古着という商売がなかなか難しくなったようだ
かの大手も売上が落ちているらしい
というのは古着を買っても自分の寸法に合わせて仕立てかえるのに時間とお金がかかりすぎるということ
それにくりまわしができる人がぐんと減った
更に縫いかえを嫌がる仕立て職人も増えた
また匂いや汚れが気になる人も多くあまりにも値段が乱暴だ(安すぎるということ、絹の着物一式1000円という表示もある)
古着を買い取る業者はタンス一棹2000円と聞いたことがある
昔大手チェーン店の社長を取材したとき
敗戦後農家に渡った(一般の人は着物とお米の物々交換をしていた)着物も農家では着るチャンスがなくそれを買い取り闇市できものを売ると買ってきた金額の10倍で売れたそうで、その商いで一代を築いたと語ってくれたことがある
明治時代の近代化は蚕が担い、敗戦後の経済復興は絹の着物が主役を務めていたときもある
当時の女性は着物を縫うこともできるし、洋服も縫える
闇市で購入した着物を洋服に仕立てかえそれを売りフアッションデザイナーとして世界で名を遂げた人もいる
古着は衣の世界を変えていった
もともと古着屋は盗賊の親分富澤が日本橋で古着商を開いたのが始まりと言われている
今でも町名で残っている日本橋富沢町(ちょっと前までは繊維問屋がひしめいていた)
其処に盗賊の親分が子分たちに気質(かたぎ)の商売をさせようと思い手っ取り早い古着商を始めたのだ
江戸時代はこの古着商売は大人気で着物を扱う店の90%が古着屋であったという
当時の日本ではほとんどの女性はお針ができるので
自分で好きに仕立てかえていた
なんたって洗い張りも自分でできる
古着を買ってきて自分で解き洗い仕立てる
しかし礼装は新しい反物を購入しプロに仕立ててもらうというメリハリのある衣生活
染職人も新人は染め替えから始め師匠の腕を学びその後一人前の染師になっていく
そうやって育つので基本がしっかりしていて
自らもアイデイアを出せる染職人になる
織は本来売り物にならない玉繭の糸や汚れた繭の糸を丁寧に扱って糸を造り手で織ったものを紬の着物として着ていたのでこれは明らかに自家製
織の上手な人がプロになっていく
当時のプロの織は大島紬や結城紬、小千谷ちぢみ、十日町紬などその土地で作り上げた織物が多い
織りの着物は裏表が同じなので汚れたりやけたりすれば裏返して着る
これで一枚の着物も50年は着られる
更に着続けようと思ったら色替えという手法もあるそれは悉皆屋さんでもできた
古着というのはこうして手かえ品変えその着物が誕生して100年もの命をつなげていく
ゴミ袋の中に捨てられている着物を見るたび
動力機にたより大量生産に踊らされた結果が今あると思う
和洋ともに針を持つ生活の再現が望まれる
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