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近代科学の政治経済史(連載第28回)

2022-11-22 | 〆近代科学の政治経済史

六 軍用学術としての近代科学(続き)

近代的軍需資本の誕生
 兵器の製造は戦争の歴史と同じだけの長さを持つが、近代以前、兵器の製造は各国が自給自足の形で行い、兵器の製造を業とする商人は存在していなかった。その点、15世紀にオスマン帝国に大砲を売り込んで成功したウルバンのような先駆者は例外的である。
 フルネームが知られていないウルバンはハンガリー人とされるが(異説あり)、元来はビザンツ帝国に仕える技術者であった。しかし、ビザンツは彼に充分な俸給を与えなかったため、巨大な射石砲の開発製造計画を敵国のオスマン帝国に売り込み、オスマン帝国は早速これを採用してビザンツ帝都コンスタンティノープル攻略に成功、ビザンツを滅ぼした。
 ウルバンは商人ではなかったが、好条件を提示した敵国に自作の兵器を売り込む無節操な商魂は、まさに後の軍需資本の先駆けとも言えるものであった。彼はオスマン帝国から提供された工房で大砲を製造したので、これは工場を備えた軍需産業の遠い先駆けでもあったと言える。
 とはいえ、近代的な軍需産業の成立は、軍事工学の発達が見られた19世紀後半の欧州においてである。そうした意味で、近代的な兵器の開発製造を業とする軍需資本は、軍用学術としての軍事工学を応用した技術資本と言える。
 中でも先駆的なのは、イギリス人の発明家ウィリアム・アームストロングが立ち上げた軍需企業である。アームストロングは事務弁護士から発明家に転じるという稀有の経歴を持つ人物でもあった。
 彼が創業した会社は当初、民需用の水力クレーンの開発で成功を収めた後、イギリス陸軍から機雷の設計を受注したことを契機に軍需に進出したが、中でも最も成功した商品は、革新的な後装式ライフル砲、その名もアームストロング砲であった。
 彼が1859年に分社して設立した軍需企業エルズウィック兵器会社はイギリスを超えて世界中で事業を展開し、アームストロング砲の顧客には南北戦争中の南北両軍や幕末日本の佐賀藩もあった。
 エルズウィックは後に戦艦建造にも事業拡大し、当時は世界唯一の自己完結的な戦艦造船工場を備えた。顧客には大日本帝国海軍もあり、日露戦争ではエルズウィック社製艦が投入されている。
 一方、ドイツでも、発明家フリードリヒ・クルップが創立した小さな鉄鋼会社を継承した子息のアルフレート・クルップが軍需に進出し、当時ドイツ統一の野心に燃えていたプロイセン御用達の大砲製造業者として成功を収めた。
 実際、クルップ社製大砲は普仏戦争でのプロイセンの勝利に貢献し、ドイツ統一後、クルップは鉄血宰相ビスマルクと組んで軍産連携を強めた。クルップの顧客には幕末の江戸幕府も含まれ、軍艦開陽丸に搭載する大砲を受注している。
 クルップの軍需産業は1903年にフリードリヒ・クルップ社として正式に立ち上げられ、実質的な国策会社の立場で、二つの大戦を通じてドイツの軍事大国化に寄与した。
 他方、エルズウィック兵器会社は航空機産業として台頭していたヴィッカース社と1927年に合併し、改めて総合軍需資本ヴィッカース‐アームストロングス社となり、主要事業が1960年代から70年代に国有化された後、残部も1977年まで存続した。

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