「次回は関宿か将門を巡るのもいいね。」
という雁部先生のお言葉で早くから行く先の候補は出ていた。ただどの様なルートで、移動手段は何を使って行くかが大きな課題だった。というのも関宿は千葉県の最北端茨城埼玉との県境で、鉄道その他の公共交通機関が無く最寄駅からバス利用三十分下車徒歩十五分という立地である。そこでマイクロバス利用ということに落ち着いた。手賀沼アララギ短歌会初のバス利用の吟行会となった。
六月十五日、十時バスは柏駅を出発した。朝から眩しい陽光に溢れ、猛暑が心配されるほどだ。しかしバスの中は快適で緑豊かな車窓を眺めつつ関宿へと走った。車内では雁部先生から関宿についてお話を伺うことができた。江戸時代の関宿城の役割やそれに伴う城主は代々幕府の中でも重要な役割を担う大名が努め、中でも久世氏の治世は長く幕末まで続いた。全国歌会の会場の清澄庭園は久世氏の下屋敷だったという。また、この地に縁の俳人大岡頌司と彼の作品三句を紹介された。
柏を発って一時間余り、開けた田園風景の中に白いお城が目に飛び込んできた。目的地の千葉県立関宿城博物館である。利根川と江戸川に挟まれたスーパー堤防の上に建つお城はかつての関宿城を模した天守閣を再現している。利根川流域における洪水・治水、利根川東遷の歴史、河川交通と舟運、そこに育まれた産業や文化などをテーマとした展示が充実している。
出迎えてくれた学芸員から立体地図を見ながら概略をお聞きして館内を各自見て回った。
最上階の展望室からは筑波山がくっきりと姿を見せ、足元には利根川が豊かに水を湛えて流れていた。四方に遮るものも無く遠く日光連山や日本アルプスが一望された。条件が良ければ富士山を望むこともできる。
昼食は城下にある「けやき茶屋」で鰻丼を食した。何故かこの会の昼食は鰻が定番である。驚いたことにこの店の主の先祖は久世の殿様入城の際付き従って共にこの地に来たという。壁に貼ってあるセピア色をした古い写真を指しながら城下の変遷を語ってくれた。このような交流が何ともうれしい。久世家の家臣の長男として生まれ、この地に育ちこの地に眠る鈴木貫太郎(第二次世界大戦の終結時の総理大臣)を今でも閣下と呼び心酔しきりの様子である。
食後は関宿城本丸跡と関宿水閘門を訪ねた。江戸川の土手や旧河川敷は日差しの中ではあったが、水門を流れる水音と心地よい風が爽やかで気持ちの良い散策となった。
帰りのバスの中では各々三十一文字を練り上げていたに違いない。新アララギ誌上にてご覧あれ。
宮本通代
という雁部先生のお言葉で早くから行く先の候補は出ていた。ただどの様なルートで、移動手段は何を使って行くかが大きな課題だった。というのも関宿は千葉県の最北端茨城埼玉との県境で、鉄道その他の公共交通機関が無く最寄駅からバス利用三十分下車徒歩十五分という立地である。そこでマイクロバス利用ということに落ち着いた。手賀沼アララギ短歌会初のバス利用の吟行会となった。
六月十五日、十時バスは柏駅を出発した。朝から眩しい陽光に溢れ、猛暑が心配されるほどだ。しかしバスの中は快適で緑豊かな車窓を眺めつつ関宿へと走った。車内では雁部先生から関宿についてお話を伺うことができた。江戸時代の関宿城の役割やそれに伴う城主は代々幕府の中でも重要な役割を担う大名が努め、中でも久世氏の治世は長く幕末まで続いた。全国歌会の会場の清澄庭園は久世氏の下屋敷だったという。また、この地に縁の俳人大岡頌司と彼の作品三句を紹介された。
柏を発って一時間余り、開けた田園風景の中に白いお城が目に飛び込んできた。目的地の千葉県立関宿城博物館である。利根川と江戸川に挟まれたスーパー堤防の上に建つお城はかつての関宿城を模した天守閣を再現している。利根川流域における洪水・治水、利根川東遷の歴史、河川交通と舟運、そこに育まれた産業や文化などをテーマとした展示が充実している。
出迎えてくれた学芸員から立体地図を見ながら概略をお聞きして館内を各自見て回った。
最上階の展望室からは筑波山がくっきりと姿を見せ、足元には利根川が豊かに水を湛えて流れていた。四方に遮るものも無く遠く日光連山や日本アルプスが一望された。条件が良ければ富士山を望むこともできる。
昼食は城下にある「けやき茶屋」で鰻丼を食した。何故かこの会の昼食は鰻が定番である。驚いたことにこの店の主の先祖は久世の殿様入城の際付き従って共にこの地に来たという。壁に貼ってあるセピア色をした古い写真を指しながら城下の変遷を語ってくれた。このような交流が何ともうれしい。久世家の家臣の長男として生まれ、この地に育ちこの地に眠る鈴木貫太郎(第二次世界大戦の終結時の総理大臣)を今でも閣下と呼び心酔しきりの様子である。
食後は関宿城本丸跡と関宿水閘門を訪ねた。江戸川の土手や旧河川敷は日差しの中ではあったが、水門を流れる水音と心地よい風が爽やかで気持ちの良い散策となった。
帰りのバスの中では各々三十一文字を練り上げていたに違いない。新アララギ誌上にてご覧あれ。
宮本通代
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