昨日、1年8ヶ月ぶりに死刑執行があった(民主党政権下では二度目)。昨年の日本では19年ぶりに死刑執行が1件もなく、死刑街道をゆく足取りがふと止まったかに見えたが、結局再び歩み始めることになったわけである。
ただ、これは国会の閣僚席で競馬サイトをご覧になっていた法務大臣小川某―馬主なのだから、この件ではあまり責められない―の就任当初からの“予告”どおりであるから、驚きはない。
それにしても、この年度末の在庫一掃セール的死刑執行はもちろん法相個人の独断によるのではなく、財務省の戦略に乗り消費増税に「不退転」の野田内閣が、死刑に関しては法務省の戦略に従い死刑存置の強固な国家意思を内外に示したことを意味する。要するに、「政治主導」の掛け声も虚しく、官僚制に取り込まれた民主党政権の最終的帰結なのである。
また同時に、消費増税法案の閣議決定前日の死刑執行は、税と刑という―古代以来と言ってよかろう―権力支配の二大道具のありかを強烈に示す出来事でもあったと思う。
ちなみに、1993年に3年4ヶ月ぶりに死刑執行が再開された当時の政府の根拠は古典的な「法秩序維持」であったが、今回は「裁判員制度」が挙げられたことは新しい点である。これは、やはり裁判員制度が死刑への国民動員という意義を明確に担っていることを公式に裏書きした点で重要である。
ただ、ここで改めて死刑制度の是非を云々つもりはない。それについては、既に連載『死刑廃止への招待』で縷々論じたところであるので、ここでは、死刑制度に賛成するにせよ、反対するにせよ、念頭に置いておくべき死刑をめぐる三つの重要な世界情勢を、いくらか補足しつつ繰り返しておきたい。
☆日本も加盟する国際連合では、23年前の1989年に死刑廃止条約を制定済みであること。つまり、国際社会にあっては死刑廃止は既に単なる「論」ではなく、「法」(国際法)であること。なお、同条約の批准国数は74カ国(本年3月現在)。
☆国際連合総会では、2007年度以降、三度にわたり、全世界の諸国に対し死刑廃止へ向けた死刑執行停止を呼びかける決議を賛成多数で採択していること。その賛否総数を示せば、次のとおりである(日本は全回とも反対)。
2007年:賛成 104カ国 反対 54カ国 棄権 29カ国
2008年:賛成 106カ国 反対 46カ国 棄権 34カ国
2010年:賛成 109カ国 反対 41カ国 棄権 35カ国
☆昨年度(2011年)、年間を通じて死刑執行があったのは20カ国(全世界の約1割)であり、本年3月時点で死刑制度を廃止し、または死刑執行を10年以上停止している国は計141カ国(全世界の約7割)であった(アムネスティー・インターナショナル推計)。
死刑制度に賛成するならば、こうした世界情勢がどうあろうと、我が国だけはどこまでも死刑街道をひた走り、世界で唯一の死刑存置国―「死刑ガラパゴス化」―への道をゆく覚悟はあるのかどうかが問われてくるだろう。
一方、死刑制度に反対する場合、その方向性は世界情勢と一致していることを再確認したうえで、日本の政府・メディアが一体となって一般国民に十分伝えようとしない死刑をめぐる世界情勢を周囲に伝えていくある種の使命を帯びることになるだろう。
そんな時代に、私どもは立っている。