第三章 女帝の時代
(1)近世帝国と女帝
③スウェーデン女王クリスティーナ
スウェーデン最初の女王であるクリスティーナはスウェーデンを大国に押し上げたグスタフ2世アドルフの娘であり、父が深く関与した三十年戦争で戦死するという国家的危機の中でわずか6歳にして即位した。
グスタフ・アドルフが急死した時、彼には婚外子の男子がいたが、嫡子は娘クリスティーナのみであったため、クリスティーナが王位を継ぐことになったのであった。当然、幼女に政務は取れず、父の最側近者だった宰相アクセル・オクセンシェルナが実権を持った。
オクセンシェルナは、引き続き三十年戦争を継承し、プロテスタント側盟主として、スウェーデンを最終勝利へ導いた。しかし、成長したクリスティーナは三十年戦争の要因ともなったカトリックとプロテスタントの対立の止揚を理想とし、オクセンシェルナとは対立するようになる。彼女はオクセンシェルナを次第に遠ざけ、引退に追い込んだ。
女王は、戦勝国ながら、敗戦国を寛大に遇する宥和政策で自身の理想を追求しようとしたのだった。その点、クリスティーナは自己の信念を貫く意志の強さを持ち合わせていた。しかし、女王の柔軟対応の結果として、戦後処理を決するウェストファリア条約は円滑に成立し、講和が導かれた。近代国際法の先駆として重要な成果となった同条約には、クリスティーナの平和思想が反映されているとも言える。
思想面では、グロティウスやデカルトらの啓蒙思想家と交流するなど、当時は支配階級女性でも異例な高い教養を持つ自由思想・啓蒙思想の持ち主であり、その宮廷には欧州の第一級知識人が出入りした。
ちなみに、男装を好んだクリスティーナ女王は同性愛者だったと見られているが、歴史上も女性同性愛者の女王は稀有である。クリスティーナは主として政情不安への警戒から非婚を通した英国のエリザベス1世とは異なり、同性愛者として女性の役割固定化に否定的な観点から非婚を通したと見られ、その点でも当時の女性としては異例の先駆者であった。
統治者としては、放漫財政により財政難を招くなどの失政もあったが、権力欲を持たない好学の君主であった。そのため治世初期から生前退位の意思を持ち、20年ほどの在位の後、27歳で従兄カール10世に譲位した。
退位後、カトリックに改宗するという異例の決断をしたが、改宗後のクリスティーナはスウェーデン女王への復位を宣言したり(後に撤回)、ポーランド国王選挙に立候補するなど、前半生とは異なる権力欲を見せ始める。しかし、いずれも失敗して以後は、ローマに住み、学問研究などの自由な暮らしを続け、当地で客死した。
クリスティーナには偉大な父王が命をかけて築き上げたスウェーデン帝国を弱体化させたという否定的な評価もあるが、彼女から王位を継承したカール10世は改めてスウェーデンをバルト海域の大国に押し上げている。