(くこのはな)
枸杞飯か垣に女の歌もなく 尾崎紅葉
現俳の投句締切り日、何とか投句したものの
出来は芳しくない。
1000句を越す選句はつらいが、新しい発見もあり
楽しみです。俳句は言いたいのか?伝えたいのか?
そこが肝心なのですが・・・・
(くこのはな)
枸杞飯か垣に女の歌もなく 尾崎紅葉
現俳の投句締切り日、何とか投句したものの
出来は芳しくない。
1000句を越す選句はつらいが、新しい発見もあり
楽しみです。俳句は言いたいのか?伝えたいのか?
そこが肝心なのですが・・・・
趣味の本
あきくさをごつたにつかね供へけり 久保田万太郎
書道は習っていないけど、見ていると癒されます
ひら仮名の造形美、基本は有るけれど書き手の
個性が見られます。
漢字は一字にその意味を持っていますが
ひらがなの一字にはありません
組み合わさって意味となすところが美しさでは
ないでしょうか?
かねてから万太郎は平仮名使いの名手だと思って
いますが、いかがでしょう
俳句におけるひら仮名、カタカナは、視覚、聴覚への
効果を増します
母の文ひらがな多し泥大根
教科書5
「伝統の流れの端に立って 能村登四郎」
ころころの俳句をひと言で言えば「沖」俳句だろう
沖の同人の方から手ほどきを受けて始まった。
登四郎師は馬酔木同人を続けられ「沖」の主宰
「私は敢えて俳句とは抒情の詩だとはっきり言って
おきたい」という師の言葉、この俳論集にも書かれて
いる。自然の中にいかに生かされているのか?
師とは直接の会話は無かったが、子息で現主宰
能村研三さんとは電話でのやりとりは多少あった。
当時私が2~3句欄の時、正木ゆう子さんは新同人
中原道夫さんは2~4句欄でした。
年に一、二度は、私のほうが良い結果の時も有り
情けなくも、その後は引き離される一方のころころで
ありますが、唯一 当時の彼(道夫さん)より上だった
時の俳誌を眺めることが救いです。 (情けない・・・)
教科書4
「俳句 四合目からの出発 阿部筲人」
ひと言で言えば「べからず集」
読み込んで行けば行くほどどんな句も当てはまって
しまうのではと思うほど・・・
「はみ出し俳句」「生ま生ま俳句」「われ俳句」「君俳句」
「ナルシス俳句」「師友俳句」・・・・・など等
本書の目的
俳壇を見渡すと、富士山の頂上十合目には、現代の
代表的な大天狗作家がA数でんと構えています
その下九合目にはB数の中天狗作家がずらりと居並んで
います。八合目には、小天狗が綺羅星のごとく、その下
七合目、六合目の坂道には烏天狗が・・・・中略
三、二、一合目の展望の利かない裾野を歩くのを止め
車を飛ばしいきなり四合目の木端天狗の仲間入りを
しなさいと言う事であります。
ころころは自句の反省(欠点探し)の為に、持って
いるようなもので、作句意欲が損なわれると感じる人も
いるかも知れません。
教科書3
「俳句のこころ 阿波野青畝」
角川書店 昭和50年刊
俳話、俳論集ではとても理解しやすい青畝師の語りと
して書かれている。
IT句会に初参加したG句会の関係であらためて青畝師を
学んでみようと思う最中、神田の古書市で出会った一冊
です。 中でも芭蕉の言葉「この道に古人なし」の師の
言葉として説かれているのは俳句の道を目指す者には
心に強く残る。
*古い人の俳句をまねて作っていけば、伝統俳句が続いて
ゆくかというと、決してそうじゃございません。
古人の求めたるところを求める、つまりそういう人々が求め
ていたもの、どういう方向に何を表現しようとしてたか、何ゆえ
それを詩歌に盛り上げて行ったかを考えてみますと・・・*
・・・中略・・・・
俳句とはむつかしいものだと思われるかも知れませんが
決してむつかしいのではなく、自分の持っているだけの力で
、人まねをしないで絶えず努力してよい句を残してゆくことが
大切ではなかと思います *