フルール・ダンテルディ

管理人の日常から萌えまで、風の吹くまま気の向くまま

『遠い伝言―message―』 14

2008年11月09日 | BL小説「遠い伝言―message―」

 5日後、ネルヴァ族の長へ宛てた国王の親書を携えた使節の一行に交じり、テスとエドは旅立った。それが公式ではなくあくまで国王の私信扱いであることを示すように、任命式も見送りの行事もない、ひっそりとした出発だった。一行は彼らを除いてたった5名だった。役人が2名、道案内と馬の世話係が1名、食事や身の回りの世話をする者が2名。役人以外は兵士で、護衛を兼ねていた。
 宿に泊まることができたのは最初の3日だけだった。そこから先は大陸の大部分を占める大沙漠地帯で、あとはオアシスと井戸伝いに村を目指す。途中で西に方向を変えればネルヴァ族の村だが、真っ直ぐ北上すればノードン、アーナムにたどり着く。それがローディアと北の国々との交易路でもあった。何年か経つとオアシスなどは枯れたり位置を変えたりするが、それにも関わらずその交易路が確保できているのは、ネルヴァ族の協力によるものだった。
 沙漠だから暑いことは暑いが、予想していたほど酷くはなかった。彼が発掘調査をしていたコロラドとあまり変わりはなく、植物も結構多い。最も暑くなる真昼こそ体力の消耗を防ぐためにテントを張って昼寝をするが、それ以外は日中に移動した。それも地図と磁石があるおかげだろう。
 移動の間はそれぞれの馬に乗っているため内緒話ができないので、夜、あてがわれたテントの中で、ふたりは話をした。
「一族が迫害されたことは話したな。だから彼らはしょっちゅう住処を追われ、ばらばらになり、住むには条件の悪い場所を転々としていた。だが30年前、ローディア王は彼らと協定を結び、自国内での保護を約束する代わりに、交易路の水源の探索と保全を依頼した。もちろん、彼らの能力を知ってのことだ」
 野営となった最初の夜、まだその辺りは草地で、テントの中に寝転がるとかすかに虫の音が聞こえてきた。
「それで、彼らは沙漠に住んでいるんだ」
「ああ。交易路からはずれたオアシスに村を作って住んでいる。ただしその場所は一般の地図には載っていない。おれも機密になっている地図を一度見たことがあるだけだ。今回の出発前に見た以外はな」
 虫の音が聞こえるくらい、彼らは小声で会話した。他の一行には彼らの正体は知らされておらず、「他国で見つかったネルヴァ族の遺児を、一族のもとに送り届ける」という偽の任務が与えられているのだ。
 旅の間、昼間は必要以外の口をきくことができない分、彼らはテントに入ってから寝るまでの時間、今までのように──出会って、ともに旅をし始めた頃のように、エドが質問し、テスが答え、エドがたわいもない話をし、テスはそれに耳を傾けて過ごした。
 1本のろうそくの灯りの中、身を寄せ合って話しながらも、エドが性急なせっぱ詰まった衝動に駆られずに済んだのは、すべては到着してからだという思いがあったからだろう。柔らかな揺れる灯りに照らされたテスの穏やかな表情を見て、なんてきれいなんだろうと見惚れ、これから先のすべての夜が、こんなふうに彼と共にあればいいと願った。
 お互いのこどもの頃の話もした。
 テスが話してくれたのは、モスカーティ家で過ごしたときのことだった。幼い頃から週の半分は、彼の母の親代わりを引き受けていたファビウスの屋敷で、遊び相手のルキスと一緒に勉強したり、武術を習ったりしていた。母の死後は完全にモスカーティ家に住むようになって、ふたりでよく街へ出かけて遊んだ。わずかな小遣いをもらって買い物したり、屋敷では絶対出されないようなものを屋台で飲み食いするのが楽しみだった。しかし15歳になると父の命で公務に就くようになり、めったに王宮を出ることができなくなってしまった……。
「おれは、父や家臣たちの前ではいい子だったから」
 テスはいたずらっぽく笑った。
「ファビウスのところにいたときのように、こっそり抜け出すなんてことは、もちろんしなかったぞ?」
 エドは苦笑した。国王の前での、気品と知性に溢れ、なおかつ少女のようにたおやかな態度と、自分と旅していたときの、ぶっきらぼうで少々足癖の悪い、外見通りの少年の顔との落差を思い返して。
 エドは、養護院での生活や、学校のことを話した。年長の男の子たちとはけんかばかりしていた。一度などは寝ている間に髪をめちゃくちゃに切られ、丸坊主にしなければならなかったこと。中学生のときはちょっとぐれていたが(ぐれる、の意味がテスにうまく伝わらず、説明に苦労した)、考古学に興味を持ってからは必死に勉強して何度か学校で優等賞をもらい、養子の話もまとまったこと。
「お前がけんかっ早かったなんて、今では想像できないな」
「こどもだったんだよ。自分は不幸だと思い込んでいた」
 テスの目が今は?と訊いていた。
「両親や、俺を目の敵にしていた彼らの仕打ちを許せるようになったってことは、今が不幸じゃない証拠だと思うんだ。それどころか、いつも幸運に恵まれていた気さえする」
 父親は少なくとも自分を養護院に連れて行ってくれたし、新しい家族もできたし、好きなものに出会えて、大学では好きなだけ学べるし……と数えていると、テスが彼を見て微笑んでいた。その瞳があまりに優しくて、エドは鼻の奥がつんとなった。
「……も、もう寝ようか?」
 彼はそれをごまかそうとして体を起こして、吊るしたろうそくを吹き消した。
「…そうだな。おやすみ」
「おやすみ、テス」
 本当は、幸運の中にテスと出会えたことが入っていたのだが、それは言わずにおいた。旅の間は、その話題──互いの気持ちや、レジオンのこと──は、お互いに慎重に避けていたからだ。エドにとって人生最大の幸運は、テスと出会ったことだと思っていたが、今はまだ、そう伝えることはできなかった。
 

テスに言わせれば「役人に合わせた牛より遅いペース」で進み、サーランを発って15日目、岩と砂と枯れた草だけの大地の様子が変わった。黄土色の乾いた地面の色は濃くなり、ところどころに生えた草も緑の色を取り戻した。案内の兵は「今日中に着く」と言ったが、地平線まで岩の平野が続くばかりで、何も見えなかった。
「……大規模な水源が近い」
 馬を寄せてきたテスが呟いた。
「見えるの?」
「ああ」
 テスは遠く目をやった。
「しかも、地表に出ている。緩やかな流れと速い流れ……池と川がある。だが……変だな。高さが……地平より低い……?」
 テスの疑問は、日が傾く前に解けた。
 彼らの前に唐突に広がった緑の谷。深い谷底には滔々たる流れがあり、その両岸は青々とした畑と果樹園となっている。川の一部は細い支流に分かれて小さな池に流れ込み、池の上では舟が網を引いている。広大な沙漠を渡って来た目には、まさに別天地と映る豊かな光景だった。
「あそこから降りられそうです」
 地層の露出した崖をジグザグに降りていく細い道があった。小さな荷馬車がやっと通れるほどの幅しかなく、馬の扱いを間違えればたちまち道を踏み外して命を結びつけ、エドの馬に乗り込んで代わりに手綱を握った。
 下から彼らの姿を見つけたらしい人々がわらわらと動き回るのが見えた。その中から1頭の馬が男を乗せて、道を駆け上り始めた。さすがに慣れた様子で馬を操り、彼らが3分の1も降りないところで出会った。
 彼らの先頭の兵は使者を意味する青い帯を結んだローディア候国の旗を掲げている。それと一行を一瞥して、青年は下馬した。
「ローディア候国の方々とお見受けする」
「いかにも。ローディア候王陛下よりネルヴァの族長殿への親書を持参申し上げた。私は内務省地方部のビュイス二等官と申す者。お取次ぎをお願いしたい」
「歓迎いたします、ビュイス殿。私は族長に先触れしてまいりますので、代わりに案内するものを寄こします」
 青年は再び坂道を駆け下りていった。
 一行は、木々に囲まれた族長の館に案内された。物珍しそうにそのあとをこどもたちがついて来る。特にエドの髪は注目の的らしかった。それも無理はない。ここの住民たちに金髪の者は1人も見当たらなかった。そして、確かにテスとの共通の血を感じさせた。黒い髪に黒い大きな目、エキゾティックな、美しい顔立ち。しかし、その中に交じってもおそらく、テスは誰よりも一目を引くだろう。その圧倒的な存在感と美貌で。
 館の前では、族長らしい痩せた老人と、村の主な顔役らしい者たちが待っていた。
 彼らは馬から降りた。ただ1人、ずっと日除けのフードをかぶっていたテスは、ようやくそれをはずした。
 集まった人々の間にざわめきが起こった。その理由に気づいてエドははっとテスを見た。うつむいたままのテスの表情は見えなかった。
 族長の目も、テスに釘付けになっていた。が、それをもぎはなして儀礼的な笑顔を彼らに向けた。
「よくおいでくださいました、ビュイス殿。私が族長のエルサイです。長旅でお疲れでしょう。どうぞおくつろぎください」
「お気遣いありがとうございます。しかしながら、陛下より早急にお返事をいただいて帰るようにとの厳命でございますゆえ、まずは親書をご覧いただきたく存じます」
「それでは早速拝読することにいたしましょう。ともかくお入りください」
 周りの土と同じ色の壁でできた館の内部は、沙漠の中だというのに開口部が大きくとってあり、川からの風が入るようになっていた。よく見れば、夜は閉め切ってしまうらしく、すべての窓や出入口に木の戸が付いていた。それによって砂と冷気の侵入を防ぐのだろう。
 廊下でつながれた各部屋は、廊下よりも一段高くなっており、床には絨緞が敷きつめられ、靴を脱いで上がるようになっている。彼らが通されたのは、様々な会合や宴会に使われるのだろう広い部屋だった。床に置かれた厚いクッションの上にあぐらをかいて座るところが、他の国々との文化の違いを強く感じさせた。
 ビュイスが膝行して両手で捧げ持った書状を、族長は一礼し、受け取った。
 彼は書状を読み終えると、元通りに折り畳んだ。
「陛下よりの御文、しかと承りました。返書は明日中にお渡しできますが、ビュイス殿はいつのお発ちを希望されますか。旅の疲れを癒されてからご出立されたがよろしいかと存じますが…」
「いえ、陛下のご命令ですので、ご返書をいただければすぐにでも」
「では、明日中に食料などを準備いたしますので、明後日でいかがですか」
「かたじけない」
「そちらのおふたりは……」
 エドは顔を上げた。だがテスは、顔を伏せたままだった。族長の目は、まっすぐにテスに注がれていた。
「陛下のお考えに従い、私が責任を持ってお預かりしましょう」
「ありがとうございます」
 ふたりは頭を下げた。
 会見は終わり、彼らは与えられた部屋に入った。夕食前に久しぶりにたっぷりの水を使って体を洗い、髪の中まで入り込んだ砂を落として、新しい服に着替えた。
 歓迎の夕食会には族長夫妻と村の主だった人々が出席し、賑やかではないが終始和やかだった。表向きの主役は内務省の役人2人だったため、村側の出席者は彼らとばかり話していて、無表情に機械的に食事を口に運ぶテスにはらはらしていたエドは、ほっと胸を撫で下ろした。
「……テス、着替えて寝ないの?」
 部屋に戻り、何を食べたかろくに覚えていないなどとため息をつきつつ、夜着に着替えかけたエドは、ベッドの端に腰かけているテスに声をかけた。
「ああ。……族長に、会いに行こうかと思って……でも…」
 エドは、テスがためらっている理由を知っていた。テスの母親は、一族の掟に反して一族以外の者と子をもうけた。その子である自分がこの村に来ることが許されるのか、話をしてもらえるのか、不安なのだ。それでも一縷の望みをかけて、ここまでやって来たのだ。
 エドは、彼の隣りに腰かけた。
「君のお母さんのご両親は、この村にいらっしゃるんだろう?きっと君の味方になってくれると思うよ。孫がかわいくない祖父母なんていないよ……」
「…今日、お前も会っただろう」
 そう言われて、思い当たる人物は1組しかいなかった。
「……族長と、奥方?」
 テスはうなずいた。
 国王からの手紙で、少なくとも族長はテスが孫のテリアス王子だと知ったはずだ。だが、それらしい態度を表すことはなかったように思う。テスが会うのをためらうのも無理はなかった。
「……ばかだな、おれは。はなから覚悟の上のことだったのに」
「テス……」
 ノックの音に、彼らは顔を見合わせた。エドが戸口に近づき、耳を澄ます。
「どなたですか?」
「夜分、大変恐れ入ります。エルサイと妻でございます。是非殿下にお目通りをお願い申し上げます」
 振り返ると、テスは硬い表情でうなずいて立ち上がった。
 エドは、戸を開けた。


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