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近代科学の政治経済史(連載第29回)

2022-11-28 | 〆近代科学の政治経済史

六 軍用学術としての近代科学(続き)

近代化学と兵器
 軍用学術としての科学という点では、化学ほど軍用学術との結びつきが強いものはない。それは火薬やまさしく化学兵器の開発・改良において、化学的知見が不可欠であるからに他ならない。
 そもそも近代化学の父とみなされるフランスのアントワーヌ・ラヴォアジェは火薬委員会委員となり、先述したように兵器廠に研究室を構え、ここで大砲用火薬の火力や生産量を向上させる成果を上げたことが初期の業績であった。
 ちなみに、ラヴォアジェはフランス革命に際して、旧体制下で憎まれ、革命では集中的に断罪された徴税請負人をしていた過去の経歴から、断頭台に消えることとなった。これは科学とは無縁の理由での処刑であったが、彼が旧体制の軍事科学者としてスタートし、ブルボン王朝の協力者であったことは革命に巻き込まれることを必然のものとしたであろう。
 火薬に関する研究はその後も一貫して軍事科学の重要なテーマであったが、長く主流的であった黒色火薬や褐色火薬は使用時の白煙が障害となっていたため、19世紀以降、無煙火薬が開発される。
 無煙火薬はニトログリセリン、ニトロセルロース、ニトログアニジンという三種のニトロ系基剤から製造されるが、中でも基軸的なニトログリセリンはイタリアの化学者アスカニオ・ソブレロが初めて開発した。
 ソブレロはやはり爆薬研究で知られたフランスの化学者テオフィル‐ジュール・ペルーズの門下生であるが、もう一人の著名な門下生として、スウェーデンの化学者アルフレッド・ノーベルがいる。
 ノーベル賞創設者としてその名を残しているノーベルの主要な研究テーマは爆薬の改良であった。中でも、ソブレロの合成法では爆発力が激甚に過ぎて実用に耐えなかったニトログリセリンを安定化させ、実用的な爆薬に仕上げたことが画期的な成果であった。
 こうして実用化されたダイナマイトは早速日露戦争で日本軍によって大量に実戦使用され、ロシア軍に対して優位に立つことに成功する要因となるなど、その高い実用性が証明された。
 ノーベルはまた単なる科学者にとどまらず、17世紀設立の古い鉄工所ボフォース社の経営者として、同社を兵器メーカーに転換し、スウェーデンを代表する軍需企業に育てており、軍需資本家としての一面も見せた。
 軍事科学者として富を得たノーベルが遺言で、学術部門に加え、その軍事科学業績とは相容れない平和賞の創設をも指示したのは、ダイナマイトの開発に象徴される軍事科学者としての顔が批判されるようになり、没後のイメージダウンを懸念したためと言われるが、そうしたイメージ戦略は成功したとも言える。
ちなみに、ノーベルとは別に、イギリスの二人の化学者フレデリック・エイベルとジェイムズ・デュワーは無煙火薬コルダイトを開発したが、本製品がダイナマイトと類似していたため、ノーベルとの間で特許紛争に発展した。
 最終的に、コルダイトが無煙火薬の主流に落ち着き、第一次大戦以降実戦使用されるようになり、第二次大戦では広島に投下された原子爆弾リトルボーイにもコルダイト爆薬が使用されている。

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