東日本大震災から9年目の日を迎えた今日、日本国は、再度、深刻な災害に見舞われています。新型コロナウイルス感染症という疫病が、全国レベルで蔓延するリスクに直面しているのです。日本国内では国民の多くが感染防止のためにマスクを着用し、日本国の武漢化を防ごうと懸命に努力していますが、その一方で、震源地となった武漢では、初めて習近平国家主席が姿を現し、「ウイルスは基本的に抑え込んだ」としてウイルスに対する‘勝利’を宣言したと報じられています。
タイミング的には、2月3日に共産党政治局常務委員会の席で習主席が生産の再開を指示し、同月24日に中国の工業情報化省が自動車産業や電子等の優先的な再開を通達したとされていますので、国家主席の武漢訪問は、中国における生産再開を内外に向けて告げるパフォーマンスであったのかもしれません。武漢市は中国有数の自動車産業の集積地であり、日本国の自動車メーカーである本田技研工業も3月11日から同市での生産を再開するそうです。経済失速によって権力の足元が揺らぐ事態を恐れた習主席は、今の時点で、武漢安全宣言を出しておきたかったのでしょう。
また、共産党一党独裁体制にあって個人独裁の地位を固めてきた習主席としては、新型コロナウイルスの封じ込めは、自らに対する批判の封じ込めをも意味したはずです。同ウイルスの感染拡大の責任は習主席にあるとされており、武漢市民をはじめ国民の間では同主席、並びに、人災を引き起こした一党独裁体制に対する不満が燻っています。先日、中国国内のネット上に武漢市民が同市当局を批判する動画が削除されることなくアップされたそうですが、武漢市民の不満を察知した主席は、‘武漢市当局によってひどい目に遭っている武漢市民を救うためにやって来た指導者’として登場したかったのかもしれません(狡猾なマッチポンプ?)。
そして、もう一つの狙いがあるとすれば、一党独裁体制の優位性のアピールです。‘中国は、習主席を指導者とする共産党一党独裁体制であるからこそ、新型コロナウイルスを封じ込めることができた’とする…。日本国内のメディア等でも、中国の強硬な封じ込め政策を評価する見解が散見されますが、あるいは、中国礼賛記事は、一党独裁の方が民主主義体制よりも優れていると人々に認識させるようとする、中国共産党の巧妙な世論誘導なのかもしれません。
習主席の武漢訪問は、企業活動の再開、国民の不満払拭、及び、体制維持の一石二鳥以上を狙った政治的演出である可能性が高いのですが、肝心の封じ込めについては疑問が残ります。統計的には湖北省以外での新たな感染者の数は海外感染者を含めて二桁台で推移し、メディアの関心も中国以外の諸国での感染拡大に移っています。中国自身の態度も、海外からの逆流への警戒へとシフトしており、日本国からの入国者に対しても2週間の隔離措置がとられるようになりました。しかしながら、ウイルス封じ込めは、‘事実’なのでしょうか。習主席が宣言したように、仮に封じ込めに成功していたならば、武漢市はおろか、より安全であるはずの北京や上海でも新型コロナウイルス発生以前の活気に満ちた都市の光景が戻っているはずなのです。
新型コロナウイルスの発生以来、中国は、嘘を嘘で塗り固め、情報隠蔽に奔走してきました。感染拡大の最大の原因はこうした中国の悪しき体質にあり、WHOも巻き込む形で他国の人々にまで甚大な被害を与えてきたのです。中国発の情報を信じたばかりに痛い目にあってきたのですから、誰が中国の言葉をそのまま信じるというのでしょうか。それとも、‘オオカミ少年’のように、最後の情報だけは‘事実’なのでしょうか(もっとも、中国の場合には、リスクを過小に装って発信…)。
実際に、新型コロナウイルスが回復後も体内に潜伏するタイプのウイルスであれば(‘チフス’のメアリの事例がある…)、結核菌の感染者がストレプトマイシンの登場で死の恐怖から解放されたように、同ウイルスを体内で完全に除去・弱毒化する治療方法や治療薬、並びに、長期的に免疫効力が維持されるワクチン等が開発されない限り、現時点での封じ込めは困難です(あるいは、人工ウイルスの作成者である故に、中国は、同ウイルスが潜伏型ではないことを知っている?)。また、新型コロナウイルスの特徴の一つは、潜伏期間も長く、無症状であっても感染力を持つことにありますので、凡そ14億人とされるすべての国民に信頼性の高いウイルス検査を実施しないことには‘封じ込めた’とは言えないはずです(陰性判定後に陽性となるケースも…)。
以上に述べましたように、中国における‘封じ込め’は極めて怪しく、むしろ今後の中国情勢が気にかかるのですが、習主席独裁体制の元では、現実はどうであれ、表向きは‘封じ込められたこと’にして物事が動いてゆくのでしょう。しかしながら、習主席の‘勝利宣言’によってウイルスからの防御措置が解除されば、‘隠れ感染者’が増大するリスクは高まります。このような事態が予測されるため、多くの中国国民は同宣言を、むしろ暗澹たる気持ちで聞いていたのではないでしょうか。如何なる犠牲を国民に強いても同主席の言葉を‘実現’しようとするならば、やはり、中国は虚飾に満ちた非人道的な国と言わざるを得ないように思えるのです。