ザ・コミュニスト

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リベラリストとの対話―「自由な共産主義」をめぐって―(16)

2015-03-29 | 〆リベラリストとの対話

14:完全自由労働制について②

コミュニスト:リベラリストさんは、前回の対論の最後に、科学的な労働紹介システムが確立され、各人の適性に沿った職業選択肢がたくさん示されたとして、人々は無報酬で嬉々として労働するようになるだろうか、という疑問を示されました。

リベラリスト:はい。私の考えでは、人間は案外怠惰なもので、強制か報酬なくしては、真面目に働かないだろうと予測されます。強制労働は人道上不可とすれば、あとは報酬を「餌」とするしかないのではないか、と思うわけですが、間違っていますか。

コミュニスト:報酬が労働の一つの動機づけとなることは認めます。しかし、強制か報酬かという二者択一はいささか狭い労働観ではないかと思います。それは要するに、強制にせよ、報酬にせよ、外部からの動機づけなくしては人間は労働しないだろうという見方を前提としています。しかし人間の労働の動機には、仕事自体の喜びや誇りなどもあるはずで、そうした内発的な動機をうまく刺激する方法が確立されれば、強制も報酬もない完全自由労働制は十分成り立つと考えます。

リベラリスト:喜びや誇りを感じられるような仕事なら、そうでしょう。しかし、人が忌避するような仕事―具体例を挙げることは差し控えますが―の場合はどうでしょう。ところが、そういう仕事に限って社会にとってなくてはならないものなのです。

コミュニスト:その問題は意識しています。しかし、報酬がなければ誰もやりたがらないような仕事は、果たして選択可能な職業として認識されるべきなのか、と考えてみてはどうでしょうか。そのような仕事は生活に困っている誰かがやればよいと他人に押しつけるのではなく、自分たちの社会的な任務として引き受けるようにするのです。

リベラリスト:すると、それらの仕事は義務性を帯びてきて、強制労働制が浮上する可能性もありますね。私たちアメリカ人は「収容所群島」の世界には強く警戒的なのです。

コミュニスト:もちろん反人道的な強制労働制には私とて反対ですが、だからといって、社会にとって不可欠な重労働を他人任せにするのも、一種の奴隷制です。自由労働と社会的任務との切り分けをすることは、公正な社会の基本軸であると考えます。

リベラリスト:もう一つ疑問なのは、あなたの構想では例えば医師のような高度専門職までが無報酬のボランティア仕事となるわけですが、それでは高度専門職が激減し、医療等の専門技術的なサービスの提供が停滞するのではありませんか。

コミュニスト:少なくとも、現状のように高い報酬と名誉が目当てで医師になるという人が激減するなら、患者にとっては朗報です。医療や福祉は表向き高邁な理念を掲げていますが、報酬労働制のもとでは所詮、医療・福祉も報酬目当ての労働であって、しばしば露骨な儲け主義に走る傾向も見られます。報酬がなくなることで、初めて標榜どおりの理念が実現するのではないでしょうか。

リベラリスト:たしかに報酬至上の労働観は適切ではありませんが、完全無報酬で果たして何年にもわたる厳しい教育訓練を要する高度専門職が維持できるのか不安は拭えません。全般に、コミュニストさんの労働観は人間の勤勉さに対する篤い信頼に基づいているようですが、私はそこにやや甘さを感じてしまいます。

コミュニスト:リベラリストさんは、人間は本質的に怠惰であると悲観しておられるようです。私は人間が本質的に怠惰だとは思いませんが、人間にはギブ・アンド・テイクの関係を好む互酬的性質があることは認めます。しかし、これとて後天的に体得された習慣であって、先天的な本能ではないと考えています。社会の仕組みが変わることで、変化し得る性質なのです。

※本記事は、架空の対談によって構成されています。

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スウェーデン憲法読解(連載第23回)

2015-03-28 | 〆スウェーデン憲法読解

第一一章 司法(続き)

正規の裁判官の任命

第六条

1 正規の裁判官は、政府が任命する。

2 任命に際しては、功績及び能力のような客観的理由のみを考慮しなければならない。

3 正規の裁判官の任命の際の手続の原則に関する規定は、法律で定める。

 裁判官の任命権が政府にあるのは、日本などと同様であるが、任命に当たっては客観的理由のみを考慮するという制約がついている。逆に言えば、主観的理由を考慮してはならないということである。従って、日本でしばしば問題視されてきた思想信条を理由とする「任官拒否」のようなやり方は、本条に違反することになる。

正規の裁判官の法的地位

第七条

1 正規の裁判官に任命された者は、次の各号に掲げる場合にのみその職を免ぜられる。

一 当該裁判官が犯罪又は職務上の重大な怠慢若しくは繰り返された怠慢により、その職を保持することが明らかに不適切となった場合

二 当該裁判官が該当する年金受給年齢に達した場合又は法律に従い職務遂行能力の永続的な喪失を理由として離職する義務がある場合

2 組織上の理由により必要とされる場合には、正規の裁判官に任命された者を他の同等の裁判官の職に転任させることができる。

 裁判官職の身分保障に関する規定である。第二項は裁判官の異動を認めるものの、同等職への異動に限定され、いわゆる左遷は許されないことになる。

第八条

1 最高裁判所又は最高行政裁判所の裁判官としての職務の遂行の際における犯罪に対する訴追は、最高裁判所により提起される。

2 最高行政裁判所は、最高裁判所の裁判官がその職を免ぜられるべきか否か若しくは停職されるべきか否か又は医学的診察を受ける義務を負うか否かを審査する。そのような訴えが最高行政裁判所の裁判官を対象としている場合には、最高裁判所が審査を行う。

3 第一項及び第二項の規定に基づく訴えは、議会オンブズマン又は大法官により提起される。

 最上級審の裁判官の処分は、議会オンブズマン又は大法官(政府の法律代官)の提訴に基づき、基本的に二種の最高裁判所自身で行なう。司法の頂点にある最上級審の裁判官の身分保障を万全なものにするためであるが、「身内」の審査となる嫌いはある。

第九条

正規の裁判官が裁判所以外の官庁の決定により職を免ぜられた場合には、当該裁判官は、当該決定が裁判所により審査されることを要求することができる。当該審査の際には、正規の裁判官が裁判所で審理する。正規の裁判官を停職とした決定、医学的診察を受けるよう命じた決定又は服務上の制裁を科した決定についても同様とする。

 日本国憲法では裁判所以外の官庁が裁判官に処分を下すことは認めないが、スウェーデンではこれを認めたうえ、裁判所による不服審査を保障する二段構えの規定である。

第一〇条

その他正規の裁判官の法的地位に関する基本的な規定は、法律で定める。

国籍要件

第一一条

正規の裁判官は、スウェーデン市民でなければならない。その他、司法の任務を遂行する権限のためのスウェーデン国籍の要求については、法律により、又は法律に定める条件に従ってのみ定められる。

 外国籍裁判官を排除することが憲法上の要求となっている。外国の司法支配を排除する趣旨であるが、欧州連合加盟との関連で見直しの可能性も秘めた規定である。

裁判所における他の職

第一二条

正規の裁判官以外の裁判所の職については、第一二章第五条から第七条までの規定が適用される。

 裁判官以外の裁判所事務職については、行政官に準じた扱いとなる。

再審及び失効期間の回復

第一三条

1 確定した事件の再審及び失効期間の回復は、最高行政裁判所により、又は法律が定める場合で、政府、行政裁判所若しくは行政機関が終審となっている事件に該当するときは、下級の行政裁判所により許可される。他の場合には、再審及び失効期間の回復は、最高裁判所により、又は法律に定める場合には、それ以外の裁判所により許可される。

2 再審及び失効期間の回復に関する詳細な規定は、法律で定める。

 確定事件の再審と失効期間の回復の審理機関に関する規定である。原則的には、二種の最高裁判所の権限である。

法律の審査

第一四条

1 ある規定が基本法又は他の優越する法令と抵触すると裁判所が判断した場合には、当該規定を適用してはならない。法令の制定時に、重大な点において法により定められた手続が顧慮されなかった場合も同様とする。

2 法律に関する第一項の規定に基づく審査の際には、議会が国民の第一の代表機関であり、基本法は法律に優越することに特に留意しなければならない。

 スウェーデンには憲法裁判所の制度はなく、違憲審査も一般の裁判所が行なう点で、アメリカや日本と同様である。ただし、第一項は違憲審査のほか、制定手続の瑕疵に遡った法令審査まで認めている。
 第二項は、裁判所が国民代表機関の制定した法令を尊重すると同時に、憲法を積極的に適用し、違憲判断を躊躇しないように促す趣旨であろう。

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スウェーデン憲法読解(連載第22回)

2015-03-27 | 〆スウェーデン憲法読解

第一一章 司法

 本章及び次章はそれぞれ司法及び行政に関わる章である。日本国憲法はじめ他国の憲法では行政→司法の順で定められるのが通例であるところ、司法→行政の順となるのは、スウェーデン憲法の特徴である。この順番は単なる偶然ではなく、スウェーデンでは基本法第一章第九条に「裁判所及び行政機関並びに他の行政上の任務を遂行する機関は、その活動において、すべての人の法の下の平等を考慮し、客観性及び公平性に配慮しなければならない。」とあったように、行政執行も司法的な原理に準じて行なわれることに由来するものと考えられる。

裁判所

第一条

1 最高裁判所、控訴裁判所及び地方裁判所は、通常の裁判所である。最高行政裁判所、行政控訴裁判所及び行政裁判所は、通常の行政裁判所である。最高裁判所、最高行政裁判所、高等裁判所及び高等行政裁判所により事件の審理を受ける権利は、法律により制限することができる。

2 他の裁判所は、法律により設置される。ある一定の場合における裁判所の禁止については、第二章第一一条第一項において定める。

3 最高裁判所又は最高行政裁判所の裁判官は、正規の裁判官として現に任命されているか、すでに任命された者のみが務めることができる。正規の裁判官は他の裁判所でも務める。ただし、特定の集団又は特定の事件群を審理するために設置された裁判所については、法律で例外を定めることができる。

 スウェーデン司法は通常裁判所系列と行政裁判所系列の二元制を採り、それぞれが三審制による。

第二条

裁判所による司法の任務、裁判所の組織の大綱及び裁判手続については、統治法が言及する観点とは別のものから、法律で定める。

 司法は専門技術性が高度な権力組織であるため、裁判所法のような特別法による別途規定が必要となる。

司法の自律性

第三条

いかなる官庁も、議会も、裁判所が個別の場合においてどのように判断し、又はその他の個別の場合においてどのように法の規定を適用するかを決定してはならない。また、いかなる他の機関も裁判の任務を個々の裁判官にどのように配分するかを決定してはならない。

 司法の独立を決定と権限配分の観点から明快に定めた規定である。

第四条

司法の任務は、基本法又は議会法から導かれる範囲を超えて議会により行われてはならない。

 司法権は原則として裁判所にあることを明確に確認している。ただし、選挙争訟(基本法第一二条)など例外的に議会が司法的任務を行なう場合も認められている。

第五条

私人間の法的紛争は、法律の規定によらずに、裁判所以外の官庁により、解決されてはならない。

 逆に読めば、裁判外の紛争解決は法律の規定が認める場合には許されるということである。紛争の司法的解決の原則を示している。

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晩期資本論(連載第35回)

2015-03-25 | 〆晩期資本論

七 資本の循環(3)

 資本の三つの循環形式の第三のもの、すなわち商品資本の循環は資本主義的生産様式をまさに特徴づける循環形式であるだけに、そこからより包括的な視座が導き出される。ちなみに、マルクスはこのような包括的な視座の基礎となる商品資本の循環を重農学派ケネーの経済表の基礎に見て、最終的には独自の再生産表式に練り上げている。

・・・この循環(商品資本の循環)そのものが、つぎのようなことを要求するのである。すなわち、この循環を、ただ、循環の一般的な形態として、すなわち各個の産業資本を(それが最初に投下される場合を除き)そのもとで考察することができるような社会的な形態として、したがってすべての個別産業資本に共通な運動形態として考察するだけでなく、また同時に、いろいろな個別資本の総計すなわち各個の産業資本家の総資本の運動形態として考察することを要求する・・・・。

 ここで言う個別資本の総計をマルクスは「社会的資本」と呼ぶ。マルクスは、社会的資本の構成として、資本主義経済で典型的な株式資本に加え、「政府が生産的賃労働を鉱山や鉄道などに充用して産業資本家として機能するかぎりでは国家資本も含めて」観念している。この「国家資本」は国家が鉱業や鉄道などの基幹部門に限って国有企業を保有する混合経済体制で典型的に見られるが、産業全般にわたって国有化する旧ソ連型のいわゆる社会主義体制では、国家資本が全般化された「国家資本主義」として発現する。
 このような社会的資本の運動にあっては、「各個の産業資本の運動はただ一つの部分運動として現われるだけで、この部分運動はまた他の部分運動とからみ合い他の部分運動によって制約されるのである」。

三つの形態を総括してみれば、過程のすべての前提は、過程の結果として、過程自身によって生産された前提として、現われている。それぞれの契機が出発点、通過点、帰着点として現われる。総過程は生産過程と流通過程との統一として表わされる。生産過程は流通過程の媒介者となり、また逆に後者が前者の媒介者となる。

 第一巻段階でのマルクスは、資本の流通をさしあたり形態的に商品変態として把握していたが、第二巻の段階では、「この形態的な面にとらわれないで、いろいろな個別資本の変態の現実の関連を見れば、すなわち、事実上、社会的総資本の再生産過程の諸部分運動としての諸個別資本の諸循環の関連を見れば、この関連を貨幣と商品との単なる形態転換から説明することはできない。」とし、このような資本循環の統一的総過程を、すべての点が出発点であると同時に帰着点でもあるような絶えず回転する円にたとえている。この円環的な「三つの循環のどれにも共通なものは、規定的目的としての、推進的動機としての、価値の増殖である」。

自分を増殖する価値としての資本は、階級関係を、賃労働としての労働の存在にもとづく一定の社会的性格を含んでいるだけではない。それは、一つの運動であり、いろいろな段階を通る循環過程であって、この過程はそれ自身また循環過程の三つの違った形態を含んでいる。だから、資本は、ただ運動としてのみ理解できるのであって、静止している物としては理解できないのである。

 資本の本質について、マルクスは、階級関係の中で剰余労働に対する指揮権という一つの権力として理解する政治学的な把握と同時に、経済学的には価値増殖を動機・目的とした運動とみなす把握を示している。つまり、資本とは、特に法学的な把握において典型的に見られるような静止した資金ではない。

・・・あらゆる価値革命にもかかわらず資本主義的生産が存在しているのは、また存在を続けることができるのは、ただ資本価値が増殖されるかぎりでのことであり、言い換えれば独立した価値としてその循環過程を描くかぎりでのことであり、したがって、ただ価値革命がどうにかして克服され埋め合わされるかぎりでのことである。

 資本主義は周期的な価値革命の継起を特徴とするが、これまでのところ、過去の価値革命は「どうにかして克服され埋め合わされ」てきたので、資本主義はなおも生き延びている。しかし―

価値革命がいっそう急性になり頻繁になるにつれて、独立化された価値の自動的な運動、不可抗力的な自然過程の力で作用する運動は、個々の資本家の予見や計算に反してますます威力を発揮し、正常な生産の進行はますます非正常な投機に従属するようになり、個別資本の生存にとっての危険はますます大きくなる。

 個別資本の競争がグローバルな規模で拡大した晩期資本主義は、価値革命の急性化・頻繁化の時代でもあり、生産活動が株式のみならず、資源のような生産財の投機にも従属し、個別資本の生存の危険が恒常化している。個別資本が総倒れになれば、社会的資本の運動も停止し、資本主義そのものの命脈も尽きることになる。

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晩期資本論(連載第34回)

2015-03-24 | 〆晩期資本論

七 資本の循環(2)

 貨幣資本の循環に続き、マルクスは第二の生産資本、及び第三の商品資本の循環の解析に進む。原典ではより詳密な解析が行なわれており、『資本論』の中でも難解な箇所であるが、ここではそうした細部にはあえて立ち入らず、要点のみを参照していく。

この(生産資本の)循環が意味するものは、生産資本の周期的に繰り返される機能、つまり再生産であり、言い換えれば価値増殖に関連する再生産過程としての生産資本の生産過程である。剰余価値の生産であるだけでなく、その周期的な再生産である。

 第一巻で剰余価値の生産という視座から総論的に扱われていたのは、専らこの生産資本の循環の部分であった。この「貨幣資本から生産資本への転化は、商品生産のための商品購買である」。従って、ここでは「本当の流通は、ただ周期的に更新され更新によって連続する再生産の媒介として現われるだけである」。またその流通過程は商品の交換取引を媒介する商品流通形態をとる。
 このような再生産過程にも、剰余価値がすべて資本家の個人的消費に帰する単純再生産と剰余価値が資本に追加されていく拡大再生産とが区別されるが、前者の単純再生産は理論モデルに等しく、現実の資本主義経済は拡大再生産の過程である。

生産資本の循環は、古典派経済学が産業資本の循環過程を考察する際に用いている形態である。

 現代資本主義においてもイデオロギー面でなお支配的な古典派経済学では、労働による生産を国富の源泉と規定し、貨幣を単に媒介的流通手段とみなすことを共通視座としているが、反面、古典派が批判の対象とした重商主義学派が国富の源泉と規定した貨幣蓄積の面が軽視されがちとなっている。
 その点、マルクスは「資本循環」という動的な視座から、二つの新旧視座の対立を止揚し、資本循環の大枠を貨幣資本の循環と規定しつつ、その形態転化として生産資本の循環を位置づけようとしたと言える。よって、「資本の循環過程は、流通と生産との統一であり、その両方を包括している。」とも言われるのである。

商品資本の循環は、資本価値で始まるのではなく、商品形態で増殖された資本価値で始まるのであり、したがって、はじめから、単に商品形態で存在する資本価値の循環だけではなく剰余価値の循環をも含んでいるのである。

 資本循環の第三の機能形態である商品資本の循環は、はじめからすでに購買済み生産要素から成り、従って剰余価値を含み増殖された資本価値の循環となる。第一の貨幣資本の循環では、生産過程が流通過程の媒介とみなされ、第二の生産資本の循環においては流通過程が再生産過程の媒介として理解されたが、第三の商品資本の循環では生産過程と流通過程とが止揚され、相互媒介関係として把握される。その意味では、これはまさに資本主義的生産様式における中核的な循環形式である。

・・・支配的な生産様式としての資本主義的生産様式の基礎の上では、売り手の手にある商品はすべて商品資本でなければならない。それは、商人の手のなかでも引き続き商品資本である。あるいはまた、それまではまだそうでなかったとすれば、商人の手のなかで商品資本になる。あるいはまた、それは、最初の商品資本と入れ替わった商品、したがってそれにただ別の存在形態を与えただけの商品―たとえば輸入品―でなければならない。

 別の箇所では、「資本主義的に生産された物品は、その使用形態がそれを生産的消費用にしようと個人的消費用にしようと、あるいはまたその両方にしようと、とにかくすべて商品資本である。」とも言明されている。いずれも、第一巻冒頭、すなわち『資本論』全体の始まりの一句「資本主義的生産様式が支配的に行われている社会の富は、一つの「巨大な商品の集まり」として現れ、一つ一つの商品は、その富の基本形態として現われる。」とも呼応する総括である。

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晩期資本論(連載第33回)

2015-03-23 | 〆晩期資本論

七 資本の循環(1)

 今回以降は『資本論』第二巻及び第三巻を参照しながらの考察となるが、実のところ、マルクス自身の筆で書き上げたのは第一巻までで、第二巻以降は盟友・エンゲルスがマルクスの遺稿を編集して仕上げたものであるので、エンゲルスの手が入っている。よって、第二巻から先はマルクス‐エンゲルスの実質的な合作とみなすほうが正確である。
 そういう前提でまず「資本の流通過程」と題された第二巻を見ると、本巻では第一巻での総論的な考察を踏まえ、資本の流通的な側面を考察している。マルクスは第一巻でも「商品流通は資本の出発点である。」と記し、流通を資本の動因とみなしていた。実際、資本主義は発展の過程で複雑な流通機構を形成しており、流通過程の維持が資本の生命線ともなっている。
 第二巻では、こうした流通の観点から、資本が姿を変えつつ、巡り戻ってくる運動の過程―資本の循環―を原理的に考察しようとしているが、そうした資本循環にも、貨幣資本・生産資本・商品資本の三つの流れが区別される。

資本の循環過程は三つの段階を通って進み、これらの段階は、第一巻の叙述によれば、次のような順序をなしている。

第一段階。資本家は商品市場や労働市場に買い手として現われる。彼の貨幣は商品に転換される。すなわち流通行為G―Wを通過する。
第二段階。買われた商品の資本家による生産的消費。彼は資本家的商品生産者として行動する。彼の資本は生産過程を通過する。その結果は、それ自身の生産要素の価値よりも大きい価値をもつ商品である。
第三段階。資本家は売り手として市場に帰ってくる。彼の商品は貨幣に転換される。すなわち流通行為W―Gを通過する。

 このような第一巻の簡潔な「復習」に始まる第二巻の冒頭で、マルクスは貨幣資本の循環の三つの段階を指摘している。おおまかに言えば、第一段階は労働力の購買―雇用―、第二段階は労働力の消費による生産―労働―、第三段階は生産物の販売である。
 このうち、「第一段階と第三段階は、第一部では、ただ第二段階すなわち資本の生産過程を理解するために必要なかぎりで論及されただけだった。だから、資本が自分の通るいろいろな段階で身につけるところの、そして繰り返される循環のなかで身につけたり脱ぎ捨てたりするところの、いろいろな形態は、顧慮されていなかった。これからは、これらの諸形態がまず第一の研究対象になるのである。」というのが、第二巻の趣旨説明である。

資本価値がその流通段階でとる二つの形態は、貨幣資本商品資本という形態である。生産段階に属するその形態は、生産資本という形態である。その総循環の経過中にこれらの形態をとっては捨て、それぞれの形態でその形態に対応する機能を行なう資本は、産業資本である。―ここで産業とは、資本主義的に経営されるすべての生産部門を包括する意味で言うのである。

 マルクスは産業を資本主義的生産部門という特定的な広い意味で用いており、そうした産業資本が貨幣資本、商品資本、生産資本という三つの機能形態を兼ね備えるという発想である。

独立の産業部門でも、その生産過程の生産物が新たな対象的生産物ではなく商品ではないような産業部門もある。そのなかで経済的に重要なのは交通業だけであるが、それは商品や人間のための運輸業であることもあれば、単に通信や書信や電信などの伝達であることもある。

 ここでマルクスの言う「交通業」とは通信分野も含む広い意味であるが、マルクスの時代、まだ黎明期であったこの種「交通業」は、技術革新が進んだ現代の晩期資本主義で隆盛を見ている。この分野では、工業のように生産過程で新たな生産物が生み出されるわけではないが、「交通」のサービスそのものを無形的な「商品」とみなすこともできる。その限りで、上記叙述は修正されてよいであろう。

産業資本の循環の一般的な形態は、資本主義的生産様式が前提されているかぎりでは、したがって資本主義的生産によって規定されている社会状態のなかでは、貨幣資本の循環である。

 産業資本が流通過程で三つの機能形態を兼ね備えるとはいえ、出発点となるのは貨幣資本であり、煎じ詰めればカネの循環にほかならない。よって、「貨幣資本の循環は、産業資本の循環の最も一面的な、そのためにまた最も適切で最も特徴的な現象形態なのであって、価値の増殖、金儲けと蓄積という産業資本の目的と推進動機とが一目でわかるように示されるのである(より高く売るために買う)。」とも指摘されるのである。

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リベラリストとの対話―「自由な共産主義」をめぐって―(15)

2015-03-22 | 〆リベラリストとの対話

13:完全自由労働制について①

リベラリスト:今回から、労働の問題について話し合いたいと思うのですが、あなたの『共産論』で私が一番懐疑的なのは、無償の完全自由労働という構想ですね。要するに、複雑・単純を問わず、あらゆる労働をボランティアにしようというわけですが、それとある意味、究極のノルマ生産である計画経済とがどう結びつくのか、イメージが湧きません。

コミュニスト:計画経済と聞くと、過酷なノルマを課せられる強制労働をイメージされることが多いようですが、正しく理解された計画経済は強制労働とは無縁のものです。

リベラリスト:強制労働の禁止は、私もリベラリストとして十二分にわかっています。そして、自由市場経済下では労働の自由が保障されており、あえて労働しないことも選択肢としては認められているということも理解しています。

コミュニスト:そのことは、私も自由市場経済下での生活を強いられてきたコミュニストとして、承知しています。ですが、資本主義社会で労働しないことが可能なのは、労働で報酬を得ずとも、自己資産や他人資産による援助などの生活の支えがある場合に限られます。つまりは、有産有閑階級の贅沢なのです。

リベラリスト:有産階級も、自分の労働によって形成された資産に基づいて有閑生活を送るならそう非難する必要もないのでは?それより、私が知りたいのは、無償の完全自由労働で、どうやって労働を組織できるかです。ボランティアでカバーできる労働領域は限られています。

コミュニスト:一つの手がかりは、緻密な労働紹介システムです。資本主義では、労働するかどうか、するとしてどのような労働に就くかはそれこそ完全自由だという名目で放任されるため、ミスマッチやニートなどの問題が起きやすいのです。しかし、労働紹介が合理的にしっかりと行われれば、各人に適性に沿った労働を配分することが可能です。

リベラリスト:「労働配給システム」ですか。労働も労働生産物も配給制。統制経済の本性が出ましたね。

コミュニスト:それは、短絡的な批判です。少なくとも、私が構想する労働紹介システムは、画一的な労働分配ではなく、心理学も応用した科学的な適性評価に基づく労働紹介ですから、資本主義的な職業紹介よりも実質的なキャリアカウンセリングの意義を持っています。

リベラリスト:しかし、あなたが強調する計画経済というのは労働力の計画的動員なくしては成り立たないはずです。心理学的なキャリアカウンセリングだけでは甘いのでは?

コミュニスト:もちろん、経済計画には労働力計画も包含されますから、労働紹介は経済計画とも連動して、一定の計画性をもって実施されるでしょう。

リベラリスト:すると、やはり個人の職業選択の自由を制約する側面を生じ、リベラリストとしてはすんなり賛同というわけにいかなくなりますね。統制的と言って悪ければ、管理的になります。

コミュニスト:資本主義は職業選択の自由を高調しますが、それには裏があり、「自由」の触れ込みにもかかわらず、実際上各人の職業選択肢の数は決して多くないのだ・・・ということは、人生の半分くらいまで年を重ねた人なら実感できるはずですが。

リベラリスト:ええ、私もひしひしと実感していますよ。では、「科学的な労働紹介システム」が確立され、各人の適性に沿った職業選択肢がたくさん示されたとして、あなたの期待どおりに、人々は無報酬で嬉々として労働するようになるでしょうか。これは、人類という生き物の本質にも関わることなので、次回に回しましょう。

※本記事は、架空の対談によって構成されています。

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テロの世紀

2015-03-22 | 時評

今年に入って、毎月のようにテロ事件である。イスラーム国から正式に標的宣言を受けた日本人の犠牲も続いており、もはや他人事ではない。このままいけば、9・11事件で幕を開けた21世紀は、未来の歴史家により「テロの世紀」と命名されるに違いない。

20世紀は二つの世界大戦を筆頭とする数々の凄惨な戦争を経験した「戦争の世紀」であったが、それをどうにか乗り越えた先に今度は「テロの世紀」が来るとは情けないことである。

ただし、ここ言う「テロ」(テロリズム)とは、過激主義者による爆破・銃撃行動だけを指すのではない。「テロとの戦い」の名の下に、諸国が合同で空爆作戦を仕掛けるようなことも「テロ」と呼ばれるに値する。

この言い草に反発する者は、空爆にさらされる人々―「テロリスト」だけではない―が身をもって体験する恐怖への想像力を欠いている。テロとは社会に広く恐怖感を及ぼすことにより自己の主張を受け入れさせようとすることだとすれば、「テロとの戦い」もそれ自体十分にテロである。

テロに対して、テロが戦っている―。そこに共通する観念は「報復」である。罪を償わせる。これは「テロとの戦い」の当事者双方の共通大義である。報復は人間的ではあるが、前近代的な倫理観念として克服されたはずだった。それが、ここへ来て「近代化」本家欧米でも大きく復活してきた。

これは、近年における世界の反動化傾向の明白な症候である。報復が普遍常識であった前近代とは、ある意味ではひっくるめて「テロの時代」でもあったわけだが、克服したはずの過去へとまた回帰するなら、振り出しへ戻ることになる。

もう一度ご丁寧に振り出しからやり直す面倒をなぜ踏みたいのかわからぬが、人類多数派がそうしたいと考えているわけではないだろう。といって、これといった処方箋も見出せず、困惑しているのが大多数の人たちかと思われる。

筆者の処方箋は、従来から明確である。過激主義を生み出す世界の不公正の大元―資本主義―を克服する民衆革命の地球規模での実行である。もとより、この主張を押し付けるためにテロを実行するつもりはないが。

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中国憲法評解(連載第12回)

2015-03-21 | 〆中国憲法評解

第七二条

全国人民代表大会代表及び全国人民代表大会常務委員会の構成員は、法律の定める手続きに従って、それぞれ全国人民代表大会及び全国人民代表大会常務委員会の権限に属する議案を提出する権利を有する。

 本条以下は、主として、全人代代表(代議員)の権限について定めている。全人代代表はソヴィエト代議員を範としているが、実態としては諸国の国会議員に近くなっている。その主要な権限は、本条の議案提出権と次条の質問権である。

第七三条

全国人民代表大会代表は全国人民代表大会の開会中に、また、全国人民代表大会常務委員会構成員は全国人民代表大会常務委員会の開会中に、法律の定める手続きに従って、国務院又は国務院の各部及び各委員会に対する質問書を提出する権利を有する。質問を受けた機関は、責任を持って回答しなければならない。

第七四条

全国人民代表大会代表は、全国人民代表大会議長団の許諾がなければ、また、全国人民代表大会閉会中の期間においては全国人民代表大会常務委員会の許諾がなければ、逮捕されず、又は刑事裁判に付されない。

 本条及び次条は、全人代代表の不逮捕及び免責特権を定めている。日本国憲法にも定めのある国会議員の特権と同様のものであるが、不逮捕にとどまらず、訴追免責まで認められているのは特徴的である。

第七五条

全国人民代表大会代表は、全国人民代表大会の各種会議における発言又は表決について、法律上の責任を問われない。

第七六条

1 全国人民代表大会代表は、模範的にこの憲法及び法律を遵守し、国家機密を保守するとともに、自己の参加する生産活動、業務活動及び社会活動において、この憲法及び法律の実施に協力しなければならない。

2 全国人民代表大会代表は、選挙母体及び人民との密接な結びつきを保持し、人民の意見及び要求を聴取し、及び反映し、並びに人民のために奉仕することに努めなければならない。

 全人代代表の義務・責務に関する規定である。全人代代表は国会議員のように事実上の専業ではなく、本業との兼職が原則であるため、それぞれの生産現場等で憲法・法律の実施に協力し、また選挙母体及び有権者人民との密接な結びつきも求められる。なお、第一項で全人代代表に国家機密の保守義務が課せられているのは、ひるがえって第七三条の質問権を大きく制約することになるだろう。

第七七条

全国人民代表大会代表は、選挙母体の監督を受ける。選挙母体は、法律の定める手続きに従って、その選出した代表を罷免する権利を有する。

 民主集中制のため、全人代代表は命令委任により、選挙母体からのリコールを受ける。この点は、自由委任が基本の国会議員とは大きく異なる。

第七八条

全国人民代表大会及び全国人民代表大会常務委員会の組織及びその活動手続きは、法律でこれを定める。

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中国憲法評解(連載第11回)

2015-03-20 | 〆中国憲法評解

第六五条

1 全国人民代表大会常務委員会は、次に掲げる者によって構成される。

 委員長
 副委員長 若干名
 秘書長
 委員 若干名

2 全国人民代表大会常務委員会の構成員の中には、適当な数の少数民族代表が含まれるべきである。

3 全国人民代表大会は、全国人民代表大会常務委員会の構成員を選挙し、かつ、罷免する権限を有する。

4 全国人民代表大会常務委員会の構成員は、国家の行政機関、裁判機関及び検察機関の職務に従事してはならない。

 本条以下では、主として全人代の指導部に当たる常務委員会の構成や権限について定めている。全体として、旧ソ連最高会議幹部会を範例としている。

第六六条

1 全国人民代表大会常務委員会の毎期の任期は、全国人民代表大会の毎期の任期と同一とし、次期全国人民代表大会が新たな全国人民代表大会常務委員会を選出するまで、その職権を行使する。

2 委員長及び副委員長は、二期を超えて連続して就任することはできない。

第六七条

全国人民代表大会常務委員会は、次の職権を行使する。

一 この憲法を解釈し、及びこの憲法の実施を監督すること。
二 全国人民代表大会が制定すべき法律以外の法律を制定し、及びこれを改正すること。
三 全国人民代表大会閉会中の期間において、全国人民代表大会の制定した法律に部分的な補充を加え、及びこれを改正すること。但し、その法律の基本原則に抵触してはならない。
四 法律を解釈すること。
五 全国人民代表大会閉会中の期間において、国民経済・社会発展計画及び国家予算について、その執行の過程で作成の必要を生じた部分的調整案を審査及び承認すること。
六 国務院、中央軍事委員会、最高人民法院及び最高人民検察院の活動を監督すること。
七 国務院の制定した行政法規、決定及び命令のうち、この憲法及び法律に抵触するものを取り消すこと。
八 省、自治区及び直轄市の国家権力機関の制定した地方的法規及び決議のうち、この憲法、法律及び行政法規に抵触するものを取り消すこと。
九 全国人民代表大会閉会中の期間において、国務院総理の指名に基づいて、部長、委員会主任、会計検査長及び秘書長を選定すること。
一〇 全国人民代表大会閉会中の期間において、中央軍事委員会主席の指名に基づいて、中央軍事委員会のその他の構成員を選定すること。
一一 最高人民法院院長の申請に基づいて、最高人民法院の副院長、裁判員及び裁判委員会委員並びに軍事法院委員長を任免すること。
一二 最高人民検察院検察長の申請に基づいて、最高人民検察院の副検察長、検察員及び検察委員会委員並びに軍事検察院検察長を任免し、かつ、省、自治区及び直轄市の人民検察院検察長の任免について承認すること。
一三 海外駐在全権代表の任免を決定すること。
一四 外国と締結した条約及び重要な協定の批准又は廃棄を決定すること。
一五 軍人及び外務職員の職級制度その他の特別の職級制度を規定すること。
一六 国家の勲章及び栄誉称号を定め、並びにその授与について決定すること。
一七 特赦を決定すること。
一八 全国人民代表大会閉会中の期間において、国家が武力侵犯を受け、又は侵略に対する共同防衛についての国際間の条約を履行しなければならない事態が生じた場合に、戦争状態の宣言を決定すること。
一九 全国の総動員又は局所的動員を決定すること。
二〇 全国又は個々の省、自治区若しくは直轄市の緊急事態への突入を決定すること。
二一 全国人民代表大会が授けるその他の職権。

 全人代常務委員会の職権は多岐にわたるが、栄典の授与や特赦など通常は国家元首が行うような行為も含まれている。現在の中国には他国の大統領に相当する国家主席が置かれているが、ソヴィエト制の建前上は本来、ソヴィエト幹部会が集団的元首となるため、中国では全人代常務委員会にそうした痕跡が残されていると考えられる。

第六八条

1 全国人民代表大会常務委員会委員長は、全国人民代表大会常務委員会の活動を主宰し、全国人民代表大会常務委員会の会議を招集する。副委員長及び秘書長は、委員長の活動を補佐する。

2 委員長、副委員長及び秘書長をもって委員長会議を構成し、全国人民代表大会常務委員会の重要な日常活動の処理に当たる。

 全人代常務委員長は本来ならば集団的元首のトップとして、事実上の国家代表者となるはずであるが、その役割は現代中国では国家主席に譲られている。

第六九条

全国人民代表大会常務委員会は、全国人民代表大会に対して責任を負い、かつ、活動を報告する。

 全人代常務委員会は民主集中制原則(第三条第一項)により、自己の選出機関である全人代に責任と報告義務を負う。

第七〇条

1 全国人民代表大会は、民族委員会、法律委員会、財政経済委員会、教育科学文化衛生委員会、外務委員会、華僑委員会その他必要な専門委員会を設置する。全国人民代表大会閉会中の期間においては、各専門委員会は、全国人民代表大会常務委員会の指導を受ける。

2 各専門委員会は全国人民代表大会及び全国人民代表大会常務委員会の指導の下に、関係の議案を研究し、審査し、又はその起草に当たる。

 全人代には諸国の議会と同様に専門の常任委員会が置かれ、審議の分散・効率化が図られている。第一項所定の六つの委員会については、憲法上設置が義務づけられている。

第七一条

1 全国人民代表大会及び全国人民代表大会常務委員会は、必要があると認める場合は、特定の問題についての調査委員会を組織し、かつ、調査委員会の報告に基づいて、それに相応した決議を採択することができる。

2 調査委員会が調査を行うときは、関係のある全ての国家機関、社会団体及び公民は、これに対して必要な資料を提供する義務を負う

 国政調査権に当たる規定である。ただし、一党支配体制下では党の方針が優先され、全人代が独自の国政調査を発動することは困難である。

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中国憲法評解(連載第10回)

2015-03-19 | 〆中国憲法評解

第三章 国家機構

 第三章は、憲法の中核を成す国家機構に関する章である。中国の国家機構は、ブルジョワ民主主義で定番の三権分立制ではなく、人民代表大会を軸とするソヴィエト制であるが、旧ソ連と同様の共産党一党支配体制の下、事実上は立法・行政・軍事・司法の部門的機能分化がなされている。ただ、諸国の憲法のように、各部門ごとに章を立て起こすのではなく、全部門を国家機構として本章に包括している点が特徴的である。ここには、全人代を全権力の源泉とみなす一元的な権力機構の構想が横たわっているようにも見える。

第一節 全国人民代表大会

第五七条

全国人民代表大会は、最高の国家権力機関である。その常設機関は、全国人民代表大会常務委員会である。

 全国人民代表大会(以下、全人代)は、旧ソ連のソヴィエト最高会議を範例とする最高権力機関である。言わば、中国版ソヴィエトであるが、共産党支配体制下では、共産党の施政方針の追認機関と化す点でも同様の傾向を持つ。ただし、連邦制を反映して二院制を採ったソ連最高会議とは異なり、中央集権制の中国全人代は一院制である。

第五八条

全国人民代表大会及び全国人民代表大会常務委員会は、国家の立法権を行使する。

 全人代の最大任務は、立法権の行使である。この点では、政治的美称とはいえ、「ソヴィエト連邦の管轄に属するすべての問題を解決する権限をもつ」と包括的な全権機関として規定されていたソ連最高会議に比べ、中国全人代はブルジョワ議会的な立法機関としての性格が強まっていると言える。

第五九条

1 全国人民代表大会は省、自治区、直轄市、特別行政区、軍隊の選出する代表によって構成される。いずれの少数民族も、全て適当な数の代表を持つべきである。

2 全国人民代表大会代表の選挙は、全国人民代表大会常務委員会がこれを主宰する。

3 全国人民代表大会代表の定数及びその選出方法は、法律でこれを定める。

 全人代の代表(代議員)は、選挙区でなく、省以下の地方行政区および軍、さらに公認少数民族を単位として選出される。その構成からいくと、旧ソ連最高会議の第二院民族会議に近い。軍が独自に代表を送り込めるのは、抗日及びその後の建国革命で軍(人民解放軍)の果たした歴史的な役割の大いさから、軍の自立性が認められていることを示す。
 全人代代表の選出方法は第三項で法律に委ねられており、直接選挙は憲法上保障されていない。従って、直接選挙制を採用することも可能ではあるが、現行法は上記選出単位ごとの間接選挙によっている。

第六〇条

1 全国人民代表大会の毎期の任期は、五年とする。

2 全国人民代表大会の任期満了二か月月前に、全国人民代表大会常務委員会は、次期全国人民代表大会の選挙を完了させなければならない。選挙を行うことのできない非常事態が生じた場合は、全国人民代表大会常務委員会は、その全構成員の三分の二以上の賛成で、選挙を延期し、当期全国人民代表大会の任期を延長することができる。非常事態の終息後一年内に、次期全国人民代表大会代表の選挙を完了させなければならない。

 全人代(代議員)の五年任期、任期満了二か月前の選挙という原則的なプロセスは、旧ソ連憲法の例にならったものである。前条第二項とあわせ、全人代の選挙は、政府(国務院)ではなく、全人代の幹部会である常務委員会が自律的に主宰する。

第六一条

1 全国人民代表大会の会議は、毎年一回開き、全国人民代表大会常務委員会がこれを招集する。全国人民代表大会常務委員会が必要と認めた場合、又は五分の一以上の全国人民代表大会代表が提議した場合は、全国人民代表大会の会議を臨時に招集することができる。

2 全国人民代表大会の会議が開かれるときは、議長団が選挙されて、会議を主催する。

 旧ソ連最高会議の会期は年二回であったが、中国全人代は年一回とされる。これは大人口のため代議員も多数に上る(定数は最大3千人)中国では、年一回開催が現実的なためかと思われる。

第六二条

全国人民代表大会は、次の職権を行使する。

一 憲法を改正すること。
二 憲法の実施を監督すること。
三 刑事、民事、国家機構その他に関する基本的法律を制定し、及びこれを改正すること。
四 中華人民共和国主席及び副主席を選挙すること。
五 中華人民共和国主席の指名に基づいて、国務院総理を選定し、並びに国務院総理の指名に基づいて、国務院の副総理、国務委員、各部部長、各委員会主任、会計検査長及び秘書長を選定すること
六 中央軍事委員会主席を選挙し、及び中央軍事委員会主席の指名に基づいて、中央軍事委員会のその他の構成員を選定すること。
七 最高人民法院院長を選挙すること。
八 最高人民検察院検察長を選挙すること。
九 国民経済・社会発展計画及びその執行状況の報告を、審査及び承認すること。
一〇 国家予算及びその執行状況の報告を、審査及び承認すること。
一一 全国人民代表大会常務委員会の不適当な決定を改め、又は取り消すこと。
一二 省、自治区及び直轄市の設置を承認すること。
一三 特別行政区の設立及びその制度を決定すること。
一四 戦争と平和の問題を決定すること。
一五 最高の国家権力機関が行使すべきその他の職権。

 本条は全人代の職権リストである。筆頭に憲法改正が来ていることからも、制憲機関としての役割とそれを基盤とする立法機関としての役割が重視されていることがわかる。

第六三条

全国人民代表大会は次の各号に掲げる者を罷免する権限を有する。

一 中華人民共和国主席及び副主席
二 国務院総理、副総理、国務委員、各部部長、各委員会主任、会計検査長及び秘書長
三 中央軍事委員会主席及び中央軍事委員会その他の構成員
四 最高人民法院院長
五 最高人民検察院検察長

 全人代は、国家主席以下、前条により任命権を持つ行政・軍事・司法の要職者を罷免する権限も持つ。罷免権を前条から独立して規定しているのは、そうしたリコール機関としての役割を明確にするためと思われる。

第六四条

1 この憲法の改正は、全国人民代表大会常務委員会又は五分の一以上の全国人民代表大会代表がこれを提議し、かつ、全国人民代表大会が全代表の三分の二以上の賛成によって、これを採択する。

2 法律その他の議案は、全国人民代表大会が全代表の過半数の賛成によって、これを採択する。

 憲法改正案及び法律その他の議案の採決に関する規定である。最高法規である憲法の改正については、発議・表決ともに厳格な要件が課せられている。

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スウェーデン憲法読解(連載第21回)

2015-03-13 | 〆スウェーデン憲法読解

第一〇章 国際関係

 本章は、条約を中心とした国際関係(外交権)に関する詳細規定をまとめた章である。スウェーデンに限ったことではないが、スウェーデンも1995年の欧州連合加盟以来、国際関係が複雑化しており、国家主権との関係上憲法的な整理の必要が生じ、国際関係に関する規定が増補されている。

条約を締結する政府の権限

第一条

他の国又は国際機関との間の条約は、政府により締結される。

第二条

政府は、議会又は外交評議会の協力を要求しない問題に関する条約を締結することを行政機関に委任することができる。

 条約の締結権を原則的に政府が持つのは、ごく標準的な規定である。なお、第二条にある外交評議会とは、第一二条で規定される国家元首を議長とする正式な外交審議機関である。

第三条

1 国を拘束する条約で、次の各号に掲げるものを政府が締結する前には、議会による批准が必要とされる。

一 法律が改正され、若しくは廃止されること又は新たな法律が制定されることを前提としている条約

二 その他議会が議決すべき問題に該当する条約

2 第一項第一号又は第二号に規定する議会の議決が特別の方法に従って行われるべき場合には、条約の批准に際しても同様の方法が採られなければならない。

3 その他の場合においても、国を拘束する条約が重大な意義を有する場合には、当該条約が締結される前に議会による批准が必要とされる。ただし、国益上必要とされる場合には、政府は、議会による批准を断念することができる。その際、政府は、代替措置として、条約を締結する前に、外交評議会と協議しなければならない。

第四条

第三条に規定する条約で、欧州連合における協力の枠組み内で締結されるものは、当該条約が最終段階のものでない場合であっても、議会がこれを批准することができる。

 条約の批准を全面的に政府の権限とせず、重要性の高い条約については議会の権限とするのは、議会を重視するスウェーデンの特質である。

他の国際的義務及び条約破棄

第五条

第一条から第四条までの規定は、国に対する条約以外の国際的義務及び条約又は国際的義務の破棄にも適用される。

欧州連合の協力の枠内の議決権の委譲

第六条

1 欧州連合における協力の枠組みの範囲内で、議会は、国家体制の根幹に関わらない議決権を委譲することができる。当該委譲は、それが関係する協力の分野における権利及び自由の保護が統治法並びに人権及び基本的自由の保護のための欧州条約による保護に対応していることを前提とする。

2 議会は、投票者の四分の三以上で、かつ、議員の過半数が賛成票を投じた場合に、当該委譲について議決することができる。この議会の議決は、基本法の制定に適用される方法により行うこともできる。委譲は、第三条の規定に基づく議会による条約の批准の後でなければ議決することができない。

 欧州連合加盟に伴って生じた議会の議決権委譲に関する規定である。議決権委譲は、国家主権の一部譲渡に等しいため、憲法上慎重な条件が課せられる。委譲できるのは国家体制の根幹に関わらない限度で、かつ厳正な手続的条件を要する。 

欧州連合の協力の枠外の議決権の委譲

第七条

1 第六条の規定とは別の場合に、この統治法に直接根拠を有し、法令の規定が定める議決権、国家資産の利用、司法若しくは行政の職務又は条約の締結若しくは破棄は、国が参加する、若しくは参加する予定の平和的協力のための国際機関又は国際的な裁判所に限定された範囲で委譲することができる。

2 基本法の制定、改正若しくは廃止、議会法若しくは議会選挙法に関する問題又は第二章に規定する自由及び権利の制限に関する問題についての議決権は、第一項の規定に基づき、委譲されてはならない。

3 議会は、第六条第二項に規定する方法により、委譲について議決する。

第八条

1 この統治法に直接根拠を有しない司法又は行政の職務は、第六条とは別の場合に、議会の議決により、他の国、国際機関又は外国の若しくは国際的組織若しくは団体に委譲することができる。議会が、法律により、政府又は他の機関に対し、特別な場合に当該委譲について決定する権限を付与することができる。

2 職務が機関の権限行使に関わる場合には、議会は、第六条第二項に規定する方法により、委譲又は権限付与について議決する。

 第七条と第八条は、国際連合など欧州連合以外の外国や国際機関等への議決権や司法、行政上の職務権限の委譲について定めている。ただし、基本法や議会法、基本権に関わる問題については委譲できない。

条約の将来の改正

第九条

条約がスウェーデン法として効力を有するべきであると規定される場合には、議会は、国を拘束する将来の条約の改正もスウェーデン法として効力を有するべきであると議決することができる。当該議決は、限定された範囲の将来の改正のみを予定することができる。当該議決は、第六条第二項に規定する方法によりなされる。

欧州連合の協力に関する情報及び協議に対する議会の権限

第一〇条

政府は、欧州連合における協力の枠組み内で生じていることについて、継続的に情報提供し、議会により選出された機関と協議しなければならない。情報提供及び協議の義務の詳細は、議会法で定める。

外交評議会

第一一条

政府は、国にとって重要性を有する可能性のある外交政策の状況について継続的に外交評議会に報告し、必要な頻度、当該政策について評議会と協議しなければならない。重要度の高い外交問題については、政府は、可能な場合には、決定前に当該評議会と協議する。

第一二条

1 外交評議会は、議会議長及び議会内部から選挙される他の九人の評議員により構成される。外交評議会の構成の詳細については、議会法で定める。

2 外交評議会は、政府の招集により集会する。政府は、五人以上の評議員からある一定の問題について協議するよう要求があった場合には、評議会を招集する義務を負う。評議会の集会の際の議長は、国家元首であり、国家元首に支障があるときは、総理大臣である。

3 外交評議会の評議員及び評議会と関係を有する他の者は、その者がその権限で知り得たことについて、第三者に報告する際に、注意しなければならない。議長は、無条件の守秘義務を決定することができる。

 外交問題の審議機関である外交評議会は、スウェーデン独自の制度である。議長は原則として国家元首(君主)が務める点で、歴史的に君主が有した外交権の名残でもあるが、他の評議員は国会議長をはじめとする議員である点において、議会による外交統制という民主的な意義をも有するユニークな制度である。

国家機関の報告義務

第一三条

外交問題を所掌する省庁の長は、他の国又は国際機関との関係にとって重要な問題が国家機関の下に生じた場合には、報告を受けなければならない。

国際刑事裁判所

第一四条

第二章第七条、第四章第一二条、第五章第八条、第一一章第八条及び第一三章第三条の規定は、国際刑事裁判所に関するローマ規程又は他の国際的な刑事裁判所との関係を理由とするスウェーデンの義務の履行を妨げない。

 人道犯罪を裁く国際的な刑事裁判所との関係では、君主の訴追免除特権をはじめ、憲法上の所定の制約は排除される。国際人道裁判に関する限り、部分的に国際法を憲法に優位させる先進的な規定である。

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スウェーデン憲法読解(連載第20回)

2015-03-12 | 〆スウェーデン憲法読解

第九章 財政権

 法令制定に関する詳細規定がまとめられていた前章に続き、本章では財政に関する詳細規定がまとめられている。租税を財源に高度な社会サービスを提供してきたスウェーデンでは財政権は立法権と並び、特に重要な議会の権限である。

国家歳入及び歳出に関する議決

第一条

議会は、国税及び国の公課並びに国家予算について議決する。

 財政民主主義の原則規定である。以下、第一一条までは、この原則に基づく見出し付きの極めて簡潔明快で実際的な規定が続くので、個別的な注解は割愛する。

予算案

第二条

政府は、予算案を議会に提出する。

予算に関する議決

第三条

1 議会は、来年度の予算又は特別な理由がある場合には他の予算期の予算について議決する。

2 議会は、予算期とは別の期間のために特別の歳出が行われるべきことを議決することができる。

3 議会は、歳出に関する議決とは別の方法により、国家歳入が特定の目的のために利用されることができることを決定することができる。

第四条

同一予算期において、議会は、新しい国家歳入の見積もり及び新しい歳出又は変更された歳出について議決することができる。

第五条

1 議会が予算期より前に当該予算について議決しなかった場合には、議会は、必要な範囲内で予算が議決されるまでの歳出について議決する。議会は、財務委員会の名の下に、当該議決を行うことを委任することができる。

2 議会が第一項に規定する議決を何らかの目的のため行わなかった場合には、歳出が議決されるまで、議会の別の議決による修正とともに、直近の予算が適用される。

指針の議決

第六条

議会は、次期の予算期以降に向けて、国家の活動に関する指針について議決することができる。

歳出及び歳入の利用

第七条

歳出及び歳入は、議会の決定とは別の方法で利用してはならない。

国家資産及び国家債務

第八条

1 議会所属機関が特に規定していない限りにおいて、又は法律により特定の行政のために留保されていなかった限りにおいて、政府は、国家資産を管理し、処分する。

2 政府は、議会が認めた場合を除き、債務を引き受け、又は他の国家の財政上の債務を負ってはならない。

第九条

議会は、国家資産の管理及び処分のための原則について議決する。さらに、議会は、何らかの種類の措置が議会の承認なしに講じられてはならないことを議決することができる。

国家年次報告

第一〇条

政府は、予算期の終了後に、議会に国家年次報告を提出する。

予算に関する付加的規定

第一一条

予算に関する議会及び政府の権限及び責任に関する付加的規定は、議会法及び特別法で定める。

為替政策

第一二条

政府は、全般的な為替政策の問題について責任を有する。為替政策に関する他の規定は、法律で定める。

国立銀行

第一三条

1 国立銀行は、国の中央銀行であり、議会所属機関である。国立銀行は、通貨政策に責任を有する。いかなる官庁も、国立銀行が通貨政策に関する問題についてどのように決定すべきかを定めてはならない。

2 国立銀行は、議会が選挙する一一人の委員により構成される。国立銀行は、委員により選出される理事会により指揮される。

3 議会は、委員及び理事会の構成員に責任がないことが認められるべきか否かを審査する。議会が委員に責任がないことを認めなかった場合には、当該委員は、それによりその職務を免ぜられなければならない。委員は、理事会の構成員が職務遂行可能な要求を満たすことがもはやできなくなった場合又は重大な過失責任がある場合にのみ、理事会からその構成員を免ずることができる。

4 委員の選挙並びに国立銀行の運営及び活動についての規定は、法律で定める。

第一四条

国立銀行のみが紙幣及び硬貨を発行する権利を有する。その他通貨制度及び支払制度に関する規定は、法律で定める。

 スウェーデン国立銀行(中央銀行)は議会所属機関という位置づけを持ち、議会の監督下に置かれる。財政にも影響する通貨政策に責任を持つ中央銀行に対しても議会の統制を及ぼす趣旨であり、拡大された財政民主主義とも言える。

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晩期資本論(連載第32回)

2015-03-10 | 〆晩期資本論

六 資本蓄積の構造(7)

 マルクスは、本源的蓄積の典型例としてイギリスの事例を詳細に取り上げている。そこでは、農民からの収奪→被収奪者抑圧→資本家的借地農の生成→国内産業市場の形成→産業資本家の生成という大きな図式が作られている。これを前提として、マルクスは「資本主義的蓄積の歴史的傾向」―資本蓄積の歴史法則―を導き出そうとする。

直接的生産者の収奪は、なにものをも容赦しない野蛮さで、最も恥知らずで汚らしくて卑しくて憎らしい欲情の衝動によって、行なわれる。自分の労働によって得た、いわば個々独立の労働個体とその労働諸条件との接合にもとづく私有は、他人の労働ではあるが形式的には自由な労働の搾取にもとづく資本主義的私有によって駆逐されるのである。

 本源的蓄積の時期には、国家権力を使った労働者抑圧策が取られる。「興起しつつあるブルジョワジーは、労賃を「調節」するために、すなわち利殖に好都合な枠のなかに労賃を押しこんでおくために、労働日を延長して労働者自身を正常な従属度に維持するために、国家権力を必要とし、利用する。これこそは、いわゆる本源的蓄積の一つの本質的な契機なのである」。
 もっとも、中間蓄積期には労働運動の成果として労働基本権の思想も浸透し、国家もやむを得ず労働法による労働者の保護という政策を導入したが、労働運動が退潮した晩期資本主義になると、労働法の「規制緩和」という非抑圧的なやり方で国家権力を利用し、再び労賃の「調節」を図っている。

国債によって、政府は直接に納税者にそれを感じさせることなしに臨時費を支出することができるのであるが、しかしその結果はやはり増税が必要になる。他方、次々に契約される負債の累積によってひき起こされる増税は、政府が新たな臨時支出をするときにはいつでも新たな借入れをなさざるをえないようにする。それゆえ、最も必要な生活手段にたいする課税(したがってその騰貴)を回転軸とする近代的財政は、それ自身のうちに自動的累進の萌芽を孕んでいるのである。過重課税は偶発事件ではなく、むしろ原則なのである。

 マルクスは、「公債は本源的蓄積の最も力強い槓杆の一つになる。」とし、国債が証券投機や近代的銀行支配、さらには国際的信用制度を発生させたことを指摘している。そして、「国債は国庫収入を後ろだてとするものであって、この国庫収入によって年々の利子などの支払がまかなわれなければならないのだから、近代的租税制度は国債制度の必然的な補足物となったのである」。徴税もまた刑罰で担保された国家権力の利用である。
 こうして国債濫発による多額の負債とその償還に充てるための増税というパターンは現代日本において典型的に現れている。特に、上記命題にいう「最も必要な生活手段にたいする課税」は今日、消費税という形で労働者に転嫁されており、これが自動的に累進していく法則も現代日本によく当てはまっている。とうに本源的蓄積期を過ぎた日本で、こうした時代逆行的な手段が採られていることになる。

この転化過程が古い社会を深さから見ても広がりから見ても十分に分解してしまい、労働者がプロレタリアに転化され、彼らの労働条件が資本に転化され、資本主義的生産様式が自分の足で立つようになれば、そこから先の労働者の社会化も、そこから先の土地やその他の生産手段の社会的に利用される生産手段すなわち共同的生産手段への転化も、したがってまたそこから先の私有者の収奪も、一つの新しい形態をとるようになる。今度収奪されるのは、もはや自分で営業する労働者ではなくて、多くの労働者を搾取する資本家である。

 マルクスはここで生産手段の共有段階へといささか先走っているが、ひとまず資本主義が独り立ちした段階では、「資本主義的生産そのものの内在的諸法則」、すなわち「諸資本の集中」によって、「少数の資本家による多数の資本家の収奪」が起きる。つまりは、競合資本の競争と淘汰・集中である。
 こうした集中化とともに、「世界市場の網のなかへの世界各国民の組入れが発展し、したがってまた資本主義体制の国際的性格が発展する」。現況はこうしたグローバル資本主義の段階に到達している。

この転化過程のいっさいの利益を横領し独占する大資本家の数が絶えず減っていくのにつれて、貧困、抑圧、隷属、堕落、搾取はますます増大していくが、しかしまた、絶えず膨張しながら資本主義的生産過程そのものの機構によって訓練され結合され組織される労働者階級の反抗もまた増大していく。資本独占は、それとともに開花し、それのもとで開花したこの生産様式の桎梏となる。生産手段の集中も労働の社会化も、それが資本主義的な外皮とは調和できなくなる一点に到達する。そこで外皮は爆破される。資本主義的私有の最期を告げる鐘が鳴る。収奪者が収奪される。

 『資本論』の中でも特に有名なこの一節で示唆されているのは、プロレタリア革命である。しかし一方で、次の命題はこれと矛盾する側面がある。

資本主義的生産が進むにつれて、教育や伝統、慣習によってこの生産様式の諸要求を自明な自然法則として認める労働者階級が発展してくる。完成した資本主義的生産過程の組織はいっさいの抵抗をくじき、相対的過剰人口の不断の生産は労働の需要供給の法則を、したがってまた労賃を、資本の増殖欲求に適合する軌道内に保ち、経済的諸関係の無言の強制は労働者にたいする資本家の支配を確定する。

 現状はまさに、労働者階級の大半が教育や伝統、慣習によって資本主義的生産様式の諸要求を自明な自然法則として認めている時代であり、労働運動も資本主義の枠内での賃上げ闘争にすぎない。時折、反資本主義的なメッセージを携えた大衆行動が見られても局所的なものにとどまり、「資本主義的私有の最期を告げる鐘」とはならない。
 ただ一方で、マルクスは資本主義的生産の発展により、「ますます大規模になる労働過程の協業的形態、科学の意識的な技術的応用、土地の計画的利用、共同的にしか使えない労働手段への労働手段の転化、結合的社会的労働の生産手段としての使用によるすべての生産手段の節約」といった共産主義社会の萌芽が桎梏的に資本主義社会の内部に生じ、それが内爆的に「資本主義的な外皮」を打ち破って共産主義社会へ至るという独特の筋道を描いていたのであるが、これについては『資本論』第三巻まで検証した後に、改めて立ち返ってくることにしたい。

☆小括☆
以上、「六 資本蓄積の構造」では、『資本論』第一巻を総括する最終の第七篇「資本の蓄積過程」を参照しながら、資本蓄積が高度化・グローバル化した晩期資本主義の特質を検証した。

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晩期資本論(連載第31回)

2015-03-09 | 〆晩期資本論

六 資本蓄積の構造(6)

 マルクスは、資本蓄積の一般法則として相対的過剰人口論を展開した後、今度は話題を転じて資本蓄積の歴史を出発点まで遡り、その歴史法則を抽出しようとしている。学術的には経済史に相当する部分である。マルクスはこのような資本主義の原初的な成立過程を「本源的蓄積」と呼ぶ。

・・・神学上の原罪の伝説は、われわれに、どうして人間が額に汗して食うように定められたのかを語ってくれるのであるが、経済学上の原罪の物語は、どうして少しもそんなことをする必要のない人々がいるのかを明かしてくれるのである。

 マルクスは本源的蓄積をキリスト教でいう「原罪」になぞらえていささかあてこすっているが、より世俗的な表現で、「このような原罪が犯されてからは、どんなに労働しても相変わらず自分自身のほかにはなにも売れるものをもっていない大衆の貧窮と、わずかばかりの人々の富とが始まったのであって、これらの人々はずっと前から労働しなくなっているのに、その富は引き続き増大してゆくのである。」と指摘している。いわゆる格差社会は、現代に始まったことではなく、資本主義の初めから存在しているのである。
 とはいえ、中間蓄積期の資本主義はこの「原罪」を自覚し、労働法や社会保障という政策的な用具を使ってそれなりに補償しようとしてきたのだが、晩期資本主義は「原罪」を労働者の「自己責任」に転嫁し、開き直っている点で、本源的蓄積の粗野な時代に立ち戻ろうとしているかのようである。

資本主義社会の経済的構造は封建社会の経済的構造から生まれてきた。後者の解体が前者の諸要素を解き放ったのである。

 より具体的には、「生産者たちを賃金労働者に転化させる歴史的運動は、一面では農奴的隷属や同職組合強制からの生産者の解放として現われる」。これは、喜ぶべきことのように思える。だが―

他面では、この新たに解放された人々は、彼らからすべての生産手段が奪い取られ、古い封建的な諸制度によって与えられていた彼らの保証がことごとく奪い取られてしまってから、はじめて自分自身の売り手になる。

 農奴制や徒弟制は隷属的ではあれ、それなりに隷民らにも生産手段を保証していたのであるが、皮肉なことに、資本主義的「解放」は、同時に封建的隷民から生産手段を奪い取る「剥奪」でもあった。ゆえに、「賃金労働者とともに資本家を生みだす発展の出発点は、労働者の隷属状態であった。そこからの前進は、この隷属の形態変化に、すなわち封建的搾取の資本主義搾取への転化にあった」。

本源的蓄積の歴史のなかで歴史的に画期的なものといえば、形成されつつある資本家階級のために槓杆として役だつような変革はすべてそうなのであるが、なかでも画期的なのは、人間の大群が突然暴力的にその生活維持手段から引き離されて無保護なプロレタリアとして労働市場に投げ出される瞬間である。農村の生産者すなわち農民からの土地の収奪は、この全過程の基礎をなしている。

 農民の賃労働者への転化が、本源的蓄積の一つの典型的な始まりである。ただ、マルクスはすぐ後で、「この収奪の歴史は国によって違った色合いをもっており、この歴史がいろいろな段階を通る順序も歴史上の時代も国によって違っている。」と指摘し、不均等発展の可能性を広く認めている。
 マルクスは、農民収奪から出発した本源的蓄積の典型例をイギリスに見るが、資本主義的生産が最も早くから発達したのはイタリアだとする。ちなみに、マルクスが封建時代の日本について、「その土地所有の純封建的な組織とその発達した小農民経営とをもって、たいていはブルジョワ的偏見にとらわれているわれわれのすべての歴史書よりもはるかに忠実なヨーロッパ中世の姿を示している。」と注記した日本においては、明治維新政府による地租改正という上からの政策的な収奪が本源的蓄積の土台となったところである。

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