今からちょど50年前、1971年(昭和46年)7月30日から8月7日まで、友人と二人で韓国を旅行した。朝鮮戦争が終わって20年の節目となる年で、朝鮮半島のことが何かと話題になっていた。また、前年6月、下関・釜山航路が25年ぶりに再開されていた。ある人から「何しに行くの?危険では?帰れなくなるので、止めた方がいい」と言われた。当時、韓国=キーセンパーティーで行く所と印象は悪く、ソウルは戒厳令下にあった。関釜フェリーで往復し、板門店(パンムンジョム)に行くことだけを決め、あとは思いつくまま、気の向くまま。
資金は、バイトで稼いだ5万円。そのうち、3万円を広銀本店で83ドル(1ドル=360円)に両替し、日赤で感染症の予防接種を受け、イエローカードを貰った。いまイエローカードと言えば、サッカーなどで審判が警告するときに提示する黄色のカードを思い浮かべるが、国際感染予防接種証明書である。
下関からフェリーで釜山に渡り、慶州、大邱、大田、ソウル、板門店と北上し、韓国を縦断した。1971年の日付と曜日は、今年と全く同じだった。
7月29日(木)、広島から鈍行列車で4時間半、山口の実家に着いた。運賃は640円。因みにプラス200円で急行に乗ると3時間、プラス600円の特急では2時間だった。
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