万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

移民反対=ヘイトの誤ったイメージ操作ー罪悪感を懐くべきはどちら?

2017年02月28日 14時44分45秒 | 国際政治
 アカデミー賞の授賞式などでの発言を聞いておりますと、移民反対の主張は、あたかもヘイトクライムに当たるかのような口ぶりです。移民反対を支持する人々が罪悪感を抱くように仕向けられているのですが、移民反対の主張は、外国人に憎しみの感情を持つヘイトクラムなのでしょうか。移民の受け入れに反対する理由には、政治、社会、経済、文化等の様々な側面があり、一概に移民反対=ヘイトとは言えないのではないかと思うのです。

 外国人に対してヘイトの感情を持つに至るプロセスを突き詰めてみますと、政治的には、第1に自国の安全に対する脅威があります。世界広しと雖も、外部からの侵略者に対して歓迎する国民はおらず、外国人が”敵認定”された場合には、個人的には善良な人であっても、ヘイトの対象とらざるを得なくなります。しかも、実際に、その外国人が出身国の命に従って居住国民の安全を脅かす行動を採れば、間違いなくヘイトされてしまうことでしょう。この場合、”ヘイトは罪なのか?”というと、そうとは言いないように思えます。

 第2に、社会分野において外国人がヘイトの対象となる要因としては、治安の悪化があります。国や地域によって倫理観や道徳観には違いがありますので、治安状況の良好ではない国の出身者が移民となって居住し、居住国で犯罪に手を染めたり、出身国との間に構築された犯罪ネットワークやテロ・ネットワークを用いて活動する場合にも、一般の国民から悪感情を持たれる結果を招きます。治安の悪化を目の当たりにして、移民に対して警戒したり、避けられたりする一般国民のリスク防止行為を、自信を持って”ヘイトの罪である”と言い切れる人はいるのでしょうか?

 第3のケースは、経済的な理由に因るものですが、これは、一般国民と移民との間の職や賃金をめぐるゼロ・サム関係に起因しています。こうしたケースでは、政治や社会分野とは異なり、一般国民と移民との間には直接的な加害・被害関係はありませんので、悪感情は比較的低レベルに留まります。尤も、就職機会や賃金の問題を越えて、移民が経済全体を支配したり、一般国民を搾取する立場となりますと、ヘイトの対象となるのもやむを得なくなります。

 第4に文化面に注目しますと、移民の増加により、一般国民の伝統や歴史に根差した文化が破壊されたり、マスコミ等を掌握することで、移民側の文化を押し付けられる場合にも、一般国民の間に移民に対する反感が生じます。また、多文化共生主義による文化の多様化は、自国の文化の”多の中の一つ”への格下げを意味しますので、自国の固有文化の継承を困難となると共に、文化的な誇りをも奪われます。こうした移民による文化破壊に対する反対の声も、ヘイトの罪として糾弾すべきなのでしょうか?

 あらゆる現象には、それを引き起こす原因があるものです。ヘイトは結果に過ぎず、移民に対するヘイト問題は、それが起きてしまう原因にまで遡らなくては公平な判断はできないはずです。誤ったイメージ操作により、一般の国民に罪悪感を植えつける方法は、むしろ、移民に伴うリスクや犯罪といった悪しき側面を隠す役割を果たしているようにも思えます。移民増加による破壊、並びに、混乱リスクを考えますと、多少なりとも自らの発言と行動に対して罪悪感を懐いていただきたいのは、移民推進派の方々の方なのではないでしょうか。

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