ザ・コミュニスト

連載論文&時評ブログ 

晩期資本論(連載第6回)

2014-07-31 | 〆晩期資本論

一 商品の支配(5)

貨幣結晶は、種類の違う労働生産物が実際に等置され、したがって実際に商品に転化される交換過程の、必然的な産物である。

 マルクスは、貨幣形態が単純な物々交換から直線的に展開されるかのような論理定式を提示した一方で、貨幣形態が多種類の労働生産物の交換過程から必然的に発生することを指摘していた。

交換の不断の繰り返しは、交換を一つの規則的な社会的過程にする。したがって、時がたつにつれて、労働生産物の少なくとも一部分は、はじめから交換を目的として生産されなければならなくなる。この瞬間から、一方では、直接的必要のための諸物の有用性と、交換のための諸物の有用性との分離が固定してくる。諸物の使用価値は諸物の交換価値から分離する。

 物々交換の大量反復化は、交換そのものを独立した社会的な制度に仕上げ、初めから交換に供する目的での生産活動―商品生産―を誕生させた。晩期資本主義社会にあっては、生産活動の大半が商品生産である。商品生産社会では、生産者と消費者が機能的にも分離するようになるから、そもそも物々交換の余地はなくなる。すると、必然的に商品の交換手段は、貨幣のような抽象的な価値によらざるを得ない。この意味でも、物の生産者同士が自己の生産物を交換し合う物々交換とは断絶があるのである。
 しかし、マルクスはすぐ後で、「他方では、それらの物が交換される量的な割合が、それらの物の生産そのものによって定まるようになる。慣習は、それらの物を価値量として固定させる。」と付け加え、持論の労働価値説を前提に、理論が慣習に先行するかのような転倒した論理を展開している。

遊牧民族は最初に貨幣形態を発展させるのであるが、それは、かれらの全財産が可動的な、したがって直接に譲渡可能な形態にあるからであり、また、かれらの生活様式がかれらを絶えず他の共同体と接触させ、したがってかれらに生産物交換を促すからである

 このように、マルクスは机上論的な論理展開とは別に、貨幣形態の発生過程について経済人類学的な説明も与えていたのである。たしかに定住せず、季節的に移動して回る遊牧民は必然的に、直接的な生産活動より商業活動に依存するようになる、
 実際のところ、アラブ人やモンゴル人のような有力な遊牧民族は広域商業民族でもあり、貨幣経済の発達にも歴史的な寄与があった。その意味で、遊牧民族は商業文明の開拓者であったと言える。そして、現代のグローバル資本主義の中で、国境を越えて世界を飛び回る資本制企業も、ある種の遊牧民的な行動原理を持っていると言えるだろう。
 結局のところ、マルクスの価値形態論には純粋経済原論的説明と経済人類学的説明とが混在しているようであるが、強いて両者を統一するとすれば、商業文明が発達したある時期以降、古代以来の伝統的な物々交換取引が相当に定型化され、マルクスの価値形態論第三定式(一般的価値形態)のように、特定の物が貨幣的に扱われるようになっていき、そこからより徹底した等価物としての貨幣形態が生まれたのだと説明できるかもしれない。
 そう解すれば、次の一文は、物々交換の範囲内で特定の物が貨幣的に扱われる過渡的な段階を過ぎて、貨幣がそれ自体物々交換に供する独立した商品ではなく、単なる交換価値の表象と化した現代資本主義の一つの側面を示すものと読める。 

一商品は、他の商品が全面的に自分の価値をこの一商品で表わすのではじめて貨幣になるとは見えないで、逆に、この一商品が貨幣であるから、他の諸商品が一般的に自分たちの価値をこの一商品で表わすように見える。

☆小括☆
以上、「一 商品の支配」では、『資本論』第一巻第一章「商品」と第二章「交換過程」に相当する部分を参照しながら、晩期資本主義社会における主役である商品のありようを概観した。

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晩期資本論(連載第5回)

2014-07-30 | 〆晩期資本論

一 商品の支配(4)

諸商品は、それらの使用価値の雑多な現物形態とは著しい対照をなしている一つの共通な価値形態―貨幣形態をもっているということだけは、だれでも、ほかのことはなにも知っていなくても、よく知っていることである。

 商品にはすべて交換価値として、貨幣で数値的に表された値段がついている。このことは、商品支配の世界で生きる者なら、子どもでも知っている。しかし、ここでマルクスが「だれでも、ほかのことはなにも知っていなくても、よく知っている」と断じるのは、いさささ筆を滑らせている。現代世界でも、貨幣経済を持たないままアマゾンの密林奥深くに住む文明未接触部族にとっては、モノの価値が貨幣で抽象的に示されるということは、決して自明ではない。マルクスが「貨幣の謎」と呼ぶものを知っているのは、貨幣交換を自明のものとする社会に生まれ育った者だけである。
 ただ、それはあくまでも経験的に知っているというだけであって、「貨幣の謎」を原理的に理解している人は少ない。マルクスは、彼なりの理論によって、この謎に迫ろうとした。それによると、商品の貨幣形態には四段階の論理的なプロセスが含まれている。

x量の商品A=y量の商品B またはx量の商品Aはy量の商品Bに値する。

 マルクスはこの第一段階の定式を「単純な価値形態」と命名する。具体例として、リンネル(布素材)20エレ=上着一着という物々交換事例が挙がっている。物々交換がほぼ廃れた晩期資本主義社会では、理解しにくい規定である。元来、物々交換は地域ごとに慣習的に形成されてきた経済行為であって、何と何を交換するかは慣習によって定まることであり、画一的に貨幣と交換する貨幣交換とは本質的に異なるものであった。しかし、マルクスはこの定式を次のように、持論の労働価値説と結びつける。

「20エレのリンネル=一着の上着 または、20エレのリンネルは一着の上着に値する」という等式は、一着の上着に、20エレのリンネルに含まれているのとちょうど同じ量の価値実体が含まれているということ、したがって両方の商品量に等量の労働または等しい労働時間が費やされているということを前提とする。

 こう定言した後、マルクスは「しかし、20エレのリンネルまたは一着の上着の生産に必要な労働時間は、織布または裁縫の生産力の変動につれて変動する。」と付け加えて、その変動の具体的事例を数学的に縷々検討している。
 けれども、物々交換と貨幣交換はおおまかに言えば前者から後者への歴史的な変遷は認められるものの、両者の間には文化的な断絶があり、前者から後者を直接に導くことはできない。マルクスには経済人類学の知見が十分になかったこと―当時は、人類学自体が未発達であった―が、こうした机上論的定式化を来たした一つの原因であったろう。

z量の商品A=u量の商品B または=v量の商品C または=w量の商品D または=x量の商品E またはetc.

 マルクスはこの第二段階の定式を「拡大された価値形態」と命名する。見たとおり、これは上記の定式をより様々な商品との交換関係に拡大したものである。しかし、こうした物々交換の規則は慣習的に定まるのであるから、労働価値説のような机上論で統一的に説明しようとしても、それを実証することはできない。

一着の上着 10ポンドの茶 40ポンドのコーヒー 1クォーターの小麦 2オンスの金 二分の一トンの鉄 x量の商品A 等々の商品 =20エレのリンネル

 マルクスはこの第三段階の定式を「一般的価値形態」と命名する。これは第二段階の定式を言わば逆さまにした定式であり、掲記された量の諸商品がすべて20エレのリンネルの等価物に収斂されていくことを示している。しかし、現実の取引社会にこのような物々交換表は存在しないのであり、これは論理上最終の貨幣形態を導き出すためにマルクスが案出した中間項であった。

20エレのリンネル 一着の上着 10ポンドの茶 40ポンドのコーヒー 1クォーターの小麦 二分の一トンの鉄 x量の商品A =2オンスの金

 マルクスによれば、これが最終段階の「貨幣形態」である。これは、第三段階の統一的な価値形態であった20エレのリンネルを2オンスの金に置き換えたものである。しかし、この定式はまだ金そのものを物々交換対象としており、あらゆる物品を抽象的な貨幣価値と交換する貨幣交換にはあてはまらない定式である。そこでマルクスは、最後に「価格形態」という用語を追加して、次のように規定する。

すでに貨幣商品として機能している商品での、たとえば金での、一商品たとえばリンネルの単純な相対的価値表現は、価格形態である。

 こう述べて、先の20エレのリンネル=2オンスの金という定式を20エレのリンネル=2ポンド・スターリングという定式にすり替えるのであるが、金そのものを物々交換対象としている前者と金を貨幣単位に抽象化して交換価値としている後者では経済行為としての意味を異にしており、両者を単純に置換することはできない。かくして、マルクスの有名な価値形態論は精巧な論理の手品のようなものであったと言ってよい。
 ただ、マルクスが最後に苦し紛れに持ち出した「価格形態」は、まさにアマゾン的な巨大な商品市場の原理を説明するうえでなお有益な概念であるが、それは一般的な価値形態とは断絶した晩期資本主義社会に特有の文化的な価値形態である。

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アメリカ憲法瞥見(連載第1回)

2014-07-25 | 〆アメリカ憲法瞥見

 アメリカ合衆国憲法(以下、米憲法と略す)は、1787年に制定された世界でも最も古い現存憲法である。言わば、クラシックカーをいまだに乗り回しているようなものである。 
 アメリカ合衆国は元来別々に形成された植民地が連合して宗主国の英国から分離独立する過程で設立されただけに、憲法条文は植民地間で合意できた限りでの最小限にとどめられ、簡素な本文に後から修正条項を追加して必要な内容を補充するという継ぎ足し的便法が採られた。実のところ、アメリカにおける実質的な憲法は合衆国を構成する各州の憲法であり、合衆国憲法とは文字どおりの憲法というよりは、条約に近いものと言える。
 古典的な米憲法は、現代憲法のように表題付きで体系的な章立てがなされておらず、大雑把に七つの条文から成り、各条文中に一つまたは複数の条項を含み、その内部がさらに細目的な規定に分かれるという煩雑な重層的構成を採っている。そのうえ、上述した継ぎ足し法のゆえに一覧性に欠けるわかりにくさがある。
 ただ、内容的には18世紀当時まだ珍しかった共和制憲法の先駆けであった。哲学上は自由主義と議会中心主義に立ち、立法府を国政の中心に置き、中央政府の役割を極力限定する意図が明白である。その点では、旧ソ連憲法のような国家社会主義憲法とは対極にあり、アナーキズムとは言わないまでも、国家なき社会運営を構想するうえでヒントとなり得る点も認められる。
 本連載は、先に連載中の『旧ソ連憲法評注』の対照軸的な位置にある連載となる。実際、両国憲法を対照することで、冷戦期にはイデオロギー的な面で鋭く対立し合った二つの連邦制超大国は、憲法原理からして大きく隔たっていたことがわかる。
 しかしその一方で、相互に足りない面があることも明らかであり、両者が止揚的な関係に立っていれば、世界はより違ったものになっていたに相違ない。その点では、両超大国の対立は、一方が消滅した今日まで尾を引く禍根である。
 なお、本連載の訳文は米国大使館の関連機関であるアメリカンセンター公式ウェブサイトに掲載されている仮訳に従う(ただし、一部訳語を変更する)。


前文

われら合衆国の国民は、より完全な連邦を形成し、正義を樹立し、国内の平穏を保障し、共同の防衛に備え、一般の福祉を増進し、われらとわれらの子孫のために自由の恵沢を確保する目的をもって、ここにアメリカ合衆国のためにこの憲法を制定し、確定する。

 前文もわずか一行の短文である。これを参照して記述された日本国憲法の前文よりもいっそう短い。しかし、短い中にも、自由主義の基本哲学に基づき、連邦国家の役割を正義の樹立(司法)、平穏の保障(警察)、共同の防衛(国防)、一般福祉の増進(民生)に限定しつつ、順位付けしている。
 ただ、実質的には、憲法前文の前文とも言える「独立宣言」の中に、建国・憲法制定の趣旨が詳細に盛り込まれている。特に、宣言第二段にある「すべての人間は生まれながらにして平等であり、その創造主によって、生命、自由、および幸福の追求を含む不可侵の権利を与えられているということ。こうした権利を確保するために、人々の間に政府が樹立され、政府は統治される者の合意に基づいて正当な権力を得る。」が、中心的なテーゼである。
 すなわち、天賦人権を確保するために政府が樹立される。言い換えれば、政府とは人権確保のための手段にすぎないということになる。従ってまた、「権力の乱用と権利の侵害が、常に同じ目標に向けて長期にわたって続き、人民を絶対的な専制の下に置こうとする意図が明らかであるときには、そのような政府を捨て去り、自らの将来の安全のために新たな保障の組織を作ることが、人民の権利であり義務である。」ということから、人民には革命の権利が留保されるのである。
 米憲法は本文では革命の権利に触れていないが、独立宣言と併せ読めば、革命権を明記する世界でも稀なる憲法である。従って、米国民は今後も、憲法文書に基づいて革命権を発動できる状況にあるわけである。

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リベラリストとの対話―「自由な共産主義」をめぐって―(6)

2014-07-24 | 〆リベラリストとの対話

4:議会制民主主義について

コミュニスト:あなたは前回対論の最後に、アメリカ的価値観を最大限度発動して国家の廃止に同意するとしても、議会制度の廃止は受け入れ難いと言われましたね。つまり、国家は廃止しても、「民営」の議会制度のようなものは残すべきということでしょうか。

リベラリスト:そうですね。あなたが提唱する民衆会議は、代議員を免許取得者からくじ引きで抽選するという興味深いものではありますが、アメリカ人的には、偶然に委ねられる抽選より意識的選択である選挙のほうがより民主的だと思います。

コミュニスト:「選挙=民主主義」という定式を絶対化する思考を、私は「選挙信仰」と名づけました。たしかに選挙政治は旧来の王侯貴族による世襲政治よりは政治参加の枠を拡大した歴史的な功績があることは認められますが、そこで止まっています。選挙の決め手は、貨幣経済の下では、金の力です。だからこそ、日本では選挙を通じた世襲政治という手品も可能ですし、世界一の民主主義を誇る御国のアメリカはまた世界一の金権選挙の国でもありますね。選挙された議員とは、結局のところ裕福なブルジョワ/プチブルジョワの名士連ということになるのです。

リベラリスト:たしかに、アメリカの金権選挙には大いに反省すべき点があります。ならば、いっそあなたのもう一つのご提案である貨幣経済の廃止に従えば、選挙から金権的要素は一掃されるのでは? 

コミュニスト:そうなるでしょう。しかし、選挙から金権的要素が一掃されたとしても、それで解決するわけではありません。選挙とは所詮人気投票ですから、選挙の当落と政策の良否や人格識見は全く無関係なのです。

リベラリスト:それは言い過ぎでしょう。選挙では一定の政策が示され、有権者に選択が問われるのですから、政策が全く提示されない形式的な抽選とは大きく異なります。

コミュニスト:選挙で政策が提示されるのは事実ですが、実際のところ、有権者は各候補者の政策提案をそれほど詳細に比較検討して投票しているわけではありません。また近年は「イデオロギーの終焉」イデオロギーの浸透により、政党や候補者ごとに大きな政策の違いはなく、金太郎飴の状態です。そうなると、決め手は容姿を含めたイメージとか知名度になるでしょう。

リベラリスト:しかし、代議員免許取得者からの抽選というあなたの構想では、民衆会議代議員は知識人中心となるのではないでしょうか。それもある種の「名士政治」ではありませんか。

コミュニスト:代議員免許試験は代議員として必要な素養と倫理を問うもので、専門職試験ほど難関ではないので、知識人中心となることはなく、あくまでも代議員の資質をコントロールする手段にすぎません。選挙には、そういう資質保証のシステムが欠けているのです。要するに、議会制民主主義とは、政治参加の枠を広げるための間に合わせの暫定民主主義だったということです。

リベラリスト:すると、あなたは議会制民主主義はもう歴史的な使命を果たし終えたと考えるわけですね。

コミュニスト:はい。ただ、資本主義が当面続く限りはまだその役割を完全に果たし終えていないでしょうが、少なくとも共産主義の上部構造としては適合しない制度です。

リベラリスト:しかし、直接民主主義ではなく、間接民主主義という点では、民衆会議制も議会制と五十歩百歩の観がありますね。

コミュニスト:私は、直接民主主義/間接民主主義という区別をやめて、直接代表制/間接代表制という区別を導入します。選挙で選抜される条件を備えた者しか代表者になれない間接代表制に対し、免許さえあれば誰でも抽選で代表者になれる民衆会議制は直接代表制であり、これこそ議会制に取って代わるべき完成された民主主義の制度だと考えます。

リベラリスト:そうですか。あなたには「選挙信仰」の信者と揶揄されるかもしれませんが、私としては、まだ議会制に捨て難いものを感じますし、多くのアメリカ人もそうでしょう。

コミュニスト:もちろん、新しい思考が浸透するには一定の歴史的な時間を要します。とはいえ、日本でもアメリカでも選挙政治家の資質が近年とみに低下していることは、意識され始めていると思います。歴史的な地殻変動はもう始まっているのではないでしょうか。

※本記事は、架空の対談によって構成されています。

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リベラリストとの対話―「自由な共産主義」をめぐって―(5)

2014-07-23 | 〆リベラリストとの対話

3:国家の廃止について

リベラリスト:『共産論』では貨幣経済の廃止と並び、国家の廃止も重要な柱になっているわけですが、私は貨幣経済廃止論よりも、まだ国家廃止論のほうがいくらか共鳴できる部分があります。

コミュニスト:それはありがとうございます。やはり、アメリカ人は市民生活に介入する国家というものに対して世界でも最も懐疑的な人たちですから、国家廃止論にも共鳴しやすいのかもしれません。私がアメリカに共産主義革命の期待をかけるのも、その点なのです。

リベラリスト:たしかにそれは言えます。ただ、アメリカ人が懐疑的なのは特に合衆国政府に対してです。合衆国を構成する州―ステート(=国家)までは否定しないのが一般です。ご存知のとおり、元来アメリカという国は別々に形成された植民地が集まって設立された人為的な連邦国家ですので、合衆国より州のほうがはるかに重要なのです。

コミュニスト:それだけでもましというものです。私は、かつて同じく人為的に設立されたソ連が解体されたように、アメリカも再び州―ステートごとに解体されたほうが良いとすら考えています。そのうえに、旧メキシコ領だった諸州はメキシコと合併し、それ以外はカナダと合併するのです。

リベラリスト:おや、何だか国家廃止論からアメリカ解体論へと逸れてきているようですが。ただ将来、多くはメキシコにルーツを持つヒスパニック系がアメリカの人口構成上首位に立った暁には、旧メキシコ領の諸州は本当に分離していくのではないかと私も想定しています。でも、それはアメリカ固有の問題だと思いますが。

コミュニスト:そうでもありません。アメリカの帰趨はやはり世界全体に大きく影響しますから、範例となります。アメリカがいったんバラバラに解体されることは、ソ連の解体以上に、世界の構造を大きく変えるでしょう。国家の廃止の出発点になります。

リベラリスト:あなたは『共産論』の中でも国家は国民を国境線と国籍で囲い込み、税金奴隷化・戦争奴隷化していると厳しく非難されますが、そうはいっても、国家という枠組みのポジティブな面にも目を向けるべきだと思います。

コミュニスト:国家という枠組みのポジティブな面とは具体的に何なのでしょうか。

リベラリスト:国民を保護する機能です。今日でも国家という枠組みにとらわれずに生活しているアマゾン地域の文明未接触部族を見ればわかりますが、かれらは国家の「奴隷」と化した文明人より「自由」な反面、その生活はとても過酷なものです。

コミュニスト:何度か強調しているように、現代共産制はそうした原始共産制のイメージでとらえられてはならないのです。現代共産社会も文明化された産業社会ですが、その仕組みを根底から変えようというのです。ですから、国家は廃止されても、民衆会議制を通じた社会統治の機構は存在し、民衆の生活には今以上に配慮されます。国家は国民を保護すると称しながら、実際には財界の利益を保護しているだけです。

リベラリスト:そのご批判は共有できます。ですが、いわゆる民衆会議制によって利権構造が一掃できるという確かな保証もないのでは?

コミュニスト:貨幣経済を温存するなら、その懸念はあります。貨幣は人間の判断を狂わせ、歪めますから、金銭的利益のためには、誤った政策も平然と執行されます。だからこそ、国家の廃止は貨幣経済の廃止と切り離せないのです。

リベラリスト:なるほどそういうことですか。ただ、貨幣経済は廃止するが、国家は廃止しないということも理論上は可能ではないでしょうか。私は推奨しませんが。

コミュニスト:国家は通貨高権と切り離せません。通貨統合により通貨発行権を喪失した欧州諸国で反EUの巻き返しが起きているのも、EUが超国家化することへの懸念からです。一方、近年注目されるビットコインのような私的仮想通貨も、国家発行通貨との換算で成り立ちます。国家は、貨幣経済の政治的化身と言っても過言ではありません。

リベラリスト:どうしても、国家を退治してしまいたいようですね。まあ、アメリカ的価値観を最大限発動してそれに乗るとしても、議会制度まで手放すことはアメリカ的価値観からは受け入れ難いものがありますので、次回対論してみましょう。

※本記事は、架空の対談によって構成されています。 

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世界共産党史(連載第17回)

2014-07-22 | 〆世界共産党史

第8章 アフリカ大陸への浸透

3:エチオピア革命の破綻
 アフリカ大陸で唯一、社会主義革命と呼び得る出来事を経験したのは、エチオピアであった。エチオピアは西欧帝国主義の攻勢下で一時イタリアに占領されたが、イタリア・ファシスト政権の崩壊後、いち早く独立を回復する。とはいえ、長年にわたる独裁的な帝政国家であり、状況的にはロシア革命時のロシアと類似していた。
 1970年代に入ると、少数民族の反乱や、大干ばつにオイルショック後の物価高騰などの政治経済的な情勢は悪化、反帝政デモが大規模化する中、74年に軍部の左派青年将校グループが決起し、帝政は打倒された。最後の皇帝ハイレ・セラシエは廃位され、翌年拘禁中に死亡したが、これは革命政権による超法規的処刑と見られている。
 ここまではロシア革命の経過と酷似するが、エチオピア革命の主体は共産党ではなく、上述したような左派青年将校であった。他名称共産党としては革命に先立つ72年に結成された人民革命党があったが、74年革命では脇役であった。そのため、革命政権は臨時軍政評議会(通称デルグ)を名乗る軍事政権の性格を持ったが、単純な非常時政権でもなく、75年以降、農業協同組織ケベレの設立など革命的な農地改革にも着手した。
 こうした中から、強硬派の青年将校メンギストゥ少佐が台頭し、77年までに革命政権の実権を掌握する。メンギストゥは77年から78年にかけて大々的な赤色テロを断行し、人民革命党を含む反対勢力を大量粛清して独裁体制を固めた。彼は、エチオピアのスターリンとなった。
 メンギストゥ体制はソ連型の国家社会主義を志向し、強権を発動して企業や土地の急激な国有化を進めていった。しかし、一方で少数民族を主体とした内戦が勃発しており、干ばつにも見舞われ大規模な飢餓が発生した。ただ、隣国ソマリアとの領土紛争ではソ連やキューバの支援を得て勝利を収めた。
 メンギストゥは盟主国ソ連の圧力もあり、84年になってようやく他名称共産党としての労働者党を設立し、自ら大統領に就任して形の上では民政移管を実行したが、この隠れ蓑はかえって自己の権力基盤を弱める結果となった。冷戦終結後は反政府勢力の攻勢が一挙に強まり、政権は91年5月、盟主国ソ連の解体に先立って崩壊、メンギストゥ大統領はジンバブエに亡命した。
 結局、メンギストゥ政権下では数十万単位の粛清が行われ、内戦と干ばつで100万人を超える難民が発生した。新政権はメンギストゥを人道に対する罪などで起訴、有罪死刑判決が出されているが、彼は今なお類似の社会主義独裁体制が続く亡命先ジンバブエで庇護されている。
 こうして、エチオピア革命はロシア革命と類似の経過をたどりつつも、実効的な党組織が欠如していたため、軍政の性格を脱することができないまま、スターリンの大粛清同様の惨事に飢餓難民化というアフリカ的な副産物が付加される悲劇だけを残して、破綻したのであった。

4:反アパルトヘイト闘争
 アフリカにおいて、共産党が平和的革命の中で間接的にポジティブな役割を果たした稀有の事例が、南アフリカ旧白人政権の人種差別政策に抵抗する反アパルトヘイト闘争であった。
 南アフリカ共産党は1921年に結成され、当初は白人労働者を主体とする政党であったが、コミンテルンの指示で20年代から黒人党員の組織化と黒人国家樹立を活動方針に採用する。しかし、40年代以降非現実な黒人国家樹立方針を放棄すると、反アパルトヘイト闘争の中心団体であったアフリカ民族会議(ANC)と共闘するようになった。
 白人政権が50年に共産主義者抑圧法を制定して、共産党を非合法化すると、党は公式にANCの内部で活動するようになる。その結果、白人政権はANCそのものを共産主義団体として抑圧対象とするようになり、「反アパルトヘイト=共産主義」という図式を作り出し、弾圧の口実とした。
 こうして政権側の弾圧が強まると、当初非暴力路線を採っていたネルソン・マンデラらANC指導部も武装闘争路線に転換していった。そうして結成されたANCの軍事部門ウムコント・ウェ・シズウェ(民族の槍)は共産党が主導した。特に長く同部門の参謀長を務めたユダヤ系白人ジョー・スロボ(後に共産党書記長)は、ANC急進派の理論的な指導者でもあった。
 こうした武装闘争方針への転換の結果として、ANC全体の指導者となっていたマンデラも62年に逮捕され、終身刑判決を受けて64年以降投獄を余儀なくされた。
 この間も、ANC自体は全体として中道左派的な包括団体の性格を保持するが、内部政党としての南ア共産党は結党以来の白人党員を通じて異人種間をつなぐと同時に、ANC内部の最も急進的なセクトとして、反アパルトヘイト闘争のエンジンのような役割を果たしていた。
 反アパルトヘイト闘争全体ではマンデラの存在感が圧倒的に大きかったが、90年にマンデラが釈放された後、アパルトヘイト廃止へ向けた和平交渉が進む中で、反発した白人極右政党議員らに暗殺された共産党書記長クリス・ハニは当時、黒人青年層の間では強い支持を受けており、マンデラに次ぐ人気を誇っていた。ハニの暗殺は、暗殺者の思惑に反し、その翌年に初の全人種参加選挙が実現するきっかけともなった。
 その結果、選挙戦に勝利したANCがついに政権与党に就くと、共産党もそのまま内部政党として与党入りし、閣僚も輩出した。ただ、アパルトヘイト廃止後は事実上の一党支配政党となったANCは新自由主義的な方向に流れており、内部政党としての共産党も本来の共産主義からは遠ざかり、長期政権に伴う利権腐敗の共同責任も免れない。

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世界共産党史(連載第16回)

2014-07-21 | 〆世界共産党史

第8章 アフリカ大陸への浸透

1:アフリカの共産主義
 アフリカ大陸では、オセアニアとともに共産党政権が成立した歴史がない(後述するように、他名称共産党の政権はある)。この事実は、アフリカ大陸が反共主義的であることを意味していない。アフリカの20世紀は西欧帝国主義の植民地支配に始まり、第二次大戦後も独立闘争に忙殺され、共産主義革命より独立達成が圧倒的に優先課題であった。
 しかし、その独立闘争にも共産主義は浸透していた。多くの諸国の独立闘争組織が、程度の差はあれ社会主義的志向性を持ち、マルクス主義を標榜するセクトを抱えていた。60年代以降、アフリカ諸国の独立が続くと、多くの諸国がソ連型一党支配体制の社会主義を標榜し、ソ連に接近していった。しかし、それはしばしば独裁政権や軍事政権の隠れ蓑にすぎず、重大な人権蹂躙や内戦を招くことも少なくなかった。
 そうした隠れ蓑政権の典型は、1969年の軍事クーデターでソマリアに成立した体制であった。この体制は完全な軍事政権であったが、間もなくマルクス‐レーニン主義を標榜する革命社会主義者党の一党支配の形態に移行した。しかし、その実態は独裁者バーレ大統領の属する氏族支配の隠れ蓑にすぎなかった。
 バーレ政権は同じくマルクス‐レーニン主義を標榜した隣国エチオピアとの領土紛争からエチオピアを支援したソ連を離反して親米に転向した末、冷戦終結後にはアメリカからも捨て駒とされ、折から強まった反政府ゲリラの攻勢に屈し、91年に崩壊した。その後のソマリアは内戦・無政府分裂状態のままである。
 異彩を放つのは、ザイール(現在のコンゴ民主共和国)東部で67年から88年まで存続した解放区的なマルクス主義のゲリラ国家である。これは当時のザイールのモブツ親米独裁政権に対抗して、ローラン・カビラが率いた山岳ゲリラ活動の一環であり、一時的にキューバ革命の共同指導者チェ・ゲバラが来援したが、カビラの怠惰に失望し、去っていった。
 その後、中国の支援でゲリラ国家が設立・維持されるが、その活動方法は密輸や強盗といった犯罪行為であり、結果はカビラの蓄財であった。ゲリラ国家解体後の97年に至り、カビラはモブツ政権を崩壊に追い込む革命に成功し、新大統領に就任するが、前任者に劣らない個人崇拝型の独裁体制となり、新たな内戦の中、2001年に護衛官によって暗殺された。

2:ポルトガル語圏諸国
 共産主義的な独立闘争組織が他名称共産党として独立後も持続的な成功を収めたのは、共にポルトガルから独立したアンゴラとモザンビークであった。両国は最も遅くまでアフリカ植民地の保持に執着したポルトガル本国のファシスト政権が74年の革命で崩壊したのを機に独立した。その独立闘争から独立後の政権までを一貫して担ったのは、マルクス‐レーニン主義を標榜する解放政党であった。
 アンゴラでは後に初代大統領となるアゴスティニョ・ネトらの知識人により56年に結成されたアンゴラ解放人民運動が、75年に独立を宣言した(77年、アンゴラ解放人民運動‐労働党と改称)。しかし、独立前から鼎立していた反共親米の二つの反政府ゲリラ組織との間で内戦に突入する。
 このアンゴラ内戦は米ソ代理戦の様相が強く、反政府ゲリラはアメリカやアパルトヘイト時代の南ア白人政権の支援を受け、ソ連とキューバの支援を受けるアンゴラ政府に対抗し、一進一退の内戦が冷戦終結をまたいで2002年まで続いた。この間の死者は300万人を超えるとされる。
 他方、モザンビークでは62年に結成されたモザンビーク解放戦線が75年の独立後政権党となるが、ここでも反共ゲリラ組織との間で内戦に陥る。しかしやはり南アに支援されたモザンビークの反政府ゲリラは残忍な暴力的活動が多く、支持は広がらず、こちらも100万人と言われる死者を出しながら、アンゴラより一足早い92年に内戦は終結する。
 内戦終結後の両国は共に憲法上は複数政党制を採りつつ、独立以来の解放政党が政権党の座にあるが、すでにマルクス‐レーニン主義を離れて市場経済原理の導入を通じた経済開発路線に転じ、とりわけアンゴラは油田開発を基盤に2000年代に高い経済成長を示した。
 これは、両国の支配政党がマルクス‐レーニン主義を標榜していた当時から比較的柔軟な現実主義路線を採用し、スターリン主義的な独裁者も出現しなかった幸運による。とはいえ、長年にわたる内戦の後遺症に加え、長期政権は市場経済化の中で政治腐敗を助長している。

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差別を助長する司法

2014-07-20 | 時評

最高裁判所は、18日の判決で永住外国人に生活保護受給権は保障されないとする初めての判決を出した。要するに、日本の憲法の番人によれば、在日外国人の貧困者は餓死せよというわけである。

もちろん、そんなことを明言するほど最高裁も野暮ではない。生活保護受給者を「国民」と定める法律の形式的な文言に従ったまでである。現実には、行政裁量で外国人にも生活保護は支給されているので、不都合はないとの判断であろう。しかし、裁量ということは、支給しなくてもよいということで、在日外国人の生存は行政の匙加減しだいという不安定なものとなる。

短期滞在の外国人ならわかるが、永住外国人は国民と同等に租税も負担し、生活実態も一般国民と変わらないのに、最低限度の生活保障を受ける地位に関して国民と差別されるのは不公正である。

それでも、法律の文言が・・・と弁解するか。しかし、法律の形式的な文言どおりに判決すれば済むなら、日本語が読める限り素人でも裁判はできる。裁判官のプロフェッショナル性は文言どおりに解決がつかないときにこそ発揮される。

本件で言えば、法律の文言は「国民」であっても、国民と生活実態の変わらない永住外国人に対しては生活保護法の趣旨が妥当するとして、国民に準じて受給権を持つという類推解釈を示すこともできたはずだ。

最高裁が受給権を認めた二審判決を破棄してまで形式解釈で不公正を容認したのは、近年とみに強まる在日外国人排斥の風潮に迎合したものと疑われてもやむを得ない。少なくとも、このような判決は外国人差別を助長する。差別を救済すべき司法が差別を助長するのでは話にならない。

司法の最大の役割は公正さの保障にある。司法は公正さを保障するためには、世の風潮に反することもためらうべきでない。裁判官が選挙制ではないことの意義をよく考えるべきだ。

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旧ソ連憲法評注(連載第8回)

2014-07-19 | 〆ソヴィエト憲法評注

第二十四条

1 ソ連においては、保健、社会保障、商業、公共給食、生活サービスおよび公益事業の国家的制度が活動し、発展する。

2 国家は、住民にたいするサービスの全領域における協同組合その他の社会団体の活動を奨励する。国家は、大衆的な体育およびスポーツの発展を促進する。

 本条は、体育・スポーツも含む人民の福利に関するサービス全般が第一次的に国家によって提供され、協同組合等の社会団体は二次的・補充的な役割しか果たさないことを示している。これは資本主義的な福祉国家ならぬ、国家丸抱えの「国家福祉」と呼ぶべき体制である。

第二十五条

ソ連においては、市民が普通教育および職業教育をうけることを保障し、共産主義的養育および青少年の精神的、肉体的発達に奉仕し、労働および社会的活動のために青少年を教育する統一的な国民教育制度が存在し、改善される。

 国民教育制度は資本主義国家でも備えていることが多いが、ソ連の特徴は、普通教育と職業教育が同等に保障されていることと、狭義の教育にとどまらない養育・青少年教育までカバーされていることである。これも教育面での国家丸抱えと言え、共産党支配体制に適合する勤労者・党員の育成が狙われていた。

第二十六条

社会の必要にしたがい、国家は科学の計画的発展および研究者の養成を保障し、国民経済およびその他の生活領域への研究の成果の導入を組織する。

 科学的社会主義を謳っていたソ連では、科学政策は重点政策の一つであり、それは本条後半にあるように、研究成果の社会還元の組織化にも及び、科学の社会化に配慮されていたが、周知の通り、ソ連の科学は民政利用よりも核兵器製造や宇宙開発など軍事利用に傾斜していた。

第二十七条

1 国家は、ソヴィエト人の倫理的および美学的教育のため、ならびにかれらの文化水準の向上のため、文化財の保護、増加およびその広範な利用について配慮する。

2 ソ連においては、職業的芸術家による芸術および人民の芸術的創造の発展が、全面的に奨励される。

 本条は文化・芸術政策の指針であるが、曲者は芸術活動を「奨励」する第二項である。ここでは芸術活動の自由が認められているように見えるが、「奨励」されているのは共産党支配体制に適合する芸術活動にほかならないから、反体制的芸術活動は監視・取締の対象となり、反ソ的とみなされた芸術家は公演禁止などの迫害を受けた。

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旧ソ連憲法評注(連載第7回)

2014-07-18 | 〆ソヴィエト憲法評注

第三章 社会的発展および文化

 本章では、ソ連の政治経済システムの概要を示した前二章を踏まえ、労働政策や農村政策まで包括する広義の社会政策及び文教政策の基本原則が列挙されている。

第十九条

1 ソ連の社会的基礎は、労働者、農民およびインテリゲンチャのゆるぎなき同盟である。

2 国家は、社会の社会的同質性の強化、すなわち階級的差異、都市と農村および精神的労働と肉体的労働のあいだの本質的な差異の解消ならびにソ連のすべての民族および小民族の全面的な発展および接近を促進する。

 第一項は「発達した社会主義社会」における社会政策の基礎となる階級協調的な社会編成を示している。ここでは、労・農・知の階級差はいまだ解消されていないことを前提に、階級が完全に消滅する将来の最終目標である共産主義社会の建設に向けて、国家は階級・民族格差(多民族国家のソ連では民族格差も課題であった)の解消に努力するというのが、第二項の趣旨である。

第二十条

「各人の自由な発展が万人の自由な発展の条件である」という共産主義の理想にしたがい、国家は、市民によるその創造力、能力および天分の発揮ならびに個人の全面的発展のための現実的な条件の拡大を、自分の目的とする。

 冒頭の一節はマルクス‐エンゲルスの『共産党宣言』にある有名な共産主義的自由の定式を引用したものである。しかし、共産主義には国家という枠組みは存在しない。まして、共産党独裁国家はあり得ない。結局のところ、本条の規定も、共産党支配体制の下では共産党の発展に適合する個人の育成を根拠づける規定にすりかわった。国家丸抱えでの優秀な五輪選手の育成(ステートアマチュア)は、その象徴と言えただろう。

第二十一条

国家は、労働条件の改善、労働の保護および労働の科学的組織について配慮し、国民経済の全部門における生産過程の総合的機械化および自動化にもとづく肉体的重労働の減少および将来におけるその完全な廃止について配慮する。

 労働政策の柱に、労働条件の法的保障にとどまらず、労働の科学的組織化と全自動化による肉体的重労働の廃止という野心的な目標を設定しているところに本条の特色がある。現実には、硬直した行政主導の計画経済ゆえ、生産財の技術革新や機械設備の更新遅滞が常態化しており、末期のソ連ではとりわけ工場設備の陳腐化・老朽化が進行していた。

第二十二条

ソ連においては、農業労働を工業労働の変種にかえ、農村に国民教育および公益事業の諸施設を広範に設置し、村落を整備された町に改造するプログラムが、順次実施される。

 農業労働を集団農場での工業労働の変種に転換することは、農業集団化政策の集大成であった。皮肉なことに、資本主義の下で一部実現されつつある植物工場の試みは、まさに農業労働を工業労働そのものに転換する契機となるかもしれない。

第二十三条

1 国家は、労働生産性の向上にもとづき、勤労者の労働報酬の水準および実質所得の向上の政策を、確固として実行する。

2 ソヴィエト人の需要をより完全にみたすために、社会的消費フォンドが設けられる。国家は、社会団体および労働集団の広範な参加のもとに、このフォンドの増大およびその公正な配分を保障する。

 社会主義的福祉国家の基本原則を示す規定である。ソ連の所得政策が勤労者の労働報酬をベースとする点は資本主義と大差ないが、第二項にある社会的消費フォンドは社会主義特有の概念である。ただ、これも資本主義的福祉国家における官民拠出の社会保障財源と同視すれば、大差ない。
 このような合一化は、本来の原理からいけば、個人の生活はあげて労働報酬その他各人の所得のみでまかなうはずの資本主義の側が、社会主義的な消費フォンドの仕組みを限定的に借用している結果とも言える。

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晩期資本論(連載第4回)

2014-07-17 | 〆晩期資本論

一 商品の支配(3)

ある使用価値の価値量を規定するものは、ただ、社会的に必要な労働の量、すなわち、その使用価値の生産に社会的に必要な労働時間だけである。

 前回の末尾で、使用価値とひとまず分離される交換価値とは何者かという問いを残したが、そのマルクス的な回答がこれである。すなわち、商品の交換価値は各商品の生産に要する抽象的人間労働の量によって決せられるといういわゆる労働価値説の定式である。
 しかし、一つの工場内部でも複雑な専門分業体制が採られ、オートメーション化・ロボット化も進み、人間の労働自体がシステム管理的なものに変貌してきた現在、労働価値説の妥当性は揺らいでいる。

一商品の価値の大きさは、その商品に実現される労働の量に正比例し、その労働の生産力に反比例して変動するのである。

 商品の交換価値は、その商品の生産に要する労働時間が長いほど高価となり、短時間労働で大きな生産量を達成できるほど、廉価となる。しかしこれはあくまでも机上論であって、実際のところ機械化が高度に進み、生産力が飛躍的に向上した現在でも、長時間労働は解消されておらず、むしろ多労働・高生産というねじれ現象が起きているため、長時間労働かつ廉売という結果となる。

すべての労働は、一面では、生理学的意味での人間の労働力の支出であって、この同等な人間労働または抽象的人間労働という属性においてそれは商品価値を形成するのである。すべての労働は、他面では、特殊な、目的を規定された形態での人間の労働力の支出であって、この具体的有用労働という属性においてそれは使用価値を生産するのである。

 商品の交換価値を形成するのは抽象的人間労働であるが、その使用価値を形成するのは具体的有用労働である。例えば、机の使用価値を形成するのは木材その他の材料から机という使用価値のあるモノを製作する具体的な労働であるが、机に交換価値を与えるのは、単にそれを製造する労働者の労働時間に還元される抽象的な労働である。
 このような労働の二面的な性格については、エンゲルスが追記した補注の中で、使用価値を作る具体的有用労働workと、交換価値を形成する抽象的人間労働labourを区別している。日本語には正確に対応する用語がないが、前者は労働、後者は勤労に当たるかもしれない。

ある物は、価値ではなくても、使用価値であることがありうる。それは、人間にとってのその物の効用が労働によって媒介されていない場合である。たとえば空気や処女地や自然の草原や野生の樹木などがそれである。ある物は、商品ではなくとも、有用であり人間労働の生産物であることがありうる。自分の生産物によって自分自身の欲望を満足させる人は、使用価値はつくるが、商品はつくらない。

 商品=抽象的人間労働の価値化体だとすれば、商品は労働生産物でなければならない。しかし労働生産物でも自家消費する物は商品ではない。後者はそのとおりであるが、前者は現代資本主義にはあてはまらなくなっている。
 例えば、今や水までミネラルウォーターとして商品化されている。もっとも、ミネラルウォーターといえども汲み上げた水をそのまま販売しているわけではなく、殺菌・ろ過とペットボトル充填という最小限度の加工は施されていることを考えると、これも一種の「労働生産物」と言えなくはない。しかし水そのものは自然に湧出するものであるから、労働価値説を厳密に適用する限り、ミネラルウォーターは商品でないことになるが、現代資本主義では水もれっきとして商品化されている。
 また、コンピュータソフトのような知的財産もCD-ROMのような形態で物体化されて販売されるが、商品価値が付与されるのは非物体的なアイデアに対してである。アイデアも「知的労働」の生産物とみなすこともできなくないが、基本的には着想という作用の成果である。
 このように、商品化が拡大された現代資本主義社会では、労働価値説では説明し切れない商品―「準商品」といった新概念を作り出せば別であるが―が少なからず存在している。

労働は、使用価値の形成者としては、有用労働としては、人間の、すべての社会形態から独立した存在条件であり、人間と自然とのあいだの物質代謝を、したがって人間の生活を媒介するための、永遠の自然必然性である。

 有用労働=workは、自給自足生活にあっても行われる人間の対自然的な働きかけであり、これが本来の意味における普遍的な労働である。しかし、商品生産が全面化し、衣食住のすべてを既成の商品でまかなう現代資本主義社会の生活では、この意味での労働を一切行わない生活様式も成り立ち得るようになっている。とすると、有用労働はもはや永遠の自然必然性ではなくなり、商品生産の前提となる抽象的労働=labourこそが必然化するという逆転現象が生じていることになる。

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晩期資本論(連載第3回)

2014-07-16 | 〆晩期資本論

一 商品の支配(2)

使用価値は、富の社会的形態がどんなものであるかにかかわりなく、富の素材的な内容をなしている。われわれが考察しようとする社会形態にあっては、それは同時に素材的な担い手になっている―交換価値の。

 資本主義社会の主役である商品も一つの富であるから、当然何らかの使用に役立つ性質―使用価値―を持つが、単に使用価値を持つだけでは商品にならない。商品は、他のモノとの交換関係で定まる価値―交換価値―を持っている。ということは、交換に供し得るだけの使用価値を持っていることが必要である。

いろいろな商品のいろいろな使用価値は、一つの独自な学科である商品学の材料を提供する。ブルジョワ社会では、各人は商品の買い手として百科事典的な商品知識をもっているという擬制が一般的である。

 第二文は脚注の言葉であるが、名言である。ブルジョワ資本主義社会に生きる者は、巨大な商品の集まりの中から、購買するに値する使用価値を持つ商品を選び出す眼力を持っているものとみなされている。しかし、現実にはそんな商品学の知識を持つ消費者はほとんどいないため、使用価値のないモノをあるように偽ったり、実際の使用価値を過大に宣伝したりする商品詐欺が跡を絶たない。商品化の拡大により、詐欺商法は蔓延状態にある。というより、何らかの誇大宣伝は常態化しており、それが違法行為に当たるかどうかは程度問題にすぎない。

交換価値は、まず第一に、ある一種類の使用価値が他の使用価値と交換される量的関係、すなわち割合として現れる。それは、時と所によって絶えず変動する関係である。

 交換価値が、使用価値と使用価値の量的関係である―例えば、机2個と本棚1個―というのは、物々交換では言えることだが、貨幣交換―例えば、机2個と2万円―になると、こうした使用価値対使用価値という関係も消失し、金額的価値として抽象化される。それは「物価」として相場を形成し、時間的・場所的に上下変動する不安定な社会因子となる。

使用価値としては、諸商品は、なによりもまず、いろいろに違った質であるが、交換価値としては、諸商品はただいろいろに違った量でしかありえないのであり、したがって一分子の使用価値も含んではいないのである。

 ここで、マルクスは交換価値には使用価値は一切含まれないかのようにいささか筆を滑らせているが、冒頭で述べたように、交換価値を持つには交換に値するだけの使用価値を持つことが本則である。しかし貨幣交換が圧倒的に通常の交換方法となった現代資本主義社会における交換価値は、使用価値と無関係ではないにせよ―多機能で高度な使用価値を持つ商品は通常高価である―、ひとまず使用価値から分離されている。そのため、使用価値のないシロモノが商品として出回る詐害現象が発生しやすい。では、交換価値とはいったい何者なのか。

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リベラリストのと対話―「自由な共産主義」をめぐって―(4)

2014-07-11 | 〆リベラリストとの対話

2:資本主義の限界について

リベラリスト:前回、当分は資本主義で頑張ってみないかという私の提案には反対されましたね。

コミュニスト:ええ。資本主義はすでに限界を露呈しつつあると考えるからです。そのことは、拙『共産論』の中でも、資本主義が抱える三つの限界として指摘したところです。

リベラリスト:読みました。たしか、環境的持続性、生活の安定性、人間の社会性が危機に瀕しているとのことでした。特に、環境的持続性に重点を置くのが従来のマルクス主義などとの大きな相違とお見受けしました。

コミュニスト:そのとおりです。実際、最近世界的にも異常気象に見舞われています。グローバル資本主義の中、産業化が世界規模で拡大している現在の異常気象は、地球環境の周期的な自然変動だけでは説明し切れず、人為的に引き起こされている要素が強いと考えられます。地球が発する警鐘と受け止めるべきでしょう。

リベラリスト:アメリカが環境政策では後ろ向きであることは残念に思っているところですが、環境対策は資本主義の枠内でも実行できるのではないでしょうか。

コミュニスト:温暖化対策一つとっても、先進国と新興国の利害対立は決して埋まりません。新興国がさらに資本主義的発展を遂げるには、環境規制は緩和されなければならないからです。しかし、仮に新興国すべてが資本主義的発展を遂げたら、もはや地球は持続しないでしょう。

リベラリスト:それでも、前回意見の一致があった資本主義による生活水準の底上げを新興諸国が達成するためには、まだ伸びしろのある新興諸国の環境規制は少し大目に見る寛大さも必要かもしれません。

コミュニスト:目下新興諸国を牽引する中国とインドだけでも合わせて20億を超える人口があり、かれらすべてがアメリカ人や日本人のような暮らしを始めたら、地球環境はどうなるでしょうか。

リベラリスト:では、中国人やインド人は貧しいままでいろと?

コミュニスト:そうではありません。ですが、資本主義的発展モデルとは異なる道へ進むべきです。もちろん、それは新興諸国だけでなく、全世界においてですが。

リベラリスト:「地球共産化論」ですね。しかし、共産党が支配する中国等はともかく、アメリカや日本のように資本主義が高度に発達している諸国で、資本主義から共産主義へすんなり移行できるというのは、手品のように思えますが。

コミュニスト:拙論に限らず、マルクスの理論でも共産主義は資本主義から生まれることになっています。現代共産主義は農耕社会の原始共産主義とは異なり、産業化・情報化の基盤の上に成り立つものだからです。もっとも、すんなり移行するのではなく、社会革命という大手術は必要ですが。

リベラリスト:だとすると、共産主義へ飛ぶ前にやはり資本主義を通らなければならないので、それこそぎりぎり限界までは資本主義を続けるべきということになるのでは?

コミュニスト:まだいくらか伸びしろのある一部新興諸国は別としても、アメリカをはじめとする先進諸国はすでに資本主義国としても低成長・マイナス成長の後退期に入っています。人間で言えば、もう成長期をとうに過ぎて初老に入っているのです。私がアメリカ共産主義革命と言うのも、まずは資本主義総本山アメリカが率先して資本主義に見切りをつけて欲しいとの考えからです。

リベラリスト:では、資本主義が根付かず、新興国にも遠く及ばない低開発諸国ではどうすればよいのでしょう。

コミュニスト:それは、資本主義が文化や国民性と適合しないという外部的な限界に直面しているケースでしょう。共産主義は資本主義から生まれるというのは、あくまで原則的なモデルにすぎません。前資本主義的な低開発状態から共産主義に移行することも可能です。移行しやすさという点ではそのほうが好都合なくらいです。革命的大手術を必要としませんから。

リベラリスト:とはいえ、今日低開発諸国でも普及している貨幣経済そのものを除去しようというのは、やはり相当大胆な革命のように思えますね。私はあなたの貨幣経済廃止論にはいくつか疑問を抱いていますので、いずれ対論してみましょう。

※本記事は、架空の対談によって構成されています。

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リベラリストとの対話―「自由な共産主義」をめぐって―(3)

2014-07-10 | 〆リベラリストとの対話

1:資本主義の意義について

コミュニスト:前回の対論の最後で、共産主義の話に飛ぶ前に、資本主義のプラス面や議会制の歴史的な貢献についての管見を聞きたいと言われましたね。

リベラリスト:はい。私は通常の米国人と違って反共主義者ではありませんが、かといって資本主義/議会制民主主義をあっさり放棄しようという性急な考えでもありません。一方、あなたも資本主義のプラス面や議会制民主主義の歴史的な貢献を認めると言われるので、その点を具体的に伺っておきたかったのです。

コミュニスト:わかりました。まず前者の資本主義のプラス面から述べますと、資本主義はそれが成功した限りでは、人びとの生活水準全体の底上げは実現するという点に尽きると考えます。ここには、二つの留保があります。一つは「成功した限りでは」です。現在、グローバル資本主義の時代と言われますが、実際のところ、資本主義が本当に成功したと言える諸国は、まだ限られています。

リベラリスト:たしかに、厳しく査定すれば、資本主義が成功している諸国は一部でしょうが、社会主義経済から資本主義市場経済に移行して、以前より経済状態が向上した諸国もいちおうこれを「成功」に含めれば、なかなかの好成績だと思うのですが。

コミュニスト:それは、先ほどの二番目の留保に関わります。旧社会主義諸国で経済状態が向上したというのは、生活水準全般の底上げがある程度できてきたからです。このことは、御国のアメリカをはじめ、いわゆる先進資本主義諸国でも実は同じことで、これらの諸国は生活水準の底が他国よりも高いというだけのことなのです。

リベラリスト:底辺を引き上げるということは、豊かさの第一歩ではありませんか。

コミュニスト:そのとおりです。ですが、資本主義が実現するのはあくまでも全体の底上げまでで、個々の生活水準の引き上げではありません。すなわち貧富の差は放置されます。その意味では、資本主義とは「置いてけ堀経済」であって、豊かになれない貧困者は置き去りにされるのです。

リベラリスト:たしかに、自助努力主義のイデオロギーが強いアメリカの資本主義ではそういう傾向にあります。ですが、日本などでは貧困対策もかなり踏み込んで行っており、必ずしも置いてけ堀でもないのではありませんか。

コミュニスト:日本でも、近年生活保護受給者が増大するにつれ、財政難から受給制限措置も厳しくなっており、置いてけ堀傾向は強まっています。

リベラリスト:私自身は「最大多数の最大幸福」を実現するのが資本主義であり、適切な貧困対策を伴った均衡ある資本主義経済は可能だと考えています。

コミュニスト:現実はそうなっていないのではないでしょうか。資本主義は、良くても「相対多数の最大幸福」しか実現しません。近年は、最悪「限定少数の最大幸福」に向かっています。資本主義者が現実の生活現場を見ずして抽象的な観念論を弄ぶ傾向は、マルクスの時代から変わっていないようですね。

リベラリスト:耳の痛いご批判です。ただ、成功した資本主義は全体の底上げを実現するというプラス面があるとする点では意見の一致があるようです。となれば、共産主義に飛び移る前に、まだ当分は資本主義で頑張ってみるべきだということになりませんか。

コミュニスト:これ以上頑張られては大変なことになると思っていますが、ここは重要な点ですので、次回の対論に回しましょう。

※本記事は、架空の対談によって構成されています。

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世界共産党史(連載第15回)

2014-07-08 | 〆世界共産党史

第7章 アメリカ大陸への拡散

3:キューバ革命とその余波
 共産党が関わった出来事で、アメリカ大陸全般に最も強い余波を引きこしたのが、1959年のキューバ革命であった。キューバはアメリカ大陸部からは外れた島国であるが、地政学上はラテンアメリカに属する。
 ラテンアメリカ諸国の中では遅れて1902年にスペインから独立したキューバは、建国当初から共産主義者やアナーキストの活動が活発な革新的気風に満ちていたが、政治経済はスペインに勝利したアメリカに掌握され、事実上の属国状態となっていた。特に30年代から50年代にかけて断続的にバティスタの親米軍事独裁体制が敷かれ、その下でキューバのアメリカ従属は頂点に達した。
 キューバ共産党は1925年に結党されたが、40年代にバティスタ政権に参加したほか、44年には人民社会党と早くも改称するなど、急進性を喪失していた。
 こうした中、フィデル・カストロやその盟友のアルゼンチン人チェ・ゲバラに指導された青年革命組織・七月二十六日運動が53年以降、失敗を繰り返しながら数年にわたるゲリラ活動の末、59年に革命に成功、バティスタ政権を崩壊に追い込んだ。
 革命政権は当初、メキシコ革命と類似の農地改革を軸とした民族主義的な急進ブルジョワ革命の性格を示していたが、次第に社会主義的になり、米国系資本の国有化を打ち出すに至ってアメリカとの対立が決定的となると、ソ連に接近した。これは米ソ冷戦の新たな火種となり、62年には戦後最大の核戦争危機(キューバ危機)を誘発した。
 カストロ政権は61年に亡命キューバ人を使ったアメリカのケネディ政権によるキューバ侵攻転覆作戦を撃退すると、正式に社会主義化を宣言し、七月二十六日運動や人民社会党などが合同して統一革命機構を組織、これを母体に65年に改めて共産党が結党され、以後、キューバはソ連型の共産党一党支配体制となった。
 キューバ革命の大きな特徴は、大規模な武装革命に伴いがちな内戦が起きなかったことである。これは革命政権が前政権の主であるバティスタやその他の高官を処刑せず海外亡命を認めたことで、かえって国内での反革命勢力の対抗的な結集を阻止し得たためと考えられる。
 このように、ゲリラ活動から革命を成功させたキューバ革命はラテンアメリカでは伝説的な範例となり、周辺諸国にも波及していく。79年にはキューバと同様戦前から長く親米独裁体制が続いていた中米ニカラグアで、ゲリラ組織サンディニスタ国民解放戦線が革命に成功した。しかし、直後からアメリカに支援された旧政権残党との間で10年に及ぶ内戦に陥った。和平後、サンディニスタ国民解放戦線はいったん政権を喪失するも、穏健な議会主義路線に転じて有力政党となり、民主的選挙で大統領を輩出するなどキューバとは異なる道を歩んでいる。
 他方、南米ではキューバ革命型の革命成功例が見られず、ソ連化の進むキューバを去ったゲバラも新天地ボリビアの革命運動に参加するが、政府軍の掃討作戦で捕らえられ、即時処刑された。そうした中、ブルジョワ寡頭支配の傾向が顕著なコロンビアで結成されたコロンビア革命軍はマルクス‐レーニン主義を掲げ、64年の結成以降、反政府ゲリラ活動を続けている。
 ただ、この組織は90年代に入ると、資金獲得の手段として麻薬組織との関係を深め、また身代金目的誘拐などの犯罪にも及び、革命組織というより犯罪組織としての傾向を強める逸脱が顕著になった。これに対し、2000年代以降、アメリカに支援された政府による掃討作戦が強化され、最高幹部が次々と殺害されるに至り、組織は弱体化し、革命の可能性は潰えている。

4:チリの左派連合
 ユーロコミュニズムの影響が強いチリ共産党は独自の展開を示してきた。チリでは戦前戦後にかけての人民戦線系政権が親米化する中で、共産党は一時非合法化・排除されたが、再合法化後も、社民主義の社会党と共闘する方針を崩さず、選挙協力体制を続けた。
 そうした中で、1970年の大統領選ではより広範な諸派を加えた人民連合を結成して、史上初めて社会党のサルバドール・アジェンデを当選させた。アジェンデは共産党員ではなかったが、マルクス主義を標榜しており、世界で初めて民主的な選挙で選ばれたマルクス主義の国家元首と目された。
 アジェンデ政権は国内反共主義者やその背後にあるアメリカの強い不信と警戒の中、急進的な農地改革や米国系銅山会社の国営化などを着々と進めていった。外交的にもキューバやソ連との友好関係を深めた。
 しかし、社会サービス分野への傾斜投資による政府支出の膨張や、アメリカによる事実上の経済制裁としての銅の国際価格操作、賃金の大幅引き上げによるインフレの進行など、外圧と経済失政の複合作用に、ブルジョワ層のサボタージュやアメリカが仕掛けたトラック業界のストライキなどが加わり、チリ経済は急速に悪化・混乱する。
 反政府デモも全土に広がり、不穏な情勢の中、内戦の危機が迫り、保守派は軍の介入を求めるに至った。こうした反共派の要望に答え、73年に就任したアウグスト・ピノチェト陸軍司令官に指導された軍部は、同年9月、クーデターを断行してアジェンデ政権を転覆した。アジェンデ大統領は軍による銃撃の中、自殺に追い込まれた。
 こうして成立したピノチェト軍事独裁政権は徹底した親米反共政策に転じ、同時期に成立した周辺諸国の軍事政権と協力して社会主義者・共産主義者と目される活動家らを大量検挙もしくは秘密裡に殺害する苛烈な弾圧作戦を展開しつつ、新自由主義的な経済政策を強権的に執行し、南米における新自由主義政策のモデルとなった。
 この間、チリ共産党は一時議会主義路線を放棄し、軍事政権に対する武装闘争を展開、86年にはピノチェト大統領暗殺未遂事件を起こした。90年の民政移管後、チリ共産党は議会主義路線に復帰し、2013年大統領選挙では再び社会党などと連合して勝利し、社会党主導のバチェレ政権(第二次)に参加している。

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