大晦日の午後、NHKが放映したカナダ映画『消えたブロガー“アミナ”』は、ブロガーの端くれとしても、様々なことを考えさせるミステリー的要素も加味された出色のドキュメンタリー作品であった。
この「アミナ事件」は発生から4年が経過しているが、それは「ダマスカスに住む女性同性愛者(レズビアン)」という標榜でシリア民主化を求めるブログを発信し、世界的に著名な存在となっていた人物「アミナ」が、実は既婚米国人男性による完全な創作だったことが発覚した「事件」である。
それだけのことなら、ネット社会にありがちな「なりすまし事件」で片が付いていたところ、問題を複雑にしたのは、架空の主人公「アミナ」がある日、政権派と見られるグループに拉致され、行方不明になったという情報が流れたことである。実は、これも件の男性がでっち上げた作り話だったのだ。
しかし、この話を信じた人道関係者や「アミナ」とネット恋愛していたカナダ女性らが“解放”に動き出し、アメリカ国務省も巻き込む騒ぎとなった。しかし、結局、事態の展開に恐れをなした男性が創作を告白し、騒動は終わった。
私の知る限り、当時日本ではこの「事件」は大きく報道されなかったと記憶する。中東情勢に関心が薄く、まだシリア内戦も初期段階だったことに加え、性的少数者がらみの話題をいまだタブー視する風潮の強い日本の特殊事情が絡む無関心だったのだろう。筆者自身、寡聞にして今回初めてその概要を知った。
しかし、この事件は事実確認を飛び越えて人道的大義にはやることの危険性を教えてくれる重要な前例である。ちょうど昨日、シリア内戦が年末駆け込みで今年三度目の停戦を迎えたところであるが、この停戦はシリアのアサド政権を擁護するロシアの荒っぽい軍事介入によるところが大きい。
同時に、アサド父子が二代半世紀で築き上げたアサド家のバース党支配体制の抑圧体系が、周辺諸国で唯一「アラブの春」を乗り切ってしまえるほど強力であることが改めて証明されたのである。戦後も、抑圧体系は機能し続けるだろう。
人道的大義に従ってアサド政権の存続を非難することはたやすいが、シリアでは反政府勢力がまとまらず、分裂していることもたしかであり、現状、アサド政権―広くはバース党―以外に、現実的な統治能力を持った勢力が存在しないのが実情である。
人道的大義は大事でないとは決して言わないが、それに駆られすぎると、シリアの戦後復興は進まない。また、第二の「アミナ事件」のような悲喜劇も起きかねない。
そうであれば、アサド政権にどんなに問題があろうと、ここ数年最大規模の難民を出してきた状況を打開するために、国際社会は三度目の正直となる停戦を支え、アサド政権の当面の存続を容認するという決断を下すしかないだろう。
ただし、そのことは、政権の組織的人権抑圧を等閑視することを意味しない。国際社会はシリアの復興を助けつつ、人権監視団のような中立的ウォッチの体制も整備する必要がある。