ロシアのウクライナ侵攻を契機に、与党筋から「敵基地攻撃論」が再び浮上してきている。ロシア問題を利用した便乗的議論だという批判もあるが、ミサイル発射を常態化している北朝鮮、ある意味において北朝鮮化してしまったロシアを近隣に持つとなれば、国防政策の見直し論は自然で、必ずしも「便乗」とは言い切れまい。
しかし、文字通りに敵基地攻撃を認めれば、「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」と定めた憲法9条に抵触するので、与党は「敵基地反撃」と言い換えて、憲法をすり抜けようとしているようである。
戦後日本の国防政策は「自衛隊」に始まり、「必要最小限の武力」、「周辺事態」、「武力攻撃事態」等々、憲法9条と同居させるためのオブラートに包まれた言葉使いで成り立ってきたが、ここにもう一つのオブラート「反撃」が加わろうとしているようである。しかし、今度のオブラートは出来が良くなく、穴が開いているように見える。
元来の「敵基地攻撃論」とは、敵からの攻撃が迫っている状況下で、その攻撃の出どころとなる敵基地を先制攻撃して敵の攻撃を未然に阻止するという趣意のはずであるから、それを「反撃」と言い換えても、オブラートとしては穴が開いていて、中身が漏れ出してしまう。
文字通りの「反撃」とは、敵の第一撃を受けたうえで、それに対する反対攻撃を意味するはずであるから、第一撃は抑止できない。せいぜい、第二撃以上を抑止する自衛権行使としての「反撃」―連続攻撃を阻止するためには意味があるかもしれない―である。
もしも、第一撃自体を抑止するための武力行使ならば、それは先制的自衛行動となる。しかし、先制的自衛とはある種の開き直りの論であって、自衛の名による先制攻撃そのものである。このような行動が憲法9条に反することは間違いない。
結局のところ、憲法9条とどうにか同居できるのは、如上の第二撃以上を抑止するための反撃のみであろう。しかし、その場合、第二撃以上の出どころとなる敵基地を正確に特定できるかどうかという問題が残る。
もしその特定を誤り、無関係の基地その他の施設に「反撃」するなら、それは相手方にとっては誤爆では済まず、日本による事実上の宣戦布告と受け取られるであろう。そうなれば、まさに9条が禁ずる戦争への突入である。論者らがそうした真剣な認識を持っていないならば、まさに便乗的議論であるとの批判が的中することになろう。