昨年の漢字は「帰」。これは明らかに(北)朝鮮からの拉致被害者の帰国にちなんだ選字である。たしかに劇的で、2002年の日本を象徴する出来事であった。しかし、それはまさに小泉劇場政治の産物でもある。
実際、内閣総理大臣が国交のない敵対国―身の安全の保証も絶対とは言えない―を公式に訪問してトップ会談で話をつけるということ自体、異例中の異例であるが、そのうえに拉致被害者を引き連れて帰ってくる―実際の帰国は翌月だったが―というのは、劇的展開であった。このような手法は、小泉首相の真骨頂なのだろう。
手法だけではない。2000年の本欄で、自民党は自民党‐公明党連立という新たなレジームで新自由主義路線に舵を切ろうとしているかに見えると書いたが、2001年に発足した小泉政権こそは、まさにその本格的な始まりだった。
そのためには、党内非主流派から「変人」をトップに就ける必要があったのだろう。これも、派閥ボスが首相の座をたらい回しにする従来のやり方を変える新機軸のようである。もっとも、発足時に史上最高の80パーセント超えを記録した小泉内閣もすぐに下降線となり、昨年前半には50パーセントを大きく割り込んでいた。
弱者淘汰的な新自由主義イデオロギーと官邸主導の独断的な政治手法は、国民に失望や不信をもたらしているのだろう。そこで、新たな打開策として、疑惑は持たれながら長く放置されてきた拉致事件の解決に目を付けたのだろう。実際、電撃訪朝後、昨年後半期に支持率は一時的に再上昇した。
拉致事件が劇場政治の道具として使われている。そのため、この事件の真の全容解明と最終解決が早期にもたらされるのか、危うさを感じる。実際、一部の被害者の帰国をもって幕引きとしたいであろう朝鮮の策にはまったのでないかとの疑念がある。一時帰国の約束に反したことを理由に―そもそも拉致被害者をいったん加害国に返すという約束自体常軌でないが――、以後の交渉を渋る先方の態度は、そうした疑念を裏付ける。
一方、世界に目を向ければ、昨年は欧州連合が統一通貨ユーロの流通を開始した新年度となった。欧州連合は統一的な主権国家ではないが、通貨統合を果たした欧州連合は機能的には統一国家のような土台が整うことになる。
しかし、枢要な加盟国であるイギリスが通貨統合を拒否しており、真の統合にはまだ不足である。10年後、欧州連合がどこまで成長しているか、あるいは停滞しているか、なお不透明である。
ちなみに、昨年は50以上の加盟国から成る大所帯のアフリカ連合も発足しており、世界は統合の方向に向かっているようである。こうした地域連合の成功は平和にも資するはずであり、小さくない希望の芽である。