チャコちゃん先生のつれづれ日記

きものエッセイスト 中谷比佐子の私的日記

着物が繋ぐもの 154

2019年05月14日 09時35分34秒 | 日記
三社祭が近い
浅草の観音様は観光客で連日大賑わいひっそりと隣の敷地に神社がある
明治6年に浅草神社と名付けられたが歴史は平安後期にまで(または鎌倉初期まで)遡る
観音様は推古天皇の時代に建立されているのでもっと古い

三社の神紋が江戸解模様に使われている
三社は二人の漁師と一人の賢者が祀られているので三者つまり三社

さて事の起こりは
チャコちゃん先生今はなき熊谷好博子さんの「江戸解模様の柄」に魅せられその原点を探りたくなったのだ
そこで行き着いたのが三社つまり浅草神社
浅草神社の神紋は三本の魚網が文様化されている

このいわれは推古天皇の時代にまでさかのぼる
628年3月18日(この日付こうもはっきり言われているのがどうしてなのか知らない)
この日二人の兄弟漁師がいつものように浅草浦(現代の隅田川)で漁をしていたが一向に網に魚はかからない
日暮れまで頑張っても網にかかったのは木彫りの人形
その人形を水に流すのだがまた網にかかってくる
何回も同じことが起きてついに仕方がないので持ち帰った
近くに住む郷土史家の賢者に見せると「聖観音菩薩ではないか」と尊像としてまつり 
また賢者も剃髪して仏門に入り浅草寺にその聖観音菩薩様を安置、観音信仰が都に広まった

時代が下がってまた三人を郷土の神様として三社明神社が観音様に隣に建立
明治6年に浅草神社として浅草の郭の鎮守様ともなった

江戸解模様は水辺の様子芦や松そして魚網を三本立てて飛ぶ千鳥を描いたもの
地色は藍
郭の引き着から大奥の女たちも着るようになり江戸解模様は人気になったようだ

熊谷好博子さんはこの江戸解模様を更に精密な友禅染を完成させた方だと思う

50年前三社祭の衣裳ということで取材をしたとき
氏子総代がこの江戸解模様の絽の着物を生きに着ていたのが今でも印象に残っている
氏子の役員さんたちも着物やハッピでこの柄をサラリと着ていた
地色は藍グレイでなかなかいい色目

現代のように人人人ではなくちゃんと地元民による敬虔な祭りだったのだと思う

またどうして「江戸解模様」というのかとその時長老に聞いたら
「江戸下がりのご女中たちが城で着ていた浅草風景模様を古着屋に売り、古着屋はそれを解いて売ったからじゃない?」
ほんとか嘘かわからないがこの話を好博子さんに話したら「ありうるね」とおっしゃっていた
好博子さんも赤坂芸者の引き着をよく染めたので芸者をやめた人はやはり古着屋さんに売っていたらしいからと

三社祭が始まるとお江戸は浴衣を着始めると昭和の長老は教えてくれた

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コメント
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