あしたはきっといい日

楽しかったこと、気になったことをつれづれに書いていきます。

語り継ぐ

2010-02-07 22:18:36 | 立ち止まる
三番瀬を後にし、浦安へと向かった。

以前テレビで見た、郷土博物館に行ってみたいと思いつつ、なかなか機会がなかった。山本周五郎の『青べか物語』を読んだ後に、漁港を観に行きたいと思い車を走らせたが、その時には別の町の港に行き着いたものの、博物館を見つけることは出来なかった。

カーナビを頼りに、迷うことなく目的地に着いた。三番瀬では有料駐車場を利用したが、博物館の近くには市役所の駐車場が無料開放されていて、ほぼ満車ではあったが何とか止めることができ、博物館を探した。

立派な施設だった。建物の中に入り入場券を買おうと受付の女性に尋ねると、無料で見学できるという。かなり得した気分に浸りながら、昔の浦安のまちを再現したコーナーに向かった。移築されたり、再現された建物が並ぶ場所には船着き場もあり、打瀬船やベカ船が浮かんでいた。街並みでは子どもたちがコマや面子遊びに興じていて、希望すれば海苔すきの体験もできるそうだ。

再び屋内に入ると、おじさんたちがベカ船の模型を作っていた。挨拶をして一人の方に声をかけてみた。その方は元漁師さんで、もう40年以上前に漁師を辞めたそうだ。浦安ではその後すぐに埋め立てに伴い漁業権が放棄され、今はもう漁業は行われていないという。今や家屋やマンションが立ち並ぶベッドタウンとして、そして世界的なリゾート施設を有する街となり、昔を偲ばせるものはここにしかない。ここでボランティアとして活躍する方々は70~80歳代と高齢だが、漁村時代の浦安を語れる人は限られていて、いずれは漁業を体験した人々もいなくなってしまう。

地域の小学生が海苔づくりの体験をしに来るそうだが、細々とでも漁業が行われていれば、伝えることは難しくないのだろうが、これから先、どのように伝えていくのかは難題に思える。それは例えば被爆体験などでも同じ問題を抱えており、15年前の阪神・淡路大震災についてもそうした問題が迫ってきている。

実体験者がいなくなってしまった時、誰がこれを語り継ぐのか。昔と違い記録媒体が画期的に進歩した中であっても、何を残し、伝えていくのかというのはそれほど簡単ではない。
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はばたく

2010-02-07 14:04:46 | つれづれ
海が見たくなって車に乗った。カーナビに目的を伝えると、2番目に近い場所として、船橋の三番瀬を示され、行き先に設定した。

風が強く吹く中、鳥たちが嘴を砂につっこみ食事をとっていた。ちょうど昼時だと納得したものの、鳥の食生活がどうなっているかわからない。

人影は少なかったが、離れたところに大勢集まっていた。鳥たちを写真に収めようと集まっているみたいだが、近づいて話を聞くまでは望まなかった。

そういえば、以前会社のハイキングに参加した帰りのバスの中、他の職場の課長に、「鳥を撮りに行かないか」と誘われた。だが、その誘いに乗る前にその人は心臓発作で亡くなられた。

今頃は撮りに混じって自由に空を飛んでいるのだろうか。メガネ越しの優しい眼差しを思い出しながら、しばし鳥を見つめた。
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