第10章 アジア諸国の農地改革
(2)朝鮮半島における農地改革
朝鮮半島における農地改革は第二次大戦後、日本の植民地統治からの解放後に本格化するが、建国が南北で異なる体制に分裂した関係上、必然的に農地改革も全く別の理念と枠組みで進められた。従って、農地改革においても分断の影響は著しい。
その点、北朝鮮では当初から社会主義体制が樹立されたため、農地改革も社会主義的革命理念に沿って実行された。従って、これは本来「第8章 社会主義革命と農民」で扱うことが適切であったが、便宜上ここで触れておく。
北朝鮮建国以来一貫して世襲的に支配権を維持する金一族は初代金日成の祖父の代までは小作人だったと見られ、元来農民出自であり、金一族体制はある種の農民王朝的な性格を持つ。そのためか、農業政策には建国以来、関心が高いと言える。
ただ、ソ連の強い影響下に成立した北朝鮮農業政策の基本路線はソ連式の集団化であり、その路線に沿って急速な集団化が進められた点ではソ連や中国とも類似している。しかし、本格的な集団化の開始は朝鮮戦争休戦後、1960年代以降のことである。
そこでは中国の人民公社制度にならった青山里方式と呼ばれる協同農場化が推進された。加えて、建国者金日成が提唱する「主体思想」を反映した「主体農法」なる食糧完全自給策が追求されるも、科学的な農法を軽視した高密度作付けや化学肥料の過剰使用などにより、元来農業適地が稀少な北朝鮮の農地は消耗が進んだとされる。こうした集団化の失敗はソ連や中国よりも深刻で、後に農村飢餓の要因ともなる。
1994年の金日成没後も集団化の枠組み自体は不変と見られるが、その枠組み内で一定の農業改革が積み重ねられていることについては、続く章で社会主義的農業の改革を概観するに際して、中国との対比で改めて取り上げてみたい。
これに対して、南の韓国では資本主義的枠組みでの自作農創設を目指した農地改革が積み重ねられたが、それは戦後日本のように占領下ではなく、樹立されたばかりの不安定な新興独立国によって内発的に行なわれたため、地主の抵抗や政情不安もあり、必ずしも容易に進まなかった。
韓国の農地改革も米国の軍政下で着手されたが、韓国の米軍政は日本占領よりも一足早い1948年には終了したため、以後は最初の独立政府である李承晩政権に引き継がれた。1950年の農地改革法が根拠法律である。その基本理念は「小作禁止」ということにあり、有償土地分配を通じた自作農創設が目標とされた。
ところが、同年に重なった朝鮮戦争は改革に水を差し、かつ戦時財源確保のために導入された臨時農地取得税は農地を取得した農民にとっては負担であった。結果、現物償還が奨励されるありさまであった。
とはいえ、韓国の農地改革は戦争の苦難の中で実現され、従来の地主制はひとまず解体された。こうして小規模自作農の創設が成った点では日本とも共通するが、韓国では専業農家が多いこともあり、小規模農家の経営は容易でなかった。
そこで、軍事クーデターで政権に就いた朴正煕大統領は60年代の干害による農村の困窮や高度成長下で広がった都市との経済格差の改善などを目指し、70年代からセマウル(新村)運動と呼ばれる農村振興策を打ち出した。
これを通じて農家の所得増大を目指すとされたが、運動自体は長期政権を狙う朴大統領の全体主義的な統治の基盤強化という政治的な側面が強く、その具体的な成果については議論の余地がある。
70年代後半頃になると、小規模農家が困窮や担い手不足から離農して農作業を第三者に委託する形態が増加している。これはある面から見れば逆行的な再小作化現象とも言えるが、農家が農地を貸し出している面をとらえれば資本主義的な借地農業の初発現象であり、受託者が資本企業化されればまさしく資本主義的借地農業制に展開していく芽を持っている。