14:完全自由労働制について②
コミュニスト:リベラリストさんは、前回の対論の最後に、科学的な労働紹介システムが確立され、各人の適性に沿った職業選択肢がたくさん示されたとして、人々は無報酬で嬉々として労働するようになるだろうか、という疑問を示されました。
リベラリスト:はい。私の考えでは、人間は案外怠惰なもので、強制か報酬なくしては、真面目に働かないだろうと予測されます。強制労働は人道上不可とすれば、あとは報酬を「餌」とするしかないのではないか、と思うわけですが、間違っていますか。
コミュニスト:報酬が労働の一つの動機づけとなることは認めます。しかし、強制か報酬かという二者択一はいささか狭い労働観ではないかと思います。それは要するに、強制にせよ、報酬にせよ、外部からの動機づけなくしては人間は労働しないだろうという見方を前提としています。しかし人間の労働の動機には、仕事自体の喜びや誇りなどもあるはずで、そうした内発的な動機をうまく刺激する方法が確立されれば、強制も報酬もない完全自由労働制は十分成り立つと考えます。
リベラリスト:喜びや誇りを感じられるような仕事なら、そうでしょう。しかし、人が忌避するような仕事―具体例を挙げることは差し控えますが―の場合はどうでしょう。ところが、そういう仕事に限って社会にとってなくてはならないものなのです。
コミュニスト:その問題は意識しています。しかし、報酬がなければ誰もやりたがらないような仕事は、果たして選択可能な職業として認識されるべきなのか、と考えてみてはどうでしょうか。そのような仕事は生活に困っている誰かがやればよいと他人に押しつけるのではなく、自分たちの社会的な任務として引き受けるようにするのです。
リベラリスト:すると、それらの仕事は義務性を帯びてきて、強制労働制が浮上する可能性もありますね。私たちアメリカ人は「収容所群島」の世界には強く警戒的なのです。
コミュニスト:もちろん反人道的な強制労働制には私とて反対ですが、だからといって、社会にとって不可欠な重労働を他人任せにするのも、一種の奴隷制です。自由労働と社会的任務との切り分けをすることは、公正な社会の基本軸であると考えます。
リベラリスト:もう一つ疑問なのは、あなたの構想では例えば医師のような高度専門職までが無報酬のボランティア仕事となるわけですが、それでは高度専門職が激減し、医療等の専門技術的なサービスの提供が停滞するのではありませんか。
コミュニスト:少なくとも、現状のように高い報酬と名誉が目当てで医師になるという人が激減するなら、患者にとっては朗報です。医療や福祉は表向き高邁な理念を掲げていますが、報酬労働制のもとでは所詮、医療・福祉も報酬目当ての労働であって、しばしば露骨な儲け主義に走る傾向も見られます。報酬がなくなることで、初めて標榜どおりの理念が実現するのではないでしょうか。
リベラリスト:たしかに報酬至上の労働観は適切ではありませんが、完全無報酬で果たして何年にもわたる厳しい教育訓練を要する高度専門職が維持できるのか不安は拭えません。全般に、コミュニストさんの労働観は人間の勤勉さに対する篤い信頼に基づいているようですが、私はそこにやや甘さを感じてしまいます。
コミュニスト:リベラリストさんは、人間は本質的に怠惰であると悲観しておられるようです。私は人間が本質的に怠惰だとは思いませんが、人間にはギブ・アンド・テイクの関係を好む互酬的性質があることは認めます。しかし、これとて後天的に体得された習慣であって、先天的な本能ではないと考えています。社会の仕組みが変わることで、変化し得る性質なのです。
※本記事は、架空の対談によって構成されています。