熊本熊的日常

日常生活についての雑記

天の声

2014年06月16日 | Weblog

とかく日本人は、西洋人が感心すると、はじめて鵜呑みに感心するくせがある。この扉ができあがったときには、会社側からはだれ一人お礼をいうものはなかった。技師長のごときは、後で会社へ契約以上の金額を請求しないかと思ってびくびくしていたが、外人客から写真まで所望されて始めて、面目をほどこしたといって、会社側では数ヶ月後に驚くようなお礼をいい出した。もちろん、私はお礼を聞きたさに始めたのでなくて、西洋人に認識させるとともに、近代生活に漆芸の分野を新しく開拓しようと努力したに過ぎなかった。そのために、言いたいことも我慢し、怒りたいところも怒らずにやっただけであった。(松田権六『うるしの話』岩波文庫 276頁) 

外国のもの、外国人の言葉を無闇にありがたがるのは今に始まったことではないのは、自分も日本人なので重々承知しているのだが、松田権六が日本郵船の客船の船室の扉に装飾を施すのに、ずいぶん苦心苦労したことに驚いてしまう。人は経験を超えて発想できないのだから、己の評価基準を確立できていないことについては判断を避けたがるのは国や文化を超えて人間の普遍的性向かもしれない。ここに引用したのは、松田が日本郵船が欧州航路に投入する照国丸と姉妹船の靖国丸に漆芸装飾を施すことになったいきさつを記した部分の一部である。松田はこの引用にもあるように、漆芸家として日本の漆芸の素晴らしさを世界に向かって訴えようと外国航路の船に漆芸装飾を売り込んだ。日本郵船側の窓口となったのは技師長だが、始めは相手にされなかったらしい。それでも粘り強く、伝を頼って社長にまで談判し、ようやく採用が決まったそうだ。その結果、欧州ではその漆芸が評判となったばかりではなく、ペンキによる塗装と違って航海中の損傷が無いという実務面での利点も発揮されたというのである。その後、松田に対する郵船側の対応がどうなったか想像に難くない。

日本の伝統工芸を観れば、その感性や仕事の緻密さとか工夫に世界に誇れるようなところがいくらもあるのだが、国全体として見れば、権威に従順で丸ごと軍隊のような観がないでもない。高度経済成長の時代に日本は世界から「Japan Inc.」だとか「Economic Animal」、「workaholics living in rabbit hutches」などと呼ばれていたが、そういう形容が広まることに根も葉もないはずはないだろう。昨今、近隣の国々から我々の「歴史認識」を問う声が喧伝されているが、根は同じところにあるような気がする。自分というものの在り方を想定するときの座標軸の取り方が、日和見に過ぎるのではないだろうか。自分が所属する集団と自己との関係にどれほどの必然と偶然を認めるか、というときに必然に縋りたがる傾向が強い気がする。集合の属性とそれを構成する個々の要素の属性は必ずしも一致しないというのは集合論の基本だが、その基本を知ってか知らずか無視するかのような態度に走るのがこの国の姿に見える。

郵船の技師長が松田に対して懐疑的であったのは、彼が漆芸に対して松田の言葉を理解するに足る知識を持ち合わせていなかったということももちろんあるだろうが、それ以前に彼が当たり前の組織人、日本人であったということなのだろう。卑屈なまでに権威に従順で、自ら物事を考えようとはしない。回遊魚の群のように先行するものに付き従うことを得意とする。 たまたま、今年の1月に国立近代美術館で工芸家の公開鼎談を聴く機会があった。そこに出席していた竹工芸家で人間国宝の藤沼昇も、自分の作品がたまたま米国人のコレクターの眼にとまってから生活が変わったというような発言をしていた。昨日のブログに書いた「自分の感受性」というものへの意識が社会として少し弱いのかもしれない。いろいろ言われながらも世界のなかでは恵まれたほうの生活を送っているのだから殊更に卑下することもないのだろうが、自分の置かれている状況とか自分やその所属集団の性質というようなものは、やはりしっかりと考えながら生きていかないといけないとは思う。