後記
本連載では貨幣経済史の暗部を、貨幣にまつわる計40の事件・事変を取り上げて見てきたが、これらの事例は全体のほんの一部であり、取り上げるべき事例はその何倍もあるであろう。いずれにせよ、その最後を飾るのは、物体としての貨幣が姿を消して、電子的にやりとりされる価値に抽象化されてしまう暗号通貨にまつわる事件であった。
しかし、その項でも指摘したように、暗号通貨の普及は貨幣経済の廃止を意味しておらず、単に物体としての貨幣が取引上姿を消したまでであり、むしろ貨幣が表象する交換価値はしっかりと残存しているのである。
従って、暗号通貨にまつわる怪事件は、貨幣経済の終焉という意味での「最期」の事件ではない。貨幣経済の終焉は、まさに貨幣という有史以来の交換手段そのものが廃されることを意味しており、それこそが貨幣経済の暗黒から人類が解放される時である。
実際、近代になって貨幣経済の廃止が構想ないし試行されたことがないわけではなかった。例えば、ロシア10月革命後、ボリシェヴィキの最も急進的な経済理論家らは貨幣経済を廃した純正な共産主義経済システムの構築を構想したが、「革命的現実主義者」が支配的な中、結局のところ、実行に移されることはなかった。
実際に経済政策として貨幣経済の廃止を断行したのは、1970年代の革命で政権を掌握したカンボジアの共産党過激派(クメール・ルージュ)であった。かれらは原始共産制を夢想し、徹底した農本主義に立って貨幣経済を廃止したうえ、農村共同体を通じた物々交換経済を導入したが、結果は経済的な破局であった。
有史以来の貨幣経済の廃止を突然断行すれば、大破局を来たすのは当然であり、クメール・ルージュは貨幣経済の暗黒から脱しようとして、かえって別の暗黒を作り出してしまったと言える。よって、この事例は貨幣経済史黒書の一部に含めてもよいものである。
貨幣経済史の正しい終焉は、周到に準備された全世界レベルでの貨幣廃止のプロセスと、地球規模での共産主義経済への移行プロセスによって保証されるであろう。そのプロセスを述べることは本連載の目的を外れるので、別連載『続・持続可能的経済計画論』に譲る。
ところで、現代の発達した市場経済では、売主側が定めた価格で商品を購入することが強制される定価制度が定着しており、価格交渉の余地のある真の意味での市場経済は、一部の伝統的なバザールやオークションのような分野に限局されている。
しかし、真の市場経済は価格交渉の自由を伴うものであるから、定価制度に制約された経済はある種の(自主的な)統制経済であり、真の市場経済とは言えない。定価制度は、あらゆる商品について、そのつど価格交渉をすることの煩雑さと、自由価格制が経済にもたらすある種のアナーキー状態を回避するための(調整的な)計画経済とも言える側面を持っている。
さらに、定価制度は決められた数量の商品を定められた数量の通貨と交換するという限りでは、ある種の(限定的な)物々交換経済とも言える側面を持っており、実は、貨幣経済の廃止へ向けた(無意識的な)ステップでもあると言える。
また、従来からのクレジットによる信用取引、さらには近年の暗号通貨などのキャッシュレス化の進行は、それ自体、貨幣経済の廃止ではないにせよ、そのつど現金をやり取りする伝統的な交換取引の煩雑さ・不便さを避けたいという動機から開発されてきた仕組みであり、ここにも、貨幣経済への人類の(部分的な)忌避感が介在していると読み取ることもできる。
貨幣経済の廃止は、決して無謀な夢想ではなく、現在も進行中である貨幣経済史の中にすでに芽生えかけているとさえ言える。だが、最終的な一歩を踏み出す契機となるのは、やはり地球環境問題であろう。この喫緊の問題を本質的に解決するうえでは、貨幣の獲得に人類が日々狂奔する経済システムを根本から撤廃するほかないからである。