
火遊びの我れ一人ゐしは枯野かな 大須賀乙字
ある本の中に興味深い一文がありました。
「水明」の長谷川秋子さんが過去に読売新聞に書かれた
短歌の女性と俳句の女性という一文です。
俳壇の女性も歌壇の女性も一同するという会合に行って
みると、短歌をやられている女性はいつまでも若々しく、
そしてやや妖気が漂っているほどあでやかであり(笑)
そこへいくと俳句の女流は大変質素で、ふだん着のような
お姿で、とくにその違いを垣間見る思いがしました。
なるほど俳句は「ふだん着」の姿勢が基本にあり、
ふだん着をどう着こなすかが肝心で、その辺で
無意識の正直さがでるのだと思う。
それほど承知していませんが、何故か
この一文は興味深く読みました。
男性にも違いはあるのでしょうか?ね。
私の万葉集にある興味といえば韻の美しさを
学びたいと思うことぐらいなのですが・・・
私は複数の結社に所属する人の集まる句会に参加していますが、年齢にかかわらず、情念句を読まれる方はオシャレにも気遣い並々ならぬものがあり、若く見られることに命がけ、、、というふうに見えることがあります。
どちらかといえば情念をテーマにすることが多い短歌人があでやかというのにもうなづけます。
蓼さんにはお会いしたことありませんが
充分、お句にその妖気は充ちていますし、
尚且つ肝心なところに鍵がかかってその
才能は認めていますよ。
かく言うころころは普段着しか持っていません。
子供の頃は「よそいき」という服が有りました
けどね・・・・
どこへ行くのもシーンズです。
歌人を見習わなくてはいけませんね。
ころころさんは男性だから、「ふだん着」の姿勢なんて悠長に仰ってるんです。
>そしてやや妖気が漂っているほどあでやかであり
これからガンバッテも無理ですね。(泪)