熊本熊的日常

日常生活についての雑記

ゆがむ

2009年06月17日 | Weblog
木工を習い始めて2回目の教室だ。木で工作をするのは中学校の技術科の授業以来である。実家の物置には当時使った道具類があるが、今となってはどれも使い方がわからない。ましてや、木のことなど何も知らない。

驚いたのは、木というものが切った瞬間に歪み始めることである。今、最初の課題としてスツールを作っている。大きな板から座板とか脚といった部材を切り出す。まず、板材の基準となる面を決め、それを平らになるように削る。次に、その基準面と直角に交わる面のひとつと第二基準面として、平面と直角を作る。削った面は平らなので、工作機械の鋼鉄製の天板の上に置くと吸い付いてしまう。それほど平らなのである。その基準面処理を終えた板材から部材を切り出す。当然、部材のなかの基準面は平らであるはずだ。確かに切り出した直後は平らである。しかし、それが1時間もしないうちに微妙に反ったり歪んだりするのである。

年輪を見ればわかるように、木は均等に成長するわけではない。環境の変化に応じて成長速度は変化するし、木の立ち位置によって同じ木のなかで成長の早い部分と遅い部分とが生じる。すると木の組織には疎密ができる。疎の部分と密の部分では吸収している水分量に違いがあるので、その蒸発によって切り出した後の木は形状が不均等に変化する。それを我々は「反る」とか「歪む」と呼ぶ。

切り出した後、長い時間をかけて十分に乾燥させた木材は、形状変化の原因のひとつである水分含有量が少ないので歪みは生じにくい。なんとなく、一枚板で作ったものが高級品で、合板で作ったものはそうでもない、という印象があるが、長期の使用でも歪みが現れないほどに年季の入った一枚板など容易に入手できるものではない。一枚板であることの性能面での長所や短所とは別に、希少性という点でかなりのプレミアムがつくことは容易に想像できる。

それにしても、切断した木がこれほど短時間に変化するとは知らなかった。その変化を目の当たりにしてみると、木は別に「歪む」わけではなく、状況の変化に対応しているだと了解できる。切断されることで、内部の水分分布に変化が生じるのだから、変化は当然である。「歪む」というと悪いことのように聞こえるが、それは人間の側からみた勝手な言い分とも言える。歪むことがわかっているから、我々はそれに対応して歪みの補正をあれこれ考える。合板もその解決法のひとつである。

木が歪むように、人と人との関係も、人とモノとの関係も、人それ自体も常に「歪んで」いる。自分の外にある歪みはすぐに見つけて対応策を施すのに、自分の内部や周囲の歪みには気付くことすらないような気がする。自分の歪みを認識してそれにきちんと対応できれば、少しは生き易くなるものなのだろうか?

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