審査機関でナチスとの関わりの程度に応じて処分が決定された。ただ、アンケート調査をもとにした審査であったため、技術的な限界を免れなかった。
 一方、ソ連占領地域ではナチス指導層と末端分子が峻別され、末端分子は一部領域を除き、パージを免除された。ただ、この地域では親ソ派のドイツ共産党が優遇されたため、ナチ党が共産党に置換されるような措置が取られ、後の東西ドイツ分裂の基礎となった。
 このような一種の粛清による非ナチ化とともに、ナチス最高指導層に対しては国際軍事裁判による司法的処理も行なわれた。これはドイツ・ファシズムとしてのナチズムが人種差別的な人種ファシズムの性格を濃厚に持ち、ユダヤ人虐殺に象徴される数々の人道犯罪を犯したためであった。
 もっとも、このような勝者による敗者の裁判には公正さの点で疑念はあったが、このニュルンベルク裁判を通じて、人道に対する罪など、今日の国際人道裁判に通ずる基軸的な法概念が確立されたのである。
 こうした連合国主導での受動的なナチス清算、中でもアメリカ主導でのパージに対しては、ドイツ側の不満が強く、49年の占領統治終了後、新生西ドイツ最初の宰相となったコンラート・アデナウアーは指導層を除く旧ナチ党員に対するパージの解除を主導し、非ナチ化に終止符を打った。
 これによって、旧ナチ党員の大量社会復帰が実現し、ナチズムの清算は腰折れとなる。ただ、西ドイツではナチ党の再結成は法律で禁じられたため、後継政党が議会参加する道はなかった。また、ナチス犯罪には時効を認めず、ナチス幹部の生き残りに対する刑事訴追を恒久的に継続するなど、ナチス復活阻止は党派を超えた国是となった。
 一方、社会主義政党(実質共産党)による一党支配体制となった東ドイツでは体制イデオロギー上反ファシズムが掲げられ、厳しい思想統制が実施されたため、ナチズムに限らず、ファシズムの復活はさしあたりあり得なかった。
 しかし、自由主義を標榜した西ドイツでは、ナチスのシンパは地下に潜る形で活動を続け、やがて半ギャング的なネオナチ運動として顕在化していく。とはいえ、90年の東西ドイツ統一後もナチズムは引き続き禁圧されていることから、ナチ党の再結成には至っていない。
 そうした中、民族共同体思想などナチス類似の綱領を掲げる「国家民主党」が合法政党として台頭してきている。同党は1964年に当時の西ドイツで結成された新興政党であるが、60年代以降いくつかの州議会で議席を獲得するようになった。連邦議会での議席獲得歴はまだないが、近年得票を増やしており、連邦政府で非合法化も検討されているが、結社の自由との兼ね合いから実現していない。
 同党は明白にナチズムを標榜せず、近年はむしろ移民規制を掲げる反移民政党として一定の注目・支持を集めていると見られ、今後の動向が注目される。ただし、ドイツの反ファッショ政策が変更されない限り、同党の躍進は想定しにくい。

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晩期資本論(連載第71回)

2015-10-20 | 〆晩期資本論

十五 農業資本の構造(4)

差額地代を分析するにあたっては次のような前提から出発した。すなわち、最劣等地は地代を支払わないということ、または、もっと一般的に言い表せば、地代を支払う土地は、ただ、その生産物にとっては個別的生産価格が市場規制的生産価格よりも低く、したがってそこに地代に転化する超過利潤が生ずるような土地だけだということである。

 個別的生産価格と一般的生産価格の差額として把握される差額地代は、理論上そのような差額を生み出す土地においてのみ成立することになる。しかし、土地所有者にしてみれば、最劣等地だからといって、それを無償で貸し出すほど甘くはない。となると、差額地代の前提は崩れる。

・・・もし最劣等地Aが―その耕作は生産価格をもたらすであろうにもかかわらず―この生産価格を越える超過分すなわち地代を生むまでは耕作されることができないとすれば、土地所有はこの価格上昇の創造的原因である。土地所有そのものが地代を生んだのである。

 これが差額地代に対して絶対地代と呼ばれる地代の形態である。差額地代が土地そのものではなく、土地の豊度の違いに応じた言わば相対地代であることに対照される。

土地の単なる法律上の所有は、所有者のために地代を生みだしはしない。しかし、それは、土地が本来の農業に使用されるのであろうと、建物などのような別の生産目的に使用されるのであろうと、その土地の経済的利用が所有者のためにある超過分をあげることを経済的諸関係が許すまでは、自分の土地を利用させないという力を、所有者に与える。

 土地所有権の法的効力は土地を排他的に支配することであり、地代を当然に含むものではないが、地代が発生するまでは土地を未開発に保持する権利がある。そこで、「この土地所有の存在こそは、まさに、土地への資本の投下にとっての、また土地での資本の任意の増殖にとっての、制限をなしているのである。」とも言われる。

・・・・土地所有が設ける制限のために、市場価格は、この土地が生産価格を越える超過分すなわち地代を支払うことができるようになる点まで、上がらざるを得ない。ところが、農業資本によって生産される商品の価値は、前提によれば、その商品の生産価格よりも高いのだから、この地代は(すぐあとで検討する一つの例外[本来の独占価格にもとづく場合]を除いては)生産価格を越える価値の超過分またはそれの一部分をなしている。

 このように、絶対地代の本質は農産物の価値が生産価格を越える超過分である。つまり、「この絶対的な、生産価格を越える価値の超過分から生ずる地代は、ただ、農業剰余価値の一部分でしかなく、この剰余価値の地代への転化、土地所有者によるそれの横取りでしかないのであって、ちょうど、差額地代が、一般的規制的生産価格のもとで、超過利潤の地代への転化、土地所有者によるそれの横取りから生ずるのと同じことである」。

・・・・理論的に確実なことは、ただこの前提のもとでのみ農業生産物の価値はその生産価格よりも高くありうるということである。すなわち、与えられた大きさの資本によって農業で生産される剰余価値は、または、同じことであるが、その資本によって動かされ指揮される剰余労働(したがってまた充用される生きている労働一般)は、社会的平均構成をもつ同じ大きさの資本の場合より大きいということである。

 言い換えれば、農業における資本構成が社会的平均資本の構成よりも低いということであり、従って「もし農業資本の平均構成が社会的平均資本の構成と同じかまたはそれよりも高ければ、絶対地代はなくなるであろう」。また「もし農業資本の構成が耕作(技術)の進歩につれて社会的平均資本の構成と平均化されれば、やはり同じことが起きるであろう」。実際、近年における農業の機械化や遺伝子組み換え技術、さらには未来先取り的な栽培工場制度などの発達により、農業における資本構成は高度化しているように見える。
 ただし、マルクスも予測したように、「農業での社会的生産力の増進は、自然力の減退をただ埋め合わせるだけか、または埋め合わせもせず―この埋め合わせはつねにある期間だけしか作用できない―、したがって農業では技術的発展が起きても生産物は安くならないで、ただ生産物がさらにより高くなることが妨げられるだけだということもありうる」。そのため、現代でも農業の高度な資本化は起きていないのだとも考えられる。

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晩期資本論(連載第70回)

2015-10-19 | 〆晩期資本論

十五 農業資本の構造(3)

・・・超過利潤は、流通過程での偶然のできごとによって生みだされるのではなく正常に生みだされるものであるかぎり、つねに、二つの等量の資本および労働の生産物のあいだの差額として生産されるのであって、この超過利潤は、二つの等量の資本および労働が等面積の土地で用いられて不当な結果を生む場合には、地代に転化するのである。ついでに言えば、この超過利潤が等量の充用資本の不当な結果から生ずるということは、けっして無条件に必要なことではない。いろいろに違った投資では不等な大きさの資本が充用されていることもありうる。しかも、たいていの場合、これが前提である。

 マルクスは、差額地代の分析に当たり、「二つの等量の資本および労働が等面積の土地で用いられて不当な結果を生む場合」―差額地代Ⅰ―と「いろいろに違った投資では不等な大きさの資本が充用されている(場合)」―差額地代Ⅱ―とを区別して考察する。マルクスも認めるように、実際の経済界では、むしろⅡの不等量資本投入型のほうが普通であり、Ⅰの等量資本投入型は理論モデルであるが、彼はいつもの流儀で、まずは理論モデルから検討する。
 その際、マルクスは、土地の豊度の異なる四通りの土地を想定した経済表を作成して縷々検討しているが、ここでは行論上すべて割愛し、検討結果のみを示す。

(1)順序は、でき上がったものとしては―その形成過程がどんな進み方をしたにせよ―、どの表でも、下がっていくものとして現われる。なぜならば、地代を考察するにあたっては、いつでも、まず、地代の最大限を生む土地から出発して、最後に、全然地代を生まない土地に達するであろうからである。
(2)地代を生まない最劣等地の生産価格はつねに規制的市場価格である。・・・・・・・・
(3)差額地代は、そのときどきの与えられた耕作発達程度にとって与えられたものである土地種類の自然的豊度の相違(ここではまだ位置は考慮に入れない)から生ずる。・・・・・・・・
(4)差額地代の存在、そして等級別の差額地代の存在は、下降順序で優等地から劣等地に進むことによっても、また逆に劣等地から優等地に進むことによっても、または二つの方向が交錯することによっても、生じうる。・・・・・・・・
(5)差額地代は、その形成様式がどうであるかにしたがって、土地生産物の価格が変わらなくても、上がっても、下がっても、形成されることがありうる。

 このように差額地代論は、最劣等地では地代が発生しないという前提の下、最劣等地の生産価格が規制的市場価格を形成するという理論法則によって成り立っている。しかし、このような想定はあくまでも理論上のものである。

・・・結局、差額地代(Ⅰ)は、事実上はただ土地に投下される等量の諸資本の生産性の相違の結果でしかなかった。ところで、それぞれ生産性の違う諸資本量が次々に同じ地所に投下される場合と、それらの資本量が相並んで別々の地所に投下される場合とでは、ただ結果は同じだということだけを前提して、二つの場合のあいだになにか区別がありうるであろうか?

 結論から言えば、「差額地代Ⅱはただ差額地代Ⅰの別表現にすぎないもので、事実上はⅠと一致するものだということである」。すなわち、「どちらの場合にも、投資額は等しいのに土地が違った豊度を示すのであって、ただ、Ⅱではいくつかの部分に分かれて次々と投下されて行く一つの資本のために同じ土地がすることを、Ⅰではいろいろな土地種類が、社会的資本のうちからそれぞれの土地種類に投下される等量の諸部分のためにするだけのことである」。
 次いで、このように差額地代Ⅰを基礎的前提としてそのヴァリアントとして想定される差額地代Ⅱの変動に関して、生産価格が不変・低下・上昇の三つの場合に分けて詳細な分析が加えられるが、これについても割愛する。最終的に、両者の関係は次のようにまとめられる。

要するに、差額地代Ⅰと差額地代Ⅱとは、前者は後者の基礎でありながら、同時に互いに限界をなし合うのであって、そのために、ある場合には同じ地所での逐次的投資が必要になり、ある場合には新たに追加される土地での並行的投資が必要になるのである。それと同時に、また別の場合、たとえばより優良な土地が列に加わる場合にも、差額地代ⅠとⅡとは互いに限界として作用し合うのである。

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集団的安保法のウォッチ

2015-10-18 | 時評

集団的安保法の成立から、明日で一か月を迎えるが、近年は物事が忘れられるのも速く、一か月前の出来事はすでに「歴史」なのか、早くも風化しつつあるように見える。

この間、共産党による「国民連合政府」構想や、議決の瑕疵を争う憲法訴訟などなど様々な事後闘争の提唱が試みられているも、世間での反応はいまひとつのようである。

「国民連合政府」の問題性は以前の記事でも述べたが、憲法訴訟という法廷闘争も見込み薄である。たしかに集団的安保法はその内容及び成立過程ともに違憲性は強いが、政治追随姿勢の強い日本の司法部がすでに成立したいくつもの集合的法律を違憲と断じて覆すとは思えない。

日本は現代立憲体制では標準装備となっている憲法裁判所の制度もいまだ持たないので、成立した法律の違憲性のみを理由とする訴訟を起こすことが出来ないことも、法廷闘争には不利である。

となると、今後は成立した集団的安保法の運用のウォッチが最も重要な民主的対抗手段となる。政府は集団的自衛権の行使が「限定」されていることを特大強調して、合憲性を説明した。

たしかに「存立危機事態」を厳格解釈する限り、これに該当するような事態は事実上発生しないだろう。つまり、集団的安保法は存在するも発動されないことをもって「合憲性」が確保されるものである。

ただ、拡大的な後方支援を可能とする「重要影響事態」はより緩やかであいまいなだけに、どちらかと言えば、こちらのほうが現実的に発動されやすいと思われるので、警戒が必要であろう。

いずれにせよ、政府は「限定性」を説得材料とした以上、それが方便的な嘘でない限り、安易に法を発動しないはずである。野党勢力はそうした「限定」の公約を政府が守り通すかどうかウォッチしていくことが役目となる。

この程度の地味な仕事ですら、巨大与党体制の下、断片化した現存野党勢力にとっては大仕事であるが、それさえも実行できないようでは、すでに仮死状態の日本の議会政治は本当の最期を迎えるだろう。

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戦後ファシズム史(連載第1回)

2015-10-16 | 〆戦後ファシズム史

序説

 本連載が主題とする「戦後ファシズム」という用語は、正規には使われない。なぜなら、ファシズムは戦後は死滅したと考えられているからである。「戦後ファシズム」は歴史的には非常識である。しかし、ファシズムは戦後も死滅していない。国家を絶対化し、国家にすべてを収斂させようとするファシズムは国家の観念と制度が存在する限り、死滅することはないのである。
 ただ、ファシズムは体系的な教説を伴った思想ではなく、陰陽様々な形態を纏って発現してくる微生物的な思想であるので、いくつかの観点からこれを分類して検証する必要がある。ここでは、そうした分類視座として、真正ファシズム/不真正ファシズム/擬似ファシズムを区別する。

 真正ファシズムとは、まさしく正真正銘のファシズムであり、これはイタリアに発祥した国家ファシズムとドイツ版ファシズムとも言うべきナチズムを二大系統とするファシズムである。戦後死滅したと思われているのは、この系統のファシズムに基づく政治体制である。たしかに、イタリアとドイツの両ファシズム体制は第二次世界大戦の敗者として滅びた。
 しかし、実のところ、このような綱領上も明確にファシズムを掲げる政党を通じた真正ファシズムはファシズムの一部でしかなかった。ファシズムにはより気づかれにくい形態がある。それは綱領上はファシスト政党ではない政党を通じたファシズム―言わば隠れファシズム―であり、このようなファシズムを不真正ファシズムと呼ぶ。
 このような不真正ファシズムは真正ファシズムが滅亡した戦後にかえって隆盛になったと言え、戦後ファシズムのほとんどがこの不真正ファシズムである。真正ファシズムは議会制を否定するが、不真正ファシズムは必ずしも議会制を否定せず、少なくとも形式上は議会制を保持する場合も多く―議会制ファシズム―、ますますファシズムとは気づかれにくい性質を持つ。

 ところで、三つ目の形態である擬似ファシズムとは本来のファシズムではないが、ファシズム様の思想に基づく体制である。ファシズムは大衆運動を基盤とする政党政治の一種であるので、政党政治の外に構築される体制―君主制や軍事政権―の場合は、ファッショ的な思想を標榜していても、それは真のファシズムではない。そのような例として、戦前日本の戦時体制がある。
 この旧体制はイタリア、ドイツの真正ファシズム体制と国際同盟を組んだことから、しばしば「天皇制ファシズム」とも呼ばれるが、実際のところ、この体制はイタリアやドイツのようなファシスト政党を基盤としたものではなく、帝政の一種である天皇制の下での総動員体制として軍部が主導した擬似ファシズムであった。
 日本の擬似ファシズムは周知のように、第二次世界大戦で同盟相手であるイタリアとドイツの真正ファシズム体制と運命を共にしたが、戦後の擬似ファシズムは中南米の反共軍事政権などに発現している。

 以上のような分類のほかに、政権獲得によって体制化した体制ファシズムと大衆運動や野党にとどまる反体制ファシズムとを区別することができる。真正ファシズムは死滅したと言っても、それは体制ファシズムとしてのそれであって、イタリアやドイツでも反体制ファシズムとしては戦後も残存してきた。反ナチスが国是である戦後ドイツですら、反体制化したネオ・ナチズムの形でなお活動中である。
 真正ファシズムも当初は議会選挙に参加して議会に進出し、やがて巧みな選挙戦術で有権者の心をとらえ、政権を獲得したように、選挙議会制の下では反体制ファシズムはいつでも体制ファシズムに転化することが可能であり、その意味では体制ファシズムと反体制ファシズムは別種のものではなく、連続体である。

 さて、本連載ではこのような視座に立ちながら、あえて「戦後ファシズム」の動向を戦後史として概観することを目的とする。そのうえで、現在進行形でもある現代型ファシズムの特徴をとらえ、ファシズムをすでに過去のものとして等閑視する政治的通念に対する警鐘としたい。
 もっとも、個人のレベルでファシズムを信奉することは思想の自由であるので、ファシズムをことさらに貶めることは意図していないが、完全に中立的ではなく、筆者自身はファシズムを人間の自由と平等に対する最大級の脅威の一つとして拒否する立場を前提としている。

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最新国際経済二論

2015-10-11 | 時評

「人民自動車」の環境不祥事

直訳すればVolkswagen‐「人民自動車」というまるで社会主義国産車のような名称を持つドイツ系大資本―沿革的にはナチスの国策企業―による大規模な環境規制逃れの不祥事は、グローバル資本主義における「環境対策」の正体を垣間見せている。

グローバル市場競争に打ち勝つ上で、環境対策のコストは資本にとって桎梏である。資本は常に何とか環境規制を免れようと腐心する点では、節税対策と似ている。今回、Volkswagen社は組織ぐるみを否定しているが、全世界規模でのリコールを結果するのは、組織ぐるみと変わらない。

一方で、問題発覚の発端となったアメリカにおける環境取締りの真意も疑わしい。アメリカは地球温暖化防止条約(京都議定書)から脱退し、政権が変わっても復帰しない点では、反環境規制を一貫した国家意思としている。

そのアメリカがドイツ系資本に仕掛ける環境攻勢はもう一つの法的武器である独占禁止規制と同じで、ライバル国資本への法的牽制手段という戦略的な意味があると考えられる。

とはいえ、Volkswagenの不正は許されることではない。この一件は、自動車のような環境負荷的生産物の生産活動は民衆的な環境計画経済下に置くべきであることを裏書きする事案である。その意味で、volkswagenは固有名詞ならぬ、まさに「民衆自動車」である。

グローバル自由貿易体制へ前進

五年越しの協議でようやく妥結したTPPは、Free TradeならぬEconomic Partnership という互助的な響きの用語が使われていながら、推進者が豪語するとおり、世界の総生産の半分近くをカバーする超域的自由貿易体制である。

従来、各国は資本主義の究極の理想郷である自由貿易を前に立ちすくんでいた。その破壊的効果を知っているからである。国内業界の圧力を受けて、保護貿易に片足を突っ込みながらの及び腰の交渉姿勢が妥結を遅らせてきたのだ。

しかし、ここへ来てようやく決心がついたようである。おそらく各国とも自由貿易で最も不利益をこうむる農業者の減少と政治的パワーの喪失という状況変化を見て、自由貿易主義ヘの移行好機という判断に達したのだろう。

とはいえ、関税撤廃時期を先延ばしにする品目もあり、及び腰は残っている。また「自由貿易」という直截的な用語も避けている。だが、TPPのような超域的自由貿易体制の確立で、資本主義は新たな段階に入ると言える。

将来的に、地域を限定しないグローバル自由貿易条約が締結されるところまで進むかどうかはわからないが、そこまで行けば、自由貿易は革命促進要因となる。つまりfree tradeは、その推進者が望まない反転を来たして、economic cooperationとなるのである。

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平成岩窟王の死

2015-10-07 | 時評

43年間も死刑囚として拘置された末、収監先の医療刑務所で4日に89歳で死去した奥西勝氏は、半世紀以上にわたり無実を訴え続けた平成岩窟王であった。もう一人の平成岩窟王とも言える袴田巌氏が2014年に再審開始決定を得て、48年ぶりに釈放されたのとは明暗が分かれた。

奥西氏が犯人とされてきたいわゆる名張毒ぶどう酒事件(1961年発生)の特異性は、事件から比較的近い64年の一審無罪判決が検察側控訴で破棄され、それが最高裁でも維持・確定された後、第七次再審請求による2005年の再審開始決定が検察側異議により取り消され、さらにその取り消し決定を最高裁が破棄差し戻すも、高裁は再び取り消し、最高裁もこれを追認というように、司法判断が二転三転していることである。

それだけ有罪証拠があやふやということでもあり、無罪の合理的疑いは強い。真犯人が現われるようなレアケースを除けば、典型的な冤罪事件の特徴を備えていると言える。

それでも、一度は開いた再審の門が再び閉ざされる悲運の結果となったのは、小さな集落の宴会で発生した事件という特殊性があり、行きずりの第三者による犯行の可能性はないことが不利に働いたとも考えられるが、それ以上に、確定死刑判決を覆すことに消極的な政府・司法当局の一貫した暗黙裡の政策の結果である。

これまでにも、長く無実を訴え、再審請求で争う死刑囚は存在したが、そのような「係争死刑囚」に対しては、わずかな例外を除いて再審を認めず、しかし死刑執行もせず、死刑囚が精根尽き果て病死するのを待つという「緩慢な処刑」が暗黙の対処方針となっている。奥西氏もその典型例である。

このように死刑判決の既判力を絶対化する権威主義的な法政策は、支配層の強固な死刑存置政策ともリンクしたものであろうが、その人権侵害性は明らかである。

せめて無罪を示す明白な新証拠という高いハードルをクリアして出された再審開始決定に対する検察側の異議申し立てを禁止する法改正をするだけでも、人権侵害性は緩和されるというものだが、政府・議会にそうした問題意識が皆無というお寒い現況では、今後も冤罪を晴らせぬ岩窟王は跡を絶たないだろう。

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晩期資本論(連載第69回)

2015-10-06 | 〆晩期資本論

十五 農業資本の構造(2)

地代を分析するにあたっては、まず次のような前提から出発しようと思う。すなわち、このような地代を支払う生産物、つまりその剰余価値の一部分したがってまた総価格の一部分が地代になってしまうような生産物―われわれの目的のためには農産物またはそれとともに鉱産物を考慮に入れれば十分である―、つまり土地生産物または鉱産物が、すべての他の商品と同じように、その生産価格で売られるという前提である。

 このような生産物の平均的販売価格=生産価格という仮定に立ちつつ、「どのようにして利潤の一部分は地代に転化することができるか、したがってまた、どのようにして商品価格の一部分が土地所有者のものとなることができるか」が最初の問題となる。

地代のこの形態の一般的な性格を明らかにするために、われわれは、一国の工場の大多数は蒸気機関によって運転されるが、ある少数のものは自然の落流によって運転される、と想定しよう。

 ここでマルクスは地代を原理的に論じるため、いったん農業問題を離れ、工業の仮設例を持ち出す。しかも、当時は先端的だった蒸気機関を用いず、落流を利用した水車で稼動する古典的な工場を想定するという。もっとも、現代に至って、水力のような自然エネルギーが再び注目される中では、古くて新しい設例と言えるかもしれない。

いま、落流が、それの属する土地とともに地球のこの部分の所有者すなわち土地所有者とみなされる主体の手にあるものと考えてみれば、その場合に彼らは落流への資本の投下を排除し、資本による落流の利用を排除する。彼らは利用を許すこともできるし、拒むこともできる。しかし、資本はそれ自身で落流をつくりだすことはできない。それゆえ、このような落流の利用から生ずる超過利潤は、資本から生ずるのではなく、独占でき独占されてもいる自然力を資本が充用することから生ずるのである。このような事情のもとでは、超過利潤は地代に転化する。

 ここでは落流の属する土地所有者から土地を借りて工場経営する単純な借地経営の例が想定されている。工場を経営する資本家自身が土地所有者である場合も、観念上こうした「転化」を認めることができる。

第一に。この地代はつねに差額地代であることは、明らかである。

 何と何の差額かと言えば、「独占された自然力を自由に処分することのできる個別資本の個別的生産価格と、その生産部面一般に投下されている資本の一般的生産価格との差額」である。従って、地代が超過利潤を上回る水準になれば、そのような逆転差額をもたらす借地経営は個別資本にとって引き合わないことになる。

第二に。この地代は、充用資本の、またはそれによって取得される労働の、生産力の絶対的な上昇から生ずるのではなく、・・・・・・・この地代は、ある一つの生産部面に投下されている特定の個別資本の相対的な豊度が、生産力のこの例外的な、天然の、恵まれた条件から排除されている投資に比べて、より大きいということから生ずるのである。

 要するに、個別資本にとって地代の負担は蒸気機関を利用するよりも、落流を利用したほうが利益を得られるという見込みに支えられている。しかし、通常は自然力に頼るより蒸気機関などの技術革新を進めたほうが効率的であるので、この設例は初めから理論上のものである。現代にあっても、資本による自然エネルギーの利用が想定ほど進まない要因の一つとして、このことが関係しているだろう。

第三に。自然力は超過利潤の源泉ではなく、それは、ただ、例外的に高い労働生産力の自然的基礎であるがために超過利潤の自然的基礎であるにすぎない。

 落流の水力が直接に超過利潤を生み出すのではなく、水力が労働生産性の基礎となる結果として、超過利潤の基礎となるにすぎないという趣意である。超過利潤は、あくまでも剰余労働という人力によって生産される本則に変わりない。

第四に。落流の土地所有は、剰余価値(利潤)のこの(超過)部分、したがってまた落流の助けを借りて生産される商品の価格一般のうちのこの部分の創造とは、それ自体としてなんの関係もない。

 マルクスはこれに続けて、「この超過利潤は、土地所有が存在しなくても、たとえば落流の属する土地が工場主によって無主の土地として利用されているとしても、やはり存在するであろう。」と指摘するが、これは剰余価値生産を本旨とする資本主義的生産の場合のことであって、共産主義的生産において土地が無主とされる場合には、そもそも利潤を生まない。

第五に。落流の価格、つまり、土地所有者が落流を第三者または工場主自身に売った場合に受け取るであろう価格は、この工場主の個別的費用価格に入るとしても、さしあたり商品の生産価格に入らないことは、明らかである。

 これは広い意味での地価の問題だが、マルクスは労働生産物だけを価値生産物とみなすので、土地のような自然物は価値生産物に当たらないことになる。「この価格は、地代が資本還元されたもの以外のなにものでもない」。つまり、地価は差額地代が自然力そのものの価格として表現されたものにすぎないことになる。しかし、土地が独立した投資対象物として転々譲渡される現代資本主義においては、労働生産物ならぬ土地も一個の商品として、地代の資本還元にとどまらない固有の価格を持っている。

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晩期資本論(連載第68回)

2015-10-05 | 〆晩期資本論

十五 農業資本の構造(1)

 『資本論』第三巻が最後に取り上げる大きな論題は、農業問題である。農業といっても、ここで取り上げる農業は土地所有農民による家族営農ではなく、資本主義的に経営される農業である。典型的には、大資本が土地所有者から農地を借り受けて大規模に営む集約農業である。しかし、このような型の農業は今日ですら世界で主流化しているとは言えず、ここでのマルクスの議論は未来先取り的な原理論の色彩が強い。

土地所有は、ある人々がいっさいの他人を排除して地球の一定部分をかれらの個人的意志の専有領域として支配するという独占を前提する。これを前提すれば、問題は、資本主義的生産の基礎の上でのこの独占の経済的価値、すなわちその経済的実現を説明することである。

 農業資本の土台は、土地の近代的所有にある。マルクスは別の箇所で、これをひとことで「地球の私有」と表現している。「われわれにとって土地所有の近代的形態の考察が必要であるのは、要するに、農業における資本の投下から生ずる特定の生産・交易諸関係を考察することが必要だからである。この考察がなければ、資本の分析は完全ではないだろう」。

資本主義的生産様式の大きな成果の一つは、この生産様式が一方では農業を社会の最も未発展な部分のただ経験的な機械的に伝承されるやり方から農学の意識的科学的な応用に、およそ私的所有とともに与えられている諸関係のなかで可能なかぎりで転化させるということであり、この生産様式が土地所有を一方では支配・隷属関係から完全に解放し、他方では労働条件としての土地を土地所有からも土地所有者からもまったく分離して、土地所有者にとって土地が表わしているものは、彼が彼の独占によって産業資本家すなわち借地農業者から徴収する一定の貨幣租税以外のなにものでもなくなるということであ(る)。

 冒頭でも注記したとおり、このような本格的な借地農業資本はいまだに全般化はしていない。ただ、人口増大による食糧難に直面する途上国では多国籍食品資本(穀物メジャー)による借地農業経営(リースバック型も含む)が進行してきている。また日本のように協同組合型の家族営農を基本としてきたところでも、農家継承の困難と市場開放の圧力に直面する中、農協制度の形骸化が進み、農業法人のような資本主義的営農の制度が立ち現われてきている。

・・特殊な土地生産物の栽培が市場価格の変動に左右されること、また、この価格変動につれてこの栽培が絶えず変化すること、そして資本主義的生産の全精神が直接眼前の金もうけに向けられていること、このようなことは、互いにつながっている何代もの人間の恒常的な生活条件の全体をまかなわなければならない農業とは矛盾している。

 資本主義的農業経営は、いやがおうにも作物の栽培を市場変動と利潤獲得競争の中に巻き込むが、それは食糧生産という人間の生活条件を支える営為とは本来矛盾するという批判的指摘である。

資本主義的生産様式の場合、前提は次のようなことである。現実の耕作者は、資本家すなわち借地農業者に使用されている賃金労働者であって、この借地農業者は、農業を、ただ資本の一つの特殊な搾取部分として、一つの特殊な生産部面での彼の資本の投下として経営するだけである。この借地農業者‐資本家は、この特殊な生産部面での自分の資本を充用することを許される代償として、土地所有者に、すなわち自分が利用する土地の所有者に、一定の期限ごとに、例えば一年ごとに、契約で確定されている貨幣額を支払う。

 これが近代的地代であり、地代とは「資本主義的生産様式の基礎の上での土地所有の独立・独自な経済的形態」と定義される。「さらに、ここでは近代社会の骨格をなしている三つの階級がみないっしょに互いに相対して現われている。―すなわち賃金労働者と産業資本家と土地所有者である」。この三者が近代資本主義社会に共通する三大階級である。

地代が貨幣地代として発展することができるのは、ただ商品生産という基礎の上だけでのことであり、もっと詳しく言えば、ただ資本主義的生産という基礎の上だけでのことである。そして、それは、農業生産が商品生産になるのと同じ度合いで、したがって非農業生産が農業生産にたいして独立に発展するのと同じ度合いで、発展する。なぜなら、それと同じ度合いで、農業生産物は商品となり、交換価値となり、価値となるからである。

 こうした資本主義的農業における地代は、商品生産としての農業生産が生み出す剰余価値の転化部分を成す。この場合、地代を取得する「土地所有者は、ただ、剰余生産物および剰余価値のうちの・・・・・彼の関与なしに大きくなって行く分け前を横取りしさえすればよいのである」。このような借地農業資本における剰余価値としての地代論が、以降の中心テーマとなる。

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近未来日本2050年(連載最終回)

2015-10-04 | 〆近未来日本2050年

 前回まで、「議会制ファシズム」に支配された近未来2050年における日本社会の諸相をあたかも政権マニフェストのような形で記述してきたが、最後に本編ではまとまった記述ができなかった外交関係について付言的に予測しておきたい。
 まず、2050年のファシスト政権は引き続き米国との同盟関係を外部的な基盤として成立するだろう。否、現行体制以上に米国の庇護を必要としているだろう。米国は表向き「反ファシズム」を旗印とするため、ファシスト政権を米国に認知させるには、現在以上に親米協調姿勢を強固に表明する必要があるからである。
 そのためにも、本編で言及したように、改憲によって再軍備が明確にされ、自衛隊は防衛軍に格上げされたうえ、集団的自衛権に関する法的制約は憲法上も完全に取り払われ、無制限の日米共同軍事行動が可能な状況になっているはずである。
 それとも関連して、沖縄政策はいっそう超然主義・強権主義に傾斜しているだろう。沖縄には、政府の代表部が置かれ、沖縄全権代表を通じて、中央政府が選挙や県政にも介入する間接支配体制となっている。反基地闘争は反軍活動とみなされ、本編でも言及した防衛軍情報保安隊による厳しい監視と弾圧を受け、萎縮している。
 こうした抑圧策に対しては、米軍統治時代に匹敵する「沖縄植民地化」という批判も向けられるが、官製報道により情報統制された本土メディアが沖縄の情勢を詳細に伝えることはない。
 またファシスト政権は歴史問題に関しても強硬な愛国主義の立場を明確にしているため、東アジア近隣諸国とは第二次大戦終結以降、最高度の緊張関係にあり、日米軍事同盟といっそう軍拡した中国が対峙する東アジア冷戦構造が定着している。特別永住者制度の廃止により、韓国との関係もいっそう冷却し、事実上の断交状態に置かれているだろう。

 以上のような諸相を示す議会制ファシズムの世界は、ジョージ・オーウェルの『1984年』に描かれた全体主義体制に比べると、未来性に欠ける印象を受けるだろうが、それだけに、すでに現存する諸制度を再編拡大するだけで十分にファシスト体制を構築することができる。書きながらこのことに気がつき、連載を終えた今、改めて愕然としている。
 ファシズムの基礎となる食材はすでに出揃っていると言って過言でない。あとは調理するだけ、調理者となる新政党が現われるか、既存政党が調理者となるかの問題だ。
 議会制ファシズムのような新型ファシズムは意外に地味である。目に見えないウィルス的な性質を持ち、知らないうちに侵されている。そこが恐ろしいところである。そのためにも、将来、ファシスト政権の樹立をもくろむ勢力に参照・利用される危険を冒して、あえて項目的なマニフェストのような形で新型ファシズムの実相を可視化してみたのであるが、筆者の希望は、もちろんこれとは正反対の方角にある。(了) 

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近未来日本2050年(連載第23回)

2015-10-03 | 〆近未来日本2050年

五 「緊縮と成長」政策(続き)

労働基本権の凍結等
 ファシスト政権の「緊縮と成長」政策の中を下支えしている―批判者によれば「暗黒」の―政策が、労働人口減による生産力の低下という「経済非常事態」を根拠に主要な労働法規を原則的に停止する労働関係非常措置法の導入である。
 具体的には、裁量労働制を全業種に拡大したほか、従業員数に限りある中小企業に対しては賃下げしないことを条件に労働時間規制そのものを撤廃した。こうした施策に対して予想される労働運動を抑制するため、労働組合を公益法人化し、行政による監督を強化、実質的な翼賛労組化を図っている。
 その結果、日本最大の労組センターだった「日本労働組合総連合会(連合)」も、「全日本労働組合協会(労協)」と改称し、ファシスト与党の傘下団体として選挙動員されている状態である。
 これは第二次大戦後では最大規模での労働法の全般的規制緩和であり、ファシスト政権の公約の柱として、経済界からは喝采されている。一方、国際労働機関(ILO)からは労働基本権の事実上の凍結策として非難されているが、政府はこれを内政干渉として一蹴している。
 さらに、政府は国内労働人口減を補うため、外国人単純労働者の雇用規制の撤廃にも踏み込んだ。ただし「純血主義」の人種主義的原理により、移民の定着は厳しく抑制されている。
 すなわち外国人労働者の滞在期間は原則5年に限定され(専門技術職等は更新可能)、家族同伴・呼び寄せも禁止される。またかれらが永住のため日本国民と婚姻しようとする場合には滞在資格の有無、出身国での犯歴等についての事前審査を義務づけ、要件を満たさない場合は婚姻届を不受理とする婚姻制限措置がある。
 急増した外国人の管理も強化され、労働ビザで入国した外国人は半年ごとに所轄警察署に出頭し、在留資格を確認する義務が課せられる。またファシスト政権の主要な公約だった特別永住者優遇制度の廃止も速やかに実現されている。 
 政権は「世界一厳しい出入国管理」をスローガンに、法務省入国管理局を警察を所管する国家公安省外局の入国管理庁として移管・独立させたうえ、出入国管理法の執行に当たる入国警備官に司法警察職員の権限を付与して、不法滞在者の摘発・強制退去措置を徹底している。こうした抑圧的な出入国管理政策は、治安政策ともリンクしている。

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近未来日本2050年(連載第22回)

2015-10-02 | 〆近未来日本2050年

五 「緊縮と成長」政策(続き)

市場拡大政策
 「緊縮と成長」の「成長」政策の中核を成すのは、市場拡大政策である。すなわち、かつては「新自由主義」「市場原理主義」などと呼ばれた政策の徹底化である。このように、競争による弱者淘汰を正当化する経済自由主義と強力に結びついていることは、新型ファシズムの大きな特質である。
 政権がオブラートに包んで「市場フロンティア政策」と呼ぶこの政策は、従来営利企業の直営が制限されてきた教育・医療・福祉や農林水産などの分野の規制緩和と資本化の推進を内容としている。結果、株式会社営の学校、病院や福祉施設が続々と生まれ、大資本の多くが傘下に大学を含む学校や病院を擁するようになった。
 より波紋を呼んだ施策が、農協組織の解体である。これにより、大手食品・小売資本系の農業会社が続々と台頭してきた。反面、旧農家は農地所有者としてこれら農業資本に土地を賃貸し、賃料収入に充てるパターンが急増している。これは、日本における借地農業資本の本格的な始まりとみなされている。政権はこの施策により、食糧自給率を25パーセント以上回復する目標を立てている。
 また資本の活動にとって桎梏となる環境規制の緩和にも着手されている。特に日本が地球温暖化防止条約から脱退し、米国と共同歩調を取ったことは、世界に衝撃をもたらした。ファシスト政権は温暖化懐疑論を公式見解に掲げ、未来世代への責任を強調する持続可能な開発論に対しては、「未来世代より現在世代の繁栄を」のキャッチコピーで反駁、米国と事実上の「反エコロジー同盟」を結成している。
 原発政策に関しても、2011年の福島原発事故以来の政策を大転換し、新規原発増設に転じた。そして原発の管理運営を中央主導で行なうため、原発を持たない沖縄電力を除く全電力会社及び国を株主とする原発独占企業体として、ジャパン・アトミック・エナジー社(JATOME)を設立した。JATOMEが電力各社に原発設備をリースして委託運営する仕組みである。政権は安全で責任ある原発運営の仕組みと宣伝するが、情報統制により批判は封じ込められている。
 JATOMEは海外へ原発設備を売り込み、運転や保守管理まで全工程を請け負う国際事業会社を傘下に擁し、世界30か国以上に現地法人を置く多国籍企業としても展開し、国際的に賛否両面で注目されている。

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プーチン提案の「説得力」

2015-10-01 | 時評

ロシアのプーチン大統領が提起したアサド政権維持を前提としたシリア内戦の解決策は―その「深意」がどこにあるかは別としても―、客観的に見て最も説得力のあるものである。

なぜなら、「アラブの春」を経験した諸国の中でも、唯一政権が保たれているのはシリアだけであり、それは親子二代にわたるアサド家体制の強固さを裏書きするものだからである。その基盤にはアサド父子以前から半世紀以上続くバース党支配体制の根っこがある。

米欧はこうした現実を無視して、アサド=バース党体制を敵視し、これを軍事的に排除しようとしているが、これは教条主義的な態度であり、その根底には旧ソ連陣営だった社会主義体制への反感という古い冷戦思考が隠されている。

プーチン提案は、同様のバース党支配体制がイラク戦争によって排除された親米欧派のはずのイラクまでを説得し、ロシアになびかせるに至っている。

米欧は歴史的なシリアの本家バース党支配体制をイラクと同様に葬り去り、親米欧派の新体制を樹立させたうえで、未踏のシリア市場を開拓しようと狙っているのだが、反アサド派はまとまりを欠いた寄せ集めの武装勢力であり、安定政権ができる保証はなく、イラク戦争後のイラクと同様、かえって過激勢力の巣窟と化す恐れがある。

米欧もこうした事情を冷静に考慮して、プーチン提案に乗るぐらいの度量は示すべきだが、この場合、プーチン提案に欠けている大きな注文をつける必要はある。それは、アサド政権の人権状況改善や民主化努力(反政権派の議会参加)を条件に政権維持を認めることである。

元来、現在のバッシャール・アサド政権は父ハーフェズ時代の抑圧的統制を一定限度で緩和する姿勢は見せていたのであり、国際社会はこれをプッシュするような対応をすべきである。そのためにも、空爆のような軍事的手段ではなく、政権と反政権派の対話を仲介する平和的な方法が採られなければならない。

とはいえ、少なくとも米国はロシアへの対抗というこれまた旧冷戦的思考から、プーチン提案を一蹴し続けるだろう。ならば、欧州は別の道を歩むべきだが、足並みのそろわない国家もどきの欧州連合では、これも期待薄のようである。

かくして、シリア内戦の根本的な解決は望めない。大国首脳らが舌戦に明け暮れる時間だけが過ぎ、その間、内戦犠牲者と戦争難民のグラフが右肩上がりを続けるだろう。

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