チャコちゃん先生のつれづれ日記

きものエッセイスト 中谷比佐子の私的日記

着物がつなぐもの 159

2019年05月23日 16時02分13秒 | 日記
着物を着たときは髪はアップにする いや髪を結い上げる そして襟足の美しさを強調する(美しければということだが)
着物を着るには「拵える」という言葉があった
普段の自分から別の人になるということだ
どんな自分になるのか一人ひとりがイメージする
「〇〇ちゃんはひどくこしらえてでかけたよ」という言葉を使っていた
花街でも「さあこしらえようか」と芸者さんを促す言葉を聞いたこともある

普段家できる着物とは違う外での着物の着方があった
今私達はそれを忘れているように思う
いいとか悪いではなく普段と違う拵えた着方というのがあってもいいと思う

あるとき
素顔を一生通すという友人がいてパーテーに一緒した
友人は本場結城紬の訪問着を着ていて帯は唐織の見事なものを合わせていた
会場に入る手前で品の良い老婦人が私達の前に静かに立ちはだかり
「よろしいかしらちょっとお友達拝借するわね」と友人を連れ去った
何が起きるのかと思っていたらその友人は見るからに華やかで品の良い若奥様として私の前に現れ嬉しそうにニコニコ笑っている
件の婦人私にニッコリと一礼してご自分の席に向かっていった

「きれいよ」
「あのね”素顔も好きだけどこんな素敵なお着物をお召だから着物の気持ちを察して差し上げてね”ってバックから口紅を取り出してつくてくださったのよ、びっくりしたけど着物の気持ちというフレーズに何故か納得した自分がいたの」

小さなつげ櫛で髪を整えて軽く眉毛も描いていただいたという
たったそれだけで友人の立ち居振る舞いに自信がつき華やかになっていた

「もし私が同じことをあなたに言ったら同調してくれた?」
「うんもちろんよ、私比佐子さん信頼しているから」

そうなんだ!
私も気になっていて「口紅くらいはつけたほうがいいわよ」と言いたいところを我慢していた
もし拒否されたらキマづくなると思って一歩踏み出す勇気がなかったのだ
「着物の気持ちを察してね」という言葉はやはり人生経験を積んでいいないと出てこない
友人も私も30代の頃の話

今だったらどうだろう相手を傷つけず美しくして差し上げることは難しい
それは言葉だ
美辞麗句ではなく本当に着物を愛し着る人を心から美しくしたいと思えばきっと言えるだろう。日本の言葉にはそう美しい言葉に神力があるそれを信じればよいのだ

チャコちゃん先生髪の毛を染めないことにした
そうすると手抜きは許されない着物は黒髪が好きなんだなと思う
でももう黒くしないのだから着物が喜ぶ方法を探る旅にこれから出る

新たな気持で着物との関わりが始まりそれはそれでまた楽しい
失敗もあり「うんよし」と云う日もある
拵えなかったら母の普段の顔になりそれもまた思い出を蘇らせてくれる

#拵える #本場結城紬 #お化粧 #黒髪 #中谷比佐子 #チャコちゃん先生


コメント
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