三番瀬を後にし、浦安へと向かった。
以前テレビで見た、郷土博物館に行ってみたいと思いつつ、なかなか機会がなかった。山本周五郎の『青べか物語』を読んだ後に、漁港を観に行きたいと思い車を走らせたが、その時には別の町の港に行き着いたものの、博物館を見つけることは出来なかった。
カーナビを頼りに、迷うことなく目的地に着いた。三番瀬では有料駐車場を利用したが、博物館の近くには市役所の駐車場が無料開放されていて、ほぼ満車ではあったが何とか止めることができ、博物館を探した。
立派な施設だった。建物の中に入り入場券を買おうと受付の女性に尋ねると、無料で見学できるという。かなり得した気分に浸りながら、昔の浦安のまちを再現したコーナーに向かった。移築されたり、再現された建物が並ぶ場所には船着き場もあり、打瀬船やベカ船が浮かんでいた。街並みでは子どもたちがコマや面子遊びに興じていて、希望すれば海苔すきの体験もできるそうだ。
再び屋内に入ると、おじさんたちがベカ船の模型を作っていた。挨拶をして一人の方に声をかけてみた。その方は元漁師さんで、もう40年以上前に漁師を辞めたそうだ。浦安ではその後すぐに埋め立てに伴い漁業権が放棄され、今はもう漁業は行われていないという。今や家屋やマンションが立ち並ぶベッドタウンとして、そして世界的なリゾート施設を有する街となり、昔を偲ばせるものはここにしかない。ここでボランティアとして活躍する方々は70~80歳代と高齢だが、漁村時代の浦安を語れる人は限られていて、いずれは漁業を体験した人々もいなくなってしまう。
地域の小学生が海苔づくりの体験をしに来るそうだが、細々とでも漁業が行われていれば、伝えることは難しくないのだろうが、これから先、どのように伝えていくのかは難題に思える。それは例えば被爆体験などでも同じ問題を抱えており、15年前の阪神・淡路大震災についてもそうした問題が迫ってきている。
実体験者がいなくなってしまった時、誰がこれを語り継ぐのか。昔と違い記録媒体が画期的に進歩した中であっても、何を残し、伝えていくのかというのはそれほど簡単ではない。
以前テレビで見た、郷土博物館に行ってみたいと思いつつ、なかなか機会がなかった。山本周五郎の『青べか物語』を読んだ後に、漁港を観に行きたいと思い車を走らせたが、その時には別の町の港に行き着いたものの、博物館を見つけることは出来なかった。
カーナビを頼りに、迷うことなく目的地に着いた。三番瀬では有料駐車場を利用したが、博物館の近くには市役所の駐車場が無料開放されていて、ほぼ満車ではあったが何とか止めることができ、博物館を探した。
立派な施設だった。建物の中に入り入場券を買おうと受付の女性に尋ねると、無料で見学できるという。かなり得した気分に浸りながら、昔の浦安のまちを再現したコーナーに向かった。移築されたり、再現された建物が並ぶ場所には船着き場もあり、打瀬船やベカ船が浮かんでいた。街並みでは子どもたちがコマや面子遊びに興じていて、希望すれば海苔すきの体験もできるそうだ。
再び屋内に入ると、おじさんたちがベカ船の模型を作っていた。挨拶をして一人の方に声をかけてみた。その方は元漁師さんで、もう40年以上前に漁師を辞めたそうだ。浦安ではその後すぐに埋め立てに伴い漁業権が放棄され、今はもう漁業は行われていないという。今や家屋やマンションが立ち並ぶベッドタウンとして、そして世界的なリゾート施設を有する街となり、昔を偲ばせるものはここにしかない。ここでボランティアとして活躍する方々は70~80歳代と高齢だが、漁村時代の浦安を語れる人は限られていて、いずれは漁業を体験した人々もいなくなってしまう。
地域の小学生が海苔づくりの体験をしに来るそうだが、細々とでも漁業が行われていれば、伝えることは難しくないのだろうが、これから先、どのように伝えていくのかは難題に思える。それは例えば被爆体験などでも同じ問題を抱えており、15年前の阪神・淡路大震災についてもそうした問題が迫ってきている。
実体験者がいなくなってしまった時、誰がこれを語り継ぐのか。昔と違い記録媒体が画期的に進歩した中であっても、何を残し、伝えていくのかというのはそれほど簡単ではない。