朝食は朝7時から8時の間に1階の食堂で食べることになっている。身支度を整えて朝食に降りてみると、既に何組かの客がいる。カウンターがあり、その奥で人が立ち働いている気配がある。カウンターから奥へ向かって声をかけ、空いている席に座っていると年配の男性が食事の盆を持って来た。品数が多く、それだけで嬉しくなる。味は特筆するほどのことはないが、一品一品丁寧に料理されているように感じられた。食後に出されたコーヒーはおいしかった。どれほど宿賃の高いところでもコーヒーのおいしいところというのは無かったが、ここは、おそらく一杯ずつ淹れいているのだろう。そういう味だった。
日本で最初にコーヒーが飲まれるようになったのが北海道なのだそうだ。江戸時代に北辺警備で蝦夷地に駐屯した武士の間で、短い冬の日照時間と厳しい寒さによる水腫病の薬として飲まれるようになったという。私が通った珈琲教室の先生は北海道出身で、東京に出てきておいしいコーヒーが無いので自分で喫茶店を始め、今は焙煎業をしているという人である。北海道は日本のなかではコーヒーの本場ということのようだ。
午前8時に宿を出る。雨は降っていないが曇天だ。雲の流れが速いので、そのうち降られるかもしれないと思う。昨日から風力発電の風車が立ち並ぶところが気になっていたので宗谷丘陵へ向かう。
もうひとつ気になっていたのが、津軽藩兵詰合の記念碑である。これはコーヒー豆の形をした石碑で、自国のコーヒー史にかかわる重要なものなので、コーヒー愛好家として無視するわけにはいかない。
国道238号線で宗谷岬へ向かう途中、右手の高台の上に風力発電の風車が林立しているところがあり、その高台の脇を過ぎたところで、陸側へ斜めに小さな通りが伸びている。その通りとの分岐に案内板があり、「宗谷厳島神社」、「宗谷護国寺」などと並んで「津軽藩兵詰合の記念碑」というのが見えた。この小さな通りに入ってからは案内板に従って車をゆっくりと進めていく。すぐに目の前に高地が立ちはだかり、その麓に公園のような緑地がある。ここに厳島神社、旧藩士の墓、津軽藩兵詰合記念碑、護国寺跡が並んでいる。これらの前は芝生になっていて、全体としてひとつのまとまった公園になっている。道に沿って小さな川が流れており、道と川を挟んで公園の向かい側に現在の護国寺がある。江戸幕府直轄の寺院で、葵の御紋がその名残りとなっている。明治中頃までは北蝦夷地唯一の寺院だったそうだ。雨が降っている所為もあるだろうが、人の気配がなく、古の生活も今の生活も想像し難い。
238号線に戻り、宗谷岬方面へ進むと右手に宗谷中学がある。その前を通り過ぎると程なくして、内陸側へ道路が伸びている。道標には「宗谷丘陵」と矢印がある。その道路へ入ると、往来の少ない238号線に輪をかけて往来が少なくなる。少ない、というより、無い、と言ったほうがよいくらいだ。
それでも海や牛が見えている間は、時折、バイクが通りかかったりしていた。稚内へ着陸する飛行機の窓から見えた風力発電の風車を間近で見たいと思い、その風車群へと近づくうちに牛の姿も交通の往来も見えなくなってしまった。
なだらかな起伏が続く草原に数えきれないほどの風車が立っている。道路から風車に至る脇道の入口には鎖がかかっていて風車の根本には立ち入ることができないようになっている。それでも十分間近に風車を見上げることができる。風がほどほどに吹いていて、風車はゆっくり回っている。もし、このまま人類が滅びてしまっても、風車は回り続けて使うあてのない電気をつくり続けるのだろう。稚内では使用電力の7割が風力発電によって賄われているのだそうだ。それほど使用電力が少ないということだろう。
風力発電所を後にして、レンタカーの返却をする空港の営業所へ向かう。少し内陸へ入ると道は森の中を進むようになる。くねくね曲がり、登ったり下ったりしながら進む。対向車もなければ同じ方向に進む車もない。雨が激しくなったり弱くなったりするなかを、ひたすら走る。森はだんだん深くなり、返却の時間は迫ってくる。10時半に返却の予定なのに、10時を過ぎた頃に道の舗装が途絶えて砂利道になる。本当にこの道で大丈夫なのかと不安になるが、今更後戻りもできない。そのくらい走ったのである。こうなれば、進むしかない。どうしてこれほどまでに穴が多いのかと思うような道を、その穴を縫うように進む。路面は酷いが、マーチとはいえ4WDなので思いの外安定した走りだ。砂利道は、やがて舗装された道になり、一安心だ。そして森も抜けて平らな土地が広がるようになると、対向車が現れたり、道路に行き先を示す標識が現れたりするようになる。10時20分頃には空港の敷地内にあるレンタカーの営業所に到着した。
係に人にガソリンを入れてこなかったと告げると、時間に余裕があるようなら、入れ来て欲しいと言われる。最寄のスタンドは238号線と40号線の交差点の手前にあるという。時間に余裕はあるので、そのガソリンスタンドまで行って、ガソリンを入れて戻って来ると、10時45分頃になっていた。本当は、丘珠からの飛行機に合わせて発車するバスに乗りたかったのだが、間に合わなくなってしまった。次のバスは東京からの便に合わせて発車するバスなので1時間近く待ち時間がある。見学デッキで写真を撮ったりして時間をつぶす。
東京からの便は定刻の到着だった。昨日の便と同様、ほぼ満席のようで、到着ロビーは往来が激しい。団体も多いのだが、路線バスの客も多い。ほぼ定員に近い客を乗せた路線バスも定刻通り11時40分に空港を発車する。30分ほどで稚内駅に着いた。が、ここで下車したのは私を含めて5人ほどだ。
列車の出発までは1時間半ほどあるので、まずは腹ごしらえである。あてが在るわけでもなかったので駅構内にある「ふじ田」という店に入る。どこにでもありそうな定食屋という風情で、家族で店をきりもりしているような様子だ。ここのカウンター席に座り、何も考えずに店内の黒板に書いてあった日替り定食を注文した。カウンターといっても、目の前には調味料の箱やら食器などが積まれているので、カウンターの向こう側は見えない。他に料理を待っている客はなく、私の注文が入るとカウンターの向こうで新たな活動が開始された気配がある。揚げ物の音も聞こえてきた。なにが出てくるのかなと思いながら待っていると、盆に乗せられた料理と盆とは別にカレイのフライが登場した。カレイは子持ちで、たぶん塩こしょうを打って揚げただけなのだろうが、とてもおいしい。小鉢の料理は、つぶ貝の煮物、貝と昆布の煮物、さつま揚げとインゲンの煮物、ほうれん草のおひたしなめ茸添え、香の物、みそ汁、そしてご飯である。これで1,000円。この店も、昨夜の料理屋も、今朝の宿屋もみそ汁が旨い。出汁と水の所為だろうか。
稚内から札幌へ行く列車は特急スーパー宗谷2号、4号、特急サロベツの3本である。そもそも稚内から発車する列車は1日8本しかない。先月、北斗星の予約をしたときに、特急サロベツの指定券も一緒に予約しようとしたら満席で取れなかったという経緯がある。その後、キャンセルもあったかもしれないと思い、稚内駅の出札で尋ねてみたが、満席のままだった。団体の予約が入っているそうで、最近はそういうことが多いのだそうだ。尤も、稚内から札幌まで予約が入っているわけではなく、旭川から先は空いていることが多いのだそうだ。団体の予約というのは今の時期は恒常的に入るものなのだろう。通常3両編成がサロベツは自由席車両を増結して4両編成になっていた。
稚内から札幌までは396.2kmで、特急サロベツは全線の所要時間5時間23分である。使用車両は183系気動車。国鉄時代に北海道の都市間特急用として開発された車両だ。民営化後、車両の塗装は華やかになったが、個人的には国鉄時代のほうが好きだ。
出発時間の20分前頃に改札へ行くと20人ほどが並んでいた。すぐに改札が始まり、列はあっという間になくなる。列車は定刻通り13時45分に稚内を出発。南稚内を発ってしばらくすると、進行方向右手に海が広がる。車内放送によると、天気が良ければ利尻富士が見えるのだそうだが、今日は見えない。日は射しているのだが、雲が多い。海が見える区間はすぐに終わり、列車は木々の間を抜けて行く。海岸を後にして最初の停車駅である豊富あたりまでは、右手にこの列車の名前にもなっているサロベツ原野が広がる。左手には鉄道と平行して国道40号線が走っているはずだが、よくわからない。車があまり走っていない所為だろう。
稚内を出発して1時間ほど経つと右も左も森のようになる。手塩川に沿いながら手塩山脈を横切るのである。ぼんやりと車窓を流れる木々を眺めながら、ふと、若い頃に旅をしたデカン高原を思い出した。マドラス(現チェンナイ)からバンガロール、ハイデラバードを経てデリーまで列車で移動したときの、どこかの風景だ。乗っていたのは2等寝台で、エアコンなどなかったからサウナのようなものだった。それでも、車窓を流れる木々にどこか通じるものがあるように感じられた。やがて列車は音威子府(といねっぷ)に到着。天塩山脈を横切った。ここから旭川へ向かって列車は北海道のほぼ中央を南下する。
16時32分、名寄に到着。車内の空席が一気に埋まる。名寄を出ると車窓の風景も一変する。それまでは自然が勝っていたように感じられたのが、人工的なもののほうが力を増したように感じられる。農地が広がり、列車の速度も上がったようだ。そして、駅に着く度に、少しずつ駅周辺の建物の密度が増してくる。
和寒(わっさむ)のあたりで再び木々に囲まれるが、それはわずかの間のことで、すぐに旭川に着く。やがて左手遠方に雪を冠った高い山並みが見えてくる。大雪山かもしれない。線路近くは水田だ。このあたりで稲作ができるようになるまでには多くの人々が並々ならぬ苦労と工夫を重ねたことだろう。遠くの大雪山と近くの水田を見比べながら、自然と人間との間の緊張が感じられる。旭川では乗降客が多い。乗務員もここで交代。宗谷本線はここで終わり、ここから先は函館本線を走る。この列車の終点の札幌まではあと1時間ほどだ。
旭川を過ぎるとそれまでにも増して人の気配が強くなる。鉄道も電化区間になり、いつの間にか複々線区間になっている。並走する道路の交通量も多くなっている。そうこうするうち、札幌市街の灯りが見えてきて、列車は定刻通り19時08分に札幌に着いた。
札幌での宿泊先は札幌駅北口から歩いてすぐのところにあるホテル・フィーノ。じゃらんのサイトで予約した。一泊4,500円。値段が値段なのでまったく期待していなかったのだが、何かの間違いではないかと思うほどきれいなホテルだ。札幌はホテルの激戦地だから、昨今の経済環境を考えればこの程度のお値打ちプランがあるのは当然なのかもしれないが、それにしても嬉しい誤算である。
チェックインを済ませ、荷物を部屋に置いてすぐに駅南口へ出かける。明日会うことになっている友人に電話をかけ、待ち合わせの打ち合わせをする。場所が不安内なので彼女の指定した会食場所周辺まで実際に出かけて行ったほうが確実というものだ。電話の後、駅前で夕食を食べる。
駅前のエスタというビルのなかに「らーめん共和国」というラーメン店のアーケードがある。ここには道内各地の有名ラーメン店が出店していて、昼時には各店に行列ができるそうだ。この時間は行列のあるところはないが、アーケード入口の店はかなり客が入っている。ふたまわりほどして、奥の客の少ない店に入った。名前は「初代」。そもそもラーメンなど滅多に食べないのだが、ここで食べたラーメンは今まで食べたなかで一番おいしいと思った。麺は特別どうというほどのことはないのだが、スープが旨い。この店に限らず、北海道に来てからずっと感じていたのだが、どこで食べた料理も出汁が旨いのである。豊富な海産物があるので、習慣としてそうした地の利を活かした味になっているということなのだろうか。このラーメンのスープも昆布と、何か海産物のようなものの味が効いているように感じられた。身体に良くないのは承知の上で、スープ一滴も残さず完食してしまった。
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