Ⅳ 保護の時代
「先進」諸国の優生政策
非人道的なT4作戦の記憶のせいで、優生思想・優生政策と言えばナチスの代名詞のごとくであるが、実際のところ、決してそうではなく、それは同時代の世界各国、中でも先進国を標榜する諸国にも広がっていた。とりわけ、障碍者に強制不妊手術を施す断種政策の隆盛である。
実は、ナチス優生政策の出発点も政権発足初期の1933年に制定した遺伝病根絶法に基づく断種政策から始まっている。その対象者は狭義の遺伝病患者に限らず、遺伝性のない精神障碍者や性犯罪者にまで及び、これによって断種された者はナチス政権の全期間で数十万人と推計される。
こうした断種政策を世界で初めて導入したのは1907年、米国のインディアナ州であった。その後、カリフォルニア州など大規模州にも広がり、同州では最も多くの断種が施行された。カリフォリニア州断種法も対象者に性病患者や性犯罪者を含んでいた。
断種政策に着手したのは米独ばかりではない。今日知られているだけでも、スウェーデンをはじめとする北欧諸国からスイス、カナダ、オーストラリア、日本などがある。中でも、福祉国家のモデルとされてきたスウェーデンの事例は衝撃を与えた。
スウェーデンでは福祉国家の土台作りに寄与したと評される1930年代の社会民主党政権が断種政策を開始した。ナチスの断種法制定の翌年のことである。当初の対象者は精神障碍者・知的障碍者など「精神的無能力者」に限定されていたが、間もなく一定の身体障碍者や少数民族などにまで拡大されていった。
他方で、手術には原則として本人の同意を要する形に改正されたが、その同意はしばしば形式的であり、事実上は強制であった。この断種政策により、1930年代から70年代まで40年にわたって6万件以上施術され、断種がスウェーデン福祉国家の隠し玉だったことが発覚したのである。すなわち、この時期のスウェーデン福祉国家とは健常者のための福祉国家であったことになる。
一方、日本の場合、優生思想は早くから流入していたが、政策化されたのは戦時下の1940年、国民優生法の制定を初とする。これはナチス断種法を取り急ぎ模倣したものであったが、これが戦後の48年、より本格的な優生保護法に置き換えられた。1996年に母体保護法に置き換えられたこの法律下での不妊手術は、2023年に国会が公表した調査報告書によると、少なくとも約2万5千件に上る。
日本の特異性として、断種対象にハンセン病患者が追加されたことがある。ハンセン病はらい菌によって引き起こされる末梢神経症状と皮膚症状を主とする感染症であって、遺伝性はない。にもかかわらず、日本ではハンセン病に関する特異な謬論に基づき、強制隔離政策が90年代まで続けられたばかりか、優生保護法による断種対象にまでされたのである。
さらに、遺伝性のない精神障碍者や知的障碍者も断種対象に加えられた。同時に、精神障碍者に関しては、戦後の経済成長政策を妨げる「生産阻害因子」として、措置入院制度をも活用した精神障碍者の精神病院収容政策が推進された結果、以前にも述べた「精神病院大国」が現出することとなった。
この収容政策は、断種対象とならなかった精神障碍者にあっても、精神病院への無期限的入院(いわゆる社会的入院)により社会との接点が絶たれ、生殖の機会が奪われることにより、結果的な断種となることから、緩慢な断種政策とみなすこともできるだろう。