万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

東京オリンピック中止の賠償問題

2020年03月20日 16時15分19秒 | 国際政治

 アメリカのトランプ大統領が今夏に予定されている東京オリンピック・パラリンピックの延期を示唆したことで、同大会の中止は現実味を帯びてきました。新型コロナウイルスのパンデミックを前にして、既に国際社会はスポーツの祭典どころではなくなっているようです。明日の命さえ知れなくなっているのですから。日本国内で実施された世論調査の結果でも、過半数を超える国民が予定通りの開催は難しいと見ています。

 内外の空気がオリンピック中止に傾きつつも、開催地である東京都も日本国政府も、同大会の中止を決断しかねているようです。もちろん、開催地の意向のみで決定されるわけではなく、最終決定権は主催者であるIOCにあるのでしょうが、ネット上にあって日本国側が中止に踏み切れない理由の一つは賠償問題があるとする指摘を目にしました。開催都市とIOCとの間で締結されている「開催都市契約(Host City Contract)」には、IOCは大会中止に伴うあらゆる賠償責任を免責されるとする条項があり、このため、開催国である日本国に賠償責任が生じるのではないか、というのです。つまり、日本国側は賠償責任を負う事態を避けるために、大会国中止を言い出せないでいる、という説明になります。

そもそも、現代オリンピックとは、人類への貢献を目的に崇高なアマチュア精神に基づく大会として始まっています。プロではなくアマチュアによる大会であれば、賠償責任なるものは本来存在し得ないはずなのです。参加国は、自らの国からスポーツに秀でた国民を選んで国家代表として大会に送り出すものの、選手団の参加は自発的なものであって、その費用も自己負担が建前です。喩えて言うならば、村祭りが雨天や災害等によって中止になった場合、その賠償責任は誰にも生じないのと同じことです。

しかしながら、IOCはサマランチ会長が就任したのを機に、商業主義へと大きく転換してゆくことになります。IOCは、資金を拠出した協賛企業にオリンピックのエンブレムやロゴ等の使用権を独占的に許す新たな制度を考え出し(商標化…)、収入源を広げます。今では、オリンピックの五輪マークを想起させるようなデザインを使おうものなら、知的財産権の侵害としてIOCから訴えられてしまいます。村祭りに喩えますと、この措置が如何に奇妙(‘がめつい’…)であるのか理解できます(村のエンブレムを村民は自由に使えない…)。加えて近年、各国の放送局に‘販売’される放映権料も跳ね上がっており、今般、日本国のNHKがIOC支払う金額も凡そ6000億円に上ります。また、多種多様な競技を種目とするため(東京大会では史上最大の33競技・339種目を予定…)、観戦チケットの販売から得られる収益も莫大であり(ただし、黒字分についてはIOCの取り分は20%…)、IOCは、いわばイベントの興行主と何ら変わらない存在となったのです。しかも、オリンピック誘致の裏にはIOCの委員をターゲットとした巨額のマネーも動いており、IOCの腐敗体質は常々問題視されてきました。

その一方で、オリンピックが国威発揚のために利用された歴史もあり、国家の側も、メダル獲得や国際舞台での自国選手の活躍に期待して、選手の育成や強化に国家予算をつぎ込んでいます。開催国ともなれば施設や交通インフラの建設費等を含めた財政負担は莫大であり、東京大会にあっても、誘致に際しては6000億円と見積もられていた予算は既に凡そ5倍の3兆円に膨らんでいます。オリンピック開催による波及的な経済効果の試算によって巨額予算は正当化されていますが、費用対効果のトータルにおいてプラスとなるのかは怪しいところです。国や地方自治体が開催期間である16日間で3兆円の投資を回収できとは思えず、結局は、開催地側の財政にあっては支出超となる公算が高いのです。

以上に述べてきた諸点を考慮しますと、大会中止によって甚大な損害が生じるとすれば、3兆円規模の予算を投じてしまった日本国をおいて他にありません。次いで収益源を失ったIOCということになりましょう(既に支払われた放映料等は返還へ?)。その一方、各国政府の国費から支給されるオリンピックに向けた選手強化費は他の国際大会にも活かされますので、必ずしも無駄にはならないかもしれません。そして、これらの損害の大多数は、オリンピックが商業主義に走ってしまったが故に生じたものであり、先に述べたように、オリンピック精神の原点に返れば存在してはならないものなのです。

 それでは、日本国側には、契約上の賠償責任が生じるのでしょうか。「開催都市契約」の第66条には、確かにIOCの免責が記されています。如何なる理由による中止や契約終了であれ、開催都市、NOC、並びにOCOGはIOCに対する損害賠償請求権を放棄するとされており、東京大会のケースでも、中止による損害の賠償をIOCに求めることはできません。

その一方で、同契約には、第三者からのIOCに対する賠償請求等に関する開催都市の義務についても記述があります。この部分が問題となるのですが、仮に第三者がIOCに対して中止に伴う損害賠償等を求めた場合、開催都市、NOC、並びにOCOGが‘補償’するとしているのです。同契約書にある‘indemnify and hold harmless’は、英文契約ではしばしば補償条項において使われる表現らしく、通常、一方のみに補償義務を負わせるのはアンフェアなため、こうした契約文章は修正に付されるそうです(東京都は修正を求めなかったのでしょうか…)。何れにしても、この条項に従えば、東京都、JOC、並びに組織委員会が‘補償’責任を負うことになるのですが、‘補償’は金銭的な賠償や肩代わりと同義であるのか解釈が分かれるでしょう(上記フレーズの前に‘undertake to’があり、解釈の幅が広がる…)。また、上述したように実際の損害は日本国側とIOCに集中しますし、建前としてはアマチュアリズムが原則ですので、IOCに対して法的な根拠を以って賠償等を請求する‘第三者(参加国、民間企業、放送局、あるいは、選手?)’が出現するとも思えません。なお、仮に、無条件に開催国側が中止に際して生じる全損害の賠償責任まで負わされるならば、今後、オリンピックの開催地に立候補する国は消滅することでしょう。

このように考えますと、賠償問題は然程に心配することではなく、オリンピックの中止とは、日本国にとりましては損害の受忍を決断することにあるように思えます(延期であれば、損害はより小さくなる…)。新型コロナウイルスのパンデミック化を前にして日本国民の多くは、全人類の命にかかわるのですから、‘やむを得ない’としてこの決断を受け入れるのではないでしょうか(そもそも、どの国も選手団を派遣できないかもしれない…)。そして、仮に第三者、あるいは、IOC自身が損害賠償を求めるならば、その請求先は日本国ではなく、開催中止原因となった同ウイルスを開催都市に拡散させた中国となるはずですし、日本国並びに東京都もまた、中国に対して損害賠償を請求できる立場にありましょう。

オリンピックが商業ベースの興行と化す一方で、人々のスポーツとの接し方も多様化した今日、オリンピックの公共性、アマチュアリズム、IOCの役割、国家や開催都市の費用負担、開催都市や国の責任等の諸問題も開催地契約改の正テーマとして議論に付す必要があるように思えます。新型コロナウイルスのパンデミック化は、経済や社会のみならず、オリンピックというシステムの在り方をもその根底から問うているように思えるのです。


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