23 交通事犯(上)―自動車事故について
交通事犯は交通手段が発達した現代社会に特有の現象であり、18世紀のベッカリーアの想像を超えた現代型犯則行為である。交通事犯を広く取れば、鉄道や船舶、航空機に関連する犯則行為も含まれるが、本章(上)では最も日常的な自動車に関連するものに限定して論ずる。
自動車に関連する交通事犯の大半は過失犯であるが、速度違反や飲酒運転など道路交通法違反は故意犯である。いずれにしても、交通事犯に、長期的な矯正処遇を要する犯則行為者はいない。
特に交通事犯の中心を占める自動車運転中の過失による死傷事故は、運転者の過失という人的要素ばかりでなく、道路状態や自動車の性能という物的要素も要因となって引き起こされる。
典型的には、見通しの悪い道路で欠陥車を運転している人が不注意であれば、極めて高い確率で死傷事故が発生する。このように自動車運転中の過失による死傷事故は道+車+人という三要素が三位一体的に絡み合って惹起される。
事故の物的要素は、道路補修や自動車の性能強化といった物理的対策を通じて克服することが可能である。人的要素に関しては、そもそも運転適性のない者を事前に運転そのものから遠ざけることが効果的である。具体的には、著しく注意散漫な者や運動神経に制約がある者、アルコール・薬物依存傾向のある者に対しては運転免許を認めないか、少なくとも矯正的な特別講習を義務づけ、問題傾向の改善が認められるまで免許を保留とすることである。
他方、道路交通法規に基づく行政的な交通取締りは、交通事故防止にとって有効ではあるが、あまりに瑣末すぎたり、多すぎたりする規則は誰も守り切れず―しばしば取締担当者ですら!―、無意味である。
各種道路交通法違反については、まず速度違反や酒酔い運転などのように、それ自体に死傷事故の危険が内包されているような危険運転行為に限って処遇の必要な犯則行為とみなし、その他の細かなルール違反は免許停止などの行政的なペナルティーに委ねることが合理的である。
「犯則→処遇」体系の下でも、速度違反や酒酔い運転などそれ自体に過失による死傷事故の危険を内包する危険運転は故意犯であるが、それらは本質上行政取締上のルール違反であって、多くは反社会性向の低い犯行者によるものであるから、その処遇としては保護観察とすれば十分である。
ただし、速度違反や飲酒運転などの危険運転の累犯者に対しては、永久免許剥奪処分が効果的である。
問題は、こうした道路交通法に違反する危険運転中の過失によって死傷事故を起こした者の処遇である。といっても、以前の項で述べたように、軽過失は業務上過失の場合を除き犯則行為とすべきでないから、ここで過失とは重過失及び業務上過失の場合である。
道路交通法に違反する危険運転行為とその間に犯された過失行為とは一連的であっても危険運転行為中に必ず過失行為を犯すと決まっているわけではない以上、本来別個の故意行為と過失行為である。
これもすでに論じたように、こうした犯則行為のパッケージにおいては、犯則学的に見て最も中核的な犯則行為の処遇に従うのであったところ、確率的に過失による死傷事故は、何らかの危険運転行為を前提としており、死傷事故を起こしやすい危険運転中に事故を起こすのは、元来危険運転行為に内包されていた危険が現実化しただけのことであるから、中核的な犯則行為とは、まさに過失行為にほかならない。従って、以前に述べた過失犯としての処遇そのものに付することになる。
ちなみに、飲酒運転事故はモータリゼーションが高度に進んだクルマ社会にあって、酒類の販売規制が緩やかであれば、不可避的に発生する事故である。酒類に対する宗教的禁忌などから酒類の製造・販売が禁止されている国、逆に酒類の販売規制は緩やかだが、モータリゼーションがほとんど進んでいない国では飲酒運転はまれである。
そこで、飲酒運転の撲滅とは言わないまでも大幅な減少を目指すのであれば、酒類の販売規制の強化(専売制の導入など)とともに、脱モータリゼーションにも正面から取り組まなければならない。
ところで、自動車交通事故の中でもひき逃げは悪質な事故隠蔽行為と評価されやすいが、事故を起こしてパニック状態にある者の心理を冷静に考えれば、ひき逃げは、司法上正当な防御権の行使ではないとしても、ある種の条件反射的な防御行動と理解することができる。
このような防御行動を回避させ、ひき逃げを防止するためには、逃走せず自ら事故を通報し、与えられた状況下で必要十分な被害者救護を尽くした事故者は、反社会性向の低さを考慮して、軽い処遇を与えることが効果的である。