フルール・ダンテルディ

管理人の日常から萌えまで、風の吹くまま気の向くまま

『遠い伝言―message―』 18(最終回)

2008年11月30日 | BL小説「遠い伝言―message―」

 傍らの気配とぬくもりの喪失に目を覚ます。真っ暗でほとんど何も見えない。衣擦れの音だけが聞こえた。
「テス……?」
「……起きたのか」
 窓の木戸を閉め忘れていたので、月の光で窓がぼんやり四角い形に暗闇の中に浮き上がっていた。そのかすかな光でかろうじて人影が見える。
「……すっかり眠り込んでしまったみたいだね。もう夜……?」
「それほど遅くはない。が、夕食は食べそこねてしまったな」
「いいよ……とにかく眠くて……」
 まぶたが重く、またとろとろと眠りかける。
「少し出てくる。お前は寝ていろ」
「ん……」
 パタン、と戸の閉まる音をエドは夢うつつに聞いた。しかし、まどろみの途中、階段を踏み外した落下のショックで覚醒した。飛び起きて夢だとわかっても、リアルな感覚に心臓が激しく打っている。
 もう一度寝直そうと目を閉じたが、今ので眠気は吹っ飛んでしまった。動悸もなかなかおさまらない。テスが戻ってきたら、抱きしめて気持ちよく眠れるのに、などと考える。
 そう思って待っていたが、なかなかテスが戻ってくる気配はなかった。もしかしたら体を洗っているのかもしれないと思いつき、自分も汗を流そうと起き上がった。
 電気などないこの世界では、人々の就寝は早い。それでもテスが言ったとおり、まだ廊下にはランプがぽつぽつ灯され、部屋には人が起きている気配があった。
 風呂場には誰もいなかった。どこへ行ったのだろうと屋敷内をうろついてみたが、どこにもいない。首を捻りながら、まさか散歩とか、と渡り廊下から外へ出る。
 屋敷は川と崖の中間の、傾斜地に建っているため、川やその近くの畑や家々が眺められる。その畑の中の道を、光が揺れながら動いていくのが見えた。家々の閉ざされた窓からわずかに明かりが洩れている。人々は寝る前のひとときを過ごしているのだろう。こんな時間にはめったな用事でもなければ出歩くものはいない。
(まさか、テス?)
 半信半疑で、エドはその光を追った。夜風は冷たく、体がぶるっと震えた。マントを持ってくればよかったと思ったが、今更面倒だった。
 灯りは持っていなくとも、月に照らされた砂の道は白く、夜目にもよく見える。光は時々家や木立に遮られたが、見失うことはなかった。
 それは谷の中心部を通り過ぎ、さらに川の上流へと向かっていた。その先は聖地しかない。エドは、姿はまだ見えなかったが、それがテスだと確信した。だが、何のために聖地に向かっているのだろう?
 エドが崖下にたどり着いたときには、とっくに光は穴の中へ入っていた。真っ暗に口を開けた中をのぞきこむと、遠くに小さくランプの光が見えた。
 奥に向かって叫んでみたが、川の轟音にかき消されて届いた様子はなかった。仕方なく、穴の壁にしっかりと手をつけて、中に入っていった。
 昼でも夜でも真っ暗なことに変わりはないが、灯りを持たずに入るのはなんとも心細く、恐怖感を増すものだった。昼間一度来て、壁沿いは浅く危険はないとわかっていても、流れが足を浸すとそのまま足をさらわれ激流に呑み込まれるのではないかという恐怖に捕らえられる。テスはもう聖地に着いたらしく、見えなかった。
 聖地の中には、月光が射し込んでいた。壁面に白い光が映り、昼間とは違う表情を見せている。テスの姿はなかった。エドはさらに奥の岩穴に足を踏み入れた。
 足元に置いたランプに照らされて、テスが立っていた。
「……テス?」
 テスは背を向けたまま、
「なぜ来た?」
「君が戻ってこないから、探して追ってきただけだよ。君こそ、こんな時間にどうしてここに?」
「……確かめに来た」
「何を?」
 エドは、彼の横に並んだ。地下水路が見える穴の際に。
 テスは足元を見つめて微動だにしない。
 静かだった。川の音も遠い。穴の中は真っ暗で、何も見えない。──何も。
「お前の世界へ戻る道が、開いている」
「………」
「感じないか?お前の気も、この中へ引き込まれている」
「……別に、何も……」
「相変わらず、鈍いな」
 テスはくす、と笑った。
「わたしの感情は、ちゃんと感じてくれるのに」
「それは、君だから……」
 エドは頬を赤らめた。
「君の気持ちを知りたいから」
「……」
 テスは彼に向き直った。両手を上に差し伸べる。エドは腰をかがめて彼の背中を抱いて、口づけた。唇を離したときテスはひどく哀しげな瞳をしていたように見えたが、彼はすぐエドの胸に顔を埋めてしまってそれを確かめることはできなかった。
「……時至れば、道が示される……」
「え?」
 エドはテスの呟きがよく聞き取れず聞き返したが、テスは答えなかった。
「……本当に、帰らなくてもいいのか?もう…二度と、この道は開かないかもしれないんだぞ……?」
「帰らない。……今まで、たくさんのことを後悔した。これからも何度だって後悔するだろう。だけど死ぬとき、これでよかったんだって……俺の人生は、そんな数え切れない後悔があっても、それでもこれでよかったと思えれば、それでいいんだ」
「……そうか。……そうだな」
 テスは顔を上げた。彼の黒い瞳がわずかな光を反射して、強い光を放った。
「……わたし、テリアス・エルサイス・ローディアスは、エドワード・ジョハンセンを愛している。永遠に……たとえ……どれほど遠く離れようと……」
「……!?」
 何が起こったのか理解できなかった。仰向けにバランスを崩し、とっさに体をひねって手をつこうとしたが、そこに地面はなかった。光の見えない闇の中に落ちていく。すさまじい落下感。
「I love you……!」
 遠い叫びが聞こえたと思ったとき、彼はそれきり意識を失った。



 

 パリはすっかり冬模様だった。昨日の朝もTシャツにジョギングパンツで公園を5周した身としては、信じられない寒さだった。まだ10月だというのに、人々はウールのコートにマフラーをしている。
 エアポートバスから降りたエドワードは、慌ててボストンバッグから上着を出してシャツの上に着た。衿の中に入ってしまった束ねた髪を、無造作に引っ張り上げる。
 リヨン駅から郊外へ1時間ほどの小さな町で下車し、地図を片手に歩き始める。途中道を尋ねながらたどり着いたのは、小学校だった。夕闇迫る校庭には生徒の姿はない。もうとうに生徒は帰った時刻だった。明かりが点いているのは職員室だけだ。
 彼は守衛に来意を告げて、応接室に通された。
 間もなく、扉がノックされた。エドワードは立ち上がって、待っていた相手を迎えた。入ってきたのは口ひげも巻き毛もごま塩になった初老の、よく太った、人の良さそうな男性だった。
「おお……!あなたが、ジョハンセンさん……!」
「ルコントさん…」
 彼らは初対面だったが、互いに感動して固い握手を交わした。
「お招き、本当にありがとうございます。何とお礼申し上げてよいか…」
「いやいや、こんなところまでやって来させて、こちらこそ申し訳ない。年のせいか飛行機に長く乗るのは体にこたえてね。あなたも長旅で疲れておいででしょう。私の家までもう少し辛抱してください。では行きましょうか」
 ルコントは、小学校の校長を務めるかたわら、詩やこども向けの小説を書いているらしい。エドワードは1冊だけ読んだことがある。1か月前、突然大学に送られてきた国際小包の中身が、彼の詩集だった。中には3つの抒情詩と、1つの叙事詩が収められていた。その叙事詩を読んで、彼は驚いた。詩は、異国に迷い込んだ青年と、異国の王女の冒険と悲恋を描いたもので、題材としてはやや陳腐だが、言葉や表現の巧みさでなかなか格調高く仕上がっていた。だが彼を驚かせたのは内容ではなく、そこに使われていた固有名詞だった。
 王女の名はテス。彼女の祖国はローディア。青年と王女が出会った場所はヴォガ、旅する国々はリベラとミュルディア、とまるでエドワードたちの足跡をたどるようだった。もう一度、その詩の冒頭の献辞を読み直した。詩を読む前には意味を持たなかったそれ。「黒い瞳の美しき王兄へ」。同封されていた手紙には短く、「あなたが私の探しているエドワード・ジョハンセンならば、至急連絡を乞う」
 エドワードはすぐに手紙を書いた。あなたもあの世界に行き、テリアス王子──あなたが会ったときには彼の弟レジオンが王位に就いていたと思われるが──と会ったのか、と。それに対する返答は、書き添えたEメールアドレス宛てに来た。YES──ルコントのメールには、続けて驚くべき事実が打たれていた──私があの世界へ行ったのは、もう20年も前のことだが──。
 よくよく見れば、その詩集の発行日は15年前で、紙も黄ばみがかっていた。
 ルコントはさらに長いメールを送ってきた。20年前、迷い込んだあの世界でテリアスに会ったこと、そして彼が30年前出逢ったという「エドワード・ジョハンセン」への伝言を頼まれたこと、戻ってからすぐに「カリフォルニア大学の卒業生」「考古学関係者」の中にその名前がないかと数年にわたって探し続けたが、全く見つからなかったこと。それでも折に触れ、その名を気にかけて探し、そしてとうとう、インターネットのカリフォルニア大学のホームページ上の、博士論文一覧の中に彼の名を見つけたこと……。
「あまりに時が経ち過ぎていたので、99%別人だと思った」が、こちらの時間と向こうの時間法則がずれているかもしれないという望みを託し、試しに本を送ってみたのだという。20年前、ルコントが55歳のテスと会ったとき、エドワードはまだ5歳だったのだ。見つかるはずがない。
 小学校から10分くらい歩いたところに、ルコントの古い、ツタの絡まる家はあった。溌剌としてよく笑う、こちらも少々ぽっちゃりの夫人に温かく歓迎された。居間には暖炉まであり、今も屋根裏のような狭い下宿暮らしのエドワードにとっては、夢のように居心地のいい家だった。
 話は夕食後にゆっくり、と言うルコントを、早く聞きたいのでと押し切り、荷物を客用寝室に置くなりすぐに彼は居間に戻った。
「……本当に、自分と同じあの信じられない体験をした人に巡り会えるなんて、思ってもみなかったよ」
「私もです。…そういう人間は何人もいたのだと向こうで聞かされてはいましたが、まさかこちらで出会うことができるなんて」
 夫人はコーヒーと菓子を運んでくると、ルコントの横に座った。
「妻には話してある。なにしろ当時、私は半年も行方不明になっていて、妻や家族には大きな心配をかけてしまった。私が向こうで過ごしたのは20日間だけだったというのに」
「私のときは……4か月は経ったはずなのに、戻ってみたら1日しか経っていませんでした」
 エドワードは思い出す。発掘現場の崖下で目が覚めたのは、夜が白み始めた頃だった。あの世界に通じていた岩の割れ目など跡形もなく、ショックで茫然と座り込んでいた彼を、起き出してきた先輩たちが発見した。昼にいなくなって、夜になっても戻ってこないから、その日は町へ戻って捜索隊を依頼しに行くつもりだったそうだ。彼の服装や日焼けした肌、伸びた髪を不思議がられ追求されたが、覚えていないで押し通した。覚えていないのではなく言いたくないのだと彼らにもわかったのだろう。理屈のつかない現象を彼も他の人々も説明できる術はなく、1日だけの行方不明ということで大事にもならなかったので、それはうやむやにされた。
 下宿へ戻ってから1か月は、心は麻痺して淡々とバイトと講義とレポートをこなしていた。じわじわと「二度と会えない」「最愛の人を失った」ということが現実だと実感されてきた次の1か月間は、毎夜泣き暮らした。涙が減り、埋めようのない喪失感を受け入れ、その空虚さに慣れて再び考古学に本気で取り組み始めたときには、帰還から半年近くが過ぎていた。
 あれから5年──たった5年しか経っていないのだ。今でも思う。あのとき、どうしてテスを追いかけてしまったのだろう。あのまま眠ってしまえば、テスにあんな選択をさせずに済んだのに。この世界で生きる未来を失っても、テスのいる世界で生きる未来を失うことはなかったのに──
「……あなたは、テリアスに直に会われたそうですが……どうしてそのような機会を得られたのですか?」
「私は幸運にも、ローディアのある町に出現したのですよ。いったいどうなったんだとパニックしている私を町の人が役所へ連れて行ってくれて、あとはとんとん拍子に王宮へ招かれました。役所には、私のような者が現れたら全面的に助力し、帰れるように支援するよう徹底されているそうです。役人たちも本当にその命令が実行されることがあるとは思っていなかったと驚いていましたよ」
 ルコントはにこにこと笑った。
「それで……テリアスは」
 エドワードは答えを怖れながらも聞かずにはいられなかった。
「あなたが会われたテリアスは……どんな方でしたか……?あの詩には美しい、と献辞がされていましたが……」
「ええ、国王の兄だと聞かされていたので、お会いしたときには国王の息子の間違いじゃないかと思いましたよ。国王は肖像画では壮年でいらしたのに、その兄がせいぜい20代、下手をすると10代でも通るような青年だというのですからね」
「20代の青年?幼い少年ではなく?」
 エドワードの勢いに、ルコントは小さな茶色の目を丸くした。
「そうです。長い髪を水色のリボンで1つに束ねて、少女のように大きな瞳が印象的な、穏やかな口調と物腰の青年でした。彼は特殊な体質の一族の出身で、30年前時からずっとその姿のままだと言っていました」
 30年前、とエドワードは心の中で呟いた。俺と別れてから……すぐ?誰が?誰と?レジオンと?
 彼は胸の痛みを、うつむいた影の中に隠した。
「それから彼は、30年前に、私と同じように異世界から来たエドワードという青年と出会い、旅をして…恋に落ちたことを話してくれました。彼は、向こうに戻ると言ったあなたを、あの穴に突き落としたそうですね」
「ええ……別れを告げることさえできなかった……」
 ルコントは優しい目で彼を見つめた。
「私は彼から、もしあなたに会えたら伝えてほしいと頼まれたことがあります。私が聞きとった内容ですので、正確な言葉ではないかもしれませんが、その時書き留めたメモをそのまま持ち帰ることができました。読み上げてよろしいですか?」
「……お願いします……」
 エドワードはうなずいた。
 ルコントは、今でも白さを保つ、透かしの入った美しい紙を広げた。
「──『エド、この伝言がお前に届いたならば、わたしの望みは叶ったか、かないつつあるということだろう。伝言を託したルコント殿の住むところとお前の住むカリフォルニアは、この大陸の端から端までの倍以上離れているという。わたしの知っていることだけでお前を探し出すのは難しいだろう。しかし、お前が自分の道を歩み続けているならば、不可能ではないと思う。』
 ……私は、生きている限り、あなたをきっと探し続けるとテリアス殿に約束しましたよ。学生名簿は学校が存続する限り残るので、アメリカへ行く機会があれば探せるだろうし、あなたが……考古学者になれば学会の会員にもなるだろうし、論文が雑誌に載るだろうし、そうなれば見つけ出せると思いましたのでね。
 ……『わたしは、お前の夢をかなえてほしかった。お前の世界でしかかなえられない夢であり、お前が自分の世界で果たすべき役割だと思う。わたしも、自分のなすべきことは王族としてローディアの繁栄のため、この大陸全体の安定と発展のために尽くすことだと思っている。この世界に生きる限り、放棄することは許されないわたしの使命だ。それは、この身と心を、国民と国と国王に捧げるということでもある。だからわたしにはお前と共に行くか、お前だけを帰すかの選択肢しかなかった。
 わたしの裏切りがどれほどお前を傷つけたか考えると、許してくれとは言えない。わたしも自分の選択を死ぬほど後悔した。今でも後悔している。だが、間違っていたとは思わない。
 お前は覚えているだろうか。ただ一度、わたしたちの心が溶け合った瞬間を。あの経験が、わたしを年相応の姿まで成長させた。残念ながらそこで止まってしまった原因が、中途半端な交感だったからか、わたしの体質のせいなのかはわからない。
 わたしはすべてをレジオンに話した。それでも彼はわたしを許してくれ、わたしは彼に敬愛と忠誠を捧げている。彼とローディアに捧げられているのは、心の半分だけだが。なぜならわたしの心の半分はお前のもので、お前と共に行ってしまったからだ。
 今でもわたしはお前を、エドワード・ジョハンセンを愛している。
 心よりお前の幸福を願う。テリアス・エルサイス・ローディアス』……彼の直筆の署名です」
 夫人は頬に涙を伝わらせ、両手で鼻を押さえていた。ルコントの目もうるんでいる。
「これはあなたに差し上げましょう」
 ルコントは封筒ごと便箋を彼に渡した。フランス語の少々癖のある字の下に、まだ覚えているむこうの世界の文字。署名なので崩してはあるが、確かにテリアスの正式名が記されていた。
「テス……」
 堪えきれない涙で視界がぼやけ、エドワードは便箋を濡らさぬよう胸に抱いた。
 長い髪を水色のリボンでしばっていたという。テスが贈ってくれた水色のひもは、こちらへ戻ってきたときズボンのポケットに入っていたのを見つけた。それは着ていた服とともに大切に保管してある。自分にとってあのひもがテスとの忘れられない恋の形見であるように、テスにとってもまた、変わらぬ愛の証だったのだ。
 見知らぬ世界で彼を救い、導き、教えてくれたテスが、今また教えてくれる。そばにいて、愛情を与えあい、幸福に浸ることだけが愛することではない。だから間違えずに、自分自身の道を行け、と。
 胸の空虚な穴は埋まることはないだろう。一生後悔し続けるだろう。それらを抱えたまま、自分がこの世界に生まれた意味を確かなものにしていく。それが、テスの示してくれた深い想いに応えるただ一つの方法だった。
「……ありがとうございます、ルコントさん……本当に、感謝します……」
 ありがとう、テス──エドは祈るように胸の奥で囁いた──俺を、俺の未来を信じてくれてありがとう。
 もう君はどこにも存在していないかもしれないけど、今も、これからも、君を愛している。


                                        end


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