第8章 電気革命以後(続き)
不均等発展のゆくえ
19世紀末に始まる電気革命は、人類の生産様式のみか、生活様式そのものを根底から変革したと言ってよい。電気が、現生人類の生活様式の物質的基礎となった。電気革命とともにあった20世紀は、おそらくそれ以前のどの世紀よりも、世界を劇的に急変させた。
とはいえ、最初の電気革命から100年以上を経た現在でも、電気と無縁の生活者は全世界に14億人存在するとされる。ましてコンピュータと無縁の生活者となれば、いわゆる先進諸国民をも含めて、それをはるかに上回るだろう。というように、電気革命の成果は全世界にあまねく行き渡っているわけではない。
元来、人類史は先史時代を含めて不均等に発展してきたが、電気革命以後はそうした不均等がいっそう拡大したのである。実際、24時間イルミネーションに彩られた大都市があるかと思えば、いまだ文明世界と接触を断ったままの未接触部族の密林集落も存在している。
要するに、現生人類ご自慢の「文明」そのものが、決して地球全域で普遍的なものとはなっていない・・・。他方で、電気と石油の結合以来の生産活動の飛躍的拡大は、人類出現以前から周期的に生じていた地球温暖化の人為的要因の比重をかつてないほど高め、地球環境の持続可能性にも黄信号をともすに至っている。
そういう岐路に立つ人類史は今後どんな方向に向かうのであろうか。考えられる三通りのシナリオがある。
一つは、このまま永続的に電気革命の道を歩み、まさに全世界を電化するというもの。このシナリオは、20世紀末以降、資本主義がグローバルに拡散していく中、世界の資本家・経営者とそのパトロン政治家たちの支持するところである。
このシナリオによれば、いずれ地球は昼夜を問わず電気のともった不夜城の惑星となるだろう。しかし、それは地球環境の持続可能性をいっそう危殆化させることになる。
もう一つのシナリオは電気を捨て、電気革命以前へ立ち戻るというもの。このシナリオは、電化大国の米国内で、しかも実用コンピュータ発祥地ペンシルベニアを中心に、電気を使用しない生活を営むドイツ‐スイス系のキリスト教少数宗派アーミシュの人々がすでに実践している。
しかし、このようなアーミシュ的生活様式を普遍化するのは無理であろう。人類は、総体としてはもはや電気革命以前に後戻りすることができない地点まで来てしまっているからである。
三つめのシナリオは、電気革命の成果を環境的持続可能性の枠内で維持していくというもの。このシナリオは今日、世界の最も良識ある各界の人々によって提唱されているところである。
しかし、実現の道は険しい。そもそも電気の大量消費に支えられた資本制生産様式がこのような中庸の道を容易に許すとは考えられないからである。生産様式の変革なくしては、このシナリオは結局のところ、第一のシナリオに併呑されていくだろう。
いずれにせよ、現生人類20万年に及ぶ前半史において、現在一つの大きな分かれ道にさしかかろうとしていることは、確かなことである。(連載終了)