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奴隷の世界歴史・総目次

2018-06-15 | 〆奴隷の世界歴史

本連載は終了致しました。下記目次各「ページ」(リンク)より全記事(原則別ブログに掲載された記事に飛びます)をご覧いただけます。

 

序言 ページ1

第一章 奴隷禁止原則と現代型奴隷

奴隷禁止諸条約の建前 ページ2
残存奴隷慣習と復刻奴隷制 ページ3
性的奴隷慣習の遍在 ページ4
児童奴隷慣習の遍在 ページ5
隷属的外国人労働 ページ6

第二章 奴隷制廃止への長い歴史

奴隷制廃止の萌芽 ページ7
英国の奴隷制廃止運動 ページ8
英国の奴隷制廃止立法 ページ9
人種隔離国家・南アフリカの形成 ページ9a
フランス―革命と奴隷制 ページ10
ハイチ独立―奴隷の革命 ページ11
ラテンアメリカ独立と奴隷制廃止 ページ11a
アメリカの奴隷制廃止運動 ページ12
リベリア―解放奴隷の帰還国家 ページ13
ルーマニアのロマ族奴隷廃止 ページ14
アメリカ内戦と奴隷解放宣言 ページ15
「苦力」労働制への転換 ページ16
イスラーム奴隷制度の「廃止」 ページ17
奴隷制禁止の国際条約化 ページ18
ナチスとソ連による強制収容所労働 ページ18a(準備中)
旧奴隷制損害賠償問題 ページ19

第三章 世界奴隷貿易の時代

世界奴隷貿易 ページ20
イスラーム奴隷貿易:前期 ページ21
大西洋奴隷貿易:初期 ページ22
大西洋奴隷貿易:最盛期 ページ23
インド洋奴隷貿易 ページ23a(準備中)
奴隷供給国家 ページ24
逃亡奴隷共同体Ⅰ:サントメ島 ページ24a(準備中)
逃亡奴隷共同体Ⅱ:中南米 ページ25
北米のブラック・セミノール ページ26
大西洋奴隷貿易の終焉 ページ27
イスラーム奴隷貿易:後期 ページ28
世界奴隷貿易の全体像 ページ29

第四章 中世神学と奴隷制度

イスラーム奴隷制の基底 ページ30
マムルークと女奴隷 ページ31
奴隷制と中世キリスト教会 ページ32
ローマ教皇の奴隷貿易容認勅許 ページ33
スペインにおける奴隷論争 ページ34

第五章 アジア的奴隷制の諸相

中国の奴隷制① ページ35
中国の奴隷制② ページ36
日本の奴隷制 ページ37
朝鮮の奴隷制 ページ38
インドの奴隷制 ページ39
東南アジアの奴隷制 ページ40

第六章 グレコ‐ロマン奴隷制

古代ギリシャの奴隷制 ページ41
古代ギリシャ人の奴隷観 ページ42
古代ローマの奴隷制 ページ43
古代ローマの剣闘士奴隷 ページ44
古代ローマの奴隷大反乱 ページ45
古代ローマの解放奴隷 ページ46

第七章 古代国家と奴隷制

古代「文明」と奴隷制①:メソポタミア ページ47
古代「文明」と奴隷制②:エジプト ページ48
古代「文明」と奴隷制③:中国 ページ49
古代「文明」と奴隷制④:インド/ペルシャ ページ50
古代「文明」と奴隷制⑤:古代ユダヤ ページ51

結語 ページ52

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朝鮮戦争終結に向けて

2018-06-13 | 時評

12日に行なわれた「歴史的な」米朝/朝米首脳会談については、その準備不足と内容希薄に見える点について批判も根強いが、何はともあれ、1948年の朝鮮民主主義人民共和国(以下、朝鮮と略す)建国以来、初めて両首脳が直接に顔を合わせたことの意義は過小評価できない。

こうしたことが可能となったのは、トランプ大統領の「ハンバーガーを食いながら朝鮮首脳と会談する」という事実上の公約に加え、イデオロギーや国情こそ異なれ、両国首脳の独裁的なトップダウン手法が奇妙に合致したことによるところが大きい。

他方で、会談の曖昧な「成果」に関する懸念にも一理以上ある。最も懸念されるのは、会談が両国間限りでの相互不可侵条約的な「成果」に終わることである。これは、第二次世界大戦前の独ソ不可侵条約のように、毛色の異なる独裁者に率いられた両大国が互いの権益を承認し合うことに終始し、結局のところ合意破棄・開戦を避けられなかった歴史を思い起こさせる。

こたびの首脳会談では、「朝鮮半島非核化」という多義的な解釈の余地を残す大雑把な枠組み合意がなされたにとどまっており、たしかに具体的な内容に乏しい。その点では初めの半歩にすぎず、さらに数回は首脳会談を重ね、その間に実務者協議を通じて、そもそもの緊張要因である朝鮮戦争の完全終結をもたらさなければならない。

冷戦終結から30年を経過してもなお冷戦の氷が固く張っている唯一の場所が朝鮮半島及び日本を含めた周辺地域である。この異常を正すには、半世紀以上も「休戦」という半端な状態が続く朝鮮戦争を終結させる必要がある。トランプ大統領がいささか性急に示唆した在韓米軍の撤退も、朝鮮戦争終結あって始めて現実性を帯びるだろう。

トランプはヒトラーに匹敵するほどの煽動政治家だが、ヒトラーとは異なり、積極的な対外侵略には消極で、得意の標語「アメリカ・ファースト」に象徴されるように、むしろ内向きの愛国主義=自国優先主義=ファースティズムのイデオロギーに基づき、世界各地からの米軍の引き上げを志向していることは、朝鮮戦争終結にとっては追い風となる。

しかし、朝鮮戦争を完全に終結させるためには、二国間協議では足りず、韓国及び朝鮮戦争の交戦当事者である国連も交えた包括的な多国間協議が必要である。ここではファースティズムの手法は妥当せず、インターナショナリズムを活性化させなければならない。

トランプをノーベル平和賞に推薦する政治的動きが見られるが、取り巻きによるお追従ではなく、真に平和賞に値するのは朝鮮戦争終結がトランプ政権下で成った場合のことである。その場合もいいとこ取りの単独受賞ではなく、南北朝鮮首脳(プラス国連)と分かち合う同時受賞が国際平和の道である。

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奴隷の世界歴史(連載最終回)

2018-06-10 | 〆奴隷の世界歴史

結語

 本連載では、奴隷(制)という慣習に焦点を当てて、世界歴史を現在から過去へと遡ってとらえ直すという異例の叙述を試みてきた。結局のところ、奴隷制は少数の例外を除けば「文明」の開幕時にはすでに存在していたという哀しい事実が改めて確認された。
 その場合、「文明」を拓いた古代国家の時代に奴隷制が初めて創始されたか、それ以前の先史時代にすでに創始されていたかはなお検証の余地が残されている。私見は、先史時代に立場の弱い他者を拘束して使役するという言わば始原的奴隷慣習が創始されていて、古代国家はそうした慣習を法律という「文明」の所産に仮託して制度化したとみなしている。
 もっとも、先史時代と言っても純粋な狩猟採集生活の時代には奴隷は必要とされなかっただろう。狩猟採集生活では各人の狩猟採集の技能がすべてだからである。その後、農耕生活に移行しても、原始農耕は比較的平等な共同体成員によって担われ、奴隷労働を必要としなかった。
 おそらくは、生産活動の組織化とともに雑務に従事する被用者を必要とするようになり、とりわけ肉体労働的な部分労働を拘束下の他者を使役して担わせる習慣を生じ、そうした奴隷を安定供給するべく、人間そのものを商品として売買する奴隷取引・交易が活発化したものと考えられる。
 最も初期の奴隷は戦争捕虜ないしは戦争に伴う略奪によって拉致された被征服地の住民であっただろう。奴隷制と戦争は相即不離の関係にある。その後、貨幣経済の発達に伴い、借金を負った債務者が奴隷に落とされる債務奴隷も増大していく。戦争と貨幣経済が奴隷制を支えた―。そう断じても過言でない。

 現代においては、戦争捕虜の奴隷化も債務奴隷もほとんど見られない代わりに、第一章各節に見たような種々の形態での現代型奴隷制が依然として残されている。これらの奴隷は、旧来の奴隷とはいささか異なり、表面上は「契約」に基づく労働の形態を取っていることも多く、身体的には拘束下にないこともある。
 序説冒頭で紹介した「人格としての権利と自由をもたず、主人の支配下で強制・無償労働を行い、また商品として売買、譲渡の対象とされる「もの言う道具」としての人間」という文字どおりの奴隷を「形式的意味の奴隷」と名づけるとすれば、現代型奴隷の多くは形式のいかんを問わず、実態として雇い主に隷属している点で「実質的意味の奴隷」と呼ぶべきものである。
 厳密には前者だけを「奴隷」と呼ぶべきかもしれないが、奴隷の定義を狭めると、現代型奴隷の多くは奴隷でなく、単なる労働者ということになって、その禁止と保護をゆるがせにすることを恐れるため、本連載では「実質的意味の奴隷」を含めて、奴隷の定義を広く取ってきたものである。
 もっとも、「実質的意味の奴隷」を拡大解釈していけば、賃金を報酬として受け取りつつ、雇い主の支配下で剰余労働搾取を受ける賃金労働者もある種の奴隷―賃金奴隷―ということになる。
 しかし、正当な賃金労働者には入退職の自由が保障されていることから、本連載では、総体として領主に隷属しながら相対的な生計の自由が保障されていた歴史上の農奴を奴隷に含めないのと同様に、賃金労働者も奴隷には含めなかった―強いて言えば「農奴」に対し「賃奴」―。
 いずれにせよ、人類が自己利益を拡大するために他者を「道具」として利用しようという欲望を断ち切れない限り、奴隷制は何らかの形で残存し続けるだろう。人類は果たして奴隷制と絶縁することができるか否か―。これは、人類の未来がかかった大きな問いである。(了)

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奴隷の世界歴史(連載第51回)

2018-06-03 | 〆奴隷の世界歴史

第七章 古代国家と奴隷制

古代「文明」と奴隷制⑤:古代ユダヤ
 古代ユダヤ人は、聖書で有名な出エジプトに象徴されるように、古代エジプトによって奴隷化されていた時代もあった。もっとも、出エジプトは同時代の他史料による裏づけができておらず、史実性には慎重な留保が必要であるが、まったくの虚構と断じる根拠もない。
 いずれにせよ、旧約聖書(ヘブライ語聖書)以来、語り継がれていった出エジプト‐脱奴隷化はユダヤ人の歴史的原体験とも言える。ところが、一方で、古代ユダヤ人自身がその社会に奴隷制を有していたことは、旧約聖書(ヘブライ語聖書)に記された奴隷に関する数多くの法的規定からも明白である。
 古代ユダヤ社会の奴隷は家内奴隷が中心的であり、非ユダヤ人奴隷とユダヤ人奴隷とに系統が分かれていた。このうち非ユダヤ人奴隷の多くは戦争捕虜出自であり、ユダヤ人奴隷は貧困者や債務者出自であったという点では、他の古代社会と類似するところが多いが、古代ユダヤ社会では、この両系統の奴隷が異なる法規によって規律されていたことに特徴がある。
 非ユダヤ人奴隷の多くは、ユダヤ人が征服対象とみなしていたカナーン人から徴発されることが多く、奴隷の大半を占めていたと見られる。その待遇はユダヤ人奴隷に比べても劣悪であり、ユダヤ人奴隷は一定年数の経過後、また聖書にいわゆるヨベル(大恩赦)年ごとに解放されたのに対し、非ユダヤ人奴隷は恒久的かつ遺言相続の対象とされた。
 古代ユダヤ社会では元来、他者を完全に人格支配する文字どおりの奴隷化は許されていなかったとされるが、この人格尊重論が適用されたのはユダヤ人奴隷だけであり、非ユダヤ人奴隷には適用されなかったのである。
 このような差別待遇は、ノアのカナーンに対する呪い―ノアが自身の酔った寝姿を見た息子ハムの子カナーンを呪い、カナーンの子孫がセムとヤペテの子孫の奴隷となると予言したとされる聖書説話―によって、宗教的に正当化された。
 このような民族差別的な二元奴隷制の一方で、古代ユダヤ社会の奴隷法制は外国から逃亡してきた奴隷の送還を禁じ、これら外国人逃亡奴隷を通常の外国人居住者と同等に扱うこととしている。ある種の亡命者庇護権の先駆として注目される規定である。

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イタリアにファースティスト政権誕生

2018-06-02 | 時評

イタリアで1日、成立の運びとなった五つ星運動と同盟(北部同盟)の連立政権は、イタリア戦後史を大きく変える陣容となった。五つ星と同盟は共に大衆迎合的なポピュリスト政党として近年急速に台頭してきた新興政党である。

従来のイタリアは長く保守政党を軸とした連立政権が続いた後、強力な万年野党・共産党の実質的な解体を受け、中道左派と中道右派の二大政党(勢力)政へ移行していたところ、両者の近接によりイデオロギー対立が解消される一方、中道的な政治の八方美人的限界を露呈していた。

そこへ、急増する移民に対する排斥策と反EU論を引っさげて現れたのが、ポピュリスト政党である。もっとも、五つ星は表面上、直接民主主義や環境主義を打ち出すなど、緑の党に似せた進歩主義を装い、左派政党的な色彩を出していたが、より右派色の強い同盟と連立を組んだことで、その正体が明らかとなった。

こうした反移民・反EU政党は、大衆迎合=ポピュリズムを手段としつつ、自国(民)優先主義=ファースティズムを共通イデオロギーとしている。ファースティズムは表面上、労働市場における自国民優先や国家主権の回復を謳うが、根底には人種/民族差別主義と強い国民国家の構築を願望する国家主義を秘めている。

人種差別と国家主義の結合は、ファシズムの特徴でもある。結局、ファースティズムとはファシズムの現代版=ネオ・ファシズムの土台となり得る政治潮流にほかならないのだ。歴史を振り返れば、戦前のオールド・ファシズム潮流の発信源も、ほぼ百年前のイタリアだった。

もっとも、今般のファースティスト連立政権には、ファシスト党の直系政党とも言える「イタリアの兄弟」は参加しておらず、旧ファシスト党とは別系統の流派である。だからと言って、この政権はファシストとは無関係と油断してはならない。二つの流れは地下でつながっているからである。

現状は毛色になお相違あるファースティスト政党同士の連立という不安定さを残しているせいか、政権トップの首相には無所属で政治経験なしの大学教授を据えるという妙策を採った。この首相は両党の仲介人にすぎず、権力は当面、両党が分有するだろう。

その点では、一般的にかつてのムッソリーニのような独裁者が指導する一元支配体制を取るファシスト体制にはまだ遠い。しかし、「歴史は繰り返す。一度目は悲劇、二度目は喜劇として」とは、マルクスの名言である。

イタリアのオールド・ファシズムは敗戦による体制崩壊と首領ムッソリーニの殺害という悲劇に終わったが、ネオ・ファシズムはどんな喜劇を見せるのであろうか。五つ星運動の共同創立者がコメディアンであることも、すでに喜劇の始まりを予感させる。

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