9月20日

2007-09-20 06:05:38 | Weblog

   (くこのはな)

 

  枸杞飯か垣に女の歌もなく 尾崎紅葉


 現俳の投句締切り日、何とか投句したものの
出来は芳しくない。
1000句を越す選句はつらいが、新しい発見もあり
楽しみです。俳句は言いたいのか?伝えたいのか?
そこが肝心なのですが・・・・

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9月19日

2007-09-19 00:19:02 | Weblog

    (くさぼたん)


  草ボタン丘の上なる異人墓地

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9月18日

2007-09-17 23:59:29 | Weblog

   趣味の本


  染筆の墨香ひろごる秋扇

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9月17日

2007-09-17 01:05:49 | Weblog

   敬老の日

 

    父ははに違ふ見舞ひす敬老日


  泣き笑ふ父母の破顔や敬老日


 

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9月16日

2007-09-16 07:10:11 | Weblog

     趣味の本   


 あきくさをごつたにつかね供へけり 久保田万太郎

 

書道は習っていないけど、見ていると癒されます
ひら仮名の造形美、基本は有るけれど書き手の
個性が見られます。
漢字は一字にその意味を持っていますが
ひらがなの一字にはありません
組み合わさって意味となすところが美しさでは
ないでしょうか?
かねてから万太郎は平仮名使いの名手だと思って
いますが、いかがでしょう
俳句におけるひら仮名、カタカナは、視覚、聴覚への
効果を増します 


     母の文ひらがな多し泥大根 




 

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9月15日

2007-09-15 05:26:15 | Weblog

     (むらさきしきぶ)


  露はしる紫式部白式部  和田祥子

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9月14日

2007-09-14 00:13:38 | Weblog

     実石榴 


入谷鬼子母神の入り口の一本です。
実のすぐ下におみくじが結んでありました。
(昨年  撮影)


     実石榴へ成就の御籤かた結び

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9月13日

2007-09-13 18:57:42 | Weblog

    教科書5


 「伝統の流れの端に立って 能村登四郎」


ころころの俳句をひと言で言えば「沖」俳句だろう
沖の同人の方から手ほどきを受けて始まった。
登四郎師は馬酔木同人を続けられ「沖」の主宰



「私は敢えて俳句とは抒情の詩だとはっきり言って
おきたい」という師の言葉、この俳論集にも書かれて
いる。自然の中にいかに生かされているのか?
師とは直接の会話は無かったが、子息で現主宰
能村研三さんとは電話でのやりとりは多少あった。
当時私が2~3句欄の時、正木ゆう子さんは新同人
中原道夫さんは2~4句欄でした。
年に一、二度は、私のほうが良い結果の時も有り
情けなくも、その後は引き離される一方のころころで
ありますが、唯一 当時の彼(道夫さん)より上だった
時の俳誌を眺めることが救いです。 (情けない・・・)

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9月12日

2007-09-12 06:03:39 | Weblog

     教科書4


 「俳句 四合目からの出発 阿部筲人」


ひと言で言えば「べからず集」
読み込んで行けば行くほどどんな句も当てはまって
しまうのではと思うほど・・・
「はみ出し俳句」「生ま生ま俳句」「われ俳句」「君俳句」
「ナルシス俳句」「師友俳句」・・・・・など等


本書の目的
俳壇を見渡すと、富士山の頂上十合目には、現代の
代表的な大天狗作家がA数でんと構えています
その下九合目にはB数の中天狗作家がずらりと居並んで
います。八合目には、小天狗が綺羅星のごとく、その下
七合目、六合目の坂道には烏天狗が・・・・中略
三、二、一合目の展望の利かない裾野を歩くのを止め
車を飛ばしいきなり四合目の木端天狗の仲間入りを
しなさいと言う事であります。


 ころころは自句の反省(欠点探し)の為に、持って
いるようなもので、作句意欲が損なわれると感じる人も
いるかも知れません。

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9月11日

2007-09-11 00:04:49 | Weblog

     教科書3


  「俳句のこころ  阿波野青畝」


   角川書店 昭和50年刊


俳話、俳論集ではとても理解しやすい青畝師の語りと
して書かれている。
IT句会に初参加したG句会の関係であらためて青畝師を
学んでみようと思う最中、神田の古書市で出会った一冊
です。 中でも芭蕉の言葉「この道に古人なし」の師の
言葉として説かれているのは俳句の道を目指す者には
心に強く残る。


*古い人の俳句をまねて作っていけば、伝統俳句が続いて
ゆくかというと、決してそうじゃございません。
古人の求めたるところを求める、つまりそういう人々が求め
ていたもの、どういう方向に何を表現しようとしてたか、何ゆえ
それを詩歌に盛り上げて行ったかを考えてみますと・・・*
  ・・・中略・・・・
俳句とはむつかしいものだと思われるかも知れませんが
決してむつかしいのではなく、自分の持っているだけの力で
、人まねをしないで絶えず努力してよい句を残してゆくことが
大切ではなかと思います *

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