熊本熊的日常

日常生活についての雑記

私は、遺伝子組み換え農産物に反対する

2014年06月02日 | Weblog

初めて通販で納豆を買った。以前にもこのブログに書いた記憶があるが、私は豆が好きで、殊に大豆が好きだ。納豆は毎日のように食べているが、身近で入手できないものを敢えて取り寄せるほど凝っているわけではない。たまたま妻に届いた『通販生活』に紹介されている納豆があって、その記事を読んで興味を覚えたのである。

『通販生活』に紹介されていても『通販生活』では買うことができない。いろいろこだわって作っているので製造業者に直接注文するか、その業者が出店している楽天のサイトへ注文することになっている。楽天のほうは出店手数料分が代金に上乗せされるので、業者に直接注文した。メールで発注したのが5月17日で、商品が到着したのが5月30日だった。いくつか食べてみて、納豆としては初めて経験する味だった。嬉しいのは大豆の味がしっかりとすること。たいがいの納豆は、「納豆」と原料の「大豆」とが味覚として直ぐには結びつかないのだが、ここの納豆は大豆の味が響いてくる。尤も、注文から商品到着まで2週間かかるとか、スーパーの安売り品の何倍もの価格をみれば、旨くて当たり前という気がしないでもない。

この納豆で驚くのは納豆そのものもさることながら、その包装だ。昔ながらの藁だとか紙だ、というようなことではない。包装紙の裏側に「私は、遺伝子組み換え農産物に反対する」という意見広告が掲載されているのである。それもよくあるような情緒的なものではなく、理詰めのしっかりしたものだ。書かれていることは至極もっともなことである。『通販生活』らしい商品である。

よく安全性の代名詞のように「日本製」とか「国産」という言葉を用いているものに出会う。いったいいつからそういうことになったのか知らないが、日本製であることが安心や安全の保証になる理由というのはわからない。ただの思い込みだろう。農産物に関して言えば、化学物質の投入量が世界の中でも群を抜いて多いのが日本の農産物であるというのは、農業に関心のある人なら誰でも知っていることだろう。このことは以前にこのブログに書いた記憶がある。TPPに加盟しようがしまいが、日本のように細切れの農地で生産性を上げようとすれば機械と薬に依存しないわけにはいかない、というのは自明のことと言える。その上さらに生産性を追求すればバイオの世界に入るのは当然のことだ。それは日本に限ったことではないが、機械も薬もタダではない。規模とコストと期待収量とのバランスのなかでそれぞれの地域の農業が営まれる。

一方で、心ある生産現場では安全への不安や疑問を当然に抱えることになる。出荷用と自家消費用とで農地を分けているというのはよく聞く話だし、危機感を持って無農薬や低農薬に取り組む農家の話もよく耳にする。今や「有機」だの「無農薬」といったことはブランドにもなっているかのような感がある。圧倒的大多数の消費者にとっては生産現場を確認することはできない。開示情報と価格が購買行動決定の主たる要因とならざるをえない。そうしたなかで、一次産品の生産者やその加工業者のなかには使命感すら持って扱う商品の説明をするところが出てくるのもおかしなことではない。

それにしても、「私は、遺伝子組み換え農産物に反対する」納豆というのは初めてだ。包装も中味も印象深い納豆だ。