新型コロナウイルスの爆発的な感染拡大、並びに、それに伴う医療崩壊を回避すべく、東京都を含め都市部の地方自治体が週末の外出自粛を求める中、少なくない若者が繁華街へと繰り出していたとする残念なニュースが報じられています。誰もが自由を好みますし、他者から行動を縛られるのは嫌なものです。特に若者ともなりますと、自宅に閉じ籠って過ごすにも時間を持て余すのでしょうし、ましてや反抗期ともなれば、‘上からの指図’に反射的な拒絶反応を起こし、その逆をしたがる年頃かもしれません。何れにせよ、若者たちの外出は、高齢者や持病を持つ人々の命を危うくし、クラスターを起こしかねない危険行動として認識されています。
善き社会の理想とは、年齢、性別、職業、所得といった個々の属性等の違いに拘わらず、全ての人々の基本的な自由や権利が保護され、相互に侵害されない状態を意味します。治安の維持が政府の重要な役割の一つであるのも、現実には公権力を用いなければ善き社会が実現しないケースがあるからであり、それは、政府の存在意義をも説明します。もっとも、政府が必ずしも当然のことのような顔をして登場してくるわけではなく、社会を構成する人々が自らの行動が他者に与える結果を予見し、自らの行動を自律している場合には、その限りではありません。自律の精神が行き届いていれば、危険行為の禁止を定める法律を制定する必要性は低下しますし、そもそも、取り締まるべき危険行為を行う人も現れなくなるのです。
ここに、自由と法律との間のパラドクシカルな関係を見出すことができます。それは、行き過ぎた自由を行使する人、すなわち、他者の自由をも侵害する自由を行使する人が増えるほど、自由が強制的に制限されてしまうという傾向です。もちろん、加害行為に対する寛容性が高い社会もありますので一概には言えないのですが、禁止行為の法定化や禁止命令の発動の事例を観察しますと、それに先立つ加害行為の増加や深刻化があるものです(このため、より厳格な法律を制定することを目的に、敢えて極端な加害行為を自作自演するマッチポンプの事例も見られる…)。‘他者を害する自由’とは、即ち‘犯罪’と同義となりますので、自由もまた、‘善き自由’と‘悪しき自由’とを区別する必要があり、後者については自律できない場合には、他律されてしまうのです。
自由に関する区別についての議論はさて置くとしても、今般の新型コロナウイルス禍における若者たちの行動は、それが他者の命や健康を脅かすだけに‘悪しき自由’の部類に入るように思えます。密集地へと外出した若者たちは、開放感に浸り、自由を謳歌しているのでしょうが、自由のはき違えによって起きるその後については何も考えていないのかもしれません。仮に若者で賑わった繁華街や歓楽街が集団感染の発生地ともなれば、自らの自由を制限する原因を自らの手でつくったこととなりましょう。
新型インフルエンザ等対策特別措置法の改正により、首相は、公布日の翌日にあたる3月13日より緊急事態宣言を発令することができるようになりましたし、東京都も首都封鎖をも検討しているとも伝わります。新型コロナウイルスの感染の爆発的拡大に直面した他の諸国と同様に日本国でも、法的根拠を以って移動や外出の禁止や都市封鎖が行われるかもしれません。若者たちの他者を慮ることのない自己中心的な行動は、他の全ての人々の自由をも制約しかねないのです。自らの自由を護るためにも、若者たちには自律の精神に目覚めていただきたいと思うのです。