五 電気工学の誕生と社会変革(続き)
電気工学の創始と電化社会の誕生①
19世紀前半が電気に関する基礎物理学的研究の飛躍期だったとすれば、同世紀後半は応用分野としての電気工学の創始期であった。この時期における電気工学とその関連分野の成果は現在まで永続性を保つ画期的なものが多い。そうした19世紀前半と後半を取り結ぶ新技術は電信であった。以下、準備中。
電気工学の創始と電化社会の誕生②
19世紀後半、電話機その他多くの電気関連発明を行ったアメリカのトーマス・エジソンは、この時代のチャンピオンである。エジソンもまた独学者であったが、彼は研究と発明のみならず、起業家としての才覚も持ち合わせた点で際立っている。
エジソンは自身が設立した小さな実験室を基礎に電気照明会社を設立、それを拡大して今日の技術系多国籍資本の象徴ゼネラル・エレクトリックの前身となるエジソン・ゼネラル・エレクトリック・カンパニーを1889年に立ち上げている。
もちろん、これはジョン・ピアポント(JP)・モーガンという銀行家による投資の支援があってのことであるが、会社設立の主要な元手は株価情報を電信で速達するストックティッカーの実用的改良品で得た収益にあったから、エジソンは研究とビジネスを結びつける技術系起業家の先駆けとも言える。
しかし、電化社会の基盤となる電力供給網の発達にかけては、直流方式の送電システムを開発したエジソンとの確執・紛争で知られるニコラ・テスラが考案した交流方式の永続的な効果が大きい。テスラはオーストリアからのセルビア系移民の出自で、彼の成功は世界から優れた科学者を集めるアメリカ科学界の成功の先駆けでもあった。
一方、電気通信の分野では、実用的な電話を発明したスコットランド生まれのアレクサンダー・グラハム・ベルの業績が際立っている。ベルもアメリカ(及びカナダ)へ移住した移民科学者であるとともに、自身のベル電話会社を前身とする情報通信系多国籍資本AT&Tの共同創業者となった。
また、無線通信の分野では、ドイツが輩出したハインリヒ・ヘルツとフェルディナント・ブラウンの二人の物理学者・発明家が際立っている。国際周波数単位ヘルツに名を残すヘルツは極超短波の実用化に道を開き、和製英語ブラウン管に名を残すブラウンはまさに最初のブラウン管(陰極線管)を発明した。
ヘルツとブラウンの発明はその没後、長年月を経て、テレビやコンピュータ、携帯電話などの現代電化技術に応用されたという点で、遅効性の画期的発明であったと言える。
ここで名を挙げた人々は電気工学者ではなかったが、彼らが成果を上げた19世紀後半、時に末期には、1882年のダルムシュタット工科大学(ドイツ)を皮切りに、欧米の大学で電気工学科の設置が相次ぎ、電気工学が大学での研究・教育の科目として位置づけられるようになる。