Ⅴ 弁証法の再生に向けて
(13)弁証法の第二次退潮期
前回まで、弁証法の歴史をかなりの駆け足で概観してきたが、アドルノの否定弁証法を最後に、1970年代以降、弁証法を主題とする有力な哲学書自体がほとんど世に出なくなる。そして、20世紀末におけるソヴィエト連邦解体という世界史的な出来事の後、弁証法という思考法自体が急速に衰微していった。21世紀前半の現在は、その真っ只中にある。
実のところ、弁証法の退潮はソ連邦解体前から始まっており、まさにソ連自身が弁証法を体制教義化することによっても弁証法の衰退を促進していたのであるが、そのソ連がほとんど自滅的に解体消滅し去ったことにより、ソ連邦解体後の世界では、ソ連が象徴していたものすべてが否定・忘却された。弁証法もその一つである。
こうして、現代という時代は、弁証法の第二次退潮期にあると言える。弁証法の第一次退潮期は、アリストテレスが弁証法の意義を格下げして以降のことであった。この時は、アリストテレスが最も重視した形式論理学が優位となり、19世紀にヘーゲルが新たな観点から弁証法を再生するまで、弁証法の逼塞が続いた。
これに対して、第二次退潮期は、第一次退潮期に比べ、ソ連が象徴していたマルクス主義の退潮と絡んだ政治的な要因が強い。実際のところ、ソ連はマルクスの理論に対して離反的ですらあったのであるが、「ソ連=マルクス主義」というソ連の公式宣伝は、ソ連に批判的な人々によってすら奇妙に共有されていたのである。
そうではあっても、マルクス自身が下敷きとしていたヘーゲルの弁証法—言わば、近代弁証法—はマルクスと切り離して保存されてもよいはずだが、マルクス主義の退潮のあおりを受けて、無関係のヘーゲル弁証法までとばっちりを受けた恰好である。
その結果、ヘーゲル弁証法も遡及的に取り消され、再びアリストテレスの形式論理学優位の世界へと立ち戻っているのが現状である。後に整理するように、形式論理学は数学的・科学的思考法の共通的基礎であり、弁証法と矛盾対立するものではないが、形式論理学だけですべてを思考できるものでもない。
とりわけ、実験や演算が効かず、収拾のつかない価値の対立状況を来たしやすい社会的な諸問題は、形式論理学では解くことができない。そうした場合にこそ、弁証法的思考は強みを発揮する。そこで、弁証法の再生に向けて新たな思想的な革新を要するが、その際、ヘーゲルやマルクスの弁証法の単純な復活ではなく、より広い視野で現代的な弁証法の構築を構想してみたい。