ザ・コミュニスト

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中間貯蔵は首都圏で

2011-10-31 | 時評

政府は29日、福島第一原発事故で汚染された土壌等の廃棄物(除染の対象となった汚染土壌等)の中間貯蔵施設を福島県内に設置し、およそ30年にわたり貯蔵する方針を決めた(最終処理は県外)。

しかし、中間貯蔵・最終処理、さらには前段階たる仮置きの一部も、東京電力管内、それも首都圏で引き受けるのが社会的に公平である。なぜか。

まず、何よりも、福島の原発は福島県ではなく、東電管内、それも最も電力需要の大きな首都圏に電力を供給していたからである。これまで30年以上にわたって福島の原発の恩恵にあずかってきた地域が今度は負担を引き受ける番である。

一方で、福島県は自らが電力供給を受けていなかった原発の大事故によって、生活を破壊され、各地を転々とする膨大な災害難民を出し、すでに十分すぎるほど負担を強いられてきた。このうえ、汚染廃棄物の貯蔵を一世代30年にもわたって負担しなければならないいわれはない。

ここで、福島県や県内の原発立地自治体はいわゆる「原発マネー」の恩恵をこうむってきたからには、事故の事後処理も県内で行うべきだという意見があるかもしれない。しかし、「原発マネー」はあくまでも原発の付随的利益にすぎず、その本質的利益としての電力供給はもっぱら東電管内が享受してきたことに変わりはない。

もちろん、首都圏住民で中間貯蔵施設の誘致を歓迎する人は一人もいないだろう。しかし、このようなものを単に「迷惑施設」とみるべきではない。それは従来、原発を維持してき、さらに今後も維持していくならば、万一の原発事故に伴う必然的な負担として甘受しなければならないことである。享受はしたいが負担はしたくないというのはムシの良すぎる理屈だ。

この期に及んでもなお原発の必需性を訴え、「脱原発は日本のとるべき道でない」とする意見広告を出したグループもある。そうした見解に立つ人々の多くは、電力需要の大きな首都圏の在住者であろう。それならば、なおのこと、率先して負担を引き受けるべきである。 

どうしてもそういう負担には耐えられないというならば、原発とはきっぱり縁を切ることだ。ただし、その場合も多数の原発閉鎖に伴って生じる大量の放射性廃棄物の貯蔵方法と場所という大問題が生じるのであるが。

従来、便利で効率的で環境負荷も少ないと宣伝され、教えられてきた原子力という発電手段は、人間と人間が属する生態系に対してかくも甚大な負荷を課するものなのだと痛感させられる。

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死刑廃止への招待(第11話)

2011-10-29 | 〆死刑廃止への招待

死刑制度は、重大犯罪によって侵害された法秩序を回復し、維持していくために必要ではないか?

 今回取り上げる議論は「法確証論」とも呼ばれますが、これは過去4回分で見てきた議論(応報・被害者感情・犯罪抑止力・社会防衛)とは異なり、一般大衆の間ではなじみが薄く、主として法律家・法学者の間でよく見られる議論です。
 そして、これこそが、日本における死刑存置政策の牙城・法務省のイデオロギー的立場でもあると考えられます。実際、前にも触れた三年四ヶ月間の死刑執行休止状態の後、1993年3月に執行再開に踏み切った当時の後藤田正晴法務大臣は、最大の理由として「法秩序の維持」ということを強調していました。

 このような議論の沿革は、ドイツ観念論の完成者ヘーゲルのまさに観念的な法理論にあります。その概略は次のようなことです。
 犯罪とは法の否定であるところ、その法の否定を再度否定すること(否定の否定)が刑罰であり、そのことを通じて、犯罪によって侵害された法秩序を回復し、維持していくことができる。そうでなければ、法秩序は損なわれたままであり、まさに無法状態となってしまう。そして、犯罪者においても、自由な意思に基づいて法を否定することによって、自ら勝手な「法」(例えば、人を殺してよい)を作り出した以上は、その自ら作り出した「法」(人を殺してよい)に基づいて法益を剥奪されること(例えば、死刑によって生命を剥奪されること)に同意したも同然であるから、刑罰の発動は犯罪者の自由意思に基づくものである、云々。
 このような抽象的なロジックにあっては、刑罰の犯罪抑止力や矯正上の効果があろうとなかろうと、また被害者感情がどうあろうと、とにかく法に基づく刑罰は法秩序維持のために発動されなければならないという形式論が打ち出されます。格言的に言い換えれば、「法は法である」「法は法のためにある」というトートロジーとなります。
 これを死刑論議にあてはめると、「死刑制度は法秩序維持のために不可欠である」とか、「死刑執行は死刑制度が存在する限り、絶対的義務である」といった論理が導かれます。
 従って、この法確証論からする死刑存置論は、被害者なき犯罪や殺人以外の犯罪を含めた全面的かつ恒久的な死刑存置論として展開され、最も強硬な死刑存置論を形成することになりがちです。そういう点からも、一定の柔軟さを残す大衆レベルの死刑存置論からは乖離しています。
 こうした法確証論はどんなにロジカルに見えても、しょせんは内容空疎な観念論にすぎないのですが、ある意味ではこうした観念論こそ法律家の間では身につけるべき職業的スキルとなるのですから、法確証論的死刑存置論も法律家とともになお権威を保ち続けるでしょう。
 ちなみに、かのヘーゲルは、刑罰は犯罪者にとって痛みとして感じられるようなものでなければならず、死刑に値するような殺人が行われたとしても、殺人犯が厭世気分から、死の準備をしたうえで殺人を実行したような場合、「殺人者の意志はすでに人生の外へと出ていて、死刑も痛みとは感じられないから」死刑を懲役刑に代えるのがよいと興味深い指摘もしています。要するに、例の“死刑願望者”のような者は死刑を科しても無意味であるから、懲役刑のほうがよいと言うのです。
 してみると、ヘーゲルは少なくともゴリゴリの法確証論者とは一味違っていたと見てよいのではないでしょうか。

 ところで、法確証論と関連して、法務大臣が個人的な信条から、法律上法務大臣の職務として定められている死刑執行命令を出さないことは許されるのかということが実際問題として論争の的とされてきました。
 これは、すでに第2話でも見たように、日本の刑事訴訟法では、死刑執行命令が法務大臣一人の手に委ねられていることから生じてくる大きな問題です。
 この点、過去の法務大臣の中には、仏教などの信仰に基づいて死刑執行命令を拒否した人がいると言われています。例の三年四ヶ月間の死刑執行休止期間中に在任した大臣の中にもそのような人がいたようです。
 法確証論からすれば、死刑執行は死刑制度が存在する限り、絶対の義務であって、法務大臣が個人的な信条から執行をしないことは職務怠慢として強い非難に値することになるのでしょう。事実、93年3月に死刑執行再開を主導した前出後藤田大臣は、死刑執行の空白を作り出した前任者たちを非難し、「死刑執行をするつもりのない人は法務大臣に就任すべきでない」とまで断言したものです。
 しかし、大臣のような政治職公務員にあっても、憲法19条の思想・良心の自由は当然保障されるのですから、大臣といえども自らの信条(信仰を含む)に反する職務を強制されるいわれはありません。従って、「死刑執行命令を出さない者は法務大臣に就任すべきではない」という後藤田発言は憲法無視の独断論です。
 当然ながら、法務大臣は死刑執行だけを職務とする死刑執行役人ではないのであり、死刑執行命令は法務大臣の数ある職務の一つにすぎず、それもどちらかといえば例外的な職務なのですから、それを信条の上から拒否することが法務大臣としての適格性を全面的に失わせるとはとうてい言えません。
 ただし、法務大臣は国務大臣の一人として、その職権の行使・不行使に関する説明責任を負っています。従って、在任中、死刑執行命令を出すつもりがないなら、その理由を説明すべき責任があります。そのときに自己の信条を理由とするなら、憲法上の根拠とともにその旨を明示すればよいのです。
 そういう観点からすると、従来の法務大臣の中には、死刑執行命令を出さない理由を明確にしないまま去っていった人もいますが、このような「沈黙」はいささか問題でしょう。この点、一般市民であれば自己の信条を公にしない「沈黙の自由」も思想・良心の自由の一内容として保障されているわけですが、国務大臣のような政治職にあっては、「沈黙の自由」は公的な説明責任の観点から一定の制約を免れないということになるでしょう。

 とはいえ、法務大臣が個人的な信条から死刑執行命令を出さずに去っていくことには、死刑廃止論の立場からも一つ懸念すべき点があるのです。それは、法務大臣が死刑執行命令を出さずにいると、その間にも死刑確定者は累積・滞留していため、次の大臣が積極的な死刑存置論者であったりすると、まるで“在庫一掃”とばかりに大量執行が断行されるという事態もあり得るという懸念です。実際、先の後藤田大臣による死刑執行再開時をはじめ、過去に幾度かそういうことが起きています。
 もちろん、そのように突如として死刑執行件数を急増させるようなやり方も、大臣の恣意的な権力行使として批判されるべきですが、日本の死刑が法確証イデオロギーで固まる法務省を舞台としている限り、こうした事態は避けられないでしょう。
 そこで、死刑廃止の考えを持つ法務大臣であれば、単に個人的に執行命令を拒否するにとどまらず、最低限、死刑執行モラトリアムを公式に提起すべきでしょうし、それこそ近時何かと喧伝される「政治主導」の真骨頂ではないでしょうか。
 この点で、日本の法律は死刑執行を官僚としての検察官のトップである検事総長でなく、政治家としての国務大臣である法務大臣の権限に委ねているということの意味が重要です。
 この権限は実際、当事者からの異議申し立ても許されず、司法的に何らコントロールされることのないスーパー権力であって、濫用の危険のある制度として、海外からも驚きをもって見られることがあるようです。
 ただ、見方を変えれば、このことは死刑を自動的・機械的に執行するのではなく、政治家としての法務大臣の高度な政治判断に立って合理的な理由があれば死刑執行を凍結することをも容認する趣旨と考えることができるのです。例えば、国連による死刑廃止の人権勧告や全世界における全面的死刑執行停止を求める国連総会決議を受けて、国内における死刑執行モラトリアムを決断するような場合です。
 こうした場合、法務大臣は内閣の一員として、総理大臣をはじめとする内閣の了解を得たうえで、死刑執行停止の理由を公に説明する責任を負うことはもちろんです。このような形の法律に基づかない死刑執行モラトリアムには法的拘束力はありませんが、少なくとも同じ内閣で法務大臣の交代があっても継続されるのが普通でしょうし、内閣が交代しても同一の政権政党であれば次の内閣にも継承されることが期待でき、先に示したような突然の大量執行という事態はとりあえず避けられるのです。
 このようなけじめを持った死刑執行停止措置であれば、法務大臣の権限の中に黙示的ではあれ含み込まれているものと解し得るわけです。

 こうして、憲法・法律の趣旨をよくよく検討していけば、死刑執行は法確証論が要求するほどに有無を言わさぬ絶対的なものではないことがおわかりになるでしょう。

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天皇の誕生(連載第1回)

2011-10-24 | 〆天皇の誕生―日本古代史異論―

プロローグ

 「天皇の誕生」というテーマは、正史・通説の立場からすれば、さしあたりは『古事記』(以下、『記』)及び『日本書紀』(以下、『書紀』)を参照のこと、と言うだけで済んでしまう。果たしてそれによると━
 天皇の祖は、皇祖神・天照大神の神勅によって高天原より日向に降臨した瓊瓊杵尊〔ニニギノミコト:以下、ニニギと略す〕であり、その三世孫になる彦火火出見〔ヒコホホデミ〕が大和に東遷し、在地勢力を征服して初代神武天皇として即位する。その後、累代にわたってすべてこの神武の子孫が連綿として皇位を継いでいる。こういうことになる。
 しかし、第26代継体天皇は第25代武烈天皇の近親者ではなく、第15代応神天皇の五世孫とされ、『記』及び『書紀』(以下、総称して『記紀』)の立場によっても継体朝は実質上新王朝と言ってよいのであるが―私見は本文で示すように異なる―、総体として神代から切れ目なく日本独自の土着的な王朝が続いているというのが、『記紀』の筋書きとなっている。
 今日ではさすがにこうした筋書きを鵜呑みにする学説は皆無であるが、戦前は「天皇制ファシズム」の核心思想として絶対の権威を持った皇国史観の史料的根拠として大いに利用されたところである。
 とはいえ、3世紀後半頃から4世紀初頭の早い時期から、後に天皇王朝となるヤマト王権がすでに成立しており、現皇室に至るまで連綿として実質的に同一の王朝が継続しているといった考え方の大枠は今日でも保持されている。
 特に近時は、『書紀』で第7代孝霊天皇の皇女・倭迹迹日百襲姫命〔ヤマトトトビモモソヒメノミコト〕の墓と明記される箸墓〔はしはか〕を中国史書『魏志』に現れる有名な邪馬台国女王・卑弥呼の墳墓と結論先取り的に推定した上で、箸墓の築造年代が最新の放射性炭素年代測定の結果、3世紀半ばと結論づけられたことから、箸墓が「卑弥呼陵」である可能性が高まり、従って邪馬台国畿内説が裏付けられたとみなして、邪馬台国をヤマト王権の前身勢力として天皇王朝前史に組み入れようとする見解が急速に有力化してきた。
 このような講壇考古学・史学の動向は、戦前の神話的な皇国史観に対して、科学的な考古学の衣をまとった新皇国史観と呼ぶべき実質を秘めており、本文で改めて批判的に検証していく。
 ここではさしあたり、古墳の年代と歴史的な「天皇の誕生」プロセスとは分離して考察されるべきではないかということを提起しておきたい。古墳の年代測定は科学技術を駆使して客観的に行われるべきことであるが、「天皇の誕生」プロセスは『記紀』の批判的読解(クリティカル・リーディング)を通じて探求されるべきことである。
 本連載はそうした試みの一つであるが、その結果として、正史・通説とは大いに異なるヘテロドクスな帰結に到達することとなった。このことは孤立を招くかもしれないが、本来言論の自由とは孤立を恐れず言挙げすることを意味したはずである。ただ、このような言挙げという所作は日本社会では好まれないことの一つであろう。
 しかし、『書紀』によると、ニニギが降臨を命ぜられた葦原中国〔あしはらのなかつくに:日本列島〕は騒がしく、「草木がみなよく物を言う」と評されている。ここで「草木」とは民衆を象徴しているとすれば、いにしえの日本民衆はよく言挙げしていたようである。それを言挙げしづらくさせてしまったのは、やはり「天皇の誕生」とも無関係ではないだろう。
 本連載は、日本におけるそうした“歴史のタブー”に独力で挑もうとした知的格闘の記録と言ってよいかもしれない。格闘の過程ではいささか脱線もあるかもしれないが、その点ご容赦いただければ幸いである。

〔注〕
『書紀』と『記』では人名や神名の表記・読みにも違いが見られるが、本連載では特に断りのない限り、『書紀』での表記・読みに従う。

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リビアの教訓

2011-10-24 | 時評

リビア内戦が前最高実力者カダフィの「殺害」をもって一応終結した。

それにしても、2月の民衆蜂起に始まった一種の革命戦争では、推定で5万人という犠牲を出した。これは日本の3・11の犠牲者数をはるかに上回る今年最大級の惨事である。

こういうことになったのも、欧米(特に欧州)が武力介入したことが大きい。武力介入のせいで、交渉を通じた平和的な民主化移行の可能性が奪われてしまったのだ。

元来、リビアでは民主化はさほど困難ではなかった。なぜなら、カダフィの体制ジャマーヒリーヤは―世界の常識に反して―「民主的」だったからである。

カダフィ時代のリビアには政府も議会もなかったと言われるが、正確ではない。ジャマーヒリーヤでは一種の国会である人民会議に全権が集中されており、その下に行政機関に相当する公的機関が設置されていた。そのため、「直接民主主義」を標榜したわけだが、実際上文字どおりの「全員参加」ではなく、言わば国会が政党抜きで直接統治するといった意味での「直接制」であった。

形態としては、ロシア革命後のソヴィエト制に似るが、ソヴィエト制以上に徹底した人民統治の仕組みを目指していたとも言える。

ちなみに、このジャマーヒリーヤという語はアラビア語で共和国を意味するジュムフーリーヤをもじってカダフィが造語したとされるが、「国」ではなく「人民共和体」といったニュアンスになり、そこには国家なき社会運営を志向する意義も認められた。

実際、「独裁者」カダフィは元首的地位には何ら就いていなかった。だから、カダフィーが蜂起した革命勢力から「辞職」を迫られた時、彼が「私には辞職すべきいかなる地位もない」と反論したことにはタテマエ上嘘はなかったのだ。

それが実態としてはどう贔屓目に見てもカダフィとその一族の独裁体制にほかならなかった最大の原因は、ジャマーヒリーヤの創始者自身にあった。カダフィがカダフィ体制にとって最大の障害物だったのだ。

彼は、自らが青年将校団リーダーとして指導した1969年の共和革命後、しばらくは占めていた元首の地位を表向き退いてからも、なお非公式に全権を握る闇将軍であり続けた。成文憲法もなく、タテマエ上政府もないのだから、彼の非公式権力は無制約であった。「直接民主制」ならぬ「直接独裁制」。このことが実際、ジャマーヒリーヤをほとんど帝政のようにならしめたのだった。

裏を返せば、「カダフィ抜きのカダフィ体制」を平和的に再構築することができれば、それは民主化への道であったはずであった。しかし、欧米主導の民主化を狙う欧米の介入により凄惨な内戦となり、カダフィは「殺害」―その真相はまだ不明である―された。

ただ、暴力的な形ではあれ、カダフィが取り除かれた以上、改めて「カダフィなきカダフィ体制」を再構築する可能性も生まれているが、欧米の軍事介入支援によって成立する新政権は欧米の注文に従い、欧米推奨の議会制を志向するだろう。しかし、それは新たな内戦の道となりかねない。

議会制の母国や多くの継受国でも、議会は利権を絡めた党派間の足の引っ張り合いのアリーナと化しており、とうてい有効に機能しているとは言えないことは周知のとおりだ。

こういう制度をアラブ諸国のように部族対立や宗教・宗派対立のくすぶる土壌へ移植すれば、党派対立の形態で部族対立や宗派対立が発現する危険が高い。米英とその有志諸国による侵略でサダム・フセイン独裁体制が倒れた後、米英の指導で議会制が強制されたイラクはその好例である。

リビアでは部族対立や宗派対立は少ないとされるが、それも闇将軍の鉄拳で抑え込まれていただけだとすれば、政党政治の導入によってこれまで抑圧されていた対立が一挙に噴出する恐れもある。すでに暫定政権の発足が革命を担った反カダフィ勢力内の対立から遅れているとされ、各地の民兵勢力の武装解除が進まないことも、それを暗示している。

ジャマーヒリーヤの本質を偏見なしに再検証し、その遺産を活用することで新たな内戦を避けることが可能となるだろう。その意味からも、リビアそのものより「リビアの石油」に利害関心のある欧米の干渉を排除した新体制作りが望まれる。

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死刑廃止への招待(第10話)

2011-10-23 | 〆死刑廃止への招待

死刑制度は矯正不能な犯罪者を淘汰し、社会を防衛するうえで必要ではないか?

 こうした社会防衛という考え方は、第6話で見た死刑=合憲論の最高裁大法廷判決の理由づけでも、「死刑の執行によって特殊な社会悪の根元を絶ち、これをもって社会を防衛せんとした」云々と述べられていたところですし、個々の死刑判決中でも「被告人は矯正不能」という理由づけがしばしば添えられています。
 ちなみに、たびたび引用する内閣府の2009年世論調査でも、死刑を容認する人の中で、「凶悪な犯罪を犯す人は生かしておくと、また同じような犯罪を犯す危険がある」という理由を挙げる人が41.7パーセントに上っており、一般市民の間でも社会防衛論的な考え方がかなり浸透しているものと見られます。

 このように「矯正不能犯罪者」というものが一定数社会に存在するという考え方を近代医学の装いの下に体系化したのが、19世紀イタリアの法医学者チェーザレ・ロンブローゾでした。彼は、隔世遺伝や変質による一定の身体的・精神的特徴を持ち、必然的に犯罪に陥る「生来性犯罪人」という概念を提出し、こうした人間を淘汰する悲しむべき方法として、死刑を勧めたのです。
 ロンブローゾは、刑罰の第一の目的が社会防衛にあり、この観点から犯罪者の改善が刑罰の第二義的目的であるとする教育刑思想に立ちつつ、死刑を「生来性犯罪人」に対する例外的な“淘汰”の方法として指示しています。
 こうしたロンブローゾの思想が、ちょうど同時代に風靡していた進化論的な“淘汰”の理論と符丁を合わせていることは明らかですが、彼の「生来性犯罪人説」は今日、すでに医学的・実証的な根拠を欠くものとして否定され、過去の学説となっています。
 現代の社会防衛論はむしろ積極的に死刑を否定し、犯罪を犯した人に対する適切な矯正・更生プログラムに基づく社会復帰の支援を通じた社会防衛を志向するようになってきました。
 この点、刑事政策専門家の国際的な会合である国際社会防衛会議は、国連よりも40年以上先駆け、第二次世界大戦直後の1947年の第一回会議でいち早く死刑廃止を決議しています。
 この決議を知ってか知らずしてか、日本の憲法の番人はその翌年に、同じ社会防衛という名の下に「特殊な社会悪の根元を絶つ」死刑の合憲性を承認したのでした。
 第4話でも論じたように、「特殊な社会悪」としての犯罪はその時代の社会構造の歪み・ひずみを温床として引き起こされる社会現象であるため、「社会悪の根元」は犯罪を犯した個人にあるわけでなく、社会そのものにあり、個人の犯罪はそうした社会構造の投影的表出にすぎないという考えは今日、刑事政策においても認められるようになっています。
 従って、「特殊な社会悪の根元を絶つ」最も究極的な方法は、マルクスが示唆したように犯罪現象の温床を成す社会構造そのものを変革する社会革命ということになるでしょうが、さしあたっては犯罪を犯した人の改善・更生・社会復帰を支援していくことが目指されるのです。

 とはいえ、やはりこの世には「矯正不能」のゆえに社会復帰が許されない犯罪者―言わば「モンスター犯罪者」―が存在するのではないか。そういう反問もあるかと思います。
 しかし、一般に凶悪犯罪の再犯率は高くなく、例えば平成19年の『犯罪白書』のデータでは、殺人罪の再犯率(再び殺人罪を犯した再犯者の割合)はわずか0.9パーセントにすぎず、これは窃盗罪の28.9パーセントに比べて大きな差異があります。それでも、少数ではあれ、凶悪犯罪を繰り返す者がある限りは対策が必要ではないか━。
 この問いは、いわゆる「死刑の代替刑」という論点にもつながっていきます。近年、死刑廃止運動の側からも「仮釈放の可能性のない終身刑」(以下、「仮釈放なき終身刑」という)を提唱し、これを死刑の代替刑とすることで死刑廃止への理解を得ようとする考えが有力化し、議員グループによる議案提出の動きもあります。
 仮釈放なき終身刑は、恩赦されない限り、原則として生涯刑務所から出所することができないという刑罰ですから、社会復帰を許さないという点では死刑と同質的な部分を持ちます。そのため、死刑に準じた厳罰として死刑の代替刑にふさわしいと考えられているです。
 現在の日本の刑罰体系上、死刑に次ぐ刑罰は無期懲役刑ですが、この刑にあっては最短で10年すると仮釈放の可能性が生じることから(刑法28条)、死刑の代替刑とするには軽すぎるということも、仮釈放なき終身刑を推奨する有力な理由として挙げられています。

 しかし、筆者は日本においては仮釈放なき終身刑の必然性は存在しないものと考えています。理由は次のとおりです。
(一)現行無期刑(無期懲役刑及び無期禁錮刑の総称。以下同じ)の本質は「終身刑」であること
 現行無期刑は「無期」とはいうものの、実際は恩赦されない限り、刑の執行自体は受刑者の終身間続くものですから、実は「終身刑」なのです。ただし、仮釈放の可能性があることから、正確には「仮釈放の可能性のある終身刑(仮釈放付き終身刑)ということになります。
 そのため、たとえ10年で仮釈放が付いたとしても、受刑者は原則として終身間保護観察下に置かれるほか、公民権も剥奪され、再犯はもちろん、遵守事項違反などがあれば、仮釈放が取り消され、再び収監されます。
 これに対して、本来の「無期刑」とは「期限の定めのない刑」ということですから、これは遠い将来のいつか刑の執行は終了するが、いつ終了するかは決まっていない刑罰のことを意味しています。このような絶対的不定期刑は憲法に違反すると解されているため、現行刑罰体系上は存在しません。
 実は、現行「無期刑」はネーミングを誤っているのであり、その本当の名前は「終身刑(終身懲役刑及び終身禁錮刑)」であるべきなのです。
 もしも現行「無期刑」は仮釈放の可能性がある以上、「終身刑」ではないと考えるなら、それは誤りです。なぜなら、仮釈放とは文字どおり「仮」の釈放にすぎず、刑の執行の終了を意味していないからです。
 この点、英語では終身刑のうち仮釈放付きのものをlife sentence with parole、仮釈放のないものをlife sentence without paroleとすっきりした対語で表現するので、大変わかりやすくなっています。
(二)現行刑法上の仮釈放は義務的なものではないこと。
 現行刑法上の仮釈放はすべて行政官庁(地方更生保護委員会)による裁量(許可)に委ねられており、義務的なものではありません。従って、現行無期刑の下でも仮釈放の要件を満たしていながら、何らかの政策的理由から生涯仮釈放が許可されず、刑務所で生き続けるということも十分あり得るところです。
 この点やや古いデータですが、1999年に内閣が国会議員の質問に対して開示した資料によると、同年4月1日現在で40年以上刑務所に収容されている無期刑受刑者が11人(最長は50年9ヶ月)に上っていました。
 ですから、最短10年で仮釈放が付くというのは抽象的な可能性にすぎず、実際上は10年で仮釈放が付くようなことはまずありません。特に近年は無期懲役受刑者の仮釈放が全般的に厳格となり、そもそも仮釈放自体が許可されにくくなっているうえに、許可された場合でも平均収容年数は20年を超えるようになってきました。この点、平成21年度は6人しか仮釈放が付かず、しかも全員が25年を超えて収容されていた人たちです(うち1人は35年超)。
 「無期懲役刑では10年で仮釈放が付くから軽すぎる」どころか、仮釈放の運用が厳格すぎるのではないかを心配しなければならないのが近年の状況です。
 しかし、見方によっては、このような裁量的仮釈放の制度は受刑者の特性や改善の程度に合わせて弾力的に運用できるメリットがあるとも言えます。従って、例外的には存在するかもしれない「モンスター犯罪者」に関しては、改善が顕著に進まず、結果として生涯を刑務所で過ごしてもらわざるを得ないかもしれませんが、それはそれとしてやむを得ないことでしょう。

 以上の理由に加えて、仮釈放なき終身刑を導入すべきでない次のような二つの追加理由があります。
(三)仮釈放なき終身刑は凶悪犯罪を誘発する危険があること。
 現在でも、生活できず「刑務所に入りたい」との動機から犯罪を犯して自ら出頭・逮捕される人々が少なからずいます。仮釈放なき終身刑とは要するに、受刑者を生涯刑務所で世話することを意味していますから、現実社会で生きていけない人にとっては、厳しい統制を受ける刑務所生活に忍従してでも、“食事風呂付き”の終身生活保障の方が有り難いと感じられるでしょう。そういう狙いの下に、意図的に凶悪犯罪を犯して、仮釈放なき終身刑を自ら求める人が出現する可能性は十分あるのではないでしょうか。
 死刑に関しても「死刑になりたい」との動機から凶悪犯罪を犯す“死刑願望者”が存在するわけですが、死刑にせよ、仮釈放なき終身刑にせよ、いわゆる“厳罰”は犯罪を抑止するどころか、誘発する逆効果の危険を伴っています。
 死刑が「生きる意欲」を失った人を魅惑するとすれば、仮釈放なき終身刑は「生きる能力」を失った人にとって魅力的な選択肢となりかねないのです。
(四)国際人権規約(自由権規約)10条3項は、行刑の制度に矯正及び社会復帰を基本的な目的とする処遇を含むことを要請していること。
 日本も批准済みの上記規約条項は「行刑の制度は、被拘禁者の矯正及び社会復帰を基本的な目的とする処遇を含むものとする。」と定め、「矯正及び社会復帰」を受刑者の基本権として裏から保障しています。
 従って、初めから仮釈放の可能性を遮断してしまう終身刑は、「矯正及び社会復帰」という「基本的な目的」を欠く単なる保安目的の刑罰として上記規約条項に違反する疑いがあります。
 この点、仮釈放なき終身刑を支持する見解の中には、恩赦の権利を保障しておけば足りるという主張もありますが、恩赦自体は行政権による政策的な刑の減免措置にすぎず、矯正プログラムや社会復帰のためのサポートなどを含まないため、それだけでは規約条項の「矯正及び社会復帰を「基本的な目的とする処遇」には当たらないと言うべきでしょう。

 それでは死刑の代替刑はどうしてくれるのかとの反問があるかもしれませんが、実はこの問い自体が的外れのように思われます。なぜなら、生きると死ぬとは大違いですから、死を強制する刑罰は代替不能であり、死刑には文字どおりの代替刑は存在しないからです。そこで、正しい問いは「死刑廃止後の最高刑はどうあるべきか」と立てられるべきでしょう。
 この答えは実はカンタンです。先に指摘したように、誤って名づけられている現行の「無期懲役刑」及び「無期禁錮刑」の名前を「終身懲役刑」及び「終身禁錮刑」(以下、両者を「終身刑」と総称する)に一括変更するだけでOKです。
 そのうえに、最低限次の五点は改正を加えることが有益と考えられます。
 第一点として、終身刑が乱発されないようにするために、自由刑の量刑は原則として期間が定まった通常の有期刑の範囲内で行い、終身刑は通常の有期刑の上限(現行法上は30年)をもってしても足りないほど加重すべき事情がある場合に限って科すべきものとすることを刑法総則の規定上明文で条件付けること。
 第二点として、現行無期刑において仮釈放が可能な最短期間の10年という期間の定めはすでに空文化しているので、これを15年に引き上げること。
 第三点として、再犯危険性が除去されない間の早まった仮釈放を防止するため、終身刑の仮釈放の要件として、現行の「改悛の状があること」に加え、「同種又は同等以上の犯罪を再び犯すおそれがないこと」を要求すること。
 第四点として、終身刑の仮釈放の運用が硬直化しないよう、終身刑受刑者に対しては、15年を経過した時点から本人の申請がなくとも毎年定期的な仮釈放審査を義務づけること。
 第五点として、仮釈放中の終身刑受刑者の改善が高度に進んだことが認められた場合は、恩赦による刑の終了措置を必要的なものとすること。

 このようにして新装された終身刑(仮釈放付き終身刑)は、受刑者の矯正・社会復帰の権利と社会防衛の必要とをバランスする制度として十分信頼に値すると思われます。

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良心的裁判役拒否(連載第10回)

2011-10-21 | 〆良心的裁判役拒否

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死刑廃止への招待(第9話)

2011-10-15 | 〆死刑廃止への招待

死刑制度は重大犯罪を抑止し、治安を確保するうえで必要ではないか?

 犯罪抑止力による死刑存置の理由づけは、かねてより最も科学的・実証的な理論とみなされて、学問的な論争の対象となってきたところです。
 しかし、抑止力という術語について法令に定義規定があるわけではなく、それは決して一義的に明確な概念ではありません。一般的に、刑罰の犯罪抑止力とは刑罰の威嚇力によって犯罪の発生を未然に防止する社会心理的な強制力を意味しており、中でも死刑の犯罪抑止力とは死刑制度の持つ格別の威嚇力をもって重大犯罪を抑止する効力として、刑罰制度を通じた治安確保の要とみなされてきました。

 とはいえ、この抑止力なるものの存在は、未確認飛行物体UFOの存在以上に確認の困難なものなのです。実際、死刑の犯罪抑止力の存在をいかにして調査・認識することができるのでしょうか。
 よく行われるのは、死刑制度の運用状況と代表的な死刑相当犯罪である殺人罪の発生率の上下の相関関係を分析するというものです。しかし、ここで直ちに疑問なのは、「抑止力」という以上は死刑制度の恒常的な運用によって発生を防止することのできた殺人罪その他の死刑相当犯罪がどれだけあるかを検証するべきではないかということです。
 殺人罪の発生率とは死刑制度の運用にもかかわらず殺人が発生してしまった抑止の失敗例のデータであって、そこから直接に死刑の犯罪抑止力を把握しようとするのは飛躍なのではないでしょうか。
 要するに、死刑の犯罪抑止力を真に確認するためには、「起きてしまった殺人事件」の数ではなく、(死刑のおかげで)「起きなかった殺人事件」の数を調査するべきであるのです。
 しかし、「起きなかった殺人事件」の数を調査するのは、事実上不可能なことでしょう。「起きなかった殺人事件」とは、何者かが殺人を思い立ったが計画・実行に至らなかったケースや殺人が計画されたが計画者が実行を見合わせたケースですが、こうした“挫折した殺人”は殺人予備罪などが成立する場合を除いては摘発対象とはならないため、警察・司法統計にも記録されないからです。
 結局、抑止力とは、それを検証することも反証することもできない、その意味で科学性を欠きながら科学の装いが与えられている「疑似科学」に属する概念である疑いが強いのです。要するに、それは信じるか、信じないかという“信仰”と呼んで悪ければ信頼の対象でしかないのではないかと思われるわけです。
 実際、死刑の犯罪抑止力の存在はひょっとするとUFO以上に信じられているようです。前出の2009年内閣府世論調査においても、「死刑を廃止すると凶悪犯罪が増える」と考える人の割合が62.3パーセントにものぼっているのです。

 ただ、そのような抑止力に対する信頼に十分な根拠があるかどうかをアンケート調査方式による経験的データで検証してみることはできなくありません。例えば、「あなたは、死刑の恐怖から殺人罪や強盗殺人罪などの凶悪犯罪の計画または実行を思いとどまったことがあるか」といった質問を無作為抽出した多数の人に回答してもらう方法です。
 実際のところ、皆様はどうでしょうか。少なくとも、筆者はこれまでの人生でそもそも凶悪犯罪を思い立った経験がないのですが、それは死刑の恐怖からということではなく、筆者の場合、凶悪犯罪へ赴く動機・情況がこれまでのところ全くなかったからでした。
 裏を返せば、仮にそうした動機・情況が偶発的にでも生じた時には、自分も凶悪犯罪に走ってしまうのか、それとも死刑の恐怖から思い止まるのか。率直に言って、よくわかりません。
 このように、実際「その時」に死刑の抑止力が作動するかどうかという問題は、“経験者”でなければよくわからないのですが、その点で一つ興味深い証言があります。1968年から69年にかけて連続4件の射殺事件を起こして死刑判決が確定し、獄中で作家活動も展開した永山則夫(1997年処刑)がこんなことを述懐しているのです。

「あの時期、後の二件は回避せるものであった。しかし、どうせ死刑になるという観念があれ等の事件を犯してしまった。「死刑になるという観念」それ故に惰走した。「死刑になるという観念」は凶悪犯を尚更、高段な凶悪犯罪に走らせてしまう、自暴自棄というのであろう。」(永山則夫『無知の涙』より)

 「後の二件」とは、4件の連続殺人のうち後の2件を指しているのですが、その明らかに余分な追加犯行を死刑が存在しないがゆえにではなく、死刑が存在するがゆえに犯してしまったというのです。言い換えれば、死刑の恐怖どころか、「どうせ死刑になるという観念」から自暴自棄で突っ走ってしまったというわけです。
 従って、彼はいささか逆説的に「凶悪犯行防止のために死刑は必要だが、凶悪犯となった人間にとって、凶悪犯行を再び行わないために死刑は無い方がよい」とも述べるのです。
 永山が犯したような無謀で不可解な凶悪犯罪ほど、犯人は自暴自棄ないしは絶望に駆られており、死刑になることを覚悟し、あるいはそれを積極に“願望”さえしているもののようです。そういう場合には、死刑は抑止力になるどころか、永山の場合にそうであったように、逆効果的に犯罪誘発力となってしまうのです。

 死刑制度が凶悪犯罪を誘発する━。これは、死刑制度にとって一大スキャンダルです。しかし、私どもはそういうスキャンダルの中でも最大級のものをすでに経験済みです。それが、オウム真理教教団が惹き起こした2件のサリン事件でした。この2件とは、1994年6月の松本サリン事件(8人死亡、660人負傷)と、翌95年3月の東京地下鉄サリン事件(12人死亡、3794人負傷)です。
 第5話でもご紹介したように、日本では89年11月から三年四ヶ月間ほど死刑執行が休止し、93年3月に再開されています。そうすると、最初の松本サリン事件は93年3月の死刑執行再開から一年三ヵ月後、東京地下鉄サリン事件はほぼ二年後と、犯罪史上例を見ない2件の化学テロ事件は、死刑執行再開からわずか二年以内に相次いで発生しているのです。
 ちなみに、オウム教団が凶悪化への最初の一歩を踏み出したきっかけとされる坂本堤弁護士一家殺害事件(教団に対して批判的な弁護活動を展開していた弁護士と妻子の三人を殺害した事件)は、89年11月に発生しているのですが、この月には1件死刑執行が行われています。
 ここから、数々のオウム関連殺人事件の中でもとりわけ凶悪な三つの事件は、三年四ヶ月間の死刑執行休止期間中ではなく、その前後にまたがるように発生しているという皮肉な事実が浮かび上がります。わけても2件のサリン事件は、93年3月の死刑執行再開にあたかも誘引されるかのように、94年と95年に続発しています。これはまさにスキャンダルと呼ぶにふさわしい事態ではないでしょうか。
 なぜこのようなことになったかを考えるに、オウムが現存法秩序を超越した特異な信仰と思考様式を持つカルト集団であったということもさりながら、孤独な単独犯であった永山とは違い、組織犯罪であり、しかも犯行声明を出して実行組織を誇示する政治的事件とも異なり、実行組織は容易に特定されまいとの自信の下に計画・実行に及んだことにもよるものと見られます。
 従って、このケースは永山のような「どうせ死刑になる」との自暴自棄からの「惰走」とは異なり、犯行グループは特定されないゆえに「どうせ死刑にならない」との過信から敢行されたものとも考えられるわけです。
 このように犯人は特定されまいとの過信から犯罪の実行に及ぶということは個人の単独犯でもあり得るところですが、こうした場合に死刑の抑止力は何ら期待できないどころか、かえって“死刑への挑戦”としての凶悪犯罪を誘発しかねないのです。

 このようにして、オウム事件とは、死刑の犯罪抑止力に対する根拠なき信頼から私どもを目覚めさせるうえでも、極めて苦く、つらい教訓だったと言えるのではないでしょうか。

〔追記〕
より最近の事例として、2008年6月の秋葉原無差別殺傷事件(7人死亡、10人負傷)も、2007年頃から死刑執行人員が急増する最中に(07年9人、08年15人)発生しています。この事件の犯行当時20代被告人男性も孤独な非正規労働者で、類型的には上述の永山則夫型の「惰走」的犯行でした。奇しくも、永山事件初発からちょうど40年後に起きた事件でもあります。

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良心的裁判役拒否(連載第9回)

2011-10-14 | 〆良心的裁判役拒否

理論編:裁判員制度の仕掛けを見抜く

第5章 真の「司法参加」とは?

(1)「司法参加」と「司法動員」
 裁判員制度を言わば合作した政府と法曹界は、これを民主的な「司法参加」の制度であると宣伝し、正当化を図ってきました。
 この点、裁判員制度を提言した審議会の意見書は、同時期の政治改革や行政改革、規制緩和等の経済構造改革など一連の新自由主義的諸改革と通底する「平成司法改革」に流れるエートスを「国民一人ひとりが統治客体意識から脱し、統治主体として、互いに協力しながら自由で公正な社会構築に参画し、この国に豊かな創造性とエネルギーを取り戻そうとする志」とイデオロギシュに総括しつつ、裁判員制度の意義については次のように説明しています。

「一般の国民が、裁判の過程に参加し、裁判内容に国民の健全な社会常識がより反映されることによって、国民の司法に対する理解・支持が深まり、司法はより強固な国民的基盤を得ることができるようになる」

 「統治主体」とか「国民的基盤」とか聞き慣れないあいまいな言葉が登場しますが、一応これらは憲法にも定められている国民主権の理念を言い表そうとしているように読めます。しかし、果たしてそうでしょうか。

 ここで実際に出来上がった裁判員法1条を見ると、こう定められています。

「この法律は、国民の中から選任された裁判員が裁判官と共に刑事訴訟手続に関与することが司法に対する国民の理解の増進とその信頼の向上に資することにかんがみ・・・(以下省略)」

 これと先の意見書の説明とを比べてみると、「国民的基盤」というキーワードが「国民の健全な社会常識」という語とともにそぎ落とされていることがわかります。
 この点で意見書と法1条は整合しておらず、ずれていると解することもできますが、意見書の提言を受けて制定された以上、両者を整合的に読むのが一貫するでしょう。
 そこで、法1条を踏まえてもう一度意見書の説明を読み直すと、そこで言われる「国民的基盤」とは、法1条が定める「司法に対する国民の理解の増進とその信頼の向上」という権力への理解・信頼調達に役立てる限りでの消極的な「基盤」にすぎず、国民が主権者として司法権を行使し、または司法権の運用を監督するという積極的な「参加」を意味するものではなかったのです。
 従ってまた、「平成司法改革」の総論的なキーワードとして意見書が示した「統治主体」も、法1条が規定するような権力への理解・信頼調達の対象として国民が動員された限りでの司法協力の主体性でしかないと把握できますし、裁判内容に反映されるべき「国民の健全な社会常識」なるものもそうした「司法動員」の趣旨にふさわしい「健全さ」、すなわち「犯罪との戦い」における重罪に対する厳しい処罰意識でなければならないわけです。
 このように、裁判員制度は「司法参加」ならぬ「司法動員」の制度です。この点をはっきりと弁別しなければ、「日本型司法参加」といった公式PRに絡め取られてしまうでしょう。
 この制度は「日本型司法参加」という点ではなく、法曹界をも含む21世紀の日本支配層が生み出した「司法動員」という新しい統治技術である点に独自性が認められるのです。
 その真の狙いについて、日本の良心的な法学者の一人である小田中聡樹氏(東北大学名誉教授)の言葉をお借りするなら、「国民に刑事裁判参加を義務付け強制することを通じて権力層に抱き込み、「統治主体意識」つまりは権力的意識・処罰意識を注入し、国家的な処罰・取締体制の基盤を強固なものとしていくことにある」とまとめることができるでしょう。

(2)陪審制と参審制
 それでは真の「司法参加」とは何なのでしょうか。それは一般市民(国民に限らず、永住権者など一定条件を満たす外国出身者も含む)が主権者として直接に司法権を行使し、または司法過程への参加を通して職業裁判官による司法権の行使を監督するシステムのことです。
 このうち、一般市民が直接に司法権を行使する司法参加制度の代表例が陪審制です。もっとも、直接に司法権を行使するといっても司法権のすべてを一般市民が行使するわけではなく、通常は有罪・無罪の評決が中心です。従って、陪審裁判は被告人が起訴事実を争う場合にしか開かれません。
 一方で、有罪・無罪の結論に関しては職業裁判官が陪審評決に拘束されるため、急進的な一面を持ちますが、反面で証拠の取捨選択や法律解釈、さらには量刑も職業裁判官の専権に委ねられます。
 ただし、アメリカでは死刑の当否に限っては陪審員が判断する「死刑陪審」があり、この場合は陪審員が量刑についても権限を有することになります。
 いずれにせよ、陪審制は伝統的に12人制と多人数で、かつ評議は全員一致制、いくぶん緩めても全員一致に近い特別多数決制を採ることが一般です。
 これに対して、参審制は一般市民が職業裁判官とともに審理に臨み、判決する制度です。その形態だけを見ると、裁判員制度は参審制に近いわけですが、本来の参審制は審理を裁判所(官)が主導していく職権主義の構造を前提として、裁判官の職権行使を一般市民が現場でチェックするという民主的監督の機能を期待されている制度であって、裁判員制度のように「司法動員」とは本質的に異なっています。
 従って、参審員の数は一般に少なめで、参審制の本場ドイツの場合2人だけです。しかも、陪審員のようにくじによる無作為抽出ではなく、団体などの推薦による任命制を採るのが一般です。これは、職業裁判官の「監督」という任務を果たせる人を予め精選する趣旨によるものでしょう。
 ちなみに、フランスは重罪事件の審理に限り[追記:2012年より、軽罪事件にも一部拡大]「陪審制」という名で実際上は職業裁判官3人とくじで選ばれた「陪審員」9人[追記:2012年より、第一審では6人、重罪の第二審では9人に改正]が合議で審理・判決する制度を持っていますが、これは実質上参審制にほかなりません。
 参審制という形態から見ると、日本の裁判員制度はこのフランスの制度に最も近く、模倣した形跡もなくはないのですが、有罪の評決をするには原則(重罪第一審の場合)として裁判官と陪審員を合わせた9人のうち6人の賛成を要すること、陪審員が軽罪第一審や重罪控訴審にも参加することなど、重要なところで相違点があり、両者を同列に扱うことはできません。
 そもそもフランスの場合、かつては文字どおりの陪審制を採用していた時期があり、それが言わば型崩れして現行制度に落ち着いたという歴史的経緯があるために今なお「陪審制」の名を残している点でも、前章で見たような特異な経緯でひねり出された日本の裁判員制度とは同視できないのです。

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死刑廃止への招待(第8話)

2011-10-09 | 〆死刑廃止への招待

死刑廃止は被害者感情を無視軽視するものではないか?

 この反問は、しばしば死刑廃止論に対する一種凶器的な(?)非難として突きつけられることもありますから、慎重にお答えしなければなりません。

 まず、この反問の中で言われる「被害者感情」とは何かといえば、結局は復讐感情にほかならないでしょう。それはしばしば「区切り」とか「霊前報告」とかのオブラートに包まれた表現で語られることもありますが、直接に「復讐」という文言は使われていなくとも加害者の刑死が被害者(遺族)にとっての「区切り」となったり、「霊前報告」の対象となったりするのは、復讐感情の満足を示しているのですから、被害者感情を煎じ詰めれば復讐感情が抽出されてくるわけです。
 従って、「被害者感情を無視軽視するものでは?」との反問は、特に「被害者のある犯罪」、なかでも復讐感情を掻き立てやすい殺人犯罪に妥当するものだと言えます。
 ところが、日本に限らず、ほとんどの死刑存置国の法制上、殺人犯罪のみならず、そもそも「被害者のない犯罪」、被害者はあるが傷害ないし物損にとどまり、人命の喪失はない犯罪に対しても死刑が最高刑として与えられているのです。
 例えば、日本法上は、「被害者のない犯罪」として内乱罪(刑法77条1項1号―首謀者の場合)、外患誘致罪(刑法81条)、外患援助罪(刑法82条)に死刑が定められています。これらの罪は「国家的法益に対する罪」とも呼ばれ、言わば国家そのものを被害者とするものですが、具体的な個人の被害者が存在しない政治犯罪に属します。
 また人命の喪失を伴わない犯罪では、一般刑法上、いずれも現住建造物等に対する放火罪(刑法108条)、激発物破裂罪(刑法117条1項)、浸害罪(刑法119条)、特別刑法上は爆発物取締罰則上の爆発物使用罪(同法1条―他人に使用させた場合を含む)で死刑が与えられます。
 さらに人命の喪失はあるが故意でなく、いわゆる結果的加重犯にとどまる場合でも最高で死刑となる罪も、一般刑法上及び特別刑法上合わせて8個あります(実際の量刑上、死刑が選択されることはめったにないが、被害者数が多いような場合に選択することが許されないわけではない)。
 要するに、日本法上死刑が定められている合計19個もの罪のうち、実に15個は狭義の殺人犯罪以外の罪なのです。
 死刑を廃止するとは、こうした殺人犯罪以外の罪における死刑も含めて一般的に死刑制度を廃止することを意味しており、もっぱら殺人犯罪の死刑だけを廃止するということではありませんから、被害者感情論を死刑の存廃の論議で持ち出すことは適切でないことがおわかりいただけるかと思います。
 とりわけ、第3話でも触れた外患誘致罪は法定刑に死刑しかない日本法上唯一の絶対的死刑犯罪ですが(法律上酌量減軽の余地はあるが、外患誘致のように究極の国家反逆行為に酌量減軽が付くことはほとんど考えられない)、この日本で一番重い死刑犯罪が「被害者のない犯罪」であるというまぎれもない事実は、死刑制度と被害者感情との無縁性を如実に物語っています。
 それならば、強盗殺人罪なども含む殺人犯罪に対する死刑だけを残して、他の罪における死刑は廃止する部分的死刑廃止ならば賛成できるという死刑存置論者がおられるかもしれません。
 これも一つの妥協案ですが、日本ではそもそもそれすらも実現の兆しが見えないということに留意する必要があります。もしも死刑制度をもっぱら被害者感情の観点からとらえるならば、殺人犯罪に対する死刑だけを残す部分的死刑廃止くらいは実現して然るべきなのに、決してそうはならないということは、やはり死刑制度と被害者感情は直接に関係しないことを裏書きしているのではないでしょうか。

 ところで、殺人犯罪に限って死刑を残すという提案ですが、これは殺人犯罪についてはなお死刑と被害者感情を直結しようとする発想に基づいているのでしょう。要するに、この場合の死刑には被害者の復讐感情を満たす働きが期待されているわけです。
 しかし、死刑は一本の制度であって、各罪ごとに別の種類の死刑があるわけではありません。日本では刑の種類を定める刑法総則の9条で死刑が規定され、死刑執行方法については同法11条1項で絞首に一本化されています。これを受けて刑法各則及び特別刑法上の個別の罰条で死刑が最高刑として与えられるという構成をとっているのですから、殺人犯罪に対する死刑が他の罪における死刑とは異なる特殊な意義を担っているとの理解は成り立たないように思われます。
 死刑は合わせて一本なのであって、たとえ殺人犯罪に対する死刑といえども、それは決して復讐の代行ではなくして、どこまでも国家が社会秩序維持の観点から科する刑事処分の一つにほかならないのです。
 従って、殺人犯罪に対する死刑だけを特別に取り出して存置するという部分的死刑廃止は死刑制度の本質をなおとらえ損ねているように思われるのです。

 それにしても、殺人犯罪を含めて死刑を全廃してしまったら、被害者(遺族)が復讐感情を満足させる機会を失ってしまい、大きな不満を残すのではないかとのご懸念があるでしょうか。
 しかし心配はご無用です。日本には復讐そのものを禁ずる法律は存在しないのですから、被害者(遺族)は自らの手で復讐することができるのです。驚かれるでしょうか。しかし、これは事実です。
 この点、いわゆる決闘に関しては「決闘罪ニ関スル件」という明治時代以来の古い禁令がありますが、「復讐罪」という規定はどこにもないのです。法は決闘と異なり、復讐そのものは何ら禁じていません。これは、決闘が封建的な遺習として禁止されなければならないのに対し、復讐は時代を超えて人間にとって普遍的な避け難い行動である―その点では自殺とも類似する―という事実に着目してのことと考えられます。
 とはいっても、復讐の手段として殺人その他の犯罪行為を行えば処罰されることは当然ですが、それは復讐それ自体ではなく、復讐の手段の違法性が罪に問われるだけのことです(目的は手段を正当化しない)。
 その場合、殺人等の犯罪行為の動機・目的が復讐にあったことは量刑上考慮すべき事情として検討されるでしょう。その結果、司法判断がどう出るかはよくわかりませんが、復讐の動機・目的は、少なくとも金銭目的などと比べれば情状酌量の余地ありとされる可能性は高く、具体的状況からしてその復讐行動が懊悩した末のやむにやまれぬものであったと認められるような場合は、法律上の酌量減軽が付く可能性もあると思われます。
 一方、犯罪に当たらない方法で個人的に復讐するならば、それは何の罪にも問われないわけです(民事不法行為として損害賠償責任を問われる場合はあり得る)。
 こういう次第で、法は復讐それ自体を何ら禁じていないのですから、「法は復讐を禁じている」という前提に立って「殺人犯罪に対する死刑は復讐の代行の意義を担う」とする理解も成り立ちません。
 死刑に復讐感情の満足を求めるのは、被害者(遺族)個人の主観的な思い入れとしてはあり得ても、それは客観的な制度の現実・実態とは合致していないのです。

 結局のところ、死刑の存廃を論ずるに当たって被害者感情を問題とすることが失当だったのであり、このような「論点」自体が本来存在し得ないものなのです。ところが、後に詳しく解析する内閣府の2009年度世論調査では、死刑を容認する理由のトップに「死刑を廃止すれば被害を受けた人やその家族の気持ちがおさまらない」が挙がっているのです。つまり最新の政府世論調査による限り、死刑を容認する日本人の多くは被害者感情論に立っているわけです。
 しかし、先にも見たように、日本法上「被害者のない犯罪」や人命の喪失を伴わない犯罪についても死刑が定められているという事実を秘して、上記のような選択肢を与えて回答させる世論調査の手法はミス・リーディングであり、世論調査ならぬ「世論操作」の疑いを免れないところです。 

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良心的裁判役拒否(連載第8回)

2011-10-08 | 〆良心的裁判役拒否

理論編:裁判員制度の仕掛けを見抜く

第4章 「平成司法改革」の舞台裏(続き)

(2)法曹界の裏取引
 第1章で見たように、自民党の指示を受けて政府が司法制度改革審議会を設置したのは1999年です。この審議会は法曹三者を代弁する立場の人のほか、学識者、財界人、労組幹部から女性作家に至るまで、司法に関していかなる見識をお持ちなのか疑わしい人まで含むわずか13人の雑多なメンバーで構成された翼賛的な寄せ集めの臨時機関でした。(※)
 察するに、この審議会に表面的な討議をさせつつ、水面下では焦点の弁護士大増員をめぐる法曹三者間の折衝が鋭意進められていたものと見られます。その真相は、事の性質上容易なことでは明かされないでしょうから、以下は筆者自身の推察を交えた叙述となります。
 まず、2年間の予定で行われていた審議会の審議の中で、裁判員制度構想が浮上してきたのは、審議も終盤にさしかかった2001年1月。ということは、この頃までに法曹三者間で何らかの合意が非公式に形成されたものと推定できます。
 ただ、それが自民党によって誘い水的に提起された陪審制でも参審制でもなく、裁判員制度となったのはなぜでしょうか。
 まず、最高裁はかねて「司法参加」全般に否定的で、日弁連が要望していた陪審制については特に強く反対していました。それはおそらく、陪審制の場合、職業裁判官が陪審評決に拘束される点でかなり急進的な一面を持つことから、職業裁判官の間で拒否感が強いせいと思われます。
 そうした司法当局の意向を反映してか、2000年から2001年にかけて与党・自民党が介入し、陪審制に疑念を示しつつ、ドイツの制度にならった参審制の検討を指示したのです。
 このドイツの参審制とは、職業裁判官と一般市民から推薦などの方法で任命された2名の参審員が合議し判決するもので、司法参加としては最も小規模かつ裁判手続を裁判所が主導していく職権主義の訴訟構造に適合的な制度です。そのため、元来日本では司法参加の制度としてこのような参審制を主張する人はまれで、日弁連を説得する取引材料としても弱いはずでした。
 そこで、司法制度全般を所管することから司法参加問題に関しても所管官庁であり、かつ弁護士増員問題でも日弁連の直接の折衝相手となる法務省が割って入り、形態上は参審制の性格を持ちながら、陪審制のようにくじ引きによる無作為抽出の選任方式を採る折衷的な制度をひねり出し、これを陪審制でも参審制でもない「裁判員制度」と命名したものと思われます。これであれば、自民党指示を生かしつつ、陪審制もどきの外観から日弁連をも説得できそうだからでしょう。
 とはいえ、陪審制とはおよそ非なるこんな制度をなぜ日弁連が取引材料としてでも受諾できたかはなお謎ですが、おそらく審議会の指示を受けて具体的な制度設計を委ねられた政府の司法制度改革推進本部(2001年12月設置)の検討会で、裁判員の数を原則6人と裁判官の数より多くする―それによっていくらかなりとも陪審制の外観が強まると見たのでしょう―という妥協を経て、最終的な合意に達したものと推定できます。
 このように裁判員制度は弁護士大増員をめぐる政財界の意向を受けた法曹界内部の攻防を背景に、バックルームでの取引―それが明示的な取引であったか、あるいはあうんの呼吸によるトレードオフであったかは解明し切れませんが―の結果、ひねり出されたもので、その制定過程自体、国民不在の非民主的なものであったことはしっかりと認識しておく必要があります。
 特に、具体的な制度設計は先の司法制度改革推進本部の検討会で行われたわけですが、これは司法制度改革審議会のメンバーでもあった井上正仁氏(東大教授)を座長に、裁判官、検察官、弁護士のほか、ジャーナリスト、警察官僚、市長等々、政府によってセレクトされたわずか11人のメンバーから成る内輪的なパネルにすぎず、新たな国民の義務のあり方を検討すべき立法府=国会はこの間、全くカヤの外であったのです。
 こうした一連の流れを背後でコントロールしていたのは与党をバックにした政府、特に法務省ですから、最終的に出来上がった制度は当時の政治的・経済的状況を反映して、第1章で見たような「犯罪との戦い」という法イデオロギーで味つけされた特異な重罪治安裁判制度として立ち現れることとなったのでした。
 従って、この制度をめぐる最大の勝者は当時の与党以上に法務省です。特に死刑存置の牙城でもある法務省は国際社会の動向・要請に反して死刑制度を死守するうえで、死刑判決に一般国民を動員することのできる裁判員制度にこのうえないメリットを感じていることでしょう。これからは「日本では主権者国民も加わった司法判断で死刑判決が出されている」ということを死刑廃止に反対する論拠として内外に主張していけるとかれらは踏んでいるだろうからです(少なくとも国際社会では通用しないでしょうが)。
 一方、最高裁にとってこの制度にどんなメリットがあるのかわかりにくい面もありますが、ひとまず陪審制の導入を阻止できたことは小さくないメリットでしょう。また、後で不当判決と批判されても一般国民の「健全な社会常識」が反映されているのだと抗弁して、一般国民を盾に使えるということもメリットかもしれません。さらに、最高裁がかねてより推進してきた官僚主義的な視点からの公判手続の効率化を実現するうえで、裁判員の負担を口実に短期審理を錦の御旗にできることもメリットでしょうか(反面、公判前整理手続が渋滞して、全体としてはかえって裁判の長期化が起きているようです)。
 これに対して、日弁連は敗者であるはずですが、弁護士大増員という歴史的な苦渋を飲んだことの対価として裁判員制度が実現した以上、これを今さら否定することはできず、この制度を陪審制類似の「日本型司法参加」の制度だと信ずることによって自己欺瞞を演じられることには、ある種のメリットも認められるのかもしれません。
 こうして、法曹三者の裏取引の所産である裁判員制度には、三者各々の同床異夢的な思惑が刷り込まれてもいるわけです。

※審議会のメンバーは、五十音順に、石井宏治(財界人・石井鐵工所)・井上正仁(刑事法学者)・北村敬子(会計学者)・佐藤幸治(会長・憲法学者)・曽野綾子(作家)・高木剛(労組)・竹下守夫(会長代理・民事法学者)・鳥居泰彦(経済学者)・中坊公平(弁護士・元日弁連会長)・藤田耕三(弁護士・元判事)・水原敏博(弁護士・元検事)・山本勝(財界人・東京電力)・吉岡初子(主婦連)の各氏(肩書等はいずれも当時)。

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死刑廃止への招待(第7話)

2011-10-01 | 〆死刑廃止への招待

死刑は重大犯罪を犯した者に贖罪を果たさせる方法として必要ではないか?

 今回から先、第13話までは叙述の仕方を変え、今度は死刑存置論の側の代表的な論拠ないし反論に対してお答えするという形で検討を加えていきます。

 そのトップを切るのは、応報論です。前回検討した最高裁大法廷判決では蛇足的理由付けの中で社会防衛が強調されていましたが、実際のところ死刑の理由付けの中で最も歴史が古く、かつ現在でもポピュラーなのは応報です。
 ただ、応報といっても、ドイツの観念論哲学者カントのように、およそ人を殺した者には死刑を科さねばならないという絶対的応報の立場からの死刑存置論は現在ほとんど見られず、多くは一定の重大な犯罪、なかでも残酷な殺人犯罪を犯した者に対する応報として死刑を科すべきとする相対的応報の立場からの死刑存置論です。それだけに、第3話で問題としたように、どんな場合に死刑を適用すべきかという「基準」のあいまいさに悩まされ、差別性も生じてくるわけです。
 その問題はさておくとしても、現代の大衆レベルの応報的死刑存置論のもう一つの特徴は、応報のための応報ではなく、罪を犯した者に贖罪を果たさせるという道義的な目的論が加わっているということにあります。
 実際、内閣府が2009年に実施した死刑の存廃をめぐる世論調査の中でも、死刑を容認する理由として、「凶悪犯罪は命をもって償うべきだ」とする割合が次回扱う被害者感情論に次ぐ僅差で二位に挙がっていることは、こうした死刑=贖罪論が根強いことの表れです。
 面白いことに、命をもってする償いという観念は血讐のような有史前・古代の習俗的法観念と連続性を持つもので、先のカントのように、そうした習俗的な要素を捨象した純粋性の応報論こそ「近代的」とも言えるのですが、大衆レベルでは依然として古来の習俗的法観念の記憶が残存しているのかもしれません。
 ただ、別の角度から見れば、応報のための応報でなく、応報‐贖罪という形で応報観念に目的論的な修正を加えることは、それも一つの応報観念の相対化の方向性としてとらえることもできるでしょう。

 しかし、一方では、このように刑罰に贖罪という目的論的意味づけを与えることが果たしてできるだろうかという大きな問題があります。贖罪とは本質的に道徳的行為ですから、良心の発露として自発的に行われてはじめて贖罪としての意味を持ち得るのではないでしょうか。
 これに対して、刑罰とは国家が強制的に科する処分であって、日本の場合、死刑執行は刑訴法に基づいて法務大臣の命令によってのみ行われます。刑罰は有無を言わさず強制的に適用・執行されるものですから、嫌でも科せられるもので、そこには自発性が認められません。従って、刑罰に贖罪という道徳的意味を読み込むことは困難ではないかと思われるのです。
 ただ、受刑者が刑罰を科せられること、とりわけ死刑を科せられることに同意し、あるいはそのことを“希望”するということさえ一部に見られます。このような場合、死刑執行は自殺的な意味を帯びてきます。死刑存置論者にとっては、このような死刑執行こそが“理想の処刑”ということになるのでしょうか。
 しかし、死刑執行への同意とか希望はほとんどの場合、絶望の表れです。多くは元来自殺願望を持っていながらも自殺し切れず、代償的に凶悪犯罪に走り、自ら死刑を望むというパターンですが、このような場合には、死刑執行に贖罪の意味を認めることは無理でしょう。
 もっとも、中には自らの犯罪を恥じ、真摯な償いとして死刑執行を受け入れたという“模範的”死刑囚の伝説もあります。しかし、その人の本当の心境が奈辺にあったか、確実に証言できる人はいません。
 私見によると、贖罪としての死として意味を持ち得るのは自らの手による“死刑執行”、すなわち自殺の場合だけです。もちろん、常識的道徳論において、自殺はいかなる理由があれ正しくない行いとされています。それだから死刑で代用するというのもやはり無理で、自殺と死刑は相互に代替不能な全く別個の事象です。
 ちなみに、贖罪の「贖」とは本来は賠償のことで、従って贖罪とは罪を物―貨幣経済の現代なら原則として金銭―で償うことを意味しています。しかし、犯罪の加害者の多くは低資力か無資力で、被害者側に高額な賠償金を支払う能力がありません。金で償えない貧乏人は命で償え!というならば、それはいささか階級司法的な発想のようでもあります。
 興味深いのは、前出内閣府世論調査では、死刑廃止を支持する人の中でも、その理由として「(犯罪者を)生かしておいて罪の償いをさせた方がよい」という理由がトップに挙がっていることです。
 死刑廃止論者にあっても、大衆レベルではなお「償い」という観念を死刑存置論者と共有し合っているわけですが、「生きて償う」と「死んで償う」とでは、その「償い」の中身は全然違ってきます。「生きて償う」となれば金銭賠償が代表的ですが、それも現実には無理となると、あと「償い」として何が残るのでしょうか。
 結局、「生きて償う」とは「償い」そのものよりは、いわゆる「更生」の領野へ視点移動することを意味せざるを得ないように思われます。

 そういう観点からとらえ直してみると、元来20世紀以降の刑罰論にあっては、応報‐贖罪といった過去の行為への反作用だけで刑罰をとらえるのではなく、教育‐更生という未来志向的目的をより重視することが基調となっています。現代的刑罰にあって、この教育‐更生という目的志向性を完全に否定することはもはや許されないと言って過言でないと思います。
 このことは、単に刑罰体系上懲役刑のように教育‐更生の目的をそれなりに含む刑罰が中核となっていれば足り、例外的にそうした目的を持たない刑罰を存置することは許されるというにとどまらず、すべての刑罰について教育‐更生の目的が含まれているべきことを要請します。
 この点で、およそ教育‐更生の目的を否定する死刑は刑罰体系上居場所を持たないはずなのですが、実は辛うじて運用上、恩赦の制度を通じて死刑にも教育‐更生の目的とは言わないまでも、その要素を持たせることはできなくないのです。
 恩赦は政治性も強い行政権による刑の事後的減免制度ですが、死刑確定者であっても改善の兆しが事後的に相当程度認められれば個別恩赦で無期懲役刑に減刑するといった措置を取ることは可能ですし、そうすべきものでもあります。
 この場合、死刑確定者に対して直接に懲役受刑者のような矯正プログラムを課することはできませんが、自学自習や宗教教誨などを通じて自主的に改善を図ることは認められます。従って、死刑確定者に対する恩赦を積極的に活用するならば、その限りで死刑は運用上教育‐更生の要素を持ち得るわけです。
 この点、国連の自由権規約6条4項は「死刑を言い渡されたいかなる者も、特赦又は減刑を求める権利を有する。死刑に対する大赦、特赦又は減刑は、すべての場合に与えることができる。」と定め、死刑確定者に対する恩赦の権利性を強調しています。
 ところが、日本における死刑囚に対する恩赦は1975年が最後で、以後30年以上にわたり一度もないとされますから、現在の日本政府は「死刑囚には恩赦を与えない」ということを慣例としているように見えます。このような慣例は、すでに批准済みの自由権規約に違反しています。第5話で見たように、批准した条約については憲法上誠実遵守義務がありますから、自由権規約の規定を順守しないことは自国の憲法にも違反するのです。
 自由権規約の規定を順守し、死刑確定者の恩赦を十分に保障するためには、死刑判決確定からしばらくは確定者の改善状況を見るため、少なくとも二、三年は執行を控える必要があり、この面からも死刑確定後6ヶ月以内の執行を定める刑訴法の規定は不当なものと言わざるを得ません。
 本来、改善ということに期間の制限などないはずですから、自由権規約の規定に忠実に死刑確定者に対する恩赦を「権利」として受け止めるならば、およそ死刑執行は事実上凍結せざるを得なくなるでしょう。
 実際、第5話で指摘した死刑執行停止国の中には、死刑判決は出し続けながらも、死刑確定者を例外なくすべて一定期間経過後に恩赦減刑するという、日本政府とは全く正反対の慣例を持っている国もあります。

 かくして、死刑確定者に対する恩赦の積極的な活用は、第2話で見た再審請求権の尊重と並んで、死刑廃止へのもう一つの道なのです。そうであるからこそ、死刑存置に固執する日本政府は死刑囚の恩赦に否定的であるのでしょうし、かの絶対的応報論のカントも恩赦制度そのものに批判的であったのでした。

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良心的裁判役拒否(連載第7回)

2011-10-01 | 〆良心的裁判役拒否

理論編:裁判員制度の仕掛けを見抜く

第4章 「平成司法改革」の舞台裏

(1)「平成司法改革」の狙い
 第1章でも初めに少し言及したように、裁判員制度は1999年に始動した大規模な司法改革―これを「平成司法改革」と呼びます―の一環として制定されたものですが、この「平成司法改革」の中で、裁判員制度は実は付け足し的な意味しか持っておらず、この「改革」の最大主眼は圧倒的に弁護士数の大増員に置かれていたのでした。
 弁護士大増員策と裁判員制度という一見して関係なさそうなものがどこで結びつくのか━。この謎を解く前に弁護士大増員の持つ意味を把握する必要があります。
 日本では明治維新後、近代国家創りを急ぐに際して、圧倒的に行政権主導の国家を目指したため、多数の行政官僚を擁する一方、弁護士や裁判官をはじめとする法曹の数は低く抑え、「小さな司法」を維持してきました。このような方向性は敗戦をはさんで戦後も続いたため、法曹共通の資格試験である司法試験は年間合格者がわずか数百人程度という超難関となり、まるで前近代中国の官吏登用試験「科挙」のような様相を呈していたのです。
 こうした状況が一変したのは、1990年代です。この時期の日本はバブル経済の崩壊を契機とする長期不況に突入しており、その打開策として規制緩和・民営化を柱とするいわゆる新自由主義の経済戦略が財界の要請をも背景に打ち出されてきました。
 この戦略は、従来とは逆に、行政権を縮小して「小さな政府」を目指す一方で、民間資本主導の経済社会を構築するために、それまであまり活用されていなかった司法を経済社会の調整役として活用しようという方向に踏み出していったのです。
 このことは、「平成司法改革」の基本法として2001年11月に制定された司法制度改革推進法第1条に「この法律は、国の規制の撤廃又は緩和の一層の進展その他の内外の社会経済情勢の変化に伴い、司法の果たすべき役割がより重要になることにかんがみ」云々と明記されていることからもはっきりしています。
 こうした新自由主義的司法改革戦略の中心は、民間資本と密着して協働する弁護士の増員策にありました。そのために、司法試験の合格者増を通じた弁護士大増員―言わば法曹資格の規制緩和―とそれを担保するための新たな法曹養成制度である「法科大学院」の創設が打ち出されたのです。
 しかし、弁護士業界、特にその代表団体である日本弁護士連合会(日弁連)は従来、弁護士大増員には強く反対していました。このことはしばしば弁護士の既得権益護持の態度として非難されがちですが、必ずしもそうとは言い切れない事情があります。
 日本では先述したように、およそ1世紀にわたり弁護士数を抑制する政策が採られてきた結果として、「弁護士要らず」の社会が形成されてきたのです。
 弁護士が少ない分、司法書士、行政書士、社会保険労務士、弁理士、税理士など特定分野に限定して一定の法的事務を処理する法律専門資格が林立しているのはその現われです。こうした特定分野の法律専門家たちは、諸外国ならば弁護士が処理するような仕事を請け負っています。また、企業・団体の法務部門も弁護士を雇う代わりに、内部養成した法務スタッフを配置して法務を担当させることが一般です。
 結果、弁護士に残された職域はほぼ訴訟代理人業務が中心となりますが、それですら民事訴訟では弁護士を訴訟代理人に立てる必要はなく、本人訴訟が広く許されている次第ですから、日本社会では現在でもなお「弁護士要らず」なのです。
 こういう状況で、単純に弁護士数だけを急増させれば、「資格あって仕事なし」のペーパー弁護士が大量に生じ、また少ない仕事の奪い合いによる収入減をもたらします。結果は、弁護士の質的劣化と悪徳化で、そのツケは弁護士を利用する私ども市民に回ってくるわけです。
 従って、日本で弁護士を大幅増員するためには、少なくとも(ア)多岐に分かれた法律専門資格を弁護士に統合すること(イ)民事訴訟に弁護士強制制度を導入することという二つの前提条件を満たす必要があるのです。
 ところが、(ア)は多数の所管官庁及び関係業界との調整・協議が必要になること、(イ)はセットで弁護士費用等を公費で援助する法律扶助制度の大幅拡充が必須で、財務省・与党の同意が欠かせないことといった困難な事情があり、現状では実現のめどが立たないことから、「平成司法改革」ではこれら前提条件の整備を回避したまま、弁護士大増員だけを実行するという乱暴な策に出たのでした。
 そういう無理を押し通すためには、日弁連を説得し倒す何らかの取引材料が必要になります。それが「司法参加」だったのです。なぜ「司法参加」が取引材料になるかと言えば、弁護士の間ではかねてより司法制度の民主的改革の切り札として陪審制の導入を望む声が根強く、日弁連もそうした提言をしたことがあるからでした。
 その点に最初に目を付けたのが、当時の与党・自民党です。同党は第1章でも紹介した1998年の司法改革に関する報告の中に、検討課題として「陪審・参審」を滑り込ませたのです。
 こうした日弁連にとっては宿願でもある司法参加の導入をちらつかせつつ、一方では弁護士増員に消極的な日弁連を「既得権益にしがみつく守旧勢力」として世論に印象づければ、日弁連を大きく揺さぶることができるわけです。
 ただ、はしがきでも述べたとおり、陪・参審制と裁判員制度は似て非なるものですから、自民党の誘い水的な提言が直接に裁判員制度に結びついたわけではありません。関係者も妥協の産物であることを認めている裁判員制度なるものが姿を現すまでには、法曹界に舞台を移しての一種の裏取引があったのです。

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ライフ・リセット社会へ

2011-10-01 | 時評

失業給付を受給できない求職者が生活費を公費で支給されながら職業訓練を受けられる新たな再就職支援制度が今日からスタートするという。この制度に一縷の望みを託す人たちの意気をくじくつもりはないけれども、この制度の実効性には悲観的とならざるを得ない。

まず、具体的な制度としても、これはリーマン・ショック後の急激な失業増に対応すべく緊急的に創設された同種制度の恒久化にすぎない。そのコンセプトは民間事業者に補助金を与えて「訓練」を丸投げするもので、中には少子化に伴う生徒減に悩む受験塾がにわか仕立てで成人向け職業訓練コースを設置し、宣伝しているケースさえあった。補助金狙いと言われてもやむを得まい。

もともとこうした制度は欧州諸国によく見られる類似制度を中途半端に形だけ真似たものである。本場の制度は、大学や日本で言う専門学校のような正規の学校が責任をもって本格的・体系的な職業訓練をするもので、補助金目当ての営利事業者に丸投げするものではない。

しかも、欧州には日本のような一斉新卒採用の慣行はなく、むしろ日本で言う「既卒」や「中途採用」が当たり前という社会。だから、再就職支援の効果は比較的高い。日本では、元来例外的・緊急的な再就職支援の恒久的効果は期待できない。 

そのうえ、こうした再就職支援制度一般に内在する本質的な限界もある。いくら訓練しても、資本主義労働市場では雇い主に採用の主導権・裁量権がある以上、訓練修了者の採用を雇い主に強制することはできないからである。一方では、中途半端な訓練を受けた人を安く搾取できる点に目をつけた雇い主によって低賃金労働に使い回される危険もある。

再就職支援制度は、本質的に人生やり直し=ライフ・リセットが自由に認められる社会システムの下ではじめて効果を発揮する。そういう点では、程度の差はあれ、ライフ・ステージによる就労上の制約が強い資本主義社会では、労働市場における労使の非対称な力関係とも相まって、再就職支援は本質的に機能しにくい制度なのだ。

経済情勢がどうあろうと新卒採用にこだわる画一的な雇用慣行が残る一方、官民問わずコネ就・転職が隠然と行われ、公務員採用に年齢制限を設けて政府が率先して雇用上の年齢差別の模範を示している日本では、ましていわんやである。

びほう策的発想に走るのでなく、正面から、ライフ・リセットが自由に認められる新たな社会システムの構想を練るべき時ではないか。

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