対中穏健路線の継続表明 動乱50年でダライ・ラマ(共同通信) - goo ニュース
1959年3月10日、チベットでは、中国の駐屯兵がダライ・ラマ14世を護衛ぬきで招待したことに端を発し、中国の支配に反対する大規模なデモとそれを弾圧するための武力行使が行われ、多くのチベットの方々が命を落とすことになりました。ダライ・ラマ14世もまた、この動乱の中でインドに亡命することになったのです。
この痛ましい日から50年を迎えた今日、ダライ・ラマ14世は、中国に対して自治権拡大を求める対話路線の継続を表明したようです。しかしながら、中国政府の態度は不誠実であり、チベットは、これまで以上に、時間との苦しい闘いを強いられそうなのです。それは、地下資源の持ち出しもさることながら、中国政府が、チベットへの漢民族の移住政策を推進するとともに、チベット人の中華化政策を強力に推し進めているからです。チベット独自の文化や宗教を抹殺し、政治的な独立権を持つ民族集団としての”チベット”を消滅させれば、ゆくゆくは、チベットは中国に吸収されると、中国政府は踏んでいるのでしょう。
中国の融和政策と民族浄化は紙一重であり、この政策は、時間が経てば経つほどに、チベットに不利な状況となり、存在そのものを蝕んでゆきます。ダライ・ラマ14世は、中国政府に対して早期の交渉再開を求めるべきでしょうし、国際社会もまた、時間との闘いに苦しむチベットを支援すべきと思うのです。
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1959年3月10日、チベットでは、中国の駐屯兵がダライ・ラマ14世を護衛ぬきで招待したことに端を発し、中国の支配に反対する大規模なデモとそれを弾圧するための武力行使が行われ、多くのチベットの方々が命を落とすことになりました。ダライ・ラマ14世もまた、この動乱の中でインドに亡命することになったのです。
この痛ましい日から50年を迎えた今日、ダライ・ラマ14世は、中国に対して自治権拡大を求める対話路線の継続を表明したようです。しかしながら、中国政府の態度は不誠実であり、チベットは、これまで以上に、時間との苦しい闘いを強いられそうなのです。それは、地下資源の持ち出しもさることながら、中国政府が、チベットへの漢民族の移住政策を推進するとともに、チベット人の中華化政策を強力に推し進めているからです。チベット独自の文化や宗教を抹殺し、政治的な独立権を持つ民族集団としての”チベット”を消滅させれば、ゆくゆくは、チベットは中国に吸収されると、中国政府は踏んでいるのでしょう。
中国の融和政策と民族浄化は紙一重であり、この政策は、時間が経てば経つほどに、チベットに不利な状況となり、存在そのものを蝕んでゆきます。ダライ・ラマ14世は、中国政府に対して早期の交渉再開を求めるべきでしょうし、国際社会もまた、時間との闘いに苦しむチベットを支援すべきと思うのです。
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