チャコちゃん先生のつれづれ日記

きものエッセイスト 中谷比佐子の私的日記

種が大事

2011年06月18日 09時57分18秒 | 日記
日本に息づいた種を大事にすることが
国を生き続かせることになるということがよく分かった
皇居の勤労奉仕ではあった

この作業に誘っていただいた友人には心から感謝
友人の名はみゆさん
オーラソーマのテイチャー仲間だけど
日本の文化についてよく話し合っていた
彼女の家を風水鑑定したことが仲良くなるきっかけ

チャコちゃん先生が主催している
風水セミナーやイブキのセミナーにも出席いただき
彼女がきものを着ることがあると
必ずきものと帯小物のコウデイネートを聞いてくる

「比佐子さんに日本文化の種をまいていただいたから」
という言葉も嬉しい
「今度は私が橋渡しの番です」
と今回誘ってくれたのだ

毎日15000歩を歩きながら
また雑草を引っこ抜きながら
私達が守らなければいけない日本の文化を話し合った

それは
肩肘張ったものではなく
権力の誇示でもなく
ただ静かに日本にあるものを育てて次の世代に残していく
しかも慌てずーー

慌てて動いては見残すこともいっぱいできる
雑草を刈るとき
「早く早く」と動く人は肝心な根を引き抜けないで居る
ゆっくりと腰を落ち着けて雑草をとっている人は
根からしっかり引き抜かれ
その人の作業はあとが美しい

皇居は吟味された種が植えられていて
成長の度合いが生き生きとしている
その種は全て日本の古来種である

日本を守ろうとしている人がいる一方
日本を売り渡す人たちも多い

ところで売り渡してどうするのだろうか
買った人は全ての日本の文化をないがしろにして自分の文化に染めるのか
植民地というのはそういうものであろう

日本がかろうじて植民地政策から逃れたのは
昭和天皇が種を大事にしたからであろう
昭和天皇は防空壕とも呼べる大宮御所で戦後18年間生活をなさっている

ご自分の命より日本の種を残したかったからだ

しかしいまは
日本の種よりアメリカの種を尊ぶ人たちがあまりにも多い

雑草を抜き去った芝生に大の字に寝転がり
雲の動きを眺めながらチャコちゃん先生は
日本を自分の国に選んだことを心から誇りに思った

偶然に日本人になったのではなく
チャコちゃん先生自ら進んで日本を選んだことを確信した
だからこそ日本の種を大事にしたい

ところでね
毎年オクラの種をまくのだけど
今年は遅れて外国の種しか手に入らなかったの
土に合わなくて1ヶ月たってやっと芽が出た
しかも8っポンだよーーー
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御会釈

2011年06月17日 18時48分41秒 | 日記
4日間の皇居勤労奉仕が終わった
友人の万歩計によると毎日15000歩以上を歩いたようである
最後の今日は雨
作業は無く雨の中を傘さして江戸城を偲ぶ散歩
大奥、中奥、表、そしてあの有名な松の廊下跡など見て歩く

大奥あとには石室が残っていて
火事の多かった時代はこの石室に女達は金銀財宝を入れたらしい
大奥の後の土地の気はどんな波動なのかと静かにその地に立ってみる

何もかも洗い流されたような風が吹き渡っていた

この本丸のあとにも天皇陛下のご発案で
「昔絵本で見た桃太郎の桃は頭がとがっていたのにどうして今の桃は丸いのか」
と日本本来の果樹園を作り始めたのだそうだ
柿、梨、みかん、リンゴなど交配をしない原種の種を植えて育て始めた
まだ植えて3年なので実を見るのは先のこと
一般の人が入れるので楽しみだ

「日本の本来の姿」
というのを両陛下はとても重要に思っていらっしゃる
蚕も日本古来種の「小石丸」を飼育し
稲もうるちも古来の種を植えて育てていらっしゃる

この40万坪の中では
日本は確実に守り育てられているが
それだけでいいのだろうか

最後に勤労奉仕者をねぎらうために
私達の前に天皇皇后両陛下がおたちになってねぎらいのお言葉を下さる

チャコちゃん先生たちは定められた部屋でいらっしゃるのを待つ
御所からゆっくり車でお出ましだが
そのときその車を認めたチャコちゃん先生
その車に目をやると
天皇様は車の窓からこちらの様子を眺めていらっしゃるし
皇后陛下は身を乗り出すようにして
「皆さん待っていらっしゃるわ」
という姿勢で微笑みながら車に乗っていらした

感動した
すーと通り過ぎても当たり前なのに
「お会いするのが待ちどうしい」
という情感が全身に満ち溢れていた
部屋で待っている人たちは誰も気付いていないのにーー

お二人がゆったりとお部屋におは入りになったとき
何も無い、透明人間のようなのに温かくやさしい愛の塊りに
ふあーと包み込まれているような感覚になった
ヨシダはもうこの瞬間から泣きっぱなし

胸がいっぱいになる
「ありがたい」
多くの人がこみ上げてくるものを遠慮せず流している

国民のためだけを世界の平和だけを祈り続ける光そのもののようなお方に
お会いした悦び

「魂を磨く」意味の分かった勤労奉仕であった
誘ってくれた友人に感謝
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徴のわけ

2011年06月15日 18時16分51秒 | 日記
判りましたよプチ捻挫
草を取りながら友人と「M妃」の噂話していたんですよ
・覚悟が無いね
・腹が据わっていない
・日本をもっと愛して欲しい
などなど
まるきし井戸端会議

コレに我がウーチャンがバシッとチャコちゃん先生に
鉄拳を振るった

朝東京駅から皇居に向う途中に気がついた

というわけで今日は全く噂話はしないで過した
基本的に陰口、悪口、噂話は不得意
其れなのにこと「公」の人のこととなると
舌鋒鋭くなるしかも止まらない

コレもやめるべきことなのだと判った
どんな些細なことでも曲がったことには必ず徴が現れる
ありがたいことだ
こうやってチャコちゃん先生の不足な部分が手直しできてくる

今日は勤労奉仕二日目
「桑畑の整理をしたい」と思っていたら
なんと今日は一日桑畑で作業

皇后陛下はことのほか養蚕に熱心で
毎年春蚕を飼育していらっしゃる
丁度春蚕が繭を作ったので桑は剪定されて次を待つ

剪定された桑の木の下にはしたたかな雑草が蔓延っていた
私達はその雑草を抜き
更に落ちて枯れた桑の葉を整理する

新しい苗もあり
其処では下のほうの葉っぱをはさみで切り取る

来年もこの樹に桑の葉が広がる
「小石丸」クンのためによろしくといいながら雑草を抜く

「たしか天蚕も飼っていらっしゃいますよね」
天蚕は天敵から保護されて広い温室でゆったり育てられていた
クヌギの樹の葉っぱは見事に齧られている
よくよく見ると直径2センチほど長さ8センチくらい
「もうすぐ造繭が始まります」

天蚕は10キロほどの糸が取れるという
桑畑の傍に天皇陛下が手植えなさった稲田がある100キロの生産
ここで取れるお米は宮中の祭祀用に使っている
他にもあわやうるちなど五穀も地産地消だ

この東京の真ん中わずかな場所で
本当の日本が脈々と息づいている
Ⅰ年のうち100日以上はこの皇居の中で祭祀が行われている
まさしく日本は祈りの国なのだと思う

更に宮中行事でよく見る盆栽
これも皇居内で育てていた驚いた
600年前の盆栽
三代将軍徳川家光が愛した「三代将軍」の五葉松は見事
300年この地で何を見続けてきたのかーー

平安時代から続いている祭祀を
昔どおりに何一つ変えず
お供え物の数々もこの地で生産し

ひたすら祈り続ける天皇陛下
其れを手助けするお傍の人たちに感謝をささげる皇后陛下

この日本が更に素晴らしく思えた皇居勤労奉仕ではある
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皇居勤労奉仕

2011年06月14日 19時05分06秒 | 日記
第一日目
まさか自分が皇居の清掃奉仕をするなんて全く思ってもいなかった
友人の誘いで
「面白そう」と手を上げた
この日のために薩摩絣で作務衣もデザインした
面白いこと、珍しいことにすぐ飛びつくチャコちゃん先生

作務衣の上着は暑いので
なんと10年前に購入していたアルマーニーの麻のジャケットを合わせた
コレがなんと自慢したくなるくらいさまになっている
「日本のモンペにアルマーニーか」
とニヤニヤしながら早朝の皇居に赴く

建物の説明を受けながら枯葉を取り除いたり
雑草を引き抜いたり
芝生の上にピョンと首を出したきのこが可愛い

二重橋は昔この橋を作るとき下に一つ作ってそのうえに作ったので二重につくった
と言うことで正式名は「鉄橋」というのだそうな
「もし二重橋という名をなくしたら困るのは島倉千代子」
と作業指導のお兄さんに言われても
わかる人はおじさんとおばさんだけ

歌会などを行う豊明殿には
両端に瑞鳥がきりりと優雅に聳えていて
とても静寂な気分になった
白石を敷き詰めた庭には紅白の梅
なんとも清らかな風情だ

江戸城跡の石垣も美しい
桔梗門を通り過ぎるとき江戸の風を感じた

草や枯葉を取り去った芝生に寝転ろがって
楠の葉越しに空を見上げる
ゆっくりと雲が動く

きらびやかな会が開かれる場所であっても
其処に漂っているのは清清しい空気だ
日本の原点を呼吸した感じがした

飾ることなく自然を大事に
その自然に助けられていることに感謝している人たちが
この空間で呼吸している

この皇居勤労奉仕は終戦後の昭和20年から始まった
「人間天皇」となってから
皇室と国民との親しき場所としてはじめたのだという
皇室が日本人の宝であり
その宝を多くの人とともに美しくしていこうということでもあろうか
いままで171万人が奉仕

そこに売店もある
早速菊のご紋章がさり気なく押されている
緑の札入れを留守番のタナカトセキドに持ち帰る
「美しいお金の使い方をしなければね」
と押し頂いてくれた

奉仕資格者は4日間健康でいられる人
15歳から75歳まで
ただし15名以上の団体

心洗われる場所であった

チャコちゃん先生溝に入ってプチ捻挫をしてしまった
コレも何かの徴
ハテなんだろう
あす草を抜きながら考えよう
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徴 サイン

2011年06月13日 11時16分33秒 | 日記
これからは「徴」ーしるしーに注意していくことが必要だと思う
暦を研究している知人が
「マヤ歴では3月10日に最後の第9の部屋に入るので宇宙規模の大変換が起きる」
「怖がらせないでくださいよ」
「いやそういう意味ではなくいい方向に行くための整理なんですよ」
「ふーーん」
と聞いていたが3月11日にあの地震

「あっ」と身構えた
本腰いれてコレからを生きなければいけないと思った
日本にこういう世界を揺さぶる出来事が起きたということを
更にノアの箱舟のように
船が山に登っている映像もあった
まさしく整理整頓の時代なのだーーと

太陽系の中の地球、その中の日本、その中の東北
1人の人間の中に起きた病魔と同じこと
この病魔があるからこそ体全体のことを真剣に考えなければいけない
人間だけの問題ではなく太陽系にも影響を及ぼすほどの出来事

この徴はもうずいぶん前から現れていた
大量に魚が死んだり
猛毒の虫達が大暴れしたり
とんでもない植物が育ってきたり

今考えると自然は必死になって変革を暗示していたのだと思う

大きく社会的に考えることも必要だが
基本は小さく
私たちに現れる徴に気をつけたい

先日来からチャコちゃん先生小さなものを落としたり
持っているコップを無意識に落としたり
帯紐が切れたりなどなど
これらを徴として注意深く観て
心配ることに集中すると
次なる不幸が最小限になっていることに気がつく

自然とともに共生できている人は
徴を無意識に活用しているように思う
農業や漁業、林業を生業としている人たちは学者よりも哲学者だ

チャコちゃん先生がきものの仕事に深く関わってしまうのは
養蚕をしている人
草木を染材に使う人
手織りをしている人
着物や帯をを縫う人洗う人
みんな自然からの徴の中に生きていて
それぞれの生き方に哲学を持っているところに惹かれてしまう

チャコちゃん先生自身手仕事で何も出来ない
しかし手仕事に携わる人たちの命をつないでいくことだけはやっていきたい

徴は常に本を指し示してくれる
何故なら徴は神が与えてくれるから
まさしく神からのサインだと信じることが出来る

徴を注意する毎日でありたい

変革の後は手仕事の時代が来る
さあ

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チャドクガ

2011年06月12日 17時14分43秒 | 日記
ついに大成功!
雨の後必ずEM液を希釈して椿と山茶花の葉っぱに霧吹きしていたら
今年はついに「参った!」とばかり茶毒蛾が来ない
よかった!

ついでにバラにも虫が発生せず黒点病も少ない
この調子この調子

EM液を作って農業している方は福島にも何人もいらっしゃる
放射能物質汚染を受けてもEMで肥えた土には余り被害はないという
しかし
「福島の野菜」というだけで出荷が禁止されると嘆いていらっしゃる

これからシーズンになる
サクランボウ、桃、梨もEM果樹園のものは全く心配ない

このことは
EM生みの親比嘉照夫先生が廣島、長崎やチェルノブイリのベラルーシーで
EMが放射能被曝を和らげるという成果を挙げている
今回の東日本大震災の災害地全てにEMボランテイアの皆さんが出動して
EM効果を実践して被災者に喜ばれている

個人が自己責任において
自分で食べる野菜や魚のあまりをEM液を作っていたが
これからは国上げてこのEMつくりを実行したほうがいいように思う

自然循環を無理なく進めるこのEMはこれからの地球に欠かせないものになるだろう
比嘉先生の一番初めの御本「EMが地球を救う」というタイトルが
まさしくこの時代に光を放ってきたよう

ところで
野菜をEMで作っている千葉の須藤さん
「地震の前にとったのがこのEM液」
と黒ずんだEM液のボトルを見せる
「こちらが地震の後」
みるとゴールドに輝き透明感がある
「どうしてこんなに色が違ったのだろうか」
「きっと磁場の関係かもしれないわねえ」

EM液の中には善玉菌が住んでいるので
きっと精一杯のメッセージを人間に発していたのでしょうか

しかし
この地球上に存在している生き物は神に許されているとすると
茶毒蛾も何かのお役目があるのだろうかと
考えてしまう

茶毒蛾の食料をチャコちゃん先生は奪ったことになるのかな?

きっと違う
本来茶毒蛾の住居範囲というのがあって
きっと人間がその自然を破壊してしまったのだろう

みんな居るべきところへ
あるべきところへという暮らし方に戻る必要があるのかもしれない


それにしても植物が元気が一番
この姿には癒される



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國家は錦織

2011年06月11日 10時42分32秒 | 日記
聖徳太子の言葉の中に
「政治は経糸 緯糸は臣民」というくだりが或る
また古文の「ほつまつたゑ」機の法にも同じようなことが書かれている
チャコちゃん先生このこところが凄く好き

聖徳太子はいなかったとかとかとか歴史学者が研究発表をしているが
こういう言葉が残っている方に意味があると思う

織物を知っている人は
経糸を作るのに技術を要することを理解している
織りは誰でも出来ると思っている向きもあるが
とんでもない経糸を整経するのは長年の経験が必要で
緯糸は誰でも通せる

経糸はぴんと張りすぎてもいい織物は出来ない
或る程度のゆるみが必要
昔計算尺というのがあった
計算機は絶対に結果を間違わないしきちんとし分けてしまう
しかし計算尺は少々の誤差が許される

先日NHKのインタヴュー番組で樋口可南子さんが
中学生のとき計算尺の大会で優勝したとおっしゃっていて
「どうして計算尺がお好きだったんですか」
「誤差が許されるそこが面白かったんです」
と話していた

チャコちゃん先生学生のころボーイフレンドがラリーに凝っていて
助手席で計算尺を操っていたことがある
誤差をどう解釈するかで勝敗が決まったりして面白かった

樋口さんもきもの大好き人間だが
お話を聞いていてこの「誤差」「ゆるみ」のようなこのに惹かれる人が
きものに興味を持つのかもしれないと思ったりした

さて
経糸にゆるみの或る織りは結城紬であり越後上布だ
ともにユネスコ無形文化遺産に登録された
これも何かの符牒か?

ゆるみがあるということは
糸をぴーーーんと張ったままではなく
織るときはピンと糸を張らすが、人が休んでいるときは糸も休むという構図

つまり緯糸の入るときは経糸がきちんと方向性を示し
緯糸が休んで居るときは
経糸は緯糸がいつ入ってきてもいいように英気を養っているのだ

経糸は色を余り使わず単色が基本
横糸はありとあらゆる色を入れたりまた素材を変えてみたりと自由気まま
そして美しい織物が織りあがる
コレは経糸が常に本気で居るからだ
自分の道をはっきり知っているからだ

今の日本はこのままだと織物は織りあがらない
あまりにも経糸が弱すぎるし勝って気まましかもよれている

経糸だけでも緯糸だけでも織物は完成しない ああーー
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映画・コスモスーー2

2011年06月10日 09時53分09秒 | 日記
1950年代の映画を観賞して
その時代の生活や立ち居振る舞い
着物の着方や室内のしつらえなどを学ぼうと
映画コスモスを始めた

この18日の土曜日は第二回目
1回目は小津安二郎監督の「東京物語」
日本人の当時の日常を知る定番だと思う

2回めはどうしよう
「麥秋」はどうか頃も麥秋の時期だし
「麥秋って秋ではないのですか?」
誰とはいわないがーーー
「麥が色づいて刈入れをするのだから麥の秋」
「へーーえ」
「俳句の季語にもあるわ」

AkB-48などの情報を知っている方が豪いらしい
このレコードを2000万円も出して購入する人がいると聞く

仕事場が流され壊され
しかし自宅は無事だったという東北の罹災者
今全国から集まった義捐金は
住む家のない人に優先的に配っている
仕事場の無くなった人は後回しという
どうやって生活するのか

このような方は大勢いらっしゃるので何とかお金を集めて
直接にもって行って手渡そうよ
と友人達で話し合い伝手を頼ったら
「いらんことをしなくて良い、お金は預かる」
違うだろう

いまは日本語とか日本人の心なんて知らないことは恥ずかしいことではなく
知っていることが恥ずかしい時代になっている

戦後の國語教育がいかに意識的に日本の國語を賤しめて来たかがわかる
映画コスモスは、國語に対しての認識や人との助け合いの心も
教えてもらえる

國語國語といっても
チャコちゃん先生もいい加減では或る
だから一緒に学ぶ

一旦「麥秋」を観たところ
東京物語の出演者とダブルところがあり
急遽違う映画にすることにした

「夜の河」とか「流れる」「めし」が候補に上っている
「夜の河」は山本富士子と上原謙で澤野久雄さん原作

京染めの染色デザイナーとしてのモデルが存在すると言う噂があり
澤野先生にお会いして聞いたところ
今は「きもの評論家」として活躍中の方を中心に
何人かの京染めの人たちをモデルにしたとおっしゃった

30年位前かコレをテレヴィで制作
生田悦子さんと木村功さんでチャコちゃん先生衣装を担当した
仕事場に故山崎青樹さんの夜叉染めの縞を着ていったら
「いい着物だねえ」
と褒めていただき嬉しかった

そのご奥様の木村梢さんにそのときの気持ちを話したら
「中谷比佐子さんていう人きもののセンスがいいんだよ」
と噂してくれていたらしい

キャハ!
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ボランテイア

2011年06月09日 11時36分11秒 | 日記
「長谷川さんどうしてあなたここまでやってくださるの?」
「日本が好きだからですよ」
「でもあなた全く部外者なのに」
「着物が好きだからですかね」

あれから3年になる平成21年にチャコちゃん先生は
大日本蚕糸会の仕事で
「日本の絹を守っていく首長さんたち」
の取材をし東京會舘でトークショウを行った

そのとききものに一方ならぬ興味をしめしていた長谷川君に声をかけた
彼はチャコちゃん先生がコウデイネートをした結城紬を初降ろしして
はせ参じてくれた

そこで養蚕農家を抱える市長さんたちの話を聞き
また秋櫻舎が主催する産地訪問も重ねて
「養蚕農家を元気付けるために何か行動を起こしたい」

今はまだ途中なので詳しいことはここで書けないが
あらゆる職種のひと階級の人昔の貴族などなど
時間があるとそういう人たちとの折衝を重ね
ダンダンと形にしてきた

彼の本業は映画人、特殊撮影を担当するメデイアプロジューサーだ
一本の映画に入ってしまうと本当に自由な時間は取れない
その貴重な時間をひたすら「養蚕」関係に使っている

昨日も
「暫く京都生活に入りますので今までのことをまとめておきたい」
と打ち合わせ
「尊敬以外ないわ本当に頭が下がります」
「養蚕はみんなの財産ですからーー」
とさらりとおっしゃるが
細かいことだが話をまとめて歩く事も手弁当

「これぞお国に対してのボランテイアね」
「誰かが行動を起こさないと本当になくなってしまいますからね、養蚕は」
チャコちゃん先生
ただただ頭をたれるのみ

「チャコちゃん先生の仕事そのものが基本的にボランテイアですものね」
「アアそうかしらね」

ボランテイアというものについて改めて考える
新聞記事で読んだが
俳優の杉良太郎さんが
「芸能に対して悩んだことは余りないけどボランテイをすることで傷つくことが多かった」
それは「売名」といわれるかららしいが

みんな誰でも「何かのお役に立ちたい」
と思うのが人間の心情なのだと思う
目立つやり方ではなく静かに誰がやったかわからないが
いつの間にか整っていた
というのが日本人の考えるボランテイア活動なのかもしれない
杉良太郎さんもそありたいのだろう

長谷川君は其処を目指しているのかなあ
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技術の伝承

2011年06月08日 11時21分19秒 | 日記
ここのところきもの業界は後継者の不足におびえている
きものに限らず
日本の手仕事の後継者は何処も同じだ

輪島や唐津に取材に行っても
最後の質問は必ずこの技術の存続の危機を訴えられる

我が秋櫻舎の関係者である
帯仕立ての加藤さん
悉皆屋の高橋さん
あとを継ぐ人はいない

お二人とも70歳を超えているので
「どうするんですか?」
「終わりだね」
とサッパリといわれると
「そうなんだ」と変に納得してしまう

帯の仕立ては相性がある
名古屋帯など特にプカプカ布に袋が出来たらお終い
袋帯はまあまあ合格点をあげられても
名古屋帯はなかなかーーー
40年以上きものを着てきて
帯の仕立て職人に中々めぐりあえなかった

普通の人に仕立ててもらうと帯姿がピシッと来ない
そういう不満をだれかれかまわず訴えていたら
「加藤さん」を紹介していただいた
苗字がチャコちゃん先生の旧姓であることも気に入って
もう20年のお付き合い

「この人ミシンで仕立てているの?」
「なぜ?」
「あまりにも糸目が小さくて揃っているから」
「其れが名人芸よ」

帯の命は締め易さはもちろんだが
後ろに収まったときどれだけその人の体に添っているかだ

加藤さんは締める人の体型を知っているわけはないのに
帯がその人の後姿をその人らしく見せてしまう

帯の仕立てをお願いするとき
締める人の寸法をお知らせすることもある
細い人は手先をちゃんと加減して締め易くしてくださるし
胴回りに肉のある人は幅を微妙に広げたり
長さをちゃんと計算してくれる

帯を結ぶ時間がトウゼン短縮されていく
無駄な布の遊びがないからダガーー

擦り切れたけど気にいっている帯は
まだ使えるように知恵を出してくれる

今月の「つれづれ」フリーペーパーは
ヨシダが加藤さんを取材してその感激を書いてくれる

高橋さんも
「絹なんてあんまり洗わないほうがいいよ、自ら綺麗にする能力持ってるからね」
絹の能力をしっかりと信じている人たちが少なくなっていくことが哀しい

こういう土台をしっかりと生きている人たちが多くなる社会にしたい

「きもので日本の国づくり」
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