書店に行くと毎回ではないけど、たまに思い出したように岩波新書の新刊をチェックする。そして先日、その中に最相葉月さんの本を見つけ、迷うことなくカゴに入れた。
最相さんを知ったのは、真中瞳さん(現在は東風万智子さん)が主演された映画『ココニイルコト』を観たのがきっかけだった。お目当ては真中さんだったけど、この映画は、最相さんのエッセイ集『なんといふ空』に掲載された「わが心の町 大阪君のこと」を原案として作られた。そのことを知り、映画を観た後に本を読んだ。
その後、最相さんの作品は『星新一 一〇〇一話を作った人』と『東京大学応援部物語』を読んだ。いずれの作品も、ノンフィクション作家の最相さんによる緻密かつ膨大な資料集めが、綴られた文章の奥に厚みとして感じられるものだった。
さて、この本は、最相さんが16年前(1999年)のある日、西武新宿線の駅で出会った日本語学校に通う中国人就学生との16年間の交流から、昨年初め、彼女とともに彼女の故郷を訪れたこと、そして、朝鮮族である彼女の家族を通して、彼らが背負ってきたものを丹念に拾い集め、綴られたものである。
「ナグネ」とは、朝鮮語で「旅人」を意味するそうだ。「人はみな旅人」と言われることがあるけど、最相さんが綴ったこの本の最後に、主人公の恩恵が発する言葉に現れる。この本のタイトルとしてこの言葉を用いた意味を改めて感じる。
中国東北部に朝鮮をルーツに持つ人たちが住んでいることは、北朝鮮との国境を取材したテレビの報道番組でも触れている。ただ、そこでは「脱北者」という言葉が強調され、彼らがどのような経緯でそこに住んでいるかという事についてはあまり触れられていなかったと思う。
朝鮮半島から中国への移住は16世紀末から始まったが、20世紀に入り日本が韓国を併合し、また中国東北部に「満州国」を作ったことを契機に急激に増えたという。先日読んだ 『在日朝鮮人』では、労働力として日本に連れてこられた朝鮮の人々の受難の歴史を知ったけど、この本では、同じく日本による都合で中国東北部を開拓するという目的で朝鮮半島から移住を強いられた彼らの歴史を始めて知った。朝鮮総督府と満州国(ともに日本による統治を担った組織)により鴨緑川にダムが建設された際に、そこに住む人たちが土地を追われ、土地代や補償費として僅かなお金を得て、総督府が勧めた満州国、つまり現在の中国東北部に移住していったという。
ここで作られた「水豊ダム」は巨大な発電施設として、朝鮮半島における日本企業を支えた。改めてこのダムについてネットで調べてみたら、「朝鮮窒素肥料」という会社が負担したという。そう、この会社は熊本県水俣市で多くの被害を出した「水俣病」の原因企業であるチッソが朝鮮半島の興南に作ったものだ。そうした繋がりを感じるけど、本書はそこまで広げることなく、朝鮮族が歩んできた道を辿っている。
この本の魅力は、そうした中国朝鮮族の歴史に触れることができるということもあるけれど、それよりも、恩恵という女性の逞しさに尽きる。でも、それこそが彼ら中国朝鮮族が生きてきた受難の歴史がもたらしたものなのかもしれない。
戦後70年を迎え、日本の国内では首相が発表するという「戦後70年談話」に謝罪の言葉を盛り込むか盛り込まないかという議論が一部で高まっている。しかし、そうした言葉の有無を議論することも必要なのだろうけど、まずは、日本人が過去に何をしてきたのかという事実を正視することこそが重要だと思う。そして、正視した結果発せられる言葉にこそ、戦後70年を経た我々の思いが現れるのだろうとも思う。
節目の年に出版されたこの2冊の本を、多くの人に読んでもらい、また感じてほしいと思う。