10月31日は決算発表の集中日で仕事が徹夜になった。帰宅は11月1日午前4時39分に東京駅を発車する中央線の始発に乗って新宿へ出て、京王新線新宿駅を5時20分に出発する各駅停車の高尾山口行きを利用した。車内は始発の割には人が多く、しかもざっと4割くらいの人が仮装していた。ハロウィーン関係のイベントに参加した帰りなのだろう。成りは奇抜で、なかには行儀の悪いのもいたが、全体としてはおとなしい感じだ。羽目を外すといっても結局は公共交通機関を利用して家路に就く小さな感じが苦笑を誘う。後からネットのニュースを見たら渋谷では機動隊が出動するような騒ぎになったそうだが、そんな様子は微塵も感じられなかった。集団の中では勇ましいが少数になるとこじんまりとまとまるというのは彼らの親世代の学生運動を彷彿とさせる。私は見聞したことはないが、おそらくそのまた親世代の軍国時代も同根なのだろう。群衆というのはこういうものなのである。
ところで、『イザベラ・バードの日本紀行』(講談社学術文庫)を読了した。イギリス人旅行作家の手になる日本紀行である。彼女は当時47歳。日本の開国間もない1878年に当時外国人として初めて東京から陸路で青森まで、そこから連絡船で函館に渡り北海道のアイヌの集落を探訪した。本書の大部分は妹へ宛てた手紙の形式で当時の日本の東北・北海道の様子を描いている。当時の世界最大の帝国であったイギリスの人なので、極東の辺境を観る眼には上から見下すような意識が見え隠れしているのはやむを得ないだろう。それでもこれだけの記録を残したということは、彼女が当時の日本を好意的に受け止めた証左だと思う。司馬遼太郎の作品を読むと幕末から明治にかけての日本人が今とは比べ物にならない立派な人たちばかりのような印象を受ける。そして、日本人としての自尊心をくすぐられるような心地がすると同時に、現代に対する危機感のようなものを覚える。しかし、この『日本紀行』には風俗こそ明治のようだが、人間は今の時代と変わることのない姿が描き出されていて、がっかりするような、ほっとするような妙な安堵を覚えるのである。また、当時の日本で活躍する外国人たちの様子が今の世界情勢の縮図のようにも見える。考えてみれば、本書が書かれてから130年ほどしか経ていないので、それほど世界が変わるはずはないのである。
以下、備忘録的な引用である。いずれも上巻からである。下巻では特に控えておこうと思うほどの記述に出会わなかった。
開港場の日本人は外国人との交流のせいで品位が落ち、下卑ている。内陸の人々は「野蛮人」とはおよそほど遠く、親切でやさしくて礼儀正しい。わたしがそうしたように、女性が現地人の従者以外にお供をだれもつけずに外国人がほとんど訪れない地方は1200マイル旅しても、無礼な扱いや強奪行為にはただの一度も遭わずにすむのである。(33頁 序章)
横浜では小柄で薄着でおおかたが貧相な日本人とはまったく異なった種類の東洋人を見ない日はありません。日本在住の清国人2500人のうち1100人以上が横浜に住んでおり、もしも突然いなくなるようなことがあれば、商取引はたちまち停止してしまうでしょう。ここでもほかと同じように、清国人移民は必要欠くべからざる存在となっています。まるで自分は支配する側の民族だというように、泰然自若とした態度で体を揺らしながら通りを歩いています。(中略)生真面目で信頼でき、雇い主から金を奪うというより搾り取るほうが満足できる———彼の人生の唯一の目的はカネなのです。カネのためなら、勤勉にも忠実にも禁欲的にもなり、ちゃんと報われるというわけです。(76−77頁 第六信)
日本人は子供がとにかく好きですが、道徳観が堕落しているのと、嘘をつくことを教えるため、西洋の子供が日本人とあまりいっしょにいるのはよくありません。(272頁 第二〇信)
これらの人々が自分たちに与えられたまれに見る利点を保持していけるかどうかは先を見なければわかりません。これほど無知で迷信を信じやすい人々はおそらくいないでしょう。土地を抵当に入れる便宜は多くあり、こうすれば小さな所有地は現在の自由土地保有者の手から離れ、大土地を所有する階級がそこに従属する労働人口ともども増えていくかもしれません。それを防ぐ道は、日本人の特徴である、土地に対するきわめて断固たる愛着にあります。(342−243頁 第二四信)
この国の均質性にはここでも大いに興味を引かれます。これまでわたしが旅してきた地方の数カ所は、最近までそれぞれが別個で、必ずしも友好的ではなく、べつべつの領主を持つ藩でした。気候と植生は緯度5度でかなり変化しており、またこの県の方言はそれ自体、中央の地域とは大きく異なっています。しかしどこに行っても寺院や家屋は同じ設計で同じように建てられており、大小のちがいや、板壁、土壁、藁屋根、樹皮の屋根、板屋根といった変化はあっても、住宅内部はいつもはっきりわかる同じような特徴があります。作物は土壌と気候で変わりますが、栽培方法には差異がありません。施肥その他の手順はいつも同じです。またこれらすべてをはるかに超えて、あらゆる階層で社会をとりまとめている礼儀作法は実質的に同じです。秋田の人夫は田舎者でも、東京の人夫と同じく他人とのつきあいにおいて礼儀正しく丁重です。白沢の娘たちは日光の娘たちと同じく落ち着いていて品位があり、礼儀正しいのです。(中略)害はままあるとしても、この伝統的な礼儀作法は非常にうまく機能しているので、もしもこれが西洋式の礼儀や習慣をへたに真似たものに取って代わられるとすれば、わたしは胸が痛くなるにちがいありません。(426−427頁 第三二信)