2010年チュニジアの「ジャスミン革命」に始まった「アラブの春」も、凄惨なシリア内戦をもってほぼ一巡したようだ。結局のところ「春」は訪れず、「冬」が来たということだろう。
この一連の政変は、大きな目で眺めれば20数年前、東欧の社会主義諸国が次々と民衆蜂起で倒れた「東欧革命」のアラブ版であったと総括できるかもしれない。アラブ諸国の中でも「社会主義」を掲げていた旧東側陣営の諸国を中心に連続革命が起きたからだ。
しかし本家東欧革命と違っていたのは、東欧ではルーマニアやアルバニアといった少数の例外を除き、比較的平和裏に革命が終息し、すみやかに資本主義‐議会主義へ移行していったのに対し、アラブでは多くの流血と混乱を見なければならなかったことである。
その要因としては、それらアラブ諸国の支配体制の多くが実質上軍部に権力基盤を置く軍事政権的体質を備えていたため、民衆蜂起に対する政権側の武力攻撃が公然と行われたことが大きいが、根底にはイスラーム系のアラブ諸国に資本主義‐議会主義を移植することの難しさがある。
アラブ地域を新たな市場開拓地として付け狙う欧米が陰に陽に政治的・軍事的干渉を企てたことも事態を複雑化し、リビア内戦やシリア内戦のような凄惨な人道危機を招いてきた。
一方、アラブ民衆の側も眼前の独裁政権を打倒することに手一杯で、その後の展望がないため、政権打倒に成功した後の社会的混乱を収拾できずにいる。そうした間隙を利用して、イスラーム過激派が勢力を増す傾向も見られる。
抜本的な解法はなかなか見出しにくいが、最低限欧米は「人道」に名を借りた干渉の企て―その総仕上げがシリア空爆―を止めること、アラブの問題はアラブに委ねることである。