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中国憲法評解(連載第17回)

2015-04-30 | 〆中国憲法評解

第三章 国家機構

第七節 人民法院及び人民検察院 

第一二三条

人民法院は、国家の裁判機関である。

第一二四条

1 中華人民共和国に、最高人民法院及び地方各級人民法院並びに軍事法院その他の専門人民法院を置く。

2 最高人民法院院長の毎期の任期は、全国人民代表大会の毎期の任期と同一とし、二期を超えて連続して就任することはできない。

3 人民法院の組織は、法律でこれを定める。

 中国の裁判制度も最上級審である最高人民法院を頂点としたヒエラルキーを採る点では諸国の制度と大差ないが、最高裁長官に相当する最高人民法院院長は全人代で選出され、任期も全人代の任期と符合するのは、建前上は全人代が司法を含む全国家権力の源泉となる人民代表機関とされるためである。

第一二五条

人民法院における事件の審理は、法律の定める特別の場合を除いて、全て公開で行う。被告人は、弁護を受ける権利を有する。

 本条は裁判公開原則であるが、非公開の例外がすべて立法政策に委ねられているのは穏当でない。

第一二六条

人民法院は、法律の定めるところにより、独立して裁判権を行使し、行政機関、社会団体及び個人による干渉を受けない。

 本条は司法の独立に関する規定であるが、個々の裁判官の独立性は保障されておらず、裁判機関の独立性にとどまる。しかもそれは第一二八条で民主集中制により制約されるほか、共産党支配体制によっても事実上制約され、党からの独立性は保障されない。これは旧ソ連をはじめ、一党支配制に共通する司法制度の特徴―欠陥―である。

第一二七条

1 最高人民法院は、最高の裁判機関である。

2 最高人民法院は、地方各級人民法院及び専門人民法院の裁判活動を監督し、また、上級人民法院は、下級人民法院の裁判活動を監督する。

 最上級審の最高人民法院は下位の法院を監督し、下位の法院内部では上級が下級を監督するというように、集権的な運営が想定されている。「監督」とは第一三二条に定める検察院内部の「指導」より緩やかなチェックと思われるが、上級裁判機関ひいては党の裁判干渉の余地を残している。

第一二八条

最高人民法院は、全国人民代表大会及び全国人民代表大会常務委員会に対して責任を負う。地方各級人民法院は、それを組織した国家権力機関に対して責任を負う。

 裁判機関も民主集中原則に基づくため、自己を選出した代表機関に対して責任を負う。この点で、司法の独立性は制約されるが、見方を変えれば、司法制度の民主的基盤を一定担保しているとも言える。

第一二九条

人民検察院は、国家の法律監督機関である。

第一三〇条

1 中華人民共和国に、最高人民検察院及び地方各級人民検察院並びに軍事検察院その他の専門人民検察院を置く。

2 最高人民検察院検察長の毎期の任期は、全国人民代表大会の毎期の任期と同一とし、二期を超えて連続して就任することはできない。

3 人民検察院の組織は、法律でこれを定める。

 検察制度の具体的な規定を憲法上に置くのは、旧ソ連憲法の影響と思われる。検察制度が単なる訴追機関にとどまらず、国家の法律監督機関という性格を与えられているのも、旧ソ連憲法と同様である。その具体的な制度構成は、裁判機関に準じる。

第一三一条

人民検察院は、法律の定めるところにより、独立して検察権を行使し、行政機関、社会団体及び個人による干渉を受けない。

 検察機関も裁判機関に準じた独立性が保障されるが、これにも裁判機関と同様の制約がかかる。

第一三二条

1 最高人民検察院は、最高の検察機関である。

2 最高人民検察院は、地方各級人民検察院及び専門人民検察院の活動を指導し、また、上級人民検察院は、下級人民検察院の活動を指導する。

第一三三条

最高人民検察院は、全国人民代表大会及び全国人民代表大会常務委員会に対して責任を負う。地方各級人民検察院は、それを組織した国家権力機関及び上級人民検察院に対して責任を負う。

第一三四条

1 いずれの民族公民も、全て自民族の言語・文字を用いて訴訟を行う権利を有する。人民法院及び人民検察院は、現地で通用する言語・文字に通じない訴訟関係人に対し、翻訳しなければならない。

2 少数民族が集居し、又はいくつかの民族が共同居住する地区においては、現地で通用する言語を用いて審理を行い、また、起訴状、判決書、布告その他の文書は、実際の必要に応じて、現地で通用する一種又は数種の文字を使用する。

 本条は、多民族国家における多言語主義を司法手続きにも及ぼす規定である。これも、旧ソ連憲法に類似の規定が存在した。

第一三五条

人民法院、人民検察院及び公安機関は、刑事事件を処理するに当たって、責任を分担し、相互に協力し、互いに制約しあって、法律の的確で効果的な執行を保障しなければならない。

 裁判‐検察‐警察の三大法執行機関の責任分担、相互協力、相互牽制に関する規定である。法治国家を支える規定と言えるが、公正さよりも法確証に比重を置く形式的法治国家の理念に基づいている。

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解釈改安保

2015-04-29 | 時評

安倍首相の訪米・首脳会談を機に、日米安保条約のガイドラインが三度目の改定となった。その目玉は日本の対米軍事協力の地理的制約が撤廃されたこと。これによって、日本自衛隊は地球の果てまで米軍の後をついて駆け巡ることも可能となる。

この安保条約ガイドラインは、もともと全文わずか10か条にとどまる安保条約の具体的な解釈運用の指針を定めたもので、実質上は条約本体に匹敵する重要性を持つ付属法文書である。

よって、本来なら条約本体に準じて国会で審議し、批准承認の対象とすべきものだが、政府は形式論に立ち、ガイドラインを単なる政策文書に過ぎないとして、日米政府間の合意だけで改廃できるという扱いをしてきた。

冷戦後期の1978年に制定されたガイドライン自体が日米安保を日米共同安保―実質は対米従属安保―に転換させる契機となったのではあるが、それでも第一版では憲法9条に配慮し、日本の軍事的役割はまだ謙抑的に規定されていた。

それが冷戦終結後の97年の改定で「周辺事態」の概念が登場し、日本防衛目的を逸脱した自衛隊の出動が可能となった。それからおよそ20年を経ての今般改定では「周辺」の地理的限定も撤廃され、地球全域での「重要影響事態」にまで拡大される。事実上無制限の軍事協力体制である。

※ただし、「重要影響事態」とは、「我が国の平和と安全に重要な影響を与える事態」と定義されているので、そのような影響が及ぶのは、日本とも地理的に近いエリアで発生する「事態」におのずと限られるはずである。

ここに至り、憲法9条を超越しながらも辛うじて9条を尊重はしてきた日米安保条約の解釈による全面改訂が成ったことになる。集団的自衛権の解禁が「解釈改憲」なら、地球全域安保は「解釈改安保」と呼び得る大改定である。

このような国民の命運に関わる大改定を国会で審議せず、政府間協議だけで処理するのは、9条のみならず、議会制も放棄するに等しいことである。

今般改定でガイドラインはほぼ20年周期で改定されることがほぼ慣習となったので、次期改定はおおむね2030年代と予測される。そこでは、軍事協力の範囲が地球の果てから宇宙の果てに拡大され、協力内容も戦闘参加にまで及んでいるであろう。

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スウェーデン憲法読解(連載最終回)

2015-04-25 | 〆スウェーデン憲法読解

第一五章 戦争及び戦争危機(続き)

占領下の事態

第九条

1 議会又は政府は、被占領地域において決定を行ってはならない。また、当該地域においては、議員又は大臣としての資格において有する権限は行使してはならない。

2 各公的機関は、被占領地域において、防衛の努力及び抵抗運動並びに市民の保護及びその他スウェーデンの利益一般に資する最善の策を講じるように行動する。いかなる場合においても、公的機関は、国際法に反して、占領権力を援助するよう国民に対して義務を課す決定を行い、又は措置を講じてはならない。

3 議会又は自治体の議決権を有する議会のための選挙は、被占領地域で実施されてはならない。

 「武装中立」ということは、外国に依存せず、単独で防衛しなければならないということを意味するから、場合によっては自国軍だけでは防衛し切れず、外国軍に占領される事態もあり得るという厳しい現実に置かれる。そうした占領下を想定した規定が本条であり、スウェーデン憲法の現実主義の真骨頂とも言える。
 規定されているのは、ひとことで言えば「抵抗」であり、占領権力に対する一切の非協力が定められている。ただ、占領権力が圧倒的である場合、抵抗を続ければ「玉砕」することもあり得る。本条はそこまでの事態を示唆するものではなかろうが、いささか気になる点ではある。

国家元首

第一〇条

国が戦争状態にある場合には、国家元首は、政府に同行しなければならない。国家元首が被占領地域にいる場合又は政府とは別の場所にいる場合には、国家元首は、国家元首としての任務の遂行に対する支障があるとみなされる。

 戦時における国家元首(通常は王)の政府同行義務である。国家元首が政府から分断されることは国家の崩壊を意味するため、そうした事態を防止する趣旨である。ただし、国家元首がすでに政府から分断されているときは、元首に支障ありとみなされ、第五章第四条に基づいて臨時の摂政が置かれることになる。

議会の選挙

第一一条

1 国が戦争状態にある場合には、議会の選挙は、議会の議決の後にのみ実施される。国が戦争危機にある場合で、通常選挙が実施されるべき場合には、議会は、当該選挙を延期する議決を行うことができる。当該議決は、一年以内に再審議され、その後最長でも一年の間隔で再審議されなければならない。この項に規定する議決は、議員の四分の三以上が賛成票を投じる場合にのみ効力を有する。

2 国が一部占領されている場合で、選挙が実施されるべきときは、第三章の規定に必要な改変を議決する。ただし、第三章第一条、第四条、第五条、第七条から第九条まで及び第一二条の規定については、例外を設けてはならない。第三章第五条、第七条第二項及び第八条第二項の規定にいう国とは、選挙が実施されるべき国の部分と読み替えて適用されなければならない。議席の一〇分の一以上は調整議席でなければならない。

3 第一項の規定の結果として、定められた期間実施されない通常選挙は、戦争又は戦争危機が終了した後、可能な限り速やかに実施されなければならない。

4 この条の規定の結果、通常選挙が通常であれば実施されたであろう時期とは別の時期に実施された場合には、議会は、議会法の規定に従い実施しなければならないその通常選挙の後、四年目又は五年目の年の月に次の通常選挙の時期を設定しなければならない。

 戦時又は一部占領下における議会選挙の特例である。そうした場合でも、可能な限り議会選挙を実施しつつ、選挙の延期や必要な修正を柔軟に認める実際的な規定である。ただし、国が一部占領下にあっても、選挙の基本原則や比例代表選挙の方法などは維持される。

自治体の議決権

第一二条

国が戦争状態若しくは戦争危機にある場合又は国が置かれている戦争状態若しくは戦争危機により引き起こされる非常事態が存在する場合には、自治体における議決権は、法律の定める方法により行使される。

 戦時における地方議会の議決権の行使方法に関しては、あげて立法政策に委ねられている。

国の防衛

第一三条

1 政府は、国に対する武力による攻撃に対抗し、又は国の領域の侵害を回避するために、国際法に従い、国の防衛軍を配備することができる。

2 政府は、国防軍に対し、平時又は外国間の戦争時において国の領域の侵害を回避するために、国際法に従い、武力を行使することを指示することができる。

 国防軍の保持と武力行使に関する条項が本章後半に位置することは意味深長であり、要するに武力行使を最後の手段ととらえているためであろう。
 ちなみに、自国が当事国とならない外国間の戦争時でも武力行使を可能としているのは、大陸国家スウェーデンでは周辺国間の戦争の巻き添えになる危険が高いことを考慮してのことと考えられる。

戦争状態の宣言

第一四条

国に対する武力による攻撃の際を除き、国が戦争状態にあるとの宣言は、議会の承認なしに政府が行ってはならない。

 戦争宣言は原則として議会の承認の下に政府が行う。ただし、武力攻撃を受けて自衛戦争を発動する場合は、政府単独で宣言できるというように柔軟化されている。とはいえ、侵略戦争は認められないため、議会の承認を要する戦争宣言とは前条でいう外国間の戦争時くらいであろう。

休戦

第一五条

休戦に関する条約の遅延が国に対する危機をもたらす場合には、政府は、議会の承認を得ることなしに、かつ、外交評議会と協議することなしに、当該条約を締結することができる。

 条約の締結は原則として議会(代替的に外交評議会)の承認を要するが、休戦条約の迅速な締結が国益にかなう場合は、政府単独で締結できるという実際的な規定である。

軍隊の出動

第一六条

1 政府は、議会により承認された国際的義務を履行するために外国にスウェーデンの武装した軍隊を派遣し、又はその他の方法で当該軍隊を派遣することができる。

2 その他、スウェーデンの武装した軍隊を次の各号に定める場合に外国に派遣し、又は出動させることができる。

一 当該措置のための条件を定める法律により許可されている場合

二 議会が特に許可した場合

 「武装中立」を国是としつつも、国際社会の要請にも答え、自国軍隊を海外派遣する場合を定めた規定であり、ここにもスウェーデン式現実主義が見て取れる。
 ただし、第二項第二号は議会の許可という手続的条件のみで軍隊の海外派遣を可能とするもので、事実上の侵略行動に道を開かないか、懸念がある。スウェーデン憲法全条項中で最もイエローカードの規定と言えよう。

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スウェーデン憲法読解(連載第27回)

2015-04-24 | 〆スウェーデン憲法読解

第一五章 戦争及び戦争危機

 スウェーデン憲法最終章は、戦時法制に関する規定である。日本の改憲論者が垂涎し、護憲論者は昏倒しそうなきわどい内容の規定が並んでいる。しかし、誤解してならないのは、スウェーデンは「武装中立」が歴史的な国是であること、また戦時法制を法律に白紙委任するのではなく、憲法に詳細な規定を置くことで、戦時にも憲法統制を維持しようとしていることである。憲法によって国家権力を拘束するという立憲主義の原理は戦時にも貫徹されているのである。

議会の招集

第一条

国が戦争状態又は戦争危機に陥った場合には、政府又は議長は、集会するために議会を招集しなければならない。招集を行った者は、ストックホルム以外の場所で集会すべきことを決定することができる。

 本章後半の第一四条にあるように、戦争状態の宣言は原則として議会の承認に基づくため、戦争状態又は戦争危機の際には(以下、両者併せて「戦時」という場合がある)、まず議会が招集される。ただし、招集場所は首都以外でもよいとし、柔軟な移動議会制を採る。戦時法制の章の筆頭に、軍隊の規定ではなく、議会招集の規定が置かれていることは、スウェーデンの議会中心主義を象徴していると言える。

戦争委員会

第二条

1 国が戦争状態又は戦争危機にある場合で、状況により必要があるときは、議会内部から選出された戦争委員会が議会を代行しなければならない。

2 国が戦争状態にある場合、戦争委員会が議会を代行する旨の決定は、議会法の細則に基づき、外交評議会の委員により行われる。可能な場合には、当該決定が行われる前に、総理大臣との協議が行うべきものとする。戦争状態により評議会の委員が集会することに支障がある場合には、決定は政府により行われる。国が戦争危機にある場合には、第一文の決定は、総理大臣を加えた外交評議会の委員により行われる。当該決定には、総理大臣及び評議会の六名の委員が賛成票を投じることを要する。

3 戦争委員会及び政府は、合意して、又は個別に、議会がその権限を回復すべき旨を決定することができる。当該決定は、状況が許す限り、速やかに行われなければならない。

4 戦争委員会の構成に関する規定は、議会法で定める。

 戦争委員会は、戦時における議会代行機関である。戦時には、議会政治を一時的に停止するという非常事態制度である。ここにも、スウェーデンの現実主義が表れている。
 ただし、戦争委員会は国家安全保障会議のような議会外機関ではなく、議会の内部選出機関であり、その設置は原則として政府の一存で決定できず、議会の外交統制機関である外交評議会の権限とされる限りで、議会主義にも忠実である。

第三条

1 戦争委員会が議会を代行している期間は、委員会は、議会の権限を行使する。ただし、第一一条第一項第一文、第二項又は第四項の決定を行うことはできない。

2 戦争委員会は、その活動形態を独自に決定する。

 戦争委員会は議会の代行機関ではあるが、本章後半の第一一条に規定される戦時議会選挙に関する権限は制限される。

政府の権限

第五条

1 国が戦争状態にあり、その結果として、議会又は戦争委員会のいずれもその任務を遂行できない場合には、政府は、国を防衛し、戦争を終結させるために必要な範囲内で、当該任務を遂行することができる。

2 政府は、第一項の規定により、基本法、議会法又は議会選挙法を制定し、改正し、又は廃止してはならない。

 議会も戦争委員会も任務を果たせないほどに激戦となっている場合は、一時的に政府に権力を集中することを認める最高レベル緊急事態の規定である。しかし、言わば戦時のどさくさに紛れて政府が憲法やそれに準じる議会関係法を改廃することを許さないのが、第二項である。

第六条

1 国が戦争状態若しくは戦争危機にある場合又は戦争状態若しくは戦争危機により引き起こされた非常事態が存在する場合には、通常であれば基本法に基づき法律で定める一定の問題について、政府は法律の授権に基づき、命令により、法令を制定することができる。防衛の準備の観点から必要である場合には、政府は、他の場合においても、法律により定められた徴用、徴発又はその種の他の処分が適用を開始し、又は終了すべき旨を法律の授権に基づき、命令で定めることができる。

2 前項の授権を含む法律においては、いかなる条件の下で当該授権を利用することができるか厳密に定めなければならない。当該授権により、基本法、議会法又は議会選挙法を制定し、改正し、又は廃止する権限が付与されることはない。

 戦時の緊急命令に関する規定である。第一項第二文は戦時動員令に関する定めである。いずれも、厳格な法律の授権に基づく委任命令でなければならず、政府の独断による独立命令は認められない。また、ここでも前条と同様、憲法やそれに準じる法律の改廃は許されない。

自由及び権利の制限

第七条

国が戦争状態又は差し迫った戦争危機にある場合には、第二章第二二条第一項の規定は適用されない。戦争委員会が議会を代行している場合も同様とする。

 戦時における人権制限の規定である。とはいえ、ここで規定されているのは人権制限法案に対する議会審議の保留期間の適用除外であり、戦時に人権そのものを広く制約できるという規定ではないことに留意が必要である。

政府以外の機関のための権限

第八条

国が戦争状態又は差し迫った戦争危機にある場合には、政府は、基本法に従い政府により遂行されるべき任務を他の機関が代行して遂行すべきことを、議会の授権に基づき、決定することができる。当該授権は、ある一定の問題に関する法律の施行のみが問題となっているのでない場合には、第五条又は第六条の規定に基づく権限にまで及んではならない。

 戦時における政府権限の他機関への委譲に関する規定である。だたし、政府による議会・戦争委員会代行権限や緊急命令の権限を委譲することは、特定法律の施行問題の場合を除き、認められない。

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晩期資本論(連載第41回)

2015-04-23 | 〆晩期資本論

九 資本の再生産(3)

・・・・・・単純再生産の場合にも、そこでは言葉の本来の意味での蓄積すなわち拡大された規模での再生産は排除されているとはいえ、貨幣の積立てまたは貨幣蓄蔵は必然的に含まれているということである。そして、これは毎年新たに繰り返されるのだから、これによって、資本主義的生産を考察するときに出発点となる前提、すなわち、再生産の始まるときに商品転換に対応する量の貨幣手段が資本家階級ⅠとⅡの手中にあるという前提は、説明がつくわけである。

 現実の資本主義生産体制は理論モデル的な単純再生産ではなく、拡大再生産によって存続しているわけだが、単純再生産にあっても、貨幣の積立てにより手元資金が維持されていなければ持続しない。単純再生産と拡大再生産とをつなぐものが、貨幣蓄蔵である。個別資本が利益の内部留保に精を出すゆえんである。

・・・現実の蓄積、生産の拡大が行なわれるようになるまでには、もっとずっと長い期間にわたる剰余価値の貨幣への転化とこの貨幣の積立てとが必要だということもありうる。

 個別資本における蓄積のメカニズムは第一巻で扱われたが、「個別資本の場合に現われることは、年間総再生産でも現われざるをえないのであって、それは、ちょうど、われわれが単純再生産の考察で見たように、個別資本の場合にその消費された固定成分が積立金として次々に沈殿していくということが年間の社会的再生産でも現われるのと同様である」。

 マルクスが例として掲げる最も初歩的な再生産表式は次のとおりである(貨幣単位は省略)。

A 単純再生産の出発表式
Ⅰ 4000c+1000v+1000m=6000
Ⅱ 2000c+500v+500m=3000
:合計=9000

B 拡大再生産の出発表式
Ⅰ 4000c+1000v+1000m=6000
Ⅱ 1500c+750v+750m=3000
:合計=9000

 ここで問題とするのはB表式であるが、仮に部門Ⅰの剰余価値の半分500mが蓄積に回るとすると、単純再生産法則Ⅰ(v+m)=Ⅱcに従い、上例どおり(1000v+500m)Ⅰ=1500(v+m)=1500Ⅱcとなる。
 さらに蓄積された500mのうち、400が不変資本に、残り100は可変資本に転化すると仮定すると、Ⅰの表式は次のように変化する。

Ⅰ (4000+400)c+(1000+100)v+(1000-500)m=6000

 次いで部門Ⅱでは、蓄積の目的で部門Ⅰから100Ⅰm(生産手段)を購入し、貨幣100を支払う。この代金100はⅠの表式で可変資本vに追加され、上記表式が4400c+1100(1000+100)vに変化する。
 他方、部門Ⅱの側では部門Ⅰから購入した生産手段により不変資本に100が追加されるが、これを処理するのに必要な新たな労働力の買い入れに50vを投入する。この不変・可変資本の増量分合計150はⅡの剰余価値から支出される。すると、上記Ⅱの表式は次のように変化する。

Ⅱ (1500+100)c+(750+50)v+(750-150)m=3000

 この新たな基礎のうえで現実の生産活動が行なわれるとすると、次年度末には次のようになる。

Ⅰ´ 4400c+1100v+1100m=6600
Ⅱ´ 1600c+800v+800m=3200
:合計=9800

 こうして初年度9000の社会的総生産が9800に増大した。マルクスは爾後、5年間に均等な率で拡大再生産が繰り返されて、最終的に総生産合計14348にまで達する過程を詳しく記述しているが、ここでは割愛する。

 さらに進んで、マルクスは資本主義的生産が発展し、可変資本と不変資本の割合が1:5に高度化した場合を想定して検討を加えてもいるが、いずれにしろ、マルクスの数式では生産手段生産部門である部門Ⅰを基軸とし、大規模な蓄積を実現するⅠが消費手段生産部門である部門Ⅱの蓄積の帰趨を決定付けるという構造が前提となっている。
 しかし大量消費社会である現代資本主義では部門Ⅱの領域が拡大し、部門Ⅱの蓄積動向が経済成長の指標となるような構造に変化しており、マルクスとは逆にⅡを基軸とする新たな修正表式が必要かもしれない。

☆中括☆
以上、七乃至九では、『資本論』第二巻を構成する第一篇「資本の諸変態とその循環」、第二篇「資本の回転」、第三篇「社会的総資本の再生産と流通」に各々沿って、個別資本及び社会的総資本の流通過程を見たが、再生産表式論で知られる本巻は『資本論』全巻中で最も経済原論的な性格が強い難解な巻であり、その晩期資本主義に即した読解は容易でなく、本連載でも十分には展開できなかった。

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晩期資本論(連載第40回)

2015-04-22 | 〆晩期資本論

九 資本の再生産(2)

 再生産表式論を展開するに当たり、マルクスはまず「与えられた価値の社会的資本は、今年も去年と同じに再び同じ量の商品価値を供給し同じ量の必要を満たす」という想定の単純再生産を例に取る。しかしマルクス自身断っているとおり、「一方では、蓄積または拡大された規模での再生産がまったく行なわれないということは資本主義的基礎の上では奇妙な仮定であり、他方では、生産がそのもとで行なわれる諸関係がどの年にも絶対に変わらないというようなことはない」。
 とはいえ、「蓄積が行なわれるかぎりでは、単純再生産ははつねにその一部分をなしており、したがってそれ自体として考察されることができるのであり、蓄積の現実の要因なのである。」として、単純再生産の事例を原理的なモデルケースとして、考察が進められる。その際、以下の「三つの大きな支点」が検討される(以下、部門Ⅰ、Ⅱの意味は前回記事を参照)。

両部門間の転換 Ⅰ(v+m)=Ⅱc

 簡単に言えば、部門Ⅰの資本家が、その生産物のv部分を成す労賃を労働者に支払い、Ⅰの労働者はそれでもって部門Ⅱの資本家から消費手段を購入する。部門Ⅱの資本家はその対価で部門Ⅰの資本家から同額価値相当の生産手段を購入する。これにより、部門Ⅰの資本家のもとに最初に支出したvが還流してくるので、結果として、Ⅰのv+mはⅡのcと等価である。
 この理は、単純再生産にあっては当該年度に消費された生産手段はその生産手段で生産された年間生産物で補填されていかねばならないという一般法則に帰着するが、拡大再生産を軸とする資本主義体制では本来想定できないことである。

部門Ⅱのなかでの転換 必要生活手段と奢侈手段 

 Ⅱ(v+m)の帰趨の件である。簡単に言えば、部門Ⅱの資本家がその労働者に労賃として支払うvで労働者はⅡの生産物である消費手段(必要生活手段)を購入する。言わば、労働者による自身の生産物の買戻しである。結果、vがⅡの資本家に還流する。
 ここで、Ⅱmの部分の帰趨も問題となるが、マルクスはこの部分をⅡの資本家自身による奢侈消費手段に消費されると想定することで、解決している。しかし、晩期資本主義では一定貯蓄を持つ労働者も奢侈傾向を帯びており―その限りで、マルクスが部門Ⅱに設けた必要生活手段と奢侈手段の亜部門の差は相対化されている―、労働者にも一定還流していると言えるだろう。このことは、mを生み出しているところの搾取に対する労働者の意識を鈍らす要因となっている。

部門Ⅰの不変資本

 「不変資本Ⅰは、製鉄所にいくら、炭鉱にいくらというようにさまざまな生産手段生産部門に投下されているさまざまな資本群の一団として存在する」。そして、部門Ⅰの内部で流通する。これはある意味堂々巡りの流通である。「資本家階級Ⅰは、生産手段を生産する資本家の全体を包括している。」とも言われるように、部門Ⅰはいわゆる基幹産業部門でもあり、資本主義体制下でもこの部門が一部国有化されることがある。
 「仮に生産が資本主義的でなく社会的であるとしても、明らかに部門Ⅰのこれらの生産物はこの部門のいろいろな生産部門のあいだに、再生産のために、同様に絶えず再び生産手段として分配され、一部分は、直接に、自分が生産物として出てきた生産部面にとどまり、反対に他の一部分は他の生産場所に遠ざけられ、こうしてこの部門のいろいろな生産場所のあいだに絶えず行ったり来たりが行なわれることになるであろう」。こうして、部門Ⅰは資本主義・共産主義両様式に共通する再生産構造を持っている。

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晩期資本論(連載第39回)

2015-04-21 | 〆晩期資本論

九 資本の再生産(1)

資本の再生産過程は、この(資本の)直接的な生産過程とともに本来の流通過程の両段階をも包含している。すなわち、周期的な過程━一定の周期で絶えず新たに繰り返される過程━として資本の回転を形成する総循環を包括している。

 『資本論』第二巻の最後は、資本の再生産の構造論で締めくくられる。復習すると、再生産が包含する「資本の直接的な生産過程は、資本の労働・価値増殖過程であって、この過程の結果は商品生産物であり、その決定的な動機は剰余価値の生産である」。

社会的総資本の運動は、それの独立化された諸断片の諸運動の総体すなわち個別的諸資本の諸回転の総体から成っている。個々の商品の変態が商品世界の諸変態の列━商品流通━の一環であるように、個別資本の変態、その回転は、社会的資本の循環のなかの一環なのである。

 マルクスがここで分析しようとしているのは、個別資本の再生産過程ではなく、個別資本の総計としての社会的総資本の再生産と流通過程である。ここから、マルクスは古典派経済学が一蹴したケネーの経済表にヒントを得た独自の再生産表式を導く。

・・・・・この社会的資本の一年間の機能をその結果において考察するならば、すなわち、社会が一年間に供給する商品生産物を考察するならば、社会的資本の再生産過程はどのように行なわれるのか、どんな性格がこの再生産過程を個別資本の再生産過程から区別するのか、そしてどんな性格がこれらの両方に共通なのか、が明らかになるにちがいない。

 言い換えれば、「生産中に消費される資本はどのようにしてその価値を年間生産物によって補填されるか、また、この補填の運動は資本家による剰余価値の消費および労働者による労賃の消費とどのようにからみ合っているか」ということが、再生産表式の問題提起となる。

社会の総生産物は、したがってまた総生産も、次のような二つの大きな部門に分かれる。
Ⅰ 生産手段。生産的消費にはいるよりほかはないかまたは少なくともはいることのできる形態をもっている諸商品
Ⅱ 消費手段。資本家階級および労働者階級の個人的消費にはいる形態をもっている諸商品。
これらの部門のそれぞれのなかで、それに属するいろいろな生産部門の全体が単一の大きな生産部門をなしている。すなわち、一方は生産手段の生産部門を、他方は消費手段の生産部門をなしている。

 ここで、マルクスは再生産表式分析の基本視座となる産業構成の二大部門を提示している。この視座は、資本主義のみならず、共産主義を含むあらゆる生産様式について妥当する普遍性を持つ。

それぞれの部門で資本は次の二つの成分に分かれる。
(1)可変資本。これは、価値から見れば、この生産部門で充用される社会的労働力の価値に等しく、したがってそれに支払われる労賃の総額に等しい。素材から見れば、それは、活動している労働力そのものから成っている。すなわち、この資本価値によって動かされる生きている労働力から成っている。
(2)不変資本。すなわち、生産部門での生産に充用されるいっさいの生産手段の価値。この生産手段は、さらにまた、固定資本、すなわち機械や工具や建物や役畜などと、流動不変資本、すなわち原料や補助材料や半製品などのような生産材料とに分かれる。

 可変資本と不変資本の区別は、以前の復習である。「つまり、各個の商品の価値と同じに、各部門の年間総生産物の価値もc(不変資本)+v(可変資本)+m(剰余価値)に分かれるのである」。再生産表式論とは、煎じ詰めれば上記二大産業部門間でのc、v、m三要素のインプットとアウトプットの法則を構造的に明らかにすることである。

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リベラリストとの対話―「自由な共産主義」をめぐって―(18)

2015-04-19 | 〆リベラリストとの対話

16:完全自由労働制について④

リベラリスト:あなたは『共産論』の中で、「資本主義世界の男性が狂奔してきた貨幣獲得‐利潤追求という大目標が完全に消失する共産主義社会にあっては、企業活動に対する男性の意識の持ち方も変容し、企業活動とは別のところに自己の道を見出そうとする男性が増えるかもしれない。このような男性的価値観の転換は、社会的地位における男女格差を解消する可能性を促進すると考えられる。」と述べられています。暗唱したくなるほどの名調子ですが、内容的にはいささか疑問を抱いています。

コミュニスト:つまり共産主義社会にあっても、男性の意識は変わらず、社会的地位における男女格差は解消されないだろうということですか。

リベラリスト:男性の意識以上に、女性の意識がある意味「変わる」のではないか。あなたが想定する完全自由労働制は貨幣経済の廃止の上に成り立つわけですから、働いて生活費を稼ぐという習慣はなくなります。となると、女性たちも生活のため無理に働くこともないので、主婦として家庭に入る道を選ぶ人が再び増大するのではないかと思うのです。

コミュニスト:そうだとすると、資本主義社会の女性たちは本当は主婦志望なのに生活の必要上やむを得ず渋々と就労していることになりますが、果たしてどうでしょうか。そういう人もいるのでしょうが、多くの人は、働くこと自体の喜びや生き甲斐を求めていると推察します。

リベラリスト:この問題は結局、以前議論した無報酬の完全自由労働というものが果たして成り立つのかという問題に帰着するでしょう。労働と消費が分離されて、一切働かなくとも生活できるという夢の社会になれば、最悪の場合、老若男女みんなして労働から引いてしまい、決定的な労働力不足に陥りかねないわけです。

コミュニスト:それでは議論が振り出しに戻ることになります。あなたに引用していただいた箇所で私が主張しているのは、さしあたり貨幣経済の廃止が男性の「企業戦士」的な価値観を転換する可能性です。

リベラリスト:はい。たしかに、貨幣経済が廃止され、労働して金を稼ぐという慣習が消滅すれば、「企業戦士」はいなくなるでしょうし、彼らの「銃後」を内助の功で支える「家内」もいなくなるでしょう。ですが、それによって、あなたが想定するように婚姻家族制自体も変容・消滅して、夫/妻という役割規定すら消失するというのは、いささか飛躍があるように思えるのです。

コミュニスト:たしかに、労働形態の問題を家族形態の問題に関連付けたのは、少し性急だったかもしれません。あなたが悲観されるように、共産主義社会下でも「男=夫は仕事、女=妻は家事」というような古い婚姻家族モデルが根絶されない可能性はあるでしょう。ですが、私はもう少し楽観的な予測を持っています。

リベラリスト:すると、「21世紀の共産主義革命」においては、フェミニストの「女性戦士」が鍵を握っているということですか。

コミュニスト:21世紀中に革命が起きるかどうかについては、より慎重な見通しを持っておりますが、労働をめぐる価値観の転換は女性のみならず、男性も含めたすべての人の思考回路に革命が起きないと、なかなか根本的には進まず、空しいスローガンだけの“男女平等”に終わってしまうだろうとは言えます。

※本記事は、架空の対談によって構成されています。

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中国憲法評解(連載第16回)

2015-04-17 | 〆中国憲法評解

第三章 国家機構

第六節 民族自治地域の自治機関

第一一二条

民族自治地域における自治機関は、自治区、自治州及び自治県の人民代表大会及び人民政府である

 本節は、少数民族の自治制度を規定している。これも前節が規定する地方制度の一種ではあるが、少数民族自治を保障する建前から、別途規定されている。その基本構制はやはり人民代表大会と人民政府の組み合わせにより、その職権も一般的な地人代・人民政府のそれに準じるが、いくつかの点で、民族自治地域に固有の自治権が認められている(第一一五条)。
 少数民族問題は、チベット、ウイグル問題に象徴されるように、中国統治のアキレス腱であり、安定のためには民族自治の強化が重要な課題となるだろう。

第一一三条

1 自治区、自治州及び自治県の人民代表大会においては、区域自治を実施する民族の代表のほか、その行政区域内に居住するその他の民族も、適当な数の代表を持つべきである。

2 自治区、自治州及び自治県の人民代表大会常務委員会においては、区域自治を実施する民族の公民が主任又は副主任を担当すべきである。

 自治機関の長に少数民族公民を充てることを求める本条第二項と次条は、人事面から民族自治を担保しようとするものだが、実際上は自治区域ごとに置かれた共産党の地方組織が優位にあり、その長には漢族が充てられることが多いため、民族自治の人事的保障は多くの場合、形骸化していると見られる。

第一一四条

自治区主席、自治州州長及び自治県県長は、区域自治を実施する民族の公民がこれを担当する。

第一一五条

自治区、自治州及び自治県の自治機関は、この憲法第三章第五節の定める地方国家機関の職権を行使するとともに、この憲法、民族区域自治法その他の法律の定める権限に基づいて自治権を行使し、その地域の実際の状況に即して国家の法律及び政策を貫徹する。

第一一六条

民族自治地域の人民代表大会は、その地域の民族の自治、経済及び文化の特徴にあわせて、自治条例及び単行条例を制定する権限を有する。自治区の自治条例及び単行条例は、全国人民代表大会常務委員会に報告して、その承認を得た後に効力を生ずる。自治州及び自治県の自治条例及び単行条例は、省又は自治区の人民代表大会常務委員会に報告して、その承認を得た後に効力を生じ、かつ、これを全国人民代表大会常務委員会に報告して記録にとどめる。

 一般の地方制度との相違として、本条では民族自治地域の憲法に相当する自治条例の制定権が認められている。

第一一七条

民族自治地域の自治機関は、地域財政を管理する自治権を有する。およそ国家の財政制度によって民族自治地域に属するものとされた財政収入は、すべて民族自治地域の自治機関が自主的に調整して、これを使用する。

 本条及び次条は、民族自治の具体化として、財政自治権と一定の経済自主権が特に規定している。

第一一八条

1 民族自治地域の自治機関は、国家計画を指針として、地域的な経済建設事業を自主的に調整し、管理する。

2 国家は、民族自治地域で資源の開発及び企業の建設を行う場合は、民族自治地域の利益に配慮を加える。

第一一九条

民族自治地域の自治機関は、それぞれの地域の教育、科学、文化、医療衛生及び体育の各事業を自主的に管理し、民族的文化遺産を保護し、及び整理し、並びに民族文化を発展させ、及び繁栄させる。

 本条は、教育・文化政策における自主権を規定している。少数民族固有の文化を保護する趣旨である。

第一二〇条

民族自治地域の自治機関は、国家の軍事制度及び現地の実際の必要に基づき、国務院の承認を得て、その地域の社会治安を維持する公安部隊を組織することができる。

 本条は言わば警察自主権の規定であるが、独自公安部隊の組織化には国務院の承認という縛りがある。

第一二一条

民族自治地域の自治機関が職務を執行する場合には、その民族自治地域の自治条例の定めるところにより、現地で通用する一種又は数種の言語・文字を使用する。

 本条は、少数民族言語を区域公用語として使用する言語自主権の規定である。これにより、民族言語の使用を封じる言語抹殺政策は禁じられることになる。

第一二二条

1 国家は、財政、物資、技術その他の各面から少数民族に援助を与えて、その経済建設及び文化建設の事業を速やかに発展させる。

2 国家は、民族自治地域に援助を与えて、現地民族の中から各級幹部、各種専門分野の人材及び技術労働者を大量に育成する。

 本条で明かされるように、民族自治も究極のところで国家の援助に依存しているため、自立的発展には限界が設定されている。裏読みすれば、本条は「援助」を通じた民族独立の阻止条項とも言えるだろう。

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中国憲法評解(連載第15回)

2015-04-16 | 〆中国憲法評解

第三章 国家機構

第五節 地方各級人民代表大会及び地方各級人民政府

第九五条

1 省、直轄市、県、市、市管轄区、郷及び鎮に、人民代表大会及び人民政府を置く。

2 地方各級人民代表大会及び地方各級人民政府の組織は、法律でこれを定める。

3 自治区、自治州及び自治県に、自治機関を置く。自治機関の組織及び活動は、この憲法第三章第五節及び第六節の定める基本原則に基づき、法律でこれを定める。

 本節は、地方制度に関する細目を規定している。中国の地方制度は完全な地方自治制ではなく、中央集権を前提とした相対的分権制である。さらに憲法には直接規定されないが、地方には各級ごとに共産党地方組織が置かれており、一党支配体制が地方的にも貫徹されている。ただ、中国の広大な領土と巨大人口を集権的に統治することには無理があり、今後は地方自治制への漸次移行が課題となるだろう。
 人民代表大会と人民政府という組み合わせは、中央の全人代と国務院の組み合わせの縮小形である。これもソヴィエト制に沿革を持つが、現在では諸国の地方議会・地方政庁に近いものになっている。なお、本条第三項にいう自治機関の詳細は次の第六節に定められている。

第九六条

1 地方各級人民代表大会は、地方の国家権力機関である。

2 県級以上の地方各級人民代表大会に、常務委員会を置く。

 本条から第一〇四条までは、地方人民代表大会(地人代)の選挙方法や任期、権限等に関する規定である。民主集中制に基づくその基本構制は全人代にほぼ準じているが、幹部会に相当する常務委員会は県級以上の地人代にのみ置かれる。

第九七条

1 省、直轄市及び区を設けている市の人民代表大会代表は、一級下の人民代表大会がこれを選挙する。県、区を設けていない市、市管轄区、郷、民族郷及び鎮の人民代表大会代表は、選挙民が直接に、これを選挙する。

2 地方各級人民代表大会代表の定数及びその選出方法は、法律でこれを定める。

 県級以下の地人代の代表(代議員)に関しては、選挙民による直接選挙が保障されているが、一党支配の下では出来レースである。

第九八条

地方各級の人民代表大会の毎期の任期は五年とする。

第九九条

1 地方各級人民代表大会は、その行政区域内において、この憲法、法律及び行政法規の遵守及び執行を保障し、法律の定める権限に基づいて、決議を採択・発布し、地方の経済建設、文化建設及び公共事業建設についての計画を審査し、決定する。

2 県級以上の地方各級人民代表大会は、その行政区域内における国民経済・社会発展計画及び予算並びにそれらの執行状況についての報告を審査承認し、同級の人民代表大会常務委員会の不適当な決定を改め、又はこれを取り消す権限を有する。

3 民族郷の人民代表大会は、法律の定める権限に基づいて、民族の特徴にかなった具体的措置をとることができる。

第一〇〇条

省及び直轄市の人民代表大会並びにその常務委員会は、この憲法、法律及び行政法規に抵触しないことを前提として、地方的法規を制定することができる。地方的法規は、これを全国人民代表大会常務委員会に報告して記録にとどめなければならない。

第一〇一条

1 地方各級人民代表大会は、それぞれ同級の人民政府の省長及び副省長、市長及び副市長、県長及び副県長、区長及び副区長、郷長及び副郷長並びに鎮長及び副鎮長を選挙し、かつ、これを罷免する権限を有する。

2 県級以上の地方各級人民代表大会は、同級の人民法院院長及び人民検察院検察長を選挙し、かつ、これを罷免する権限を有する。人民検察院検察長の選出又は罷免は、上級人民検察院検察長に報告して、その級の人民代表大会常務委員会の承認を求めなければならない。

第一〇二条

1 省、直轄市及び区を設けている市の人民代表大会代表は、選挙母体の監督を受ける。省、区を設けていない市、市管轄区、郷、民族郷及び鎮の人民代表大会代表は、選挙民の監督を受ける。

2 地方各級人民代表大会代表の選挙母体及び選挙民は、法律の定める手続きに従って、その選出した代表を罷免する権限を有する。

第一〇三条

1 県級以上の地方各級人民代表大会常務委員会は、主任、副主任若干名及び委員若干名をもって構成し、同級の人民代表大会に対して責任を負い、かつ、活動を報告する。

2 県級以上の地方各級人民代表大会は、同級人民代表大会常務委員会の構成員を選挙し、かつ、これを罷免する権限を有する。

3 県級以上の地方各級人民代表大会常務委員会の構成員は、国家の行政機関、裁判機関及び検察機関の職務に従事してはならない。

第一〇四条

県級以上の地方各級人民代表大会常務委員会は、その行政区域の各分野の活動の重要事項を討議決定し、同級の人民政府、人民法院及び人民検察院の活動を監督し、同級の人民政府の不適当な決定及び命令を取り消し、一級下の人民代表大会の不適当な決議を取り消し、法律の定める権限に基づいて国家機関の職員の任免を決定し、また、同級の人民代表大会閉会中の期間においては、一級上の人民代表大会の個々の代表を罷免し、及びこれを補充選挙する。

第一〇五条

1 地方各級人民政府は、地方の各級国家権力機関の執行機関であり、地方の各級国家行政機関である。

2 地方各級人民政府は、省庁、市長、県庁、区長、郷長及び鎮長の各責任制を実施する。

 本条から第一一〇条までは、地方人民政府に関する規定である。その任務は要するに各級地方行政ということに尽きるが、特に県級以上の人民政府には比較的広範な権限が与えられている(第一〇七条第一項、第一〇八条)。ただし、全地方人民政府は、究極的に中央人民政府である国務院に服従する(第一一〇条第二項第二文)。

第一〇六条

地方各級人民政府の毎期の任期は、同級の人民代表大会の毎期の任期と同一とする。

第一〇七条

1 県級以上の地方各級人民政府は、法律の定める権限に基づいて、その行政区域内における経済、教育、科学、文化、衛生、体育及び都市・農村建設の各事業並びに財政、民政、公安、民族事務、司法行政、監察、計画出産その他の行政活動を管理し、決定及び命令を発布し、行政職員の任免、研修、考課及び賞罰を行う。

2 郷、民族郷及び鎮の人民政府は、同級の人民代表大会の決議並びに上級の国家行政機関の決定及び命令を執行し、その行政区域内における行政活動を管理する。

3 省及び直轄市の人民政府は、郷、民族郷及び鎮の設置並びにその行政区画を決定する。

第一〇八条

県級以上の地方各級人民政府は、所属各部門及び下級人民政府の活動を指導し、所属各部門及び下級人民政府の不適当な決定を改め、又はこれを取り消す権限を有する。

第一〇九条

県級以上の地方各級人民政府に、会計検査機関を置く。地方の各級会計検査機関は、法律の定めるところにより、独立して会計検査監督権を行使し、同級の人民政府及び一級上の会計検査機関に対して責任を負う。

第一一〇条

1 地方各級人民政府は、同級の人民代表大会に対して責任を負い、かつ、活動を報告する。県級以上の地方各級人民政府は、同級の人民代表大会閉会中の機関においては、同級の人民代表大会常務委員会に対して責任を負い、かつ、活動を報告する。

2 地方各級人民政府は、一級上の国家行政機関に対して責任を負い、活動を報告する。全国の地方各級人民政府は、いずれも国務院の統一的指導の下にある国家行政機関であり、全て国務院に服従する。

第一一一条

1 都市及び農村で住民の居住区ごとに設置される住民委員会又は村民委員会は、基層の大衆的自治組織である。住民委員会及び村民委員会の主任、副主任及び委員は、住民がこれを選挙する。住民委員会及び村民委員会と基層政策との相互関係は法律でこれを定める。

2 住民委員会及び村民委員会は、人民調停、治安保衛、公衆衛生その他の各委員会を置いて、その居住区における公共事務及び公益事業を処理し、民間の紛争を調停し、社会治安の維持に協力し、人民政府に大衆の意見及び要求を反映し、並びに建議を提出する。

 住民委員会及び村民委員会は、最末端に位置する地区の大衆的自治組織と位置づけられている。この組織は一定の行政・経済機能まで備えており、かつての人民公社の名残を思わせる要素も見られる。この組織が真に自治的に機能すれば民主化に寄与するが、一党支配制の現状では末端の住民統制組織として機能している面が強いと見られる。

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メディア死亡元年

2015-04-15 | 時評

日本式の「新年度」も二週間を過ぎて、マスメディアの世界でも今年の流れが見えてきた。その傾向をひとことで言えば、メディア・クレンジング(media cleansing)である。すなわちマスメディアがある意味で「浄化」されてしまい、従来細々と保持されていた「権力監視」の役割を放棄してしまったということである。

特にテレビは深刻で、スイッチを入れれば、芸人の顔、顔、顔である。脇に追いやられている報道番組もニュース棒読み、もしくは論評抜きの「解説」のみ、選択されるニュースも当たり障りのない発表ものを各社横並びで―完全同時のことも―報じている状況である。

こうしたメディア・クレンジングは、戦前のような検閲制度の結果起きていることではない。検閲制度は、現在も憲法で明確に禁じられている。現今のメディア・クレンジングは、非公式の「圧力」とそれに呼応したメディアの「自主規制」によって起きている。

検閲制度は非民主的とはいえ、公式の行政処分として記録に残るが、非公式の圧力‐自主規制の場合は闇で行われ、記録に残らない。民主主義の看板の裏でこっそり行われるという点では、検閲制度よりもたちが悪い。

さらに深刻なのは、一般大衆もメディア・クレンジングの現状を受け入れる用意がすでにできていることである。かねてより、特に「視聴率」至上のテレビでは「真面目な」番組の排除、芸能バラエティ番組の増量が顕著であったが、これは社会的無関心の広がりとも対応している。

就学率が高い日本で社会的無関心が定着しているのは、学校教育の一つの「成果」としか考えられない。社会的な問題、国際的な問題に対して無関心になるよう仕向けられるある種の「漂白」教育が行われてきたことの結果である。この傾向は近年の教科書統制によりいっそう強まることだろう。

わずかな救いは、現今のメディア・クレンジングが主としてテレビを中心とした主流マスメディアの領域で起きていて、インターネットを含めたメディア全般にはまだ及んでいないことである。

しかし、安心はできない。政府は安倍政権の「歴史修正主義」を取り上げたドイツ大手紙の記事に対して、現地総領事館を通じて激しく抗議したり、執筆記者をたびたび呼び出すなどの「圧力」を加えていたという報道がなされている(日刊ゲンダイ)。

この一件は、政権が紙媒体―それも外国の―にまで目を光らせ始めている兆候を示している。同時に、辛うじてこれを報じた日刊ゲンダイのような国内の周縁メディアにはまだ直接の「圧力」は及んでいないことも示している。

こうしたメディア・クレンジングは決して安倍政権下での特異現象ではなく、野党の断片化現象の中で自民党の一党支配体制が進行するにつれ、さらに強化されるものと予測される。この悲観的予測を覆すような好材料は見当たらない。その意味で、今年2015年は後世振り返って「メディア死亡元年」として記憶されるだろう。

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リベラリストとの対話―「自由な共産主義」をめぐって―(17)

2015-04-12 | 〆リベラリストとの対話

15:完全自由労働制について③

リベラリスト:共産主義的な完全自由労働制では、労働時間の大幅な短縮が実現し、各自の趣味や夢の実現に充てることのできる自由時間を獲得できるとまさに夢のようなことを書いておられますね。

コミュニスト:そのとおりです。どこまで時短できるかはわかりませんが、うまくいけば4時間労働(半日労働)も可能かと考えています。これぞ「自由な共産主義」の真骨頂です!

リベラリスト:半日働いて、半日遊べるのですね。たしかに素晴らしい!ですが、それではすべてが部分的なパート労働になりかねません。

コミュニスト:その点は、ご心配に及びません。前回まで議論しましたように、賃労働は存在しないのですから、資本主義的なパート労働とは異なり、低賃金に苦しむことはないのです。資本主義的労働では賃金切り下げの手段となる恐れが拭えないワークシェアリングが、そうした用語も不要なほど一般化するのです。

リベラリスト:ワークシェアリングは、資本主義の下でも特に過密労働が行われやすい分野では時短の手段として導入されるべきだと思いますが、それが一般化するとなると余剰人員が恒常化し、生産効率は低下するのではないでしょうか。

コミュニスト:資本主義が「余剰人員」を極度に恐れる理由は、働かない労働者に賃金を支払うのは不合理だからというのでしょう。しかし、それも賃労働制が廃されれば、心配要らないわけです。労働力というものは、常にぎりぎりの人員に切り詰めるよりも、少し余裕をもって配置するほうが労災や重大ミスの防止のためにも合理的でしょう。

リベラリスト:なるほど。とはいえ、労働者の士気や生産性が果たして半日労働のような半端労働で維持できるかどうか、私にはなお確信が持てないのですね。

コミュニスト:一日通しで働きづめるという労働習慣に慣れ切ったあなたがたアメリカ人や私ども日本人の時間感覚では、確信が持てないのも理解できます。ですが、同じ資本主義を共有していても、ゆったりした時間感覚で生きている地中海域諸国の人たちなら、理解してくれるような気がしますね。

リベラリスト:なるほど、それで「がんばれ、ギリシャ!」ですか・・・。実は私の母方祖先はギリシャ移民なのですが、たしかに地中海系のお昼寝付き資本主義はアメリカの貪欲資本主義や日本の勤勉資本主義とは文化的にも異なるようですね。

コミュニスト:文化の相違もあるかもしれませんが、それだけではなく、政策の相違でもあります。資本蓄積を国を挙げて追求する国と資本蓄積はほどほどにして人間的な生活を尊重する国の違いです。その意味では、地中海系資本主義は共産主義への架け橋と言えるかもしれません。

リベラリスト:「人間の顔をした資本主義」ということですか。人間の顔をしすぎて、国際経済危機を引き起こさなければいいですが。

※本記事は、架空の対談によって構成されています。

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スウェーデン憲法読解(連載第26回)

2015-04-11 | 〆スウェーデン憲法読解

第一四章 自治体

 スウェーデンは連邦国家ではなく、統合国家の枠内で地方自治を保障するという点において、日本に近い体制である。現行制度は日本の市町村に相当する地方自治体と道府県に相当する地域自治体の二層構造を採る。

第一条

自治体における議決権は、選挙された議会により行使される

 地方議会に関する規定である。日本国憲法とは異なり、自治体首長については規定がない。現行制度は独任首長制ではなく、合議制執行機関である。

第二条

自治体は、一般的利益を有する地方及び地域の問題を地方自治の原則の下に管理する。これに関する詳細は、法律で定める。同様の原則の下に、自治体は法律に定める他の事務についても管理する。

第三条

地方自治は、目的に関して必要な限度を超えて制限してはならない。

 地方自治の具体的内実は法律に委ねられているが、必要な限度を超えた制限は禁じられる。地方自治の本旨を擁護する趣旨である。

第四条

自治体は、その事務の管理のために税を徴収することができる。

 充実した社会サービスの最前線を担う自治体にとって独自の徴税権は最重要の権能となる。なお、スウェーデンでは所得税が原則的に地方税化されている。

第五条

同等な財政的条件に達するために必要な場合には、自治体に対し、他の自治体の事務のための出費を援助することを法律で義務づけることができる。

 スウェーデン独自の自治体相互援助制度(地方財政調整)である。これにより、自治体間の財政格差が居住地域による不合理なサービス格差につながらないように配慮されている。この制度は財政の豊かな自治体が財政の弱い自治体のための援助資金を強制的に拠出させられる仕組みであるため、しばしば義賊ロビンフッドになぞらえて「ロビンフッド税」と揶揄されることもあるが、憲法的にも明確に規定された。

第六条

国の区域を自治体へ変更するための原則に関する規定については、法律で定める。

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スウェーデン憲法読解(連載第25回)

2015-04-10 | 〆スウェーデン憲法読解

第一三章 議会監督

 議会の監督権を独立の章として当てる本章は、スウェーデン憲法の「目玉」の一つである。最も有名なのはオンブズマンであるが、会計検査院も監督権を構成する。このような構成は立法・行政・司法・考試・監察の「五権分立制」を採る台湾の監察権に類似するが、台湾の監察院のように統一的な機関を成すものではなく、いずれも議会自身ないし議員の権限であったり、議会の委員会、議会所属機関等の集合である。従って、監督権は議会の権能の一つをくくり出したものとも考えられよう。

憲法委員会の審査

第一条

1 憲法委員会は、大臣の職務遂行及び政府の事務の処理を審査しなければならない。当該委員会は、当該審査のために、政府の事務に関する決定についての議事録、当該事務に属する文書及び当該委員会がその審査のために必要と判断した他の政府の文書を徴することができる。

2 他の委員会及び各議員は、憲法委員会に対し、書面により大臣の職務遂行及び政府の事務の処理について問題を提起することができる。

第二条

ただし、理由がある場合には、一年に一回以上、憲法委員会は、その審査の際に委員会が通知する価値があると判断した事項について、議会に報告しなければならない。議会は、その結果として政府に提案を行うことができる。

 監督権の筆頭は憲法委員会である。憲法委員会は、名称のごとく憲法問題を所管する議会の常任委員会であると同時に、大臣及び政府の仕事ぶりを審査する監察機関でもある。

大臣に対する訴追

第三条

大臣である者又は大臣であった者に対しては、大臣の職務の遂行の際の犯罪により、その者がその職務上の義務に著しく反した場合にのみ、当該犯罪について裁判を行うことができる。訴追は、憲法委員会により決定され、最高裁判所により審理される。

 憲法委員会は、現職又は元職大臣の職務犯罪に対する訴追機関として、検察権も一部担う。

不信任の表明

第四条

1 議会は、大臣が議会の信任を得ていないことを表明することができる。当該不信任表明に関する動議を審議に付するためには、当該動議は、議員の一〇分の一以上により提出されなければならない。不信任表明には、議員の過半数が賛成票を投じる必要がある。

2 不信任表明に関する動議は、通常選挙が実施されてから、又は特別選挙の決定が通知されてから選挙された議会が集会するまでの間に提出された場合には、審議に付せられない。第六章第一一条の規定に従い、その職を免ぜられた後もその職を保持している大臣に対する動議は、いかなる場合にも審議に付せられてはならない。

3 不信任表明に関する動議は、委員会において審査されてはならない。

 議会による大臣不信任表明も、監督権の一環に位置づけられている。不信任表明された大臣は議長により罷免されるが、政府は対抗上、特別選挙に打って出ることもできる(第六章第七条第一項)。

質疑及び質問

第五条

議員は、議会法に定める細則に従い、大臣の職務遂行に関する事項について、大臣に対して、質疑及び質問を提出することができる。

 議員の質問権も、監督権の一環として位置づけられている。質疑とは説明や見解を質す質問であるのに対し、質問とは事実関係の開示のみを求める質問である。

議会オンブズマン

第六条

1 議会は、議会の議決する指示に従い、公的活動における法律及び他の法令の適用に関する監察を行う一又は二以上のオンブズマン(法務オンブズマン)を選挙する。オンブズマンは、当該指示に規定する場合には、訴えを提起することができる。

2 裁判所及び行政機関並びに国家公務員又は自治体の公務員は、オンブズマンが要求する情報及び意見を提供しなければならない。オンブズマンの監察下にある他の者も当該義務を有する。オンブズマンは、裁判所及び行政機関の議事録及び文書にアクセスする権利を有する。検察官は、要請に基づき、オンブズマンを援助しなければならない。

3 オンブズマンに関する詳細は、議会法及び他の法律で定める。

 スウェーデンと言えばオンブズマンを連想するほど、有名な歴史ある制度であるが、意外にも、憲法上オンブズマンに関する規定はこの一か条だけである。
 とはいえ、この一か条にオンブズマンの基本的な任務と権限がコンパクトに明記されている。それは、基本的に裁判所も含む公的機関(議会をはじめ、除外対象もある)の法令順守を強力な調査権をもって監察する機関である。その意味で、人権救済等に当たる他のオンブズマンと区別して「法務オンブズマン」とも呼ばれる。

会計検査院

第七条

会計検査院は、国により実施される活動を検査する任務を有する議会所属機関である。会計検査院の検査が国の活動以外のものも対象とし得ることに関する規定は、法律で定める。

第八条

1 会計検査院は、議会が選挙する三名の会計検査官により運営される。議会は、会計検査官がもはやその任務に該当する要求を満たしていない場合又は重大な過失に責任を負った場合にのみ、その職を免じることができる。

2 会計検査官は、法律の規定に配慮し、検査すべき事項を独立して決定する。会計検査官は、検査方法及びその検査結果をそれぞれ独立して決定する。

第九条

会計検査院に関する付加的規定は、議会法及び他の法律で定める。

 会計検査院が議会所属機関とされることは、会計検査の究極的権限も議会に帰属することを意味する。第六条の議会オンブズマンとあわせ、議会が公的機関の法令・会計全般にわたる監察権を掌握していることになる。なお、スウェーデン会計検査官は合議制ではなく、三名それぞれが独立して活動することで、馴れ合いを防止している。

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スウェーデン憲法読解(連載第24回)

2015-04-09 | 〆スウェーデン憲法読解

第一二章 行政

 スウェーデン憲法の特色は、行政の章が司法の章の後に来ることである。前章に関連して述べたように、これはスウェーデン行政が司法の原理に準じた客観性・公平性に則って執行されることによる。

国家行政機関

第一条

大法官及び統治法又は他の法律の規定に基づき議会所属機関とされていない国家行政機関は、政府の下に帰属する。

 議会中心主義が徹底しているスウェーデンでは、行政的機能を持った多くの議会所属機関が存在するが、それ以外の行政機関は政府に帰属する。

行政の自律性

第二条

いかなる官庁も、議会又は自治体の議決機関も、特定の場合において、行政機関が個人又は自治体に対する官庁の権限行使又は法律の適用に関わる事案において、どのように決定すべきかを定めてはならない。

 司法の独立に準じて、行政独立の原則が定められている。ただし、これは、あくまでも司法の判決に相当するような行政執行面についての原則であり、施政方針は政府(内閣)が決定する。

第三条

行政の任務は、基本法又は議会法から導かれる範囲を超えて議会により行われてはならない。

 司法と同様の権力分立規定である。逆に読めば、議会は基本法又は議会法の範囲内で一定の行政機能も担うということで、議会は単なる立法機関を超えた広範な権限を持つことになる。

行政の任務の委任

第四条

1 行政の任務は、自治体に委任することができる。

2 行政の任務は、他の法人又は個人に委任することができる。当該任務が官庁の権限行使を含む場合には、委任は法律によってのみ行うことができる。

 政府の個別的な行政任務は自治体のほか、民間の法人や個人にも委任できる。分権と民活である。

国家公務員に関する特別規定

第五条

1 政府の下に所属する行政機関の被用者は、政府又は政府により定められる機関により雇用される。

2 国家公務員の雇用に関する決定に際しては、功績及び能力のような客観的理由のみを考慮しなければならない。

 第二項は、行政官の雇用についても、裁判官の任命基準に準じて、思想信条等の主観的理由の考慮を禁じている。「政府を暴力で破壊することを主張する政党その他の団体を結成し、又はこれに加入した者」の任用を認めない日本の国家公務員法のような規定は、スウェーデン憲法の下では違憲となり得るだろう。

第六条

議会オンブズマン及び会計検査官は、スウェーデン市民でなければならない。大法官についても同様とする。その他、国家公務員職に就任する資格又は自治体において任務を遂行する資格のためのスウェーデン国籍の要求は、法律又は法律に定める条件に基づいてのみ、規定することができる。

 公務員の国籍条項の規定である。このうち、議会オンブズマンや会計検査官は次章の監督権に属する官職であるが、資格要件についてはここで先取りされている。

第七条

統治法に関わるものとは別の点に関する国家公務員の法的地位に関する基本的な規定は、法律で定める。

免除及び恩赦

第八条

法律又は予算に関する決定に別段の定めがない限り、政府は、命令の規定又は政府の決定に基づいて定められた規定の適用除外を認めることができる。

第九条

1 政府は、恩赦により、刑事制裁又は犯罪に対する他の法律効果を免除し、若しくは軽減すること及び個人又は財産を対象とした介入で、機関により決定された他の類似のものを免除し、若しくは軽減することができる。

2 特別な理由が存在する場合には、政府は、犯罪行為を捜査し、又は訴追する措置がそれ以上行われるべきでないことを決定することができる。

 本条第二項は、恩赦ではなく、犯罪捜査・訴追の中止という大胆な規定である。政府が捜査・訴追に介入し、中止させることは一般的には望ましいことではないが、あえて憲法上そうした権限を政府に付与することで、非公式な「圧力」で捜査・訴追が妨害されることを防止しようというスウェーデン流の実際主義的な規定である。

法律の審査

第一〇条

1 ある規定が基本法又は他の優越する法令に抵触すると公的機関が判断した場合には、当該規定は適用してはならない。法令の制定時に、重大な点において法により定められた手続が顧慮されなかった場合も同様とする。

2 法律に関する第一項の規定に基づく審査の際には、議会が国民の第一の代表機関であり、基本法は法律に優越することに特に留意しなければならない。

 前章で見たとおり、スウェーデンには憲法裁判所の制度はなく、違憲審査権は裁判所とともに、行政機関にも与えられている。裁判所と同様、法令制定時の瑕疵にまで遡った審査も可能である。これも行政執行が司法の原理に準じて行われることから可能になることである。

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