華麗なるオーストラリアンライフ

渡豪17年。職業・看護師。
白熊のようなオージーの旦那1人とワンコ2匹で
ニューサウスウェルス州の田舎町で生息中。

緩和ケアについて学んできた

2014年07月17日 21時33分48秒 | Weblog
今日からまた仕事。
といっても、昨日も触れたように、今日は隣町の大きな公立病院で行われた研修だった。午前シフトよりも1時間ほどゆっくり起きて車で病院へ。

テーマは緩和ケア。
いつぞやウチの病院で末期がんの患者さんのお世話をした際、自分のしていることに疑問を感じて、それを口にしたところ婦長が今回の研修へ送り出してくれた。最近続けて患者さんが亡くなったこともあり、興味と意欲を持って参加した。内容は期待を裏切らず、結果からいうと満足度の高い研修だった。ウチの病院で使える論理ばかりではなかったけど、そういう見方もあるのかとうなずく場面も多々。あらためて看護師ができるケアの幅を思い知った次第。看護師って大変な職業やねんなぁ。こんな風に感じているあたり、私はまだまだ看護師になりきれてないんやろうな。人様を見送るばかりで、“死”というものがわが身のこととして身辺で起こっていないことも、人事として捉えてしまっている要因かもしれない。

ちなみに。私が感じた緩和ケアに対する疑問とは。
まだ10代の子供2人がいる40代半ばの末期がんの女性をケアしたときのこと。子供だけでなく、親姉妹が全員集まって“そのとき”を一緒に迎えようとしていた。ドクターの指示通りに痛みを取るためのモルヒネと体をリラックスさせるための筋肉弛緩剤を定期的に投与。結果、苦しむことはないにしてもほぼ寝ている状態だった。たまに目を覚ましても薬が効いているのでモウロウとしていることがほとんどで、すでに会話は成り立つことはなかった。
もう先が長くない患者さんには、痛みやストレスがないというのはいい状態。ただ、残される家族にとってはどうなんやろう?というのがこのときの私の疑問だった。特に若い子供2人はきっともっと母親の言葉を聞いていたかったのではないかと思う。投薬を止めて、もしくは服用量を少し減らして意識を保つようにできたら会話もできたのでは?などと考えたら自分のやっていることに自信がなくなり、作業に違和感を覚えた。
しかし、今日の研修を通して、この40代の女性の場合は若かったことで、私自身が看護師として家族と向き合う準備ができてなかったんだと今になってわかった。見送る患者さんは通常80~90代で、家族も悲しいながらもある程度覚悟はしている。同時に私自身も患者さんを見送る準備しているんだということに今日まで気づかなかった。それがわかっただけでも研修の意味はあったかな。

何人かの患者さんを見送って、死を目の当たりにすることには慣れてきた。だけどそれで「はい、次」と切り替えられるほど淡白でもない。シフトを終えて家に帰っても「あの患者さんは大丈夫かな?」等は普通に考えているもの。こんな風に多かれ少なかれ、私生活にも影響している。自分で言うのもなんやけど、一般的に人が想像するより、看護師は人様の人生を自分の生活に持ち込んでいるものだと思う。

余談やけど、看護師になってからというもの、Dと自分が死ぬときのことをかなりの頻度で考えるようになった。そして悲しい気持ちでいっぱいになる。40代前半夫婦として、普通に考えたらあと40年ぐらいは一緒にいられるはずなのに、どうしてこんなことばかりを考えるのか?と自分でも疑問に思う。元々「老若男女、明日が保障されている人はいない」というある種刹那的な考え方をしているので、潜在的に「明日別れが来るかも」と考えてしまっているのかもしれない。どちらにしても健康的な思考ではないな、と苦笑せざるを得ない。これは看護師という職業の弊害のひとつだと思う。
ちなみに医者、看護師をはじめとする医療従事者がうつ病を患う率は高い(教員も高いらしい)。私も気をつけないと。

約8時間の研修を終えて家に着いたら、早起きと久々に(?)脳みそをフル回転させたおかげでとても疲れていた。空っぽの冷蔵庫を満たしに買い物へ行ったついでに赤ワインを一本。シェフDによるローストチキンとともにグイッと2杯ほど飲んだらかなり酔っ払って、テレビを観ながら寝てしまっていた。でも片付けも全部Dがしてくれていた。ありがたや。
明日からまた病院に戻る。4連休明けに4連勤。しっかり休んだことやし、頑張れそうな気がする。今日一緒に研修に行った同僚によると忙しいらしいけど。うーん。いや、気合いで頑張ろう。

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コメント (2)