「未来永劫謝罪するのか」=自民・稲田氏
戦後50周年に当たる1995年に村山談話が公表されて以来、第二次世界大戦から数えて節目の年ごとに、首相が談話を発表するスタイルが慣例化しつつあります。あたかも近代以前のアジアに逆戻りしたかのような光景です。
冊封体制下では、宗主国と冊封国との間には厳格な外交上の儀礼があり、冊封国は、宗主国に対し貢物に添えて必ず”天子の徳を讃える文章”を提出する義務があったそうです。奏上の慣例は、宗主国にとりましては冊封国に対して臣下である自覚を促す手段である一方で、冊封国の側にとりましても、宗主国に対する服従を誓う重要な場であったのです。こうした冊封体制の儀礼的慣行に照らしますと、今日の”戦後談話”の慣例は、文章の内容こそ違うものの、どこか共通点があるように思えます。かつては、美辞麗句を以って宗主国が上位にあることが示されましたが、今日では、中国は、日本国に対して加害国の立場を認めさせ、謝罪を表明させることで下位の地位にあることを確認しようとしているように見えるのです。アジアでは、過去の歴史にあっては、中華帝国が周辺国を戦争で打ち負かすことによって長期的な冊封体制を形成してきました。21世紀に至っても、中国は、その気分から抜け切れていないのです(戦争に勝利すれば宗主国になれる…)。一方、今日の国際社会では、講和条約の締結を以って戦争による敵味方の関係は消滅し、以後、国家間の関係は対等となります。つまり、中国の垂直思考と国際社会の並列思考との間には、埋めがたいギャップがあるのです(謝っても並列思考に転換することはない…)。
戦後70年談話では、中国や韓国に対して謝罪を求める意見も聞かれますし、戦場が中国大陸であったことから謝罪しないことに良心の痛みを感じる日本国民も少なくないかもしれません。しかしながら、謝罪を求める行為こそ国際社会のルール違反でもあり、また、過去の怨恨を未来に引き継ぐと共に、上下関係を固定化させる結果をもたらすことを予測しますと、戦後70年談話に際しては、日本国は、中国による冊封風味の儀礼要求に屈するのではなく、国際社会のルールにこそ合わせるべきと思うのです。
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冊封体制下では、宗主国と冊封国との間には厳格な外交上の儀礼があり、冊封国は、宗主国に対し貢物に添えて必ず”天子の徳を讃える文章”を提出する義務があったそうです。奏上の慣例は、宗主国にとりましては冊封国に対して臣下である自覚を促す手段である一方で、冊封国の側にとりましても、宗主国に対する服従を誓う重要な場であったのです。こうした冊封体制の儀礼的慣行に照らしますと、今日の”戦後談話”の慣例は、文章の内容こそ違うものの、どこか共通点があるように思えます。かつては、美辞麗句を以って宗主国が上位にあることが示されましたが、今日では、中国は、日本国に対して加害国の立場を認めさせ、謝罪を表明させることで下位の地位にあることを確認しようとしているように見えるのです。アジアでは、過去の歴史にあっては、中華帝国が周辺国を戦争で打ち負かすことによって長期的な冊封体制を形成してきました。21世紀に至っても、中国は、その気分から抜け切れていないのです(戦争に勝利すれば宗主国になれる…)。一方、今日の国際社会では、講和条約の締結を以って戦争による敵味方の関係は消滅し、以後、国家間の関係は対等となります。つまり、中国の垂直思考と国際社会の並列思考との間には、埋めがたいギャップがあるのです(謝っても並列思考に転換することはない…)。
戦後70年談話では、中国や韓国に対して謝罪を求める意見も聞かれますし、戦場が中国大陸であったことから謝罪しないことに良心の痛みを感じる日本国民も少なくないかもしれません。しかしながら、謝罪を求める行為こそ国際社会のルール違反でもあり、また、過去の怨恨を未来に引き継ぐと共に、上下関係を固定化させる結果をもたらすことを予測しますと、戦後70年談話に際しては、日本国は、中国による冊封風味の儀礼要求に屈するのではなく、国際社会のルールにこそ合わせるべきと思うのです。
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