乗換駅で電車から降りようとしたとき、前の駅で別のドアから移ってきた男が持つ金属製のアタッシュケースに膝がぶつかった。てっきり乗換階段に向かい颯爽と歩いていくと思っていたのだが、その男はドア付近でもたもたしていた。階段を降りながらじわじわと感じ始めた痛みは、今も取れない。そういえば、数ヶ月前にも同じようなことがあった気がするので、僕の学習能力の問題かもしれない。
子どもの頃、金属製のアタッシュケースに憧れたことがあった。様々なアイテムが整然と入れられたアタッシュケースを持っていれば「何でもできる」というのが幻想だと知るのには、さほど時間はかからなかった。
満員電車に揺られながらの通勤中、その硬いカバンで何を守ろうとしているのだろうか。思うに、カバンの堅さは、持つ人の心の弱さを表しているように思える。それはたぶん、ぼくのようにカバンにあれこれ詰め込むのが不安の現れであるように。
「なんとかなる」と思えば、きっともっと身軽に生きられるのだろう。そうとはいえ、ぼくの心を覆う固い殻はなかなか外せない。
子どもの頃、金属製のアタッシュケースに憧れたことがあった。様々なアイテムが整然と入れられたアタッシュケースを持っていれば「何でもできる」というのが幻想だと知るのには、さほど時間はかからなかった。
満員電車に揺られながらの通勤中、その硬いカバンで何を守ろうとしているのだろうか。思うに、カバンの堅さは、持つ人の心の弱さを表しているように思える。それはたぶん、ぼくのようにカバンにあれこれ詰め込むのが不安の現れであるように。
「なんとかなる」と思えば、きっともっと身軽に生きられるのだろう。そうとはいえ、ぼくの心を覆う固い殻はなかなか外せない。